第24話:いっそ溺れるのなら、深い深い愛の中で……
私は周囲を取り囲んでいる直子達に語りかける。
「旭に協力すれば、本当に望み通りになると思ってるの?」
「当然でしょ? この国は勝つべきだった、勝たなきゃいけなかった。敗戦国なんて、恥だ」
「でもそのおかげで今生きている人達は幸せに暮らせてる」
直子達は膝まで湯に浸かったままこちらへと近付いてくる。
「兵士達は何のために死んだ? 国を守るため、家族を守るため、そして陛下のためだ」
「……直子、全部過去の事だよ。祓も瑞希も好子も、皆受け入れてる。受け入れていないのは今、直子だけだよ」
「うるさい。この軟弱者がーっ!」
後ろから近付いてきていた一人が祓達の体を突き飛ばし、私の体を羽交い絞めにし、正面に居た直子は体に巻いていたタオルと取ると、私に向かって投げつけてきた。
「私は! 皆なら分かってくれると思ってたんだ! 戦場で戦ってた祓達なら分かってくれるって! それなのに! それなのに!」
「お、落ち着いて直子ちゃん!」
「うるさいうるさいうるさいうるさい! お前らなんか家族じゃない! 皆消え去れ臆病者ーーっ!!」
直子が私に飛びかかろうとしたその時、祓が間に割って入り、私に掛けられていたタオルを手で払い除けた。更に直子の腹部にある傷と同じ場所に両手を当てるとその体を吹き飛ばした。直子の体は宙を舞う様に飛んでいき、着水した。
「私は……もう臆病者なんかじゃないよ」
直子は湯から顔だけを起こし、こちらを見る。
「確かにそうかもね。こういう事が出来るならそうだろうと思う」
直子は腹部にある傷を手で隠す様にして立ち上がった。腹部にある傷の跡は、祓の攻撃によってさっきよりも悪化している様だった。
「私の能力は、その人が持っているトラウマを再現させる能力……」
「そうだったね祓、悪趣味な能力だ」
「私もそう思うよ。でも、もう臆病者なんかじゃないよ。それは昔の話」
「いいや、人間の性というものは簡単には治らない。ましてや祓みたいな人間のものはね」
背中に居る直子の分身の掴む力が強くなる。
「……試してみる?」
「うん。見せてみなよ」
祓は目を閉じ、大きく深呼吸をした。すると突然祓の足元にあった湯がまるで何かに引き上げられたかの様に浮かび始めた。その動きはまるで何かの生物の様だった。
「この感じ……水にもトラウマがあるんだね?」
「さあ? どうだか」
「私の前では誤魔化せないよ。直子ちゃんに水へのトラウマが無ければこういう反応は起きないもん」
私も祓の能力は今まで数回しか見た事が無い。だからどれだけやれるのかは分からないけど、今は任せるしかないかな。こうやって拘束されてる状態じゃ体格差もあって動けないし……。
「消してやる……」
そう直子が口にすると、近くに居た別の分身がタオルを放った。それが直子の体を丁度隠したと思うと、その直後、直子の体は跡形も無く姿を消していた。
「縁さん、まだ近くに居る……!」
「ん……分かってるよ。消失マジック、あの子のお得意技だ」
徐々に湯気が立ち込め、私達の視界を塞ぎ始める。
妙だな……何で直子は手加減してるんだろうか? こうやって拘束されてるって事は、いつでも私を攻撃出来る筈だ。それこそあの消失マジックを使えば、不老不死の私でも問題なく消せる。それなのに何ですぐにやらない? 他の分身達は何でほとんど動かない……?
