王都
「勇者様ー!」
「おかえりなさい!」
ユリウスとレオンは王城へと続く道をゆっくりと進む。
かけられる声に手を振ってこたえた。
ミナも、馬車の中からその情景を笑顔で眺めている。
皆、笑っている。
子供を抱き上げる父親も、店先から身を乗り出す女性も。
こちらへ手を振りながら、涙を拭いている人もいた。
ユリウスは、振っていた手を少し高く上げた。
「……すごいな」
隣で、レオンが頷く。
城門を出た日にも、たくさんの人が見送ってくれた。
あの日は、前を向いて進むことだけで精一杯だった。
今は、一人ずつ顔が見える。
通り道の一角には、見慣れた顔が並んでいた。
学院の同級生たちだ。中心にカイルがいて、顔を真っ赤にして、こちらへ大きく手を振っている。
「カイル!」
ユリウスは一層大きく手を振った。
こちらが気づいたと分かると、カイルはその場で飛び跳ねた。
隣の同級生に肩を掴まれても、まだ何か叫んでいる。
歓声に紛れて、言葉までは聞き取れなかった。
それでも、ユリウスは笑った。
王城の前では、騎士たちが隊列を組んで待っていた。
その中に、父の姿があった。
こちらを見つめる目が潤んでいる。
ユリウスは父と目を合わせ、小さく頷いた。
父も、同じように頷き返した。
馬を下りると、足元へ花びらが落ちた。
肩にも一枚ついている。
払おうとした手を、隣から伸びた指が追い越した。
「ついてる」
「分かってるって」
レオンが取った花びらを風へ放す。
その向こうで父がこちらを見ていて、ユリウスは慌てて姿勢を正した。
今はまだ、帰還の途中だ。
グレインに続き、王城の中へ入る。
ミナも馬車から下り、二人の後ろについた。
「礼儀は教えていただきましたが、緊張します……」
小さな声が聞こえ、ユリウスは振り返った。
「俺も」
「そうなんですか?」
「そりゃ、国王の前だぞ」
ミナが少し笑う。隣でレオンも、正装の襟元へ指をかけた。
三人で長い廊下を進む。
扉の前に着くと、グレインが一度こちらを見た。
「いいな」
揃って頷く。
扉の横に立つ騎士が、ゆっくりと重い扉を開けた。
**
広間には、多くの人が集まっていた。
奥には国王が座り、そのそばに宰相と大神官が立っている。
三人の姿が見えると、静かなどよめきが広がった。
ユリウスは決められた場所まで進み、膝をつく。
隣にはレオンがいた。ミナも、教わった通りに礼を取っている。
「ユリウス・アルヴェイン。ただいま、帰還いたしました」
声が、思ったより大きく響いた。
少し遅れて、レオンもミナも名を告げる。
グレインが一行の帰還を報告すると、国王はゆっくりと頷いた。
「顔を上げよ」
ユリウスは背を伸ばした。
出立前にも、ここへ来た。
あの時は、求められる役目の大きさに、息をするだけでも精一杯だった。
今も緊張はしている。
けれど、街で見た人々の姿。友の顔。隣にいるレオン。
その存在が、ユリウスの気持ちを落ち着かせた。
「報告は受けている。魔王を討ち、その後の異変をも鎮めた。よく成し遂げた」
ユリウスは頭を下げる。
「皆が力を貸してくれました。俺一人では、戻れませんでした」
言ってから、しまったと思った。
もっと、ちゃんとした言い方があったはずだ。
けれど、国王は表情を和らげた。
「その者たちも含め、後日、改めて功績を称えよう」
視線が、ユリウスからレオンへ、そしてミナへと移る。
「今は長旅の疲れを癒すがよい。詳しい報告と褒賞の話はそれからだ」
「ありがとうございます」
もう一度、三人で頭を下げた。
国王は立ち上がるユリウスをしばらく見つめていた。
「そなたの無事を知らされる日を、余も待っていた」
その言葉に、喉が詰まる。
心配をかけた人がここにもいた。
ユリウスは深く頭を下げた。
**
広間を出てからも、すぐには城を離れられなかった。
かつての候補者たちに声をかけられ、治癒師に顔色を確かめられる。
以前世話になった神官は、ユリウスの手を包み、何度も頷いた。
「勇者殿」
声をかけられた方を見ると、魔王城でユリウスを庇った騎士がいた。
「あ、」
「ご無事で、なによりです」
「……っ、迎えに行けなくて」
「いいのです。あなたが帰ってきてくれただけで」
「はい、ありがとうございます」
お互いに強く手を握り、騎士はその場を離れた。
その後も一人に返事をしていると、また別の人が来る。
「あの、俺、まだ何かやることありますか?」
ようやく人が途切れたところで、ユリウスはグレインに尋ねた。
「ない。今日は帰れ」
「いいんですか?」
「いつまで家族を待たせるつもりだ」
その視線を追う。
廊下の向こうに、父が立っていた。
グレインが肩を叩く。
「行ってこい」
「……はい」
