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【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~  作者: ハムえっぐ
番外編

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315/322

裏切り者

 これはローゼたちが、ファインダ王国ガーデリア地方から王都リオーネに向かっていた頃の物語。


 ***


 冒険者パーティーのリーダー剣士ゼニスは、魔女リアンと互いに淡い想いを寄せ合っていた。

 けれど、どちらも奥手で気持ちを言葉にできず、視線を交わして、すぐに逸らしてしまう。そんな毎日を過ごしていた。


「ねえ神官様、あの2人、いつになったら素直になるのかねえ?」

 

「はは、エルザ殿。若い2人のことは焦らず見守ってあげましょう。きっと、時が解決してくれますよ」


 パーティー仲間である陽気な女戦士エルザと、心優しい神聖魔法使いの神官ライマーは、そんな2人をやきもきしながらも見守っていた。

 彼らは信じていたのだ。いつか2人が結ばれ、幸せになる未来が訪れることを。


 旅を続ける中で一行は数々の困難を乗り越え、やがて王国を揺るがすほどの大きな事件を解決するに至った。

 彼らの功績は広く知れ渡り、パーティーの知名度は飛躍的に向上する。

 冒険者ギルドからも、直接重要な依頼が舞い込むようになっていた。


 ある夜、焚き火を囲む仲間たちから少し離れた場所で、剣士と魔女は並んで星空を見上げていた。


「……今日の月、綺麗だな」

 

「ええ……本当に」


 先に沈黙を破ったのはゼニスだった。リアンは彼の横顔を盗み見て、頬を染める。


「あのさ……ずっと、言おうと思ってたことがあるんだ」

 

「……なあに?」


 ゼニスは一度ごくりと唾を飲み込むと、意を決したようにリアンに向き直った。


「俺は……君のことが好きだ。これからも、ずっと一緒にいてほしい」

 

「わ、私も……! あなたのことが、ずっと……!」


 月明かりの下、照れながらも確かめ合った温かな気持ち。

 2人はようやく結ばれたのだ。遠くで仲間たちの祝福する口笛が聞こえた。


 幸せの絶頂にあった彼らに新たな依頼が舞い込む。

 それは火山に棲む凶暴なサラマンダーの群れを討伐するという、危険な任務だった。


「気をつけて、ゼニス」

 

「ああ、リアンこそ。俺が必ず守るから」


 激しい戦いの最中、リアンが詠唱に集中している隙を突かれ、サラマンダーが狙いを定め突進した。


「危ない!」

 

 ゼニスが身を挺して彼女を庇う。

 が、サラマンダーの突進に押され、彼は灼熱の炎が渦巻く火口へと落ちてしまった。

 

