第50章 誕生祭での残酷な再会
姿見に映る自分の姿を見て、小さくため息をついた。
黒髪に黒い瞳。そして身に纏うのは、まるで葬送の場へ向かうような、黒衣のドレスだった。
鏡の中の自分を見ていると、どうしてもある言葉が頭に浮かぶ。
――不吉を呼ぶ姫。
ゼリアへ来てから九か月が経っていた。
今日、ゼリア国では国王の七十五歳の誕生祭が盛大に催されることになっている。
ゼリア国王とは、この国へ来た日以来、一度もお会いしていない。それなのに、なぜか私にも誕生祭へ出席するようにとのことだった。
そして用意されたのが、この黒衣のドレスだった。
きっと国王の意向なのだろう。
そこに悪意が含まれていることだけは伝わってきて、気持ちが重くなった。
そんなことを考えていると、控室の外から護衛騎士の声が聞こえた。
「セシリオ殿下と奥様が来られました」
「はい」
慌てて返事をすると、扉が開く。
入ってきたのはセシリオ殿下と、優しそうな雰囲気を持つ女性だった。
セシリオ殿下とお会いするのも、この国へ来た時以来になる。
「ご無沙汰しております、アリス王女。こちらは私の妻のミランダです」
「お久しぶりです、セシリオ殿下。初めてお目にかかります、ミランダ様」
頭を下げた。
「アリス様、初めてお目にかかります」
ミランダ様は私へ視線を向け、それから笑みを浮かべた。
お二人の空気はどこか柔らかい。
挨拶がひと段落するとセシリオ殿下が口を開く。
「広間までご一緒させていただきます」
「よろしくお願いいたします」
一人で広間へ向かわずに済むだけで、ほんの少し肩の力が抜けた。
「広間にいていただく時間は、なるべく短くいたします。ウィル殿下より、あまりこういった場は得意ではないと伺っておりますので」
その名前を聞いた瞬間、胸が大きく跳ねた。久々に音として聞いた名前だった。
ウィル様が、まだ私のことを気にかけてくださっている……。
それがとても嬉しいと思ってしまった。
会場へ向かう途中、セシリオ殿下夫妻の後ろを歩く。
廊下ですれ違う人々の視線が痛い。
興味本位の視線、噂を確かめようとする視線、畏れを含んだ視線。
トルシアでのお披露目の時も多くの人に見られていたはずなのに、あの時とは空気がまるで違う――。
胸の奥がぎゅっと縮こまり、手は氷のように冷たい。
俯いてしまいそうになるのを必死に堪え、ただ前だけを見つめた。
やがて大広間へ到着した。
すでに多くの招待客が集まっている。
私の姿を見た途端、広間のあちこちでざわめきが起こった。
セシリオ殿下たちに続いて軽く膝を折り、儀礼的な挨拶をしてから広間へ足を踏み入れる。
「アリス王女、帰られる際にはお声がけいたします」
「ありがとうございます」
そう言ってセシリオ殿下夫妻は広間の奥へ向かっていった。
私は一人残され、自分の立つ場所を探すように視線を巡らせる。
その時、こちらへ向かって歩いてくる姿に、思わず目を見開く。
まさか、お兄様が来ているなんて。
嬉しさで胸がいっぱいになり、すぐにでも駆け寄りたい気持ちになる。
けれど、その時だった。
ゼリア国王が大広間へ姿を現した。
足を止め、国王へと視線を向ける。
国王は客人たちへ声をかけながら広間の中央へ進み、そのまま誕生祭の挨拶を始めた。
その言葉をぼんやりと聞きながら、広間の中へと視線を彷徨わせる。
ふと、見覚えのある金色が目に入った。
一瞬、息が止まる。
――ウィル様……。
九か月ぶりに見るその姿を、しばらくただ見つめていた。
心臓が大きく脈打つ。
まさか、ウィル様まで来られているなんて――もう会えないかもしれないと思っていたのに……。
こうして遠くからでも姿を見ることができる日が来るなんて思いもしなかった。
でも、すぐに、その隣に立つ女性の姿に気づく。
銀色の髪に碧い瞳を持つ、美しい女性。
ウィル様の傍らに寄り添うその姿を見た瞬間、胸の奥にあった喜びが一気に消えていった。
