プロローグ
プロローグ
最初に崩れたのは、空の線だった。
青と灰色の境目を切り裂くように、黒い影がいくつも飛び交っている。
人の何倍もある金属の脚が、山肌を蹴って跳ぶたびに、岩肌が砕け、土煙が上がった。
人型モビルスーツ――THA-08。
その一機が、山頂の砲台を踏み砕いた。
足裏の重みで鉄とコンクリートが一緒くたに潰れ、爆発が遅れて追いかけてくる。
炎の花が、黒い装甲を一瞬だけ赤く照らした。
『前衛、突入成功。記憶転送リンク、安定範囲内』
ノイズ混じりの声が、全周波数に流れる。
パイロットの耳の奥で、誰か別の男の笑い声が重なった。
『楽しいか? これが“俺たち”の戦いだ』
「黙れ」
スロットルを握る手が、汗で滑る。
自分の声なのか、誰かの声なのか、もはや区別がつかない。
視界の端で、味方機がひとつ爆ぜた。
装甲片と中身が一緒に空へ飛び散り、赤い霧が風に溶ける。
それでも脚は止まらない。
止められない。
『後方より第七通信実験分隊、リンク強度を増加。戦死者の戦闘データ、再投入開始』
頭の奥が、焼き付くように熱くなった。
知らない戦場。
知らない敵。
知らない死に方。
無数の「最期」が、眼球の裏側に貼り付いていく。
照準器の十字が、勝手に次の標的をなぞる。
――撃て。
耳元で、知らない女の声が囁いた。
引き金を引く。
引かされる。
砲塔が砕け、要塞の壁に亀裂が走る。
中から噴き出した炎と煙の中を、別のTHA-08が突っ込んでいく。
『前進しろ』
『退け』
『ここで死ね』
『生きて帰れ』
ヘッドセットの中で、何十人分もの命令が重なり合う。
どれが今の上官の声で、どれが三年前に死んだ誰かの声なのか、もう分からなかった。
「……俺は」
呟きは、コクピットの中で霧散した。
視界の中央に、山の稜線が現れる。
その頂に、古い通信塔が一本、突き立っていた。
鉄骨をむき出しにした細長い塔。
戦場の喧騒の中でも、そこからだけは妙に静かな電波の波が広がっているのが分かった。
――こちら、第七通信実験分隊。
耳の奥で、聞いたことのない男の声が優しく呼びかける。
――我々は、まだ転送を続けている。
次の瞬間、頭の中で何かが弾けた。
誰かの記憶が雪崩のように押し寄せる。戦場が、家が、教室が、白い病室が、全部いっぺんに襲ってきた。
『やめろ――』
悲鳴と共に、操縦桿がぐらりと揺れる。
THA-08の巨体がバランスを崩し、隣の味方機にぶつかった。
鉄と鉄がぶつかり合い、装甲が軋む。
その衝撃で、固定されていた爆薬の束がひとつ、予定より早く起爆した。
山の腹が、内側から裂ける。
爆発の連鎖が、要塞の心臓部を駆け抜けた。
砲台が、壁が、整備ヤードが、地下施設が、すべて巻き込まれて落ちていく。
崩れ落ちる岩と鉄骨とモビルスーツ。
粉々になった部品の一部が、空をかすめ、遠くの山肌に突き刺さった。
その遥か上空で、通信塔だけが、まだかろうじて立っていた。
炎と煙に包まれながら、細い影が夜空へむかって伸びている。
その頂から、弱々しい救難信号が一本、静かに放たれた。
誰もそれに応答する者はいない。
少なくとも、この戦場には。
塔の足元で、THA-08の残骸のひとつが、わずかに手を伸ばそうとした。
砕けた関節が悲鳴を上げ、動きは途中で止まる。
コクピットの中で、パイロットの胸はまだかすかに上下していた。
意識の奥に、女の子の声がにじむ。
――お兄ちゃん。戻ってきて。
その呼び声と共に、視界は白く塗りつぶされた。
山に沈む爆発音の余韻だけが、いつまでも夜の空気を震わせていた。




