第22話:酔いから覚めて、行く場所は……
私は多くの見物客達に囲まれ、囃子と向かい合っていた。天津罪達はその見物客達に邪魔されてかこちらに来る事は出来そうになかった。
「黄泉川……君なら分かる筈や。忘れられる事がどれだけ怖い事か」
「そうだね。私もサエに忘れられたら怖いよ。でも、さっきも言ったけど、あんたとは違う」
「無礼んなや……ウチは、神さんやぞ……!」
そう言うと怒りに満ちた表情をしながらこちらへと走り寄り、殴りかかってきた。私はすぐさまそれをかわしながら包丁を振るったものの、囃子はそれをいとも容易く避けるとそのまま包丁を持っている手を掴み、頭突きを繰り出してきた。
「ぶっ……!?」
「ハッ! どうや見たか! 祭りに喧嘩は付き物や! ウチの方が、遥かにこういうのに慣れとるっちゅう事よなァ!?」
私は掴まれている手を何とか振り解きながら少し後ろに下がった。周囲からは囃子の活躍を称えるかの様に歓声が上がっている。
「ああ……これや……この歓声なんや……! ウチがかつて持っとった威光や……!」
「……随分野蛮なんだね」
「アホな事言うなや、これが人間の本質やろが。どんだけ理性が合ってもなァ、人間は結局刺激を求めとるんや!」
馬鹿馬鹿しい……何が本質だ。サエは、こんなに野蛮じゃない……私にも優しくしてくれるいい子だ。そう……誰にでも優しい……いい子。
頭突きの影響もあってか体が若干ふらつき始める。相当強く打たれたのかもしれない。
「あんたが……ただ野蛮なだけだよ。少なくともあの子は……こんな事しないし」
「ほーん? 黄泉川が言うとるんは、もしかしてあのチビッ子かいな?」
「知ってるの?」
「何やよう知らんけど、旭の姐さんが最近入った子ォの事捜しとったで」
嫌な予感がする……。もしサエが悪い奴に捕まったとしたらどうする? あの子は……大人しい子だ。もしかしたら抵抗も出来ないかもしれない……。だとしたら……。
「……す」
「あ? 何やて? 大きい声で言わんと聞こえんで」
「殺す」
私は体のふら付きを一瞬だけ抑え、視界に捉えた囃子に向かって力の限り包丁を投げ付けた。包丁は真っ直ぐに飛んで行き、囃子の右肩に突き刺さった。
「なッ!?」
「決めたよ。あんたを殺す」
「何なんやキミ……今のおかしいやろ……何で何も訓練しとらんただの人間が、こんな芸当……」
囃子は肩に刺さった包丁を掴みながら動揺した様子でこちらを見てきた。見物客達は囃子から流れ出た血に刺激されたのか、興奮状態に陥っていた。
「言った通りだったね? あんたが死ぬ様は見物になる」
「馬鹿タレが……! ウチがこん程度で死ぬ思うてんのか?」
囃子は包丁を引き抜くと、そのまま地面に投げ付けた。
「それ使わなくていいの?」
「フン……こんなもん使うんは無粋やわ……!」
そう言うと囃子は地面に両手を付け、まるで犬か猫の様な四つん這いの姿勢になった。
「お前も……飲み込まれろや!!」
囃子がまるで獣の様な笑顔を見せると、突然その体から薄い桃色の煙の様なものが噴出した。それと同時に見物客達のテンションも跳ね上がり、最早それは歓声というよりも狂乱という方が正しい程だった。
「結局皆、これを望んでるんや。救済されるまでな……!」
突然体から力が抜け、その場に膝を付いてしまう。何とか体を起こそうとしたものの、足にも腕にも力が入らず、立ち上がる事が出来なくなっていた。
「何……これ……?」
「どうや? これがウチの本気や」
頭を働かせようとしても何故か考えが纏まらず、更に体の内側から温かい何かが湧き上がってくる様な感覚を覚えた。
「思い出は、人を酔わせるんや。どんなチッポケなもんでもな」
「思い出……?」
「そう、思い出や。キミにもあるんやろ? さっきキミが言いよった子ォとの思い出が一番大事なもんなんやろ?」
そうだ、サエとの思い出が一番大切……どんな時でも私に優しくしてくれた……。私を許してくれた……。初めて会った時から優しい子だった…………あれ? 初めて会ったのっていつだっけ……?