「いやあああああっ!」


 魔女の絶叫が火山にこだまし、後を追おうとする彼女を、戦士と神官が決死の覚悟で引き留めた。


「離して! ゼニスが、ゼニスが死んじゃう!」

「駄目だ! 君まで死ぬ気か!」

「落ち着いてください! 我々だけでも、今は生き延びることを!」


 一行は辛くも火山から脱出したが、そこにリーダーであるゼニスの姿はなかった。

 ゼニスを喪ったパーティーは、その日を境に解散した。

 冒険者としての道も断ち、それぞれが故郷へと帰っていく。

 リアンもまた、愛する人の死という耐え難い現実を受け入れ、深い悲しみに暮れながら、思い出の地を後にした。


 ***


 旅の途中に私たちが立ち寄ったのは、深い森を抜けた先にある寂れた宿場街。

 古い街道沿いにポツンと佇むその街は、どこか忘れ去られたような、物悲しい雰囲気を漂わせていた。


 私、ローゼは魔女。エルフのベレニス、ドワーフのフィーリア、聖女のヴィレッタ、赤竜クリス、ファインダ王女レオノール、傭兵リョウと共に旅をしている。


 私たちは街で唯一の宿屋に投宿することにした。

 女主人が1人で切り盛りしているらしい、こぢんまりとした宿だ。

 夕食時、食堂の隅のテーブルで食事を摂っていると、1人の男が私たちに気づき、おずおずと近づいてきた。


 年の頃は30前くらいだろうか。

 くたびれた旅装に身を包み、腰には使い込まれた剣を差している。

 けれど瞳にはどこか焦点の定まらない、頼りなげな光が浮かんでいた。


「あの……失礼ですが、皆さんは冒険者の方々ですか?」


 男は少し緊張した面持ちで私たちに尋ねた。


「ええ、まあ、そんなところです」


 私たちパーティー唯一の男性のリョウが、丁寧に対応して答える。


「お願いがあるのです。私はジョンと申します。訳あって、記憶を失っておりまして……自分の名前すら、この『ジョン』という名も、助けてくださった村の方につけていただいたものなのです」


 ジョンと名乗る男の言葉に私たちは顔を見合わせた。

 記憶喪失……本や演劇の中ではよく聞くけれど、実際にそんな人がいるなんて。


「皆さんのような冒険者の方々なら、何か……私が何者なのか、手がかりを見つける手助けをしていただけるのではないかと……浅ましいお願いだとは承知しておりますが……」


 ジョンさんは深々と頭を下げてきた。


 リョウは少しの間、黙ってジョンさんを見つめていたけれど、やがて小さく頷いた。

 

「……わかりました。できる限りのことはしましょう」


 リョウの言葉に、ジョンさんの顔がぱあっと明るくなる。

 

「本当ですか! ありがとうございます!」


 私たちはジョンさんとテーブルを共にし、彼が覚えている限りのことを聞き出すことにした。


 けれど彼が思い出せるのは、ほんの断片的なことばかり。

 どこかの火山の麓の村で、親切な老夫婦に助けられたこと。

 畑仕事を手伝いながら、何年も穏やかに暮らしていたこと。

 ……いつも胸に何か大きな穴が空いているような、言い知れない虚しさを抱えていたこと。


「時々、夢を見るんです」


 ジョンさんが、ぽつりと呟いた。


「美しい……金色の髪の誰かが私に優しく微笑みかけてくれる夢を……でも、目が覚めると、彼女の顔は霞んでいて、思い出せない。それが……たまらなく苦しいんです。何か、とても大切なものを失ってしまった、という感覚だけが、ずっと……ずっと私を苛んでいるんです」


 金色の髪という言葉に、私は無意識のうちに自分の髪に触れていた。


 ジョンさんの瞳に切実なまでの思慕の色が浮かんでいる。

 彼の失った記憶の中にいるという、金髪の女性……一体誰なのだろう。


 リョウは黙って、ジョンさんの話に耳を傾けている。

 他の仲間たちも神妙な面持ちだ。

 特にヴィレッタは何か思うところがあるのか、ジョンさんの言葉を一つ一つ、噛みしめるように聞いていた。


 その日の夜、私たちは宿の談話室で、今後のジョンさんのことについて話し合った。

 

