1 新人メイドモカ
王宮の侍女には、厳格な階級がある。
特に、王位継承権を持つ、レイリアーナ・フォン・アルカディア――親にはレイラと呼ばれている――の専属ともなれば、名家の子女やベテランが選ばれるのが普通だ。
なのに、目の前にやってきた新しい侍女は、緊張でガチガチに固まった十七歳の少女だった。
「は、初めまして、レイリアーナ姫様……! 本日からお仕えいたします、ティモカ・ジュリエットと申します。あの、一生懸命がんばります……っ!」
緊張のあまり声が裏返っている彼女の背中に、レイラの筆頭侍女――ルナーラ・ベルベットが、そっと優しく手を添えた。
「大丈夫よ、ティモカ。深呼吸して。姫様はとってもお優しいお方だから、そんなに怖がらなくて大丈夫」
「ふぇ? あ、はい……っ」
「あと、レイラ姫様と呼んだらどう? メイドは皆そう呼んでいるのよ」
ルナーラはレイラより八歳年上の十八歳。レイラが三歳の時からずっと傍にいて、お母さんやお姉さんのようにレイラを温かく包み込んでくれる、大好きな人だ。
ルナーラは困ったように眉を下げて、レイラに微笑みかけた。
「レイラ姫様、ごめんなさいね。この子、まだ慣れていなくて。家事の腕は確かなのですが、少し……私がつきっきりで教えますから、どうか大目に見てあげてください」
「ううん、気にしないで、ルナーラ! 私、新しいお友達ができたみたいで嬉しいよ」
レイラがベッドの上でパタパタと足を揺らしながら無邪気に笑うと、ルナーラは「まあ、お友達」と嬉しそうに目を細めた。
レイラはティモカに近づくと、小首を傾げて彼女の顔をじっと見つめる。
「ティモカ、ジュリエット。……うーん、ちょっと長いなぁ。なんて呼べばいいかしら?」
「えっ? あ、私の名前ですか?」
「ええ。ルナーラのことは、私が小さい頃に名前がうまく呼べなくて、ずっと『ナーラ』って呼んでいるの。だから、貴女のことも短くて可愛い名前で呼びたいな」
それを聞いたティモカは、一瞬だけぽかんとした。
「ナーラ、ですか……? ベルベット先輩を?」
ルナーラが、コホンと恥ずかしそうに頬を染めてそっぽを向く。
「……レイラ姫様が三歳の頃からの、私だけの特権なのです。ですからティモカ、貴女も姫様が呼びやすいお名前を考えていただきなさい」
ルナーラの優しい言葉に、レイラはひらめいて、ポンと手を叩いた。
「『モカ』はどう? 響きがとっても可愛くて、貴女にぴったりだと思うの!」
「モカ……」
ティモカはその名前を口の中で繰り返した。
次の瞬間、彼女の大きな瞳が信じられないほどの輝きを帯びた。顔を真っ赤にして、胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。
「も、モカ……! レイラ姫様が私に、そんなに可愛いお名前を……っ! あぁ、なんてお優しくて、天使のように愛らしいお方なの……! 私、一生姫様についていきます!!」
さっきまでの緊張はどこへやら、ティモカ――モカは、ものすごい勢いで目を輝かせて感動していた。
「ちょっと、モカ。気持ちは分かるけれど、嬉しくて姫様に突撃しちゃダメよ。ほら、スカートの裾が乱れているわ。ちゃんとお礼を言いなさい」
「だってナーラ先輩! 姫様が私をモカって! モカって呼んでくれたんですよ!?」
「ええ、可愛いお名前ね。でも、身だしなみを整えるのが先よ。レイラ姫様が恥をかかないよう、それは基本ですからね」
レイラの目の前で、早くも賑やかにやり取りを始める二人。
ルナーラは「もう、仕方のない子」と呆れつつも、モカを見る目はとても温かい。思わずほっこりした。
「ふふ、ナーラもモカも、だーい好き!」
レイラがベッドから身を乗り出して二人の手をぎゅっと握ると、二人は同時に胸を押さえてノックアウトされたのだった。
「あれ? そういえば、ナーラ先輩は何歳の時からレイラ姫様のメイドなんですか?」