「ウチの神さんとして力の一部や。思い出に酔っ払って、いつまでも思い出に浸れる」
初めて会ったのは、孤児院で……いや、いや……違う……それは最初の記憶? 違う、初めて会ったのはここだ。でも記憶に無い……思い出に残ってる……。
「……どうやら結局キミも同じやったみたいやな。そのまま酔ったまんま幸せに溺れたまんまでおれや」
囃子はこちらに歩いてくると私の首を掴み、軽々と持ち上げた。霧のせいで意識が朦朧としている上に手足も満足に動かず、抵抗する事が出来なかった。
「くっ……う……」
「痛ゥないやろ? 酔い潰れるんは救済でもあるんや」
嫌だ……嫌だ……死にたくない……サエに、会いたい……まだ一緒に居たい……。
全てが暗闇に落ちた。
頬が冷たい。何も聞こえない。視界が霞む。何だっけ……。
顔を少し動かしてみると、私から遠ざかろうとする一人の背中があった。青い半被は薄桃色の霧の影響で最早青い色とは言えなくなっていた。
知ってる……こいつ……彼女は、囃子……花火……。確かここで祭りを開いてる信仰を失った神……。そうだ……私はサエを見つけるためにここに来て……。
私は体に僅かに残っている力を使い、這う様にして花火の後を追う。息をしようとする度に呼吸が乱れ、体験した事も無い様な頭痛に襲われた。しかし体全体の感覚が鈍りつつあるのか、痛みすらも段々感じなくなっていた。
花火は櫓の前まで辿り着くと、懐からキセルを取り出し、一服し始めた。私はそんな彼女の背を見ながら地面に落ちていた包丁を拾う。赤い、血が付いた包丁を。
何かが聞こえた様な気がする。後ろから聞こえた様な気がする。よく知った声な気がする。でも、耳が音を拾えない。何を言っているのか聞こえない。
私はよろめく様にして起き上がり、そのままの勢いで目の前に見える背中に包丁を突き立てた。
「……!」
花火は驚いた様な顔をしてこちらを見て私を突き飛ばした。私は受身を取る事も出来ず、地面に倒れ込む。
「……っ!」
花火は苦悶の表情を浮かべながら背中を押さえ、その場に膝を付いた。顔には脂汗か冷や汗か区別のつかないものが浮かんでおり、その足元は少しずつ赤く染まっていた。
誰かが私の体を抱く様にして支える。目だけを動かして見てみると、そこに居たのは祓だった。私と同じ家に住んでいた、元殺し屋だという祓だ。その隣には好子も居た。相変わらず人の良さそうな表情をしており、花火の事を見つめていた。更に私の体に縋り付くように引っ付いてきたのは瑞希だった。彼女もまた相変わらず何を考えているのか分からない表情をしている。しかし、懐かしい顔触れに私の心は安心していた。
周りに居た筈の人間や妖怪達はいつの間にか姿を消し、少しずつ声が聞こえ始める。
「……でなんや」
「囃子、さん……」
「ウチは、ウチはっ……神さんやぞ? こんな、こんな事で死ぬ訳が無い……」
「囃子さん、ここは黄昏街。ここに来た者は皆、忘れられた存在なのです。それには人間も妖怪も神も関係ありません。皆ここでは等しく同等な価値なのですよ」
「だとしてもおかしいやろ……何でそっちのキミは、死んでないんや……? さっき、殺した筈やぞ」
殺した……? 私は、一回死んだ? そういえば由紀がそう教えてくれた事がある気がする。確か私は10年前、学校の屋上から飛び降りて死んだって……いや、間違いなく、そうだ。
「……囃子さん、私、調べたんです。この街に存在していた施設を」
「施設……? 何を言うとるんや……」
「この街を作った組織、神代テクノロジー……その研究施設がこの街の地下にあるんです。そこで見付けました」
好子が続ける。
「縁さんは作られたのです。私達と同じ様に、都合の良い存在として」
「作られた……やと?」
「はい。囃子さんとは違う形で、です。囃子さんが人の願い、意思の総意によって作られた神ならば、私達は無理矢理作られた紛い物の神、といったところでしょうか?」
……そう、だ。見た……私も見たんだ。高天原と名乗った少女と一緒に見た。手術台の上の私……頭が開かれて……何かされてた。
「神代、やとォ……?」
「知っておいでですか?」
「……旭の、姐さんから名前だけは聞いた事あるわ。ウチらの味方、やって……っ」
私は……作られた。八百毘丘尼伝承……死なない尼僧……その複製……。
「ま、さかっ……!」
「どうされたのですか?」
「は、ハハッ……そういう、事かいな……何やウチ、アホみたいやん……」
花火は吐血しながら両手を地面に付く。
「あん人は……旭の姐さんは、始めっからウチを、利用する気だったんや……。一緒に外に出ようと思ってなかったんや……」
「そうですよ囃子さん……あの人は、そんな事考えて無い。あの人はただ、負けを認めたくなかっただけ……」
「そうやな……えらい長いことここに居ったせいか、忘れとったみたいやわ。日本は……大日本帝国は、負けたんやった、な……」
「……ええ。でも私はそれで良かったと思っています。あの敗北で、私達はようやく目を覚ます事が出来たんですから……」
私は何とか口を動かす。
「は、な、び……」
「縁さん!」
「ゆかり、だいじょうぶ?」
花火はこちらを見ると痛みを誤魔化すかの様に笑顔を見せた。
「丈夫やなァ、キミは……」
「ご、めん……体が勝手に、動いてた……」
そう……今思い返せばあの時刺す必要は無かった。意識だって朦朧としてたし、花火だって戦う意思を見せてはいなかった。それなに何で私は……?