「記憶喪失なんて、本当に大変ですね……」


 レオノールが心底同情したように言う。


「ていうか、傭兵。私たちに何ができるっていうのよ。手がかりが少なすぎるわよ」


 ベレニスが、いつものように少し棘のある口調でリョウに尋ねた。


「……ジョンさんの夢に出てくるという、金髪の女性。それが唯一の手がかりかもしれんな」


 リョウが静かに答える。


「もしかしたら、その女性を探し出すことができれば、ジョンさんの記憶も……」


 ヴィレッタが、そう言いかけた時だ。


「う……うわあああああっ!」


 隣の部屋からジョンさんの、苦しげな叫び声が聞こえてきた。


 私たちは顔を見合わせ、慌ててジョンさんの部屋へと駆けつけた。

 扉を開けると、ジョンさんが寝台の上でうなされ、ひどく汗をかいて身悶えている。


「ジョンさん! しっかりしてください!」


 私が肩を揺さぶると、ジョンさんははっと目を見開いた。

 瞳は焦点が合わず、何か恐ろしいものを見たかのように、ひどく怯えている。


「ま……魔女……リアン……俺の……リアン……!」


 ジョンさんが、うわ言のように呟き続けている。


 リアン……? それが彼の夢に出てくる金髪の女性の名前なのだろうか。


「火……火山が……サラマンダー……!」


 ジョンさんの言葉は支離滅裂で、何を言っているのか判然としない。

 けれど、彼の表情は明らかに何かを思い出しかけている感じがした。


「ジョンさん、落ち着いて。夢を見ていたんでしょ~」


 クリスが声をかけると、ジョンさんはゆっくりと私に視線を向けた。

 そして……私の顔を見て、彼の瞳が大きく見開かれた。


「あ……ああ……金色の……髪……」


 ジョンさんの震える指が私の方へと伸ばされる。


「……リアン? リアンだよね!」


 彼の言葉に私は息を呑んだ。

 そんなはずはない。私はローゼだ。リアンという魔女ではない。

 だけどジョンさんは、私の中に彼の探していた「リアン」の面影を見ているようだった。


「違います、ジョンさん。私はリアンではありません。ローゼと言います」


 私は努めて優しく、はっきりと否定した。


 ジョンさんは私の言葉に混乱したように首を振る。

 

「でも……その髪……その瞳……あなたは……」


「リョウ様、ここは毅然と対応してくださいませ」


 ヴィレッタがリョウに鋭く声をかけた。


 リョウは黙ってジョンさんの傍に歩み寄ると、彼の肩に力強く手を置いた。

 

「ジョンさん、落ち着いてください。今はゆっくり休んでください」


 リョウの落ち着いた声と力強い手の温もりが、ジョンさんを少しだけ現実に引き戻したようだった。

 彼は、はあはあと荒い息をつきながら、それでもまだ混乱した様子で、私とリョウの顔を交互に見ている。


「もしかしたら……」


 フィーリアが何かを思いついたように声を上げた。


「ジョンさんの記憶の鍵は『魔女』と『火山』、それと『サラマンダー』にあるのかもしれないっすね。そういう事件や伝承を調べてみれば、何かわかるかもしれないっす」


 フィーリアの言葉に私たちは頷いた。

 たしかに、それが一番現実的な手がかりかもしれない。


「私たちで、ジョンさんの記憶を取り戻すお手伝いをしましょう」


 レオノールが、きっぱりとした口調でジョンさんに告げ、ヴィレッタが続ける。

 

「ただし、わたくしたちも旅の途中です。いつまでも、あなたに付きっきりというわけにはいきません」


「は……はい! もちろんです! ありがとうございます……!」


 ジョンさんは涙ながらに私たちに感謝の言葉を述べた。


 ベッドに潜った私だけど、なかなか寝付けなかった。

 ジョンさんの私を見る目は、まるで私が彼の失った恋人であるかのように切なげで、焦がれるような瞳。


 もしリョウが記憶を失って、他の誰かを私と重ねて見てしまったら……


 そんなことを考えると、胸が締め付けられるように痛んだ。


 隣の部屋で、リョウは何かを考えているのだろうか。

 その光景を浮かべながら、私はそっと目を閉じた。

 彼を失いたくない。絶対に。


 翌日、私たちはジョンさんと共に宿場街を出発した。

 フィーリアの提案通り、古い文献や伝承を求めて、いくつかの大きな街の図書館や古書店を巡った。


 そうしていると、とある街の冒険者ギルドで私たちはついに有力な情報を手に入れることができた。

 10年ほど前に火山地帯でサラマンダーの討伐依頼を受け、リーダーの剣士が行方不明になったという冒険者パーティーの記録。


 パーティーにいた魔女の名は……リアン。

 リーダーの剣士の名は……ゼニス。


「ゼニス……それが俺の本当の名前……?」


 ジョンさん……いや、ゼニスさんはギルドの記録を食い入るように見つめながら、震える声で呟いた。


「リアン……魔女リアン……金色の髪の……俺の……」


 彼の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

 失われた記憶の断片が、少しずつ繋がり始めているのかもしれない。


「仲間がいたはずだ……そうだ……陽気な女戦士のエルザ……心優しい神官のライマー……!」


 ゼニスさんの口から、次々と懐かしい名前が飛び出してくる。

 彼の表情は苦痛と喜びに満ちていた。


「俺たちは……いつも一緒にいた……いつも……!」


 彼は叫んだ。

 