目の前が暗くなり、周囲の音が遠のいていく。
視線をぎこちなくゼリア国王へ戻し、もうウィル様を見ることができなかった。
――大丈夫、大丈夫だもの。気にして下さっただけで、十分だと思わないと……。
ウィル様には幸せになって欲しいと思っていたのに――。
それなのに、いざ現実を目の当たりにすると胸が苦しくなる。
国王の挨拶が長いことに少しだけ安堵した。
今、お兄様に話しかけられたらきっと泣いてしまう。
不吉を呼ぶ姫という立場が、多分私を守ってくれている。
泣いてしまえば、その立場が危うくなるかもしれない。
そうなれば、待っているのはきっと……。
今、自分を守れるのは自分だけなのだから。
強く手を握り締めながら、私は必死に気持ちが落ち着くのを待った。
やがて国王の挨拶が終わる。
「……久しぶりだな。アリス」
聞き慣れた声に顔を上げると、お兄様が目の前に立っていた。
「お久しぶりです、お兄様。お元気そうで何よりです」
自然と口元が緩む。
「こちらでの暮らしには慣れたか」
「はい。ゼリア国王様にはよくしていただいております」
お兄様も周囲を気にしているのだろう。
当たり障りのない会話が続く。
それでも、こうして顔を見て話せるだけで嬉しかった。
お兄様は近況を話してくださった。
その話を聞きながら、私は一つだけ気になっていたことを尋ねる。
「リリスはどうしていますか?」
「彼女なら、お前も知っているエリオットと結婚した」
その言葉に胸を撫で下ろした。
「そうですか」
よかった。本当によかった。
「リリスに幸せにとお伝えください」
「エリオットもこちらに来ているから伝えておこう」
「はい、お願いします。あの、それから、お父様はお元気にされていますか」
「あぁ、だが、父上はお前のことを心配している」
お兄様は少しだけ低い声になった。
「お父様が…、あの、私は大丈夫ですとお伝えください」
お兄様は一瞬眉をひそめたがそれ以上何も言わなかった。
いつまでも話し続けるわけにはいかない。
「では、お兄様。これで失礼いたします」
私はなんとか気持ちに区切りをつける。
お兄様は私の横を通り過ぎる寸前、周囲には聞こえないほど小さな声で呟いた。
「すまない」
その一言に胸が締め付けられる。
けれど私は首を横に振ることもできず、その背中を見送った。
私には身を案じてくれる人が確かにいる。
だから、頑張らないといけないの、これからもずっと。
その後、何名もの招待客から声をかけられた。
「アリス王女、初めてお目にかかります」
「初めまして」
丁寧な挨拶を交わしているのに、若い女性とは一度も目が合わなかった。
どこか怯えるように視線を伏せたまま、早々にその場を離れていく。
別の年配の男性は、挨拶もそこそこに、私の髪や瞳へ何度も視線を向けてきた。
「ほう……髪も瞳も、本当に黒いのですな」
「……はい」
「いや、実に珍しい」
悪びれる様子もなく、しげしげと眺められる。
さらに、ある中年の女性は周囲を気にするように辺りを見回すと、私の耳元へ声を落とした。
「あの……お願いをすれば、誰かに災いを起こしていただくこともできるのでしょうか」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……そのようなことはできません」
「そう……なのですか」
どこか残念そうな声音だった。
表向きは皆、丁寧に接してくださっている。
けれど、その視線や態度から、自分がどんなふうに見られているのかを改めて思い知らされた。
私は儀礼的な言葉を返しながら、塔へ戻っていいとセシリオ殿下から声をかけていただけるのを、ただ待っていた。
突然、後ろから懐かしい声が聞こえた。
「お久しぶりです、アリス王女」
心臓がドクンと鳴る。
聞き間違えるはずがない。
恐る恐る振り返ると、そこにはウィル様が立っていた。