グレインに頭を下げ、廊下の方へ一歩進む。
父も、こちらへ歩いてきた。
近づくほど、その顔がよく見える。
小さな頃から父に剣術を教わり、できたことを母に自慢した。
褒められた顔も、失敗して励まされた声も、覚えている。
前世の記憶があっても、自分はここで育ってきたのだ。
さっきは頷けたのに、今は何を言えばいいか分からない。
父は記憶にあるより少し痩せていて、目元には疲れが残っていた。
「父上」
呼ぶと、父の足が止まった。
「……ただいま、戻りました」
肩へ手が置かれる。
次の瞬間、強く抱き寄せられた。
「おかえり」
それだけだった。
叱られるかも、とも思っていた。
なぜ報せを寄越さなかったのか、何をしていたのかと、聞かれると思っていた。
けれど、父は何も尋ねない。
背中に回った腕へ、ユリウスも手を添える。
「ごめんなさい」
言った途端、目の奥が熱くなった。
「よく、頑張った……」
父の手が、背中を一度叩いた。
それから、子供の頃のように頭へ触れる。
ユリウスは俯いたまま、しばらく動けなかった。
少し落ち着いてから顔を上げると、レオンとミナが離れたところでこちらの様子を見ていた。
ユリウスは慌てて目元を拭く。
「父上。二人にも……」
紹介しようとすると、父はすでに二人へ向き直っていた。
「息子を連れ帰って下さり、ありがとうございました」
深く下げられた頭に、ミナが慌てて両手を振る。
「あ、いえ! ユリウスさんにも、たくさん助けてもらったので!」
レオンも姿勢を正した。
「俺も、ユリウスと帰りたかったので」
父が顔を上げる。
レオンは一度ユリウスを見て、それから父へ目を戻した。
「一緒に戻れて、良かったです」
本当に嬉しそうに笑うレオンを見て、ユリウスはまた少し顔が熱くなる。
そんなに真っ直ぐ言うなよ。
父は目元を緩め、もう一度礼を言った。
**
ミナは当面、神殿に滞在することになっていた。
大神官が用意した部屋で休みながら、召喚の記録を調べるという。
帰路に書き留めたこともあるからと、抱えたリュミエラを持ち直した。
「今日は休めよ」
「分かってますよ、レオンさん」
「その返事、信用できねえな」
横から口を挟んだユリウスに、ミナが笑った。
「ユリウスさんに言われたくないです」
レオンが横で吹き出した。ユリウスは口をとがらせている。
ミナもまた笑い、それから少し表情を和らげる。
「お二人とも、おかえりなさい」
ユリウスは一瞬言葉を失った。
ミナは、まだおかえりと言ってくれる人のいる場所へ帰れていない。
そう思ったけれど、彼女がこちらの返事を待っていたから、笑って頷いた。
「ただいま」
「ああ、ただいま」
その返事に、ミナは大きく頷いた。
「また会いに行く。研究施設のことも、ちゃんとお願いしような」
「はい。楽しみにしてます」
神官に案内されていくミナを見送った。
三人でいることにも、すっかり慣れていた。
隣が少し空いた気がして、ユリウスはレオンの方へ顔を向ける。
目があった途端、胸が跳ねた。
ユリウスは声が震えそうになるのを堪えて、息を吸う。
「ただいま」
「……おかえり」
帰ってきた。
今さら、その意味を思い出した。
**
王城の入り口には、父が手配した馬車が待っていた。
父は騎士たちへ挨拶をするため、少し離れている。
ユリウスは荷物を受け取り、馬車の前で足を止めた。
レオンが、すぐそばに立っている。
魔大陸から、ずっと隣にいた。
今日も同じ部屋で休むような気がしていたのに、ここで別々に帰る。
「……お前も家に帰るんだよな」
「ああ」
当たり前の返事だった。
ユリウスは頷き、荷物の紐を握りなおす。
「そっか」
「何だよ」
「別に」
自分から切り出していいのか分からず、少し俯く。
レオンはその顔をみて、ユリウスの袖へ手を伸ばした。
「明日、空いてるか」
心臓が、一度強く鳴った。
「空いてる!」
声が大きくなって、ユリウスは慌てて口を閉じる。
レオンが笑った。
「話がある」
「……うん」
知ってる。ずっと待っていた。
帰ったら、すぐに聞くと自分でも言った。
「昼過ぎに、迎えに行く」
「分かった」
レオンの指が、袖から離れた。
その手を、今度はユリウスが掴む。
レオンが目を見開いた。
「俺も」
声が少し上ずった。
「話、あるから」
レオンは黙ってこちらを見た。
それから、手の向きを変え、ユリウスの指を握り返す。
「……ああ。聞く」
父に呼ばれるまで、二人とも手を離さなかった。
馬車が動き出す。
窓の外で、レオンが手を上げた。
ユリウスも手を振り返し、その姿が見えなくなるまで眺めていた。
向かいに座る父が、何も聞かずに笑っている。
ユリウスは窓から顔を戻した。
明日、ついに約束を守る日が来る。