「思い出した……! 俺は……剣士ゼニスだ!」


 ゼニスさんの全身から、堰を切ったように強い力が溢れ出した。

 これは……剣士としての、気迫……オーラのようなもの。

 記憶と共に失っていた力も取り戻したのかもしれない。


「おめでとうございます、ゼニスさん」


 リョウの声は心からの祝福の響きがあった。


「ありがとう……本当にありがとう……皆さんのおかげです……!」


 ゼニスさんは私たち1人1人に深々と頭を下げた。

 瞳はもう、以前のような頼りなげな光ではない、意志の輝きを宿している。


「これからどうするつもりなの?」


 ベレニスが尋ねると、ゼニスさんは力強く答える。

 

「リアンを探しに行きます。そして……エルザとライマーにも。もう一度、仲間たちと会って、俺は……俺は……!」


 ゼニスさんの言葉は、そこで途切れた。

 その先を、彼はまだ見つけられていないのかもしれない。

 それでも彼の表情は未来への希望が満ち溢れていた。


 私たちはゼニスさんと別れ、再び自分たちの旅路に戻った。

 彼がリアンさんや仲間たちと再会し、幸せになれることを心から願いながら。


 ***


 ゼニスが火口に落ちて10年後、リアンは故郷で心優しき青年と出会い結婚した。

 愛らしい子供も生まれ、かつての悲しみを乗り越え、今は穏やかで幸せな日々を送っている。

 あの絶望的な日々が嘘のように。

 そんなある日、彼女の元を懐かしい人物が訪ねてきた。

 元パーティーメンバーの戦士エルザだった。


「久しぶり、リアン……」

 

「エルザこそ、お久しぶり。元気そうでよかったわ」


 積もる話もそこそこに、エルザは少し言いづらそうに切り出した。


「実は……ゼニスを見たって奴がいるんだ。リアン……あんたを探しているそうなんだ」

 

 リアンは息を呑んだ。心臓が嫌な音を立てて跳ねる。

 生きている? もしそれが真実なら……心の底から嬉しい。彼の笑顔をもう一度見られるなら、どんなに嬉しいことか。

 けれど、同時に冷たいものが背筋を走る。

 今の自分には愛する夫とかけがえのない子供もいる。この手に入れた、ささやかで温かい幸せの日々が今の現実だ。


「……そう、なの」

 

「ああ……それで、あんたが結婚して子供がいると知ったらしくて……ゼニスは『俺を裏切ったのか!』って、ものすごく取り乱していたらしい。10年間、ずっと君だけを思って生きてきた、って……」

 

 裏切った……? 取り乱して……?

 たしかに私はゼニスと愛を誓った。

 けれど彼が死んだと思ったからこそ、私は前を向いて新しい人生を歩み始めたのだ。

 彼が私を置いていったんじゃないか。

 そう思う一方で、もし彼が本当に10年間、私だけを想い続けていたとしたら……その苦しみはどれほどのものだったのだろうか。

 

 リアンは急速に不安と罪悪感に近い感情の影が濃くなっていくのを感じた。

 眠る幼い我が子の顔を見つめながら、彼女は思った。

 彼が何をしでかすかわからない。この子を、この家庭を守らなくてはならない。あの頃の純粋な彼ではないかもしれない。


 やがて、運命の日は訪れた。

 ゼニスがリアンの住む町に辿り着いたのだ。

 リアンは扉を開け、昔と変わらない面影を残しつつも、深い影を帯びた彼の姿に一瞬言葉を失った。

 それでも努めて平静を装い、懐かしさと喜びがないまぜになった複雑な笑みを浮かべる。


「本当に……本当にあなたなのね! 生きていたなんて……!」

 

「ああ、俺だ! 俺だよ! やっと、やっと会えた……リアン!」


 ゼニスはリアンを力強く抱きしめた。

 彼の腕の感触は紛れもなく10年前と同じで、リアンの心は喜びと、それ以上に得体の知れない不安で激しく揺さぶられた。


「一体、どうしていたの……? あの後、どうやって……?」

 

