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第58章 最後の願い――あなたの傍に


誕生祭の日から三か月が過ぎていた。


あれ以来、これからどうなるのだろうという不安に襲われて、夜、なかなか寝付けないことが増えた。


そのせいか、昼間になると、気づけばうたた寝をしてしまう。


その日も、昼食を終えたあと、編み物をしていた。


けれど、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「……ケホッ、ゴホッ」


自分の咳で目が覚めた。


息が苦しい。


何……?


ぼんやりと目を開けると、部屋の中がうっすらと白く霞んでいた。


煙……?


外も普段とは違い、ひどく騒がしい。人の叫ぶ声や、何かがぶつかり合うような音が聞こえてくる。


一体、何が……?


咳き込みながら、開いている窓の方へ近づいた。


下では、兵たちが剣を交えているのが一瞬見えた。けれど、それを確かめる間もなく、窓のすぐそばを真っ赤な炎をまとった何かが落ちていく。


「……っ!」


慌てて窓から離れた。


火事……!?


何が起きているのかは分からないけれど、火事であることだけは分かった。


――逃げないと。


そう思った瞬間、体が動いていた。


扉へ駆け寄り、勢いよく開く。


けれど、廊下から濃い煙が一気に流れ込んできた。


「げほっ、ゴホッ……!」


激しく咳き込む。


慌てて扉を閉め、空気を求めるように窓の近くまで戻った。


「ごほっ、げほっ……ごほっ、ごほっ……」


咳が止まらない。


目から涙がこぼれてくる。


「なん……で……」


それは、煙のせいだけではなかった。


――死ぬのが怖くて、今までずっと頑張ってきたのに……。


ゼリアへ来てからずっと押さえ込んでいた感情が、一気に胸の奥からあふれ出してくる。


その場にへたり込み、時折咳き込みながら、声を上げて泣き出していた。


ここへ来てから、ずっと泣かないようにしていた。


泣いてしまったら、


一人で立っていられなくなってしまいそうだったから。


セリーヌ様のことを知った時も、涙だけは必死にこらえた。


泣かなければ、まだ頑張れると自分に言い聞かせられた。


でも、全ておしまい――もう、頑張らなくてもいいのね……。


最後くらいお父様も許してくれる。


泣くたびに煙を吸い込み、咳がさらにひどくなる。


息が苦しい。


視界が滲み、体から少しずつ力が抜けていく。


そのぼんやりとした意識の中で、不意におかしさが込み上げてきた。


「……ふふ」


『不吉を呼ぶ姫』。


火に焼かれて終わるなんて、私にふさわしい最後ね……。


震える指で、胸元の鈴蘭のネックレスを握りしめる。


――ウィル様に会いたい……。


ウィル様。


どうされているかしら?


セリーヌ様とのご婚約が、きっと正式に決まっている頃だわ。


許されるなら、お二人の婚姻式を見たかった。


せめて、ウィル様が幸せになられた姿だけでも見届けられたら……。


私には、それだけで十分すぎるぐらいだもの。


それに、婚姻式のウィル様は、きっとお月様のように綺麗だと思うから。


その姿を見ることができたら、あの月のドレスを着てウィル様の隣に立つ私を、ほんの少しだけ夢見られたかもしれない。


あの日、ウィル様の気持ちが私へ向けられていないと分かってから、ウィル様と過ごすはずだった幸せな時間を想像することだけが私の楽しみになっていた。


――だって、誰にも迷惑をかけないもの。


ほんの少しだけ想像にお借りしたって許されると思ったから。


一緒にお庭を歩いたり。


約束していた町のお店で、椅子やソファを選んだり。


他愛のないお話をしたり。


「いってらっしゃい」と送り出したり。


「おかえりなさい」と迎えたり。


腕の中に抱きしめてもらったり。


ただお傍で同じ時間(とき)を過ごしたり。


そんな幸せな時間を、何度も何度も思い描いていた。


――あぁ……


――せめて……


――嘘でもいいから……


――最後に一度だけ……


――あの月のドレスを着て、ウィル様の隣に立つことができたら……。


「あのドレス……どうなったのかしら……」


もう、とっくに捨てられているわね、きっと――。


そう思った時、扉が乱暴に開く音が聞こえた気がした。


けれど、もう何も分からなかった。


私の意識は、そこで完全に途切れた。


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