そう考えていた瞬間、突如私は足を掴まれ、温泉の中に引きずり込まれた。深さ的にはどう考えてもおかしい現象だった。
「っ!?」
「縁さっ……!?」
祓の声が僅かに聞こえたが、それもすぐに水の音に掻き消された。
下を見てみると私の足には全裸の直子が捕まっており、私の事を睨み上げていた。周囲はとても温泉とは言えない様な深さ、広さになっており、まるで海の中に居るかの様だった。
「あの中で……一番厄介なのは縁、お前だ」
直子はまるで地上に居るかの様に鮮明な声で喋り始めた。
「お前は死なない。私の手品でも消せるかどうか分からない。だから、お前にはずっとここに閉じ込められていてもらう」
そう言って直子は私の足から手を離した。その瞬間、突然体の自由が利かなくなり、水中のその場に体が固定された。
「脱出手品ってあるよね。あれってさ、結構難しいんだよ?」
私は何とかもがいてみたものの、手も足も動かず、その場から浮きも沈みもしなかった。肺の中の酸素はどんどん減っていき、徐々に息苦しくなってくる。
私が死ぬのは問題ない。どうせ生き返るから。でも祓達はどうなる……? 私とは違って命は一つしか無い筈だ。そんな人間がもし殺されでもしたら……。
「じゃあね縁、永遠にさよなら」
冷たく私を見下ろした直子は脱出するためか上へと泳ぎ始めた。しかしその体は突如動きを止めた。
「何……!?」
直子の足には瑞希がしがみ付いていた。恐らく、さっき湯気が立ち込めた時に侵入していたのだろう。彼女は相変わらずポケッとした表情でしがみ付いている。
「瑞希っ……!」
「なおこ、どこいくの?」
「離せこの! お前も消しやるっ!」
そう言ってタオルを出そうとしたものの、直子は瑞希に引っ張られる様にして下へと引っ張られた。この水中では瑞希よりも速く動ける奴なんてここには居ないだろう。
「く、この……」
直子は瑞希を蹴るなどして必死に抵抗していたが、水中での戦いや生活に慣れている彼女にとっては何とも無い事らしく、無視してどんどん底へと引っ張っていた。
「直子……どうやってるのかは知らないけど、ここ、普通の水中じゃないんでしょ?」
「……」
「じゃないと、こうやって私が喋れる訳ないもんね」
そう、何故か私も喋れている。これを作り出した直子や瑞希ならおかしくないと思っていたが、こうやって口を動かしてみれば私でも喋れるんだ。まるで地上に居る様に。
「お前は溺れるっ! 現に苦しくなってきただろ!」
「確かにね……このままじゃ溺れる。でも直子、私は不老不死だ。絶対に死なない。じゃあさ、今不利なのはどっちかな?」
「なおこ、やめよ? あぶないよ」
直子の顔に焦りが見え始める。
「私は手品師だ……これ位切り抜けてやる……」
「冷静になりなよ。水中での動きに慣れてる瑞希と見た感じ標準的な直子、息がもつのはどっちかな?」
「……冷静だよ。私の計画には寸分の違いも無いんだから!」
そう言うと直子は自分の体にタオルを巻き始めた。消失マジックでここから逃れるつもりなのだろう。
「勝った……!」
しかしその動きは無意味なものだった。瑞希は潜水速度を急速に上げ、一気に潜り始めた。その影響で直子が付けていたタオルは体から取れ、水中に空しく舞った。
「瑞希の事、甘く見過ぎてたみたいだね」
「わああああっ!? がっ…………苦しっ、ぐっ……!」
水中に一気に潜ると急速に体が加圧される。プロの人間が潜水する時でも体を慣らしながらじゃないと危ない。それがこれだけの速度で、まるでイルカの様な速度で潜水していけば、普通なら耐えられない。
「く、は、肺がっ……」
その言葉を最後に直子は動かなくなった。既に私よりもかなり深い位置に居たため分かり難かったが、どうやら気絶しているだけの様だった。瑞希はそんな直子を連れ、少しずつ上昇してきた。それと同時に私を包んでいた水の感覚が徐々に無くなってきていた。
やがて瑞希が私と同じ位置まで来ると、水の感覚は完全に無くなり、気付くとあの温泉に戻っていた。
「無事でしたか」
「ん……瑞希のおかげでね」
隣を見ると気を失っている直子を抱いている瑞希が座っていた。
「さっきのはいったい……」
「多分、直子ちゃんのトラウマの一つだと思う」
「直子の?」