 涙ながらに問いかけるリアンに、ゼニスは彼女の肩を掴み、堰を切ったように話し始めた。

 瞳は喜びと、長い苦難を乗り越えた者だけが持つ熱を帯びていた。


「ああ、聞いてくれ、リアン! 火口に落ちた時、俺はもう駄目だと思った。灼熱の中で意識が遠のいて……でも、奇跡的に溶岩溜まりじゃない、岩棚のような場所に叩きつけられたんだ」

 

「そ、そう……だったのね……よかった……本当によかった……」

 

「ああ。けれど衝撃で……何もかも忘れてしまった。自分の名前すら思い出せない。俺は誰で、どこから来たのか……何もわからないまま、近くの村の老夫婦に助けられたんだ」

 

 ゼニスは一度言葉を切り、遠い目をする。

 

「彼らは親切にしてくれた。俺に『ジョン』という名前をくれて、畑仕事を手伝いながら暮らした。穏やかな日々だったが、胸にはいつも大きな穴が空いているような虚しさがあったんだ。何か大切なものを失った、という感覚だけがずっと、ずっと俺を苛んでいた」

 

「……虚しさ?」

 

「そうだ。誰かの人生を借りて生きているような……自分が自分でないような感覚だ。時々、夢を見た。美しい金色の髪の誰かが俺に優しく微笑みかける夢を……なのに目が覚めると顔は霞んでいて、思い出せない。それがたまらなく苦しくて……! 思い出せないことへの焦りと、誰かへの強烈な思慕だけが募っていった」

 

 ゼニスは声を詰まらせ、リアンを見つめる。

 

「村の生活は悪くなかった。皆いい人たちだった。でも、俺はいつも何かを探していた。失った何かを……それが何なのかもわからないまま、ただ焦がれていたんだ。君の面影を追い求めていたんだと、今ならわかる」

 

 リアンは息を呑んで、彼の言葉に耳を傾ける。

 彼女の知る、真っ直ぐで不器用だった剣士の面影を見つめながら。

 

「そんな日々が何年も続いた10年近く経ったある日だ。俺たちに似た冒険者パーティーに出会った」

 

「え……?」

 

「彼らに協力してもらい、俺は自分の過去を探った! すると断片的だった夢の光景が一気に繋がり始めたんだ! 金色の髪……リアン、君の姿が、はっきりと!」

 

 ゼニスの声は熱を帯び、瞳は狂的なまでの輝きを放っていた。

 

「リアン! 俺の魔女! 俺たちが誓い合った夜のこと、仲間たちのこと、……10年前の火山の戦いのことまで、全て思い出したんだ! 俺は自分が『ジョン』なんかじゃない、『ゼニス』なんだって確信した! 俺が生きる理由は君だけなんだと!」

 

「ゼニス……!」

 

 リアンはただ、彼の名を繰り返すことしかできなかった。彼の言葉は、かつての温かい約束ではなく、重く彼女にのしかかる鎖のように感じられた。

 

「記憶が戻ってからは、もう一刻も早く君に会いたくてたまらなかった! 村の人たちには本当に申し訳なかったけど、全てを話して村を出た。それからひたすらに君の噂や、パーティーの仲間たちの行方を探して……何ヶ月も、ひたすら歩き続けたんだ! この10年、俺は君のことだけを考えて生きてきたんだ!」

 

 ゼニスが両手を強く握りしめる力は、リアンが少し痛みを感じるほどだった。


「本当に大変だったんだ……毎日毎日、君のことばかり考えていた。君の笑顔をもう一度見たくて、君の声を聞きたくて……君を探すためだけに、ここまで来たんだ……!」


 ゼニスはリアンの両手をさらに強く握りしめる。


「さあ、リアン! 俺と結婚しよう! あの時の誓いを、今こそ果たすんだ!」


 彼の声は熱っぽく、有無を言わせぬ響きがあった。

 リアンは一瞬、言葉を失う。結婚……? あの頃、たしかに夢見た未来。

 けれど、それはもう遠い過去の話だ。今の自分には守るべき家庭がある。


「君が……その、他の男と家庭を持ったと知った時は……正直、腸が煮えくり返る思いだった。俺があれほどの地獄を味わい、君だけを想って生きてきたというのに君は……! ……いや、仕方ない。俺が死んだと思っていたからだろう? でもこの通り、俺は生きているんだ。大丈夫、全部水に流そう。あんな男や子供のことなど、すぐに忘れさせてやる」


 ゼニスはそう言って、豪快に笑おうとした。

 けれど彼の笑顔はどこか引き攣っていて、彼の言葉はリアンの心に冷たい棘のように突き刺さる。


 水に流す……? 私の10年を、夫と子供たちとの大切な日々を、そんな簡単に……忘れさせてやる……?


