第40話 北辺文書館に朝のインクを
北辺文書館が開いてから三か月が過ぎた。
工房の隣に新しく整えた石造りの部屋には、修復台、閲覧机、保管棚、そして学舎用教本の見本架が並んでいる。朝一番に来るのは教師たちで、昼前には地券の照会、夕方には徒弟契約の相談が入るようになった。
ヨハンは印刷主任として教本の版を守り、エルザは寄進基金と文書館台帳を一人で回せるまでになった。イーダは子どもたちの書写帳を持って通い、マーガレーテは月に一度、監査という名目で新刊の出来を見に来る。
私は今朝、文書館の閲覧台で古い婚姻証を修復していた。背後で扉が開き、聞き慣れた低い声がする。
「インクを持ってきた」
振り向くと、ルーカスがいつもの木箱を抱えて立っていた。文書館ができても、条項は守られている。
「もう使用人に任せてもいいのに」
「契約違反になる」
そう言われると弱い。私は笑って木箱を受け取り、新しい黒インクを台へ置いた。
窓の外では、製紙場の水車が軽やかに回っている。学舎の子どもたちが、新しい教本を胸へ抱えて坂を上っていくのも見えた。
破られた頁、焼けた契約書、濡らされた原本。あの頃の私は、失ったものをどう綴じ直すかばかり考えていた。
でも今は違う。
この文書館には、これから書かれる契約も、これから読む子どもたちの本も集まってくる。守るためだけの机ではない。始まりを残すための机だ。
ルーカスが私の肩越しに修復台を覗き込む。
「次は何を直す」
「たくさんありますよ」
私は新しい頁を引き寄せた。
「でも今度は、未来へ渡すために綴じていけます」
木箱の蓋を開けると、朝の光の中で黒インクが静かに揺れた。
北辺文書館の一日は、今日もそこから始まる。




