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第21章 少しずつ埋まる距離


執務室に元の静けさが戻ったあと、ふとリリスの言葉が頭に浮かぶ。


――アリス様に、少しでも接する時間を。


この屋敷に彼女が来てから、まともに言葉を交わしたことはほとんどなかったか。


机の上の書類に目を落としたまま、手が止まる。


「……そういえば」


思い出したかのように呟く。


時間が合えば夕食を共にするつもりでいた。


客人として迎えている以上、それくらいの配慮は当然必要だと考えていた。


だが、実際には一度もそうしていなかったことに、今さらながら気づく。


忙しさに紛れて、そのままになっていた。


「……一度も取っていなかったな」


わずかに眉を寄せてから、深く息を吐く。


客人に対して取るべき対応としては、さすがに適切とは言えないだろう。


そこまで考えてから、椅子の背にもたれかかる。


「……明日からは、時間を合わせるか」


誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。


それだけのことだと結論づけて、ウィルは再び書類へと視線を戻した。


◇◇◇


ウィルが食堂に姿を現したとき、アリスは一瞬、動きを止めた。


思考が追いつかない。


ここに来てからというもの、夕食を一人で取るのが当たり前になっていた。


だからこそ、目の前の光景がすぐには現実として受け入れられなかった。


(ど、どうしよう。まさか、ウィル様が一緒に夕食を……)


慌てて立ち上がり、ぎこちなく礼をする。


「お帰りなさいませ、ウィル様」


「ええ。お待たせしました」


短く返される。


それ以上、言葉は続かなかった。


席に着いてからも、しばらくは沈黙が続く。


何か話さなければと思うのに、言葉が出てこない。


口を開きかけてはやめることを何度か繰り返し、その間にも時間だけが過ぎていく。


緊張で食事は味が分からないまま、ただ口に運んでいるだけだった。


沈黙が長く続いたあと、ふとウィルが口を開いた。


「先日のお菓子、美味しくいただきました」


その言葉に、思わず顔を上げる。


「はい、あの……お口に合いましたのでしたら、よかったです」


視線を合わせたのはほんの一瞬で、すぐにまた落としてしまう。


「花壇の手入れもしていただいているようで」


続けられた言葉に、アリスはわずかに息を整える。


「あの、こちらこそ……私の勝手を許していただいて、ありがとうございます」


また沈黙が落ちかけたところで、クララが自然に口を開いた。


「アリス様に手伝っていただき、本当に助かっております。昨日も花の種まきをしていただいたんですよ」


「はい。私の好きな花の種も、わざわざご用意していただいて」


「……何の花ですか」


空気が少しだけ緩む。


「鈴蘭です。あまり目立たない花ですけど……私は、好きなんです。小さくて、可愛いので」


アリスは少し息を整えてから続けた。


「来年には咲くと思います。ご覧になっていただければ」


ほんの一瞬だけ、その表情が陰る。


その様子を、リリスは目を伏せ、クララはわずかに目を細めていた。


その後も、沈黙を挟みながらではあったが、ぎこちない会話は続いていった。


◇◇◇


その後、毎日ではないが、夕食を一緒にとるようになった。


最初のうちは沈黙が長く続くこともあったが、日を重ねるにつれて、その間は少しずつ短くなっていく。


「今日は、野菜を植えたんです」


アリスがそう話し出すと、ウィルは視線を向けたまま問い返した。


「何を?」


「トマトときゅうりです」


「そうですか」


「はい、美味しく育ってくれたら嬉しいです」


アリスはそう言って、わずかに笑みを浮かべる。


「えぇ」


ウィルも短く応じる。


言葉は多くないが、ウィルからの問いかけは途切れず、話は自然と続いていく。


それに答えていくうちに、アリスの言葉は少しずつ迷いをなくしていった。


気がつけば、言葉を選びすぎることもなくなり、その日の出来事を自然に口にしている。


話し終えたあと、沈黙が落ちても、気にならなくなっていた。


◇◇◇


アリスがウィルと夕食を共にすることが十回を超えた頃。


「明後日がクララさんのお誕生日だと、他の方にお聞きして」


「あぁ、そうでしたね」


ウィルが相槌を打つ。


「それで、クララさんにケーキを作れたらと思って、バラクさんに相談しているんです」


アリスは楽しそうに笑みを浮かべる。


その表情に、ウィルは一瞬だけ視線を止めたが、すぐに手元へ視線を戻した。


「それは、クララのために礼を言います」


「いえ、私がやりたくて……クララさんにはとてもよくしていただいていますし」


少し照れたように視線を落としながら、アリスは続ける。


ウィルは短く頷き、グラスに手を伸ばした。


「ケーキは、よく作られるのですか」


「いえ、実はあまり……でも、バラクさんが手伝ってくださるとおっしゃってくださって」


「あぁ」


短いやり取りのあと、ウィルはグラスを置き、ふと思い出したように顔を上げる。


「姫の誕生日はいつですか」


アリスは一瞬、言葉を止めた。


つい先ほどまでケーキの話をしていたばかりだ。


ここで伝えれば、気を遣わせてしまうかもしれない。


それでも、嘘をつくわけにもいかない。


「……一週間後です」


呟くように答える。


「そうでしたか」


ウィルは短く頷いただけだった。


それ以上深く尋ねられなかったことに、アリスはかえってほっとする。


――祝ってもらうような立場でもないのだし、変に気を遣わせてしまうのは申し訳ないもの。


だから、これでよかったのだと自分に言い聞かせるように、そっと息をついた。

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