「さあ、リアン、昔のように、また冒険の日々を始めようじゃないか! 俺たち2人なら、どこへだっていける!」


 ゼニスの言葉がリアンの胸を抉った。

 夫の温かい眼差しが、幼い我が子の無邪気な笑顔が、脳裏を鮮明に過ぎる。

 

 この人は、それを壊そうとしている。

 私の手に入れた、ささやかなかけがえのない幸せを、根こそぎ奪い去ろうとしている。

 目の前にいるのは、もう私の知っているゼニスではない。


 この人を野放しにしておけば、夫が、あの子が、どんな目に遭うかわからない。


 ***


 ゼニスさんと別れて数ヶ月後。

 私たちは旅の行程の都合で、偶然にもリアンさんの居場所を発見した。

 冒険者ギルドで魔女と名乗ると、そこのギルドマスターから有名だった冒険者一行の魔女が住んでいると教えてもらったのだ。


「せっかくだし、会ってみない?」

 

 クリスの提案に私たちは賛成した。

 あの後、ゼニスさんは無事にリアンさんと再会できたのだろうか。

 10年越しの愛が実り、幸せになっているといい。

 そんな物語のハッピーエンドを確認したいという、善意からの好奇心が私たちにはあった。


 教えてもらった住所を頼りに訪れたのは、町外れにある可愛らしい一軒家だった。

 白い壁に赤い屋根。庭には色とりどりの花が咲き乱れ、平和そのものの光景が広がっている。


 けれど門をくぐったところで、私たちは同時に足を止めた。


「……何、これ」


 私は思わず口元を押さえた。

 美しい花壇の一角だけ、土が不自然に抉られ、黒ずんでいる。

 いや、それだけではない。

 魔女である私は、肌が粟立つほどの強烈な気配が感じ取れた。


 そこに漂っていたのは極大の攻撃魔法が、一点に集中して何度も何度も叩き込まれたという、異常な魔力の残滓。

 キャンプの焚き火の跡などではない。明確な殺意と、執拗なまでの破壊の痕跡。


「……」

 

 リョウも異変を察知し、ジッと黒ずみを見つめている。

 すると家の扉が開き、リアンさんが姿を現した。

 腕には愛らしい幼子を抱いている。


「あら、あなたたちは?」

 

 リアンさんは穏やかで、幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 庭の焦げ付いた魔力の跡とは対照的な平和な姿に、私は背筋が冷たくなるのを感じた。


「あ、あの……以前、ジョン……いえ、ゼニスさんと知り合った冒険者です」

 

「まあ! 遠いところをよくいらっしゃいました。さあ、どうぞ中へ」


 通された居間は、子供のおもちゃや洗濯物が干された、生活感のある温かい部屋だった。

 出されたハーブティーからは良い香りが漂う。

 けれど、私たちは誰一人としてカップに口をつけることができなかった。


「あの……単刀直入にお聞きします」


 リョウが意を決して切り出した。


「ゼニスさんは……ここに来ましたか?」


 すると、リアンさんの動きが止まった。

 あやすように揺らしていた身体がピタリと静止し、部屋の空気が凍りつく。


「いいえ、来てないわ」


「嘘よ」


 ベレニスが即答する。


「あら? なぜ、そう思うのかしら?」


「あんたを、精霊が祝福してないわ」


 この世と精霊の世界を繋ぐ存在であるハイエルフのベレニスにピシャリと言い放たれた瞬間、彼女の纏う空気が変わった。


「リアンさん、答えてください。どうして花壇に黒ずみがあるんですか?」


「花壇? ああ、あれは炭よ。お花の栄養に良いと聞いたから」


 レオノールの質問に、即答するリアンさん。

 ……けれど。


「庭の花壇の一角にだけ炭素が撒かれてるっすね。たしかに炭はミネラルが豊富で花にとって嬉しい栄養っす。……でも、土壌そのものが、もう栄養を摂取できないぐらいダメージを受けてるっすよ」