やっと起き上がったモカがたずねた。ナーラが得意げに答える。
「私が十一歳で、レイラ姫様が三歳の時に、遊び相手として雇われました。メイドとして本格的に働き出したのは十五歳の時ですね」
「おおーっ!」
モカがぱちぱちと拍手をしているので、つられてレイラも拍手した。
「ナーラは昔からのお友達だからね!」
「お友達⋯⋯レイラ姫様、お友達ではありません」
そう言いながらも顔が赤くなっている。
「ふふふ、ナーラはかわいいなあ」
思わずニコニコしながらそう言うと、モカが「私は私は?」と言いながら顔を覗き込んできた。それをナーラに止められている。
「モカもかわいいよーっ? これからいっぱい遊ぼうね」
「やったー! 早速場所を決めましょう!」
満面の笑みを浮かべてぴょんぴょん飛び跳ねるモカ。そんな賑やかで愛おしい、楽しい会話の最中。
レイラの脳裏に、ドクンと冷たい心臓の音が響いた。
(……あれ? そういえば……)
ティモカ。愛称、モカ。
その名前に、レイラはものすごい既視感を覚えていた。
(どこで見たんだっけ⋯⋯)
そうだ、今日の早朝だ。目が覚めてすぐ、机の上に置いてある『魔道具の本』をちらっと開いたとき、確かにその名前があった。レイラはそう思った。身体がぶるりと震えるのが分かった。
あの本は、お父様から幼い頃に渡された、開いた人にとって「その日一番必要なもの」を表示する不思議な本型の魔道具だ。
普通の人なら勉強やマナーのテキストが表示される。だけど、勉強もマナーも完璧にこなせるレイラに対して、本が表示「必要なもの」はいつも違っていた。レイラにこれから起こる、『その日、私が一番悲しくなる出来事』……つまり、未来のバッドエンドを回避するための警告文だった。
初めてその異常さに気づいたのは、レイラが五歳のときだった。
本にぽつんと浮かび上がった「今日、ナーラがお茶をこぼして泣いてしまう」という不吉な文字。最初は意味がわからなくて放置していたら、昼下がりに本当にその通りのことが起きて、ナーラが大切なティーセットを割ってボロ泣きしてしまったのだ。レイラは何も出来ずに、一緒になって泣いてしまった。
あの時、レイラは「この本は、私を悲しませる未来を予知して教えてくれているんだ」と理解した。
そして、今朝。
まだ夜が明けきらない部屋で本を開いたとき、ページの端に浮かび上がっていたのは、冷酷な赤文字。
『本日、新人侍女モカ、中央大階段から足を踏み外して転落。頭を強く打ち、二度と目を覚まさなくなる』
(――モカのことが書いてあったんだった!!)
全身の血の気が、一気に引いていくのがわかった。
本が「レイラが一番悲しむこと」として予知した未来。それは、今日出会ったばかりの、こんなにもレイラをを愛してくれているモカが、命を落とすという最悪の結末だった。
「――では姫様、私はモカを連れて、彼女が使う予定の控室の場所を教えてまいりますね」
レイラの静かな動揺に気づかないまま、ナーラが優しく微笑んでモカの肩に手を置いた。
「はいっ! ナーラ先輩、よろしくお願いします!」
モカは嬉しそうに返事をして、部屋の扉を開ける。
「控室は西棟の一階よ。ここからだと、まずは中央の大きな階段を降りて……」
階段を、降りて。
その言葉が、今朝見た予知の文字と完全に重なった。
「だめっ!!」
レイラはベッドから飛び起き、喉が張り裂けんばかりの声で叫んでいた。
ナーラとモカが、弾かれたように驚いて私を振り返る。
「ひ、姫様……?」
「そっちに、行っちゃだめ……!!」
レイラは小さな体をガタガタと震わせながら、モカの服の裾をぎゅっと掴んだ。
未来を、心配をかけないために秘密にしているレイラは、本当の理由は言えない。だけど、絶対にこの手を離してはいけないことだけは、痛いほど分かっていた。
ゆっくり書いていきます。
まだ続くのでぜひ読んでください。