「うん……私も今まで水のトラウマは見てきたけど、あんな……他の人も引きずり込める様な巨大なトラウマは見た事が無かった」
直子……あの子はあんまり自分の事を話したがらなかった。だから彼女がどれだけの恐怖を抱え込み、生きているのかは私には分からない。でも私がするべき事は分かる。家族の一人としてするべき事は……。
しばらく経つと、直子は目を覚ました。まだ症状が残っているのか、少し具合が悪そうに見えた。
「目、覚めた?」
「縁……何で、殺さなかった?」
「別にそうする意味も無いでしょ? 私に家族を殺す趣味は無い」
「後悔、するよ? ここで殺しとかないと……」
「後悔なんて無いよ。どうせ死ねないし」
直子は瑞希を見る。
「瑞希も……何であのまま殺さなかった……」
「なおこ、しんじゃやだ」
「は……馬鹿みたい……」
祓は二人に近寄ると、屈み込んだ。
「直子ちゃん。本当は死にたくないんでしょ?」
「は……?」
「あの場所は、直子ちゃんのトラウマを元に私が作り出した空間なの。それは分かるよね?」
「……分かってる。それを逆に利用してやるつもりだった」
「正直私にも制御出来なかったんだ……あそこまで大きなものは初めてだったから……」
直子は祓を睨む。
「じゃあ何? 私が、死ぬのが怖くて、あの場所を自分で否定したって言うの……?」
「ううん。私の能力はトラウマを再現する事。例え相手が気絶してても使えるの。でも、突然あの水は消えた……」
……そういう事か。あのタイミングで水が消えていったのはそういう意味か。
「直子にとってはトラウマじゃ無くなったって事でしょ?」
「うん。それなら私の制御から完全に外れて、消えた理由も分かるよ」
あの時直子は瑞希に水底へ引きずり込まれて慌てていた。そして加圧の影響で意識を失った。その後に上へと引っ張り上げていたのも瑞希だった。
「ねぇ直子……」
「……怖かった。怖かったよ。昔、溺れた時と同じ感じで……。でも体が動かなくなって意識が消えそうになってる時、体が浮き始めた。いや……瑞希が引っ張ってくれた。あのまま私を殺す事も出来たのに、助けてくれた。それが嬉しかった……安心したんだ、私よりも小柄で、馬鹿で、面倒くさい奴なのに、私は、そんな瑞希に抱かれていて安心したんだ」
「なおこ、くるしいっていった。かわいそう。かわいそう」
「……ずっと、ずっと欲しかったんだ。辛い時甘えられる相手が……でも言えなかった。私は17歳だ。実際に経った年月も入れればそれ以上にもなる。そんな人間が誰かに甘えるなんて出来なかった……。怖かった……家族じゃ無くなるのが……」
好子は直子の側に寄ると屈み、頭を撫で始める。
「申し訳御座いません。私が早く気付くべきでした」
「いや……私のただの強がりだから……」
「いいえ。私達は家族です。血は繋がっていなくとも、絆で繋がった家族。気付くべきだったのです」
「どこまで、お人好しだよ……」
直子は自らの顔をタオルで覆い隠してしまった。
「……馬鹿だよ、本当馬鹿……」
「そうですね……私は馬鹿でした」
「違う……私が、だよっ……こんな、こんな心配してくれる家族がっ、居たのに……私……私、あんな旭なんかに……誑かされて……」
「直子ちゃん。人は誰でも間違えちゃうものだよ。私達を作ったあの人達も切羽詰まって間違えた。どれだけの血が流されて、どれだけの命が消えたのか分からない。あの人達全員が反省してるのかも分からない。でも、それが間違いだったって気付けてる人も居るんだよ」
「でも、でも……もう由紀にも顔向け出来ない……! 私を迎えてくれたあいつに、私は! 恩を仇で返したんだ!」
「ん……それに気付けたんなら大丈夫でしょ。由紀は、ちゃんと反省してる人間を見捨てたりはしないと思うよ?」
直子は顔を隠したまま震え続けた。それは手品でも何でもない、一切偽る事も無い、タネも仕掛けも無い、純粋な彼女の姿だった。
「なおこ、おなかいたいの? いたいいたい?」
「……ふふっ……馬鹿……馬鹿だなぁ本当……」
「ばか? わたし、ばか?」
「うん……本当、大馬鹿だよ……」
瑞希にしがみ付く様にして嗚咽を漏らし始めた直子を見ない様にして、私は風呂の端に腰掛け、足を温める事にした。