「なぜ、美しく咲き誇る花壇の一部分だけが、そのようなことになっているのでしょう?」


「炭を撒いたんじゃない。……燃やしたんだよね。あなたの手で……」


 フィーリア、ヴィレッタ、クリスに畳み掛けられ、リアンさんの魔力が高まっていくのが手に取るように、わかった。


「リアンさん。……無駄です。私はあなたより……強いです」


 私もまた、魔力を高めて呟く。

 こんなことはしたくない。けれど、彼女と戦うつもりは毛頭ない。


「お子さんが、そこにいるんですよ? リアンさん」


 そう締めくくった私に、彼女の魔力が霧消されていく。


「ふう……」


 リアンさんは、一旦大きく深呼吸してから私たちを真っ直ぐ見つめ、語り始める。 


「ええ……来たわ」


 リアンさんは微笑んだまま答えた。

 けれど瞳だけが笑っていなかった。

 まるで硝子玉のように、何も映していない虚ろな瞳。


「でも、あれはゼニスじゃなかったの。ゼニスの顔をした、何か悪いものだったわ」


「悪い……もの?」


 私が尋ねると、リアンさんは淡々と、まるで庭の害虫駆除の話でもするかのように語り始めた。


「だってそうでしょう? あの人は私に言ったの。『夫と子供を捨てろ』って。『あんな男や子供のことなど、すぐに忘れさせてやる』って」


 リアンさんの声が、少しずつ熱を帯びていく。


「あんなの、私の知っている優しいゼニスじゃない。私の幸せを壊しに来た侵入者よ。悪魔よ。だから……追い払ったの。二度と来ないように」


「お、追い払ったって……」


 ヴィレッタが絶句し、ベレニスが震える声で問う。


「もしかして、庭の……あの魔力の跡は……」


 リアンさんは小首をかしげ、ふふ、と笑った。


「しつこかったから。魔法で少し懲らしめてあげたの。動かなくなるまで。灰になるまで……何度も、何度もね。だって、彼が死んだのは10年前でしょう? 今更生き返るなんて、お化けか何かだもの。退治しなきゃ」


 それは私たちが想像していたハッピーエンドとかけ離れた、衝撃的な結末の物語。


 真相はこうだ。


 ゼニスはリアンを見つけたが、リアンは……10年の間に別の男性と結婚し、子供もいた。


 ゼニスはリアンに拒絶され、ひどく取り乱した。

 

『俺を裏切るのか!』


『……いいえ。でも、私には今の生活があるの。あなたが死んだと思って、私は……それでも前に進まなければならなかった。あなたとの思い出は大切だけど、それを壊してほしくない』


 10年という月日は、途方もなく長い。

 彼女が新しい幸せを見つけて、それを守りたいと思うのも自然な行為。


 それでも、ゼニスは諦めきれなかった。


『俺があれほどの地獄を味わい、君だけを想って生きてきたというのに!』

 

『昔のように、また冒険の日々を始めようじゃないか! 俺たち2人なら!』


 そう言って、リアンに迫ったが……彼女に逆効果だった。


 目の前にいるのは、もう私の知っているゼニスではない。

 美しい思い出の中にいた彼は、こんな顔をしていただろうか?

 こんなことを、平気で言える人だっただろうか?