「へ、へへへ……もう、ええんやわ黄泉川の姐さん……」
「え……?」
「ウチも……早うに気付くべきだったんや……。魂がおかしかったもんな……」
好子が尋ねる。
「魂?」
「せや……。キミらには分からんかもしれんけど、魂にはな、それぞれ……形があんねん。皆それぞれ見合った形がなァ?」
花火はその場にゆっくりと寝そべる。
「……ッ……キミの魂の形は……優しい形しとるんよ……。あん時キミが見せた殺意とは見合わん様な……優しい形を……」
殺意……? 確かに刺しはしたけど、そんなもの見せた覚えは無い。……あれ? そういえば、何で私、花火と戦ってたんだっけ? 何で花火の名前……知ってるんだっけ……?
「囃子さん、それじゃあ縁さんは……」
「多分、キミが思うとる通りやわ。気付かん内に、誑かされたんやろうなァ……」
「……それは旭さん、という意味で仰っているのですか?」
「ウチの推測やけどな……? あいつは……始めっからこのつもりだったんや……。全ての準備が整った時に、計画に関わった邪魔になりそうなウチを処分しようとしてたんやろ……」
花火は大きく咳き込み、大量の血をその場に吐き出した。その度に私の体は少しずつ感覚を取り戻し始め、意識もはっきりとし始めた。
「……悪いんやけど、ウチはここまでやわ。ホンマ言うたら、一緒に行ってあいつ、ぶちのめしてやりたいんやけど、な……もう…………体がよう動かんわ……」
私はようやく動くようになった体を起こし、花火に近寄り、しゃがみ込んだ。
「……ごめん、本当に……」
「ええんやって……ウチこそ、痛い事してごめんな……こんなん神さん失格やわ……」
花火は無理矢理口角を上げた様な笑顔を見せると、そのままの表情で動かなくなってしまった。手を握ってみても反応は返ってこず、まだ僅かに残っているまるで酔っ払っているかの様に暖かい体温だけが、伝わってきた。私はその体温を感じながら、これまで私がこっちに戻ってから何をしていたのかを思い出す事にした。
しばらく手を握っていた私は、その手から温もりが消えると手を離し、花火の両手を胸の上で組ませた。
「縁さん……」
「……ごめん。ようやく、ようやく覚めたよ。そういう事だったんだね……」
「思い、出したの?」
「ん……思い出したよ。長い……長い酔いだったよ」
私からの返事を聞いた祓は泣きながら私に抱きつき、力強く抱き締めた。
「心配……掛けたね」
「うん……サエちゃんがこの街から居なくなった時、縁さんは記憶を失くしてて……そこから縁さんも居なくなって……」
そうだ……ヒツケさまと戦った時に、私は一度命を落とした。最も不死身の私からすれば大した命でも無いんだけど……。
「そうだね……心に穴が開いたみたいだったよ。サエが居なくなって、それが誰なのかも思い出せなくて……怖くなって……私は、あれを頼った……」
「ヒツケさま、ですね?」
「ん……そう。神代が作った忘却の神……。あれなら、ここから出られた」
瑞希が私の側に近寄り、服を摘まむ。
「ひつけさま、いない。どこ?」
「まだ居るんじゃないの?」
「いえ、縁さんが出て行かれてからは、姿を見せていません。恐らくまだ居る筈ではありますが」
どうにも気になるな……確か私の記憶が正しければ、外に出た後にも一回会った筈だ。消滅はしていないと思うけど……。いや、今はそれは後回しにするべきかな。
「そっか。まあそれは後にしとこうか」
私は祓の腕を優しく私の体から外す。
「由紀、捜すんだよね?」
「う、うん。でもサエちゃんはいいの?」
「……サエも大事だけど、多分今は由紀を助けるのが先決だと思うんだ。旭を止めるためにもさ」
サエが大事じゃないかと聞かれれば嘘になる。でも……今するべき事は由紀の救出だ。『奇跡』の力を持つ由紀なら、サエも簡単に見つけ出せるかもしれない。
「行こう、皆」
「うん……!」
「いくー」
「どこまでも、お付き合い致します」
私達は元来た道を戻り、旭が居る湯屋へと向かう事にした。




