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第76章 婚姻式の日取りと、里帰り


「婚姻式の日取りが決まった」


エドワードの言葉に、ウィルがわずかに目を見開いた。


「十一月十一日だ。四か月ほど先だな。ミルバーグをはじめ、各国との調整に二か月以上かかってしまったが」


――やっとか。


準備そのものは順調に進んでいた。


衣装も、屋敷の準備も、式に必要な手配も少しずつ整っている。


ただ、肝心の日取りだけは正式に決まっていなかった。


胸の奥から安堵が広がる。


「随分、時間がかかってしまったな」


「……えぇ。本当に、待ちました」


思わず本音がこぼれた。


ゼリアでの一件がなければ、アリスはすでに妻となっているはずだった。


エドワードが口元を緩める。


「久しぶりの他国王族同士の婚姻だ。どうやら大掛かりになりそうだよ」


ウィルの眉が寄った。


「そう嫌そうな顔をするな」


「……必要なことなら仕方ありません。ただ、アリスは大勢の前が得意ではないので」


「婚姻式では、お前がずっと傍にいるのだ。大丈夫だろう」


「……まぁ、そうですが」


可能なら、親しい者たちだけの式がよかった。


アリスと二人で誓いを交わせるだけでも、十分だと思っていた。


だが、立場上そういうわけにもいかないことは分かっている。


ウィルは思わずため息を漏らす。


エドワードはその様子に苦笑しながら、手にしていた書状へ視線を落とした。


「それと、もう一つある」


ウィルが顔を上げる。


「ミルバーグから、アリス様の帰国について打診があった」


「……帰国?」


「あぁ。アルベルト国王陛下からの直々の願いだ。婚姻式の前に、一度帰国させてほしいと」


ウィルの表情がわずかに曇る。


「フィヨルドに嫁がれている姉君も、その時期に合わせて戻られるらしい」


「そうですか」


「そちらはまだ調整が必要そうだが、時期は一か月半ほど先。ミルバーグでの滞在は一週間ほどを予定したいと書いてある」


ウィルは頷いた。


ミルバーグまでは、馬車で二日以上かかる。


往復を考えれば、アリスが屋敷を離れるのは10日近くになるだろう。


父や兄、そして姉。


家族に会える。


アリスが喜ぶ姿が目に浮かぶ。


それでも――長いな……。


胸の奥にわずかな重さが残る。


「ウィル」


エドワードの声に顔を上げる。


兄は、どこか呆れたようにこちらを見ていた。


「その顔は、絶対にアリス様の前ではするなよ」


「……分かっています」


「里帰りに反対しているわけではないのだろう?」


「当たり前です」


返事はすぐに出た。


「アリスにとって、家族と過ごす時間は大切ですから」


それは本心だった。


エドワードも、それ以上は何も言わなかった。



―――――――――――



十九時を過ぎた頃、ウィルは屋敷へ戻った。


玄関ではテリーが出迎える。


「お帰りなさいませ」


上着を預けながら、ウィルは辺りへ目を向けた。


「アリスは?」


「本日は婚姻衣装の確認で、かなりお疲れになったようです。今は湯浴みをされています」


「そうか」


「もう少し旦那様をお待ちになると仰っていたのですが、リリスが早めにお休みになるよう勧めたようです」


「言ってくれてよかった」


疲れている時は待つ必要などないと、何度も伝えている。


それでもアリスは、こういうところでは妙に譲らないことがあった。


「夕食の準備ができております」


「ああ」


ウィルは食堂へ向かって歩き出す。


テリーもその後ろについてくる。


「それから、アリス様のお部屋に置く家具の見積書が届いております。机の上に置いてございますので、ご確認をお願いいたします」


「分かった。あとで見ておく」


少し歩いたところで、ウィルは婚姻式の日取りが決まったことを伝える。


テリーも日にちを聞き、安堵したように頷く。


「では、いよいよですね」


「そうだな」


自然と口元が緩む。


「それから、その前にアリスが一度ミルバーグへ帰ることになりそうだ」


「里帰りでございますか?」


テリーがわずかに首を傾げる。


「あぁ。アリスにとっても、良い機会になるだろう」


「それは、よろしゅうございましたね」


「必要な準備を進めておいてくれ」


「かしこまりました」


テリーは一礼する。


そして、温かな笑みを浮かべて続けた。


「お留守のあいだは、お屋敷が寂しくなりますね」


「……あぁ」


ウィルは一瞬だけ間をおいて答えた。


―――――――――――


二十一時前。


ウィルは、アリスのいる客間を訪れた。


