恋の応援 3
朝比奈はまた学内で隠れて昼寝をしていた。
最近忙しくて睡眠不足なため眠気は強いのだが、うとうとする程度。そんな時色々な事が頭をよぎる。
先日の名古屋での学会のレポート、論文、バイトの仕事もたまってる。まだまだ睡眠不足の日々が続きそうだ。
だがその方が余計な事を考えなくていい。上條の事が頭によぎって思わず顔をしかめた。最近彼女の顔を思い出すとイライラする。
クリスマスの件が美味くいかないからではない。上條の拒絶などいつもの事だし、お互い意地になってるだけだ。
わかっているのにイライラする。
なぜイライラしてしまうのか? 何度考えてもわからなかった。
その時頭にかけてあった上着が勢いよくはがされる。
懐かしい日々を思い出すその出来事に、有り得ないとわかっていても期待してしまった。
彼女が自分から探しに来てくれたのかと。
「明らかに残念な顔して、失礼な男ですね」
憎まれ口を叩く後輩の言う通り、朝比奈は思い切りがっかりしていた。
「古谷教授がお呼びですよ」
用件も昔の彼女と同じなのに、目の前の後輩には不愉快さしか感じられない。
「田辺。なんでここ入れたの? 鍵かかってたはずだよね」
ここは『中国文化研究会』というサークルの部室だ。と言っても今は幽霊部員しかいなくて、事実上の廃部状態だ。
朝比奈が在学中に先輩部員から鍵を預かっていて、隠れ寝床によく使っている。
「私も部員になったから鍵もらいました」
「なんで? 田辺はテニスサークル所属でしょ?」
「あれだけ柾木先輩につきまとわれて、テニスサークルなんて続けられませんよ」
確かにテニスサークルには柾木目当てで入った女子が多いから居づらいだろう。
「それに朝比奈先輩も、テニスサークルと中国文化研究会掛け持ちしてたじゃないですか」
「それってもしかして、僕の隠れ場所暴くために中国文化研究会入ったの?」
田辺は返事の代わりに意地の悪い笑みを浮かべた。
「そんな理由でサークル入るとは……中国馬鹿にするなよ」
「あら。私第二外国語は中国語とってますし、勉強のためでもあるんですよ」
「どうせおまえの事だから、英語と同じアルファベットってだけで、フランス語やドイツ語を避けて中国語にしたんだろう。漢字使ってるからって甘くみてると痛い目みるよ」
「中国の古典は日本文学に大きな影響を与えてますから。日本の古典文学を学びたいなら当たり前の選択です。先輩も同じ考えで中国語勉強してるんじゃないですか?」
悔しいがその通り。まったく趣味思考が似すぎて気持ち悪い女だ。
「中国語につまづいたら教えてあげなくもないよ。田辺」
「上から目線ムカつきますね。結構です。私中国語の成績いいですから。今に先輩を追い越しますよ」
「僕中国語検定1級だよ。そう簡単に追い越せると思うなよ」
「私も大学入学前から在日中国人の知人に習ってたから、日常会話程度はできますよ。HSK3級持ってますし」
「まだ3級じゃあね。僕は次の試験で11級狙ってるよ」
「確実に喧嘩売ってますね。望む所です。私も次はさらに上をめざしますよ」
寝覚めに不愉快極まりない、冷戦を繰り広げて最悪に気分が悪い。
「それで誰と私を間違えたんです?」
いきなり突っ込んだ質問をされて思わず顔をしかめた。しかしすぐに表情を笑顔の仮面に塗り替えて言い返す。
「ノロケ話聞きたいなら語ってもいいけど」
「最近荒れてますけど、彼女さんと上手く行ってないんじゃないですか~」
ノロケ話嫌いな田辺にしては珍しく反撃がかえってきた。
「忙しいから彼女不足で疲れてるだけさ。彼女に会えば癒やされるのになぁ……」
わざとらしくため息つきながら、ノロケ攻撃を続ける。田辺は怯んだように口をつぐんだ。
田辺を黙らせた事で満足した僕は立ち上がった。
「古谷教授が呼んでるんだったよね」
僕は田辺を置き去りにして部屋を出ようとした。そこで引き留められた。
「……怖いんじゃないですか?」
「何が?」
「彼女さんを失う事が」
田辺の言葉に心臓が止まりそうなほど衝撃を受けた。
「朝比奈先輩は人当たりいい仮面つけながら、人と距離取るタイプですよね。人と深く関わって傷つくのも傷つけるのも怖い」
「わかったような事言うな……」
「わかりますよ。私も同じですから。あれだけ変態的なアプローチをする柾木先輩の気持ちも、私はいまだに信用するのが怖い。人の気持ちは変わるものですから」
めったに本音など言わない田辺が何を言う気だと疑ったが、壊れた人形のように無表情で何を考えているのか読みとれなかった。
しかし声の真剣さから案外真実を語ってるのでは?と思う。
「私は昔、人に裏切られて信用できなくなりました。それでも真剣に私を見てくれる人に会って信じたいと思った。でも怖くて結局自分から遠ざけました」
表情のないまま人形のように口だけ動かす田辺。目を覗き込めば、暗い闇に飲み込まれそうなほど深い色をしている。
「その男が好きだったのか?」
「直接会ったのはただ一度だけ。好きとかそんな関係じゃないです……でもまだ連絡をくれるんです。返事もないのに」
『男』という言葉を否定しなかった。しかもほんの少しだけ微笑む姿は幸せそうで、彼女にとって大切な人間なんだとわかる。
柾木。どうやらずいぶん手ごわいライバルがいそうだぞ。と心の中でつぶやいた。
「だから先輩も怖いんじゃないですか?」
「おまえと一緒にしないでくれ……」
否定した言葉は弱かった。認めたくないが、田辺の言う事は図星だった。そしてなぜイライラするのかわかった。
上條を思い出してイライラするのは彼女と近づきすぎたから、無意識に彼女を嫌いになって自分から遠ざけようとしてるのだ。
そうやって心のバランスをとらないと、彼女に深入りしてしまいそうだから。彼女はまだ僕を友達としか見ていない。これ以上好きになったら、自分を抑えられそうにない。そして彼女を傷つけてしまう。
それこそ、自分の夢も、生活も、家族も何もかも忘れて、上条を追い掛けて、どこまでも落ちていく自分がいそうで怖い。
彼女を好きになって、長期戦覚悟で口説き落としたいと思っていたけれど、初めは遊びの気分が抜けていなかったんだと思う。二人の時間が増えて距離が近づいてくると、彼女を失った時の事を考え、これ以上苦しみたくなくて、逃げようとする自分がいた。
いまだに話す事の出来ない、僕の過去や秘密を彼女が知ったらどうなるのだろう。
恋人どころか、今まで通り友達でもいられなくなるんじゃないか? 無意識の不安が僕を苛立たせていたのか。なぜ僕自身わかっていない感情まで、この女はわかるのだろう。
薄気味悪い物でも見るような気分で、僕は田辺を見た。
しかし田辺は相変わらず壊れた人形の様な表情で、何を考えているのかよくわからなかった。