 違う。これは侵入者だ。

 私の大切なものを汚し、壊そうとする……敵。


 そしてゼニスがリアンに近づこうとしたところに、彼女は密かに練り上げていた魔力弾を、彼の腹部に撃ち込んだ。


『な……んで……リアン……? 俺は……ただ、君と……もう一度……』


 ゼニスは信じられないという表情でリアンの顔を見つめ、力なく崩れ落ち、二度と動くことはなかった。


 これが、リアンとゼニスの間に起きた真実の記録の全て。


 全員が言葉を失った。

 彼女は、ゼニスさんを殺したのだ。

 愛する家族を守るために。自分の平穏を守るために。

 かつての恋人をお化けと断じて、庭の土の下に埋めたのだ。


「リアンさん……」


 私は恐怖に震えながらも、必死に言葉を絞り出した。


「それは、罪です。衛兵に……自首してください」


 私の言葉に、リアンさんの表情が歪んだ。

 怒りではない。心底理解できない、という顔だ。


「あは……あはははは!」


 突然、彼女は甲高い笑い声を上げた。


「どうして? どうして私が捕まるの? 私は家族を守っただけよ! お化けを退治した英雄じゃない!」


「リアンさん!」


「私が幸せになっちゃいけないの⁉ 10年も苦しんだのよ⁉ やっと手に入れたのよ! 誰にも邪魔させない、誰にも!」


 狂気じみた大声と笑い声に驚き、腕の中の幼子が火がついたように泣き出した。


「うわあああああん!」


 幼子の泣き声が響き渡る中、リアンさんは急に優しい顔に戻り、よしよし、と子供をあやし始めた。


「怖くないわよ~。ママが守ってあげるからね。悪いお化けはもういないからね……」


 彼女の姿は慈愛に満ちているようで、絶望的に壊れていた。


 私たちは逃げるように家を出た。

 これ以上会話が成立する相手ではないと悟ってしまったからだ。


 門を出たところで、リョウが重く呟いた。

 拳は血が滲むほど強く握りしめられている。


「……もう、俺たちにできることは、衛兵に報告することだけだ」


「そっすね。残酷な言い方っすが、遅かれ早かれ彼女は捕まるっす」


「くっ! ……私たちがゼニスさんと一緒に彼女と会っていたら……」


 フィーリアとレオノールの囁いた声は震えていた。


「間違ってたのかな? 私たちのしたことって……」


 クリスの呟いた言葉に、私は否定したくてもできなかった。

 

 私たちの善意が招いた結末。

 私たちが記憶を取り戻させなければ、ゼニスさんはジョンとして穏やかに生き、リアンさんも罪を犯すことはなかったのかもしれない。

 責任の取り方は、彼女を法に委ねることしかなかった。


 重い足取りで歩き出した私たちの向こうから、冒険者風の男女が歩いてきた。

 私たちは息を呑んだ。

 かつてのゼニスさんの仲間、女戦士エルザさんと神官ライマーさんだと直感した。


「ここだよ。リアンの家は」

 

「久しぶりだなあ、あいつも元気にしてるかな? ゼニスが生きていると知って、俺も驚いたよ」

 

「ハハハ、ゼニスはまだ見つけられてないのかな? ともかく、言った通り、間に入って仲裁するよ」


「ゼニスとリアンだろ? 大丈夫だって。エルザは心配性なんだから」


 2人は慈愛に満ちた顔で、懐かしさを噛み締めながら話している。

 これから自分たちが、どんな地獄を目にするのかも知らずに。


 私たちはすれ違った。

 何も言えなかった。

 今ここで真実を告げるには、あまりに残酷すぎた。


「おーい、リアン! ライマーだよ! 会いに来たよ!」


 背後で神官の男が明るく扉を叩く音が聞こえた。

 その後、家の中から再びあの狂気じみた笑い声が聞こえたのか、それとも静寂が答えたのか。

 私たちは振り返らずに歩き続けた。


 衛兵に報告し、私たちは街を去ることにした。


(私たちは、良いことをしたつもりだった)


 愛する2人が再会すれば、ハッピーエンドが待っていると信じていた。

 物語の中なら、きっとそうなっただろう。

 けれど、現実は物語じゃない。時は戻らない。

 10年という歳月は、人の心を変えるには十分すぎたのだ。


 隣を歩くリョウの横顔を見つめる。

 もし私たちが離れ離れになって、10年経ったら……私たちは変わらずにいられるだろうか?

 私の中に、ゼニスさんやリアンさんと同じような業が潜んでいないと誰が言えるだろうか。


 きっと、誰にも分からない。

 だから今はただ、みんなと……リョウと離れたくない。

 ただ、そう思った。


 背後から、悲しい音色の風が吹き荒んだ。

 

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