扉を軽く叩く。


「ウィル様?」


中からアリスの声が返ってくる。


「あぁ。入ってもいいか?」


「はい、どうぞ」


ウィルが扉を開ける。


アリスは寝台の上に座り、先ほどまで読んでいたらしい本を膝の上に置いていた。


「お帰りなさい、ウィル様」


「ああ。ただいま」


ウィルはアリスのそばまで歩み寄った。


「疲れたと聞いたが、大丈夫か?」


「はい。ゆっくりしていましたから、もう大丈夫です」


アリスはふわりとほほ笑む。


「ドレスの確認は、そんなに大変だったのか?」


「久しぶりに袖を通したのもありますし、細かいところを確認するために、何度も着たり脱いだりしていたので」


「そうか」


「それに……」


アリスはそこで、やや深刻そうな表情を浮かべる。


「あの……ウィル様」


「どうした?」


「実は……」


言いにくそうに視線を落とす。


「ドレスの寸法を、直すことになったんです」


「寸法を?」


「はい」


アリスはますます恥ずかしそうに俯いた。


「……少し、太ってしまったみたいで」


ウィルは思わずフッと笑った。


アリスが顔を上げる。


「ウィル様、ひどいです。私は真剣に……」


拗ねたような表情を浮かべている。


「いや、そんなつもりではなかった」


ウィルはすぐに笑いを収めた。


「すまない。あまり深刻な顔で言うから」


「でも、ロイさんにもお手間を取らせてしまいましたし……」


「婚姻式までは、まだ時間がある。問題ないだろう」


そう言って、アリスの頭に軽く手を置く。


アリスはどこか羨ましそうにウィルを見上げた。


「……ウィル様は変わらないです」


「何がだ?」


「なんでもないです」


ふい、と視線を逸らす。


ウィルは不思議そうに眉を寄せたが、それ以上は追及しなかった。


「その婚姻式だが、今日、正式に日取りが決まった」


アリスが顔を上げた。


「本当ですか?」


「ああ。十一月十一日だ」


「十一月十一日……」


確かめるように繰り返す。


「ああ」


――十一月十一日。あと、四か月……。


――私、やっとウィル様の奥さんになれるのだわ。


そう思うと、胸の奥にじわりと嬉しさが広がっていく。


「……本当に、決まったのですね」


「そうだな」


アリスの口元に、少しずつ笑みが浮かぶ。


先ほどまで拗ねていたことなど、もう忘れてしまったようだった。


ウィルはその様子に口元を緩める。


「それから、もう一つある」


「何でしょうか?」


「ミルバーグの国王陛下から、婚姻式の前に一度帰国してほしいと希望があった」


「……帰国、ですか?」


「ああ」


アリスは驚いたように目を見開く。


「姉君も、その時期に合わせてフィヨルドから戻られるらしい」


「お姉さまも?」


「ああ」


その瞬間、アリスの顔がぱっと明るくなった。


「では……お父さま、お兄さま、それにお姉さまにも会えるのですね」


「ああ」


「すごく……嬉しいです」


その声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。


「良かったな」


「はい!」


ウィルは時計へと目を向ける。


「もうそろそろ休んだ方がいい」


そう言って立ち上がる。


「あの、ウィル様」


「どうした?」


アリスは視線を一瞬さまよわせてから、ウィルを見つめた。


それから、囁くような声で言う。


「……かがんでいただけますか?」


「?」


何のことか分からないまま、ウィルは素直に身をかがめた。


次の瞬間、アリスがそっと顔を寄せる。


柔らかな唇が、頬に触れた。


ほんの一瞬。


ウィルの動きが止まる。


アリスの頬がみるみる赤くなっていった。


「……おやすみなさい」


そう言った途端、急に恥ずかしくなったらしい。


アリスは慌てるように寝台へ横になると、布団を口元まで引き上げた。


ウィルはしばらく、その姿を見つめたまま動かなかった。


「……ああ」


ようやく声が出る。


少し間を置いて、続けた。


「おやすみ、アリス」


「……はい」


布団の向こうから、くぐもったような返事が聞こえた。


ウィルはそれ以上何も言わず、部屋をあとにする。


そのまま数歩進んだところで、足が止まる。


頬へ手を触れた。


まだ、そこに柔らかな感触が残っているような気がした。


――これは……。


ウィルは軽く頭を振ると、わずかに熱を帯びた耳を意識しながら、再び歩き出した。

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