読書感想文~モーパッサン『宝石』を読んで~
注意:作品のネタバレを含みます。これから楽しみに『宝石』を読む方はブラウザバックをおすすめします。
久々の更新で、唐突な大人の読書感想文の始まりである(無謀)。
ちなみに、私はどちらかと言えば流行りもの――ライトかつ平易な文体でわかりやすく、さらにおふざけあり、贅沢を言えば飯テロありなファンタジー作品が大好きな人間であり、古典文学には正直なところ興味関心はゼロに近い。ついでに読解力もない。学生の頃の国語の成績は暗記で稼ぐばかりで、読解問題は潔く捨てていた。無理無理。
……ここまで予防線を張っておけば、どんなにトンチンカンでズレたことを書いたって、きっと読者様は「しょうがなねぇなー」と許してくれるだろう。広い心で読んでいただけるとありがたい。
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さて、今回読んでみた古典は、十九世紀後半のフランスの小説家モーパッサンによる短編小説『宝石』である。主人公はランタン氏(たぶんブルジョワと呼ばれた階級)。お仕事は役人である。物語は彼の視点で進行する。
物語の中心にいるのは、彼の妻――本文中では言葉を尽くして清楚貞淑で賢く家計のやりくりも上手い、素晴らしい妻と描写されている。これだけ褒めちぎっているのだから、ランタン氏は妻をとても気に入っており、また、愛していたのだろう。ただ、二つだけ不満があったらしい。一つは大の芝居好きなこと、もう一つはイミテーション……つまり偽物の宝石が大好きだったこと、だ。
一つめの不満――大の芝居好きなこと。仕事から疲れて帰ってきたランタン氏を妻は嬉々として芝居に付き合わせるのだ。疲れているランタン氏としては、家で酒でも飲んでゴロゴロ休んでいたかったんだろう。まあ、彼の気持ちはわかる。他人の趣味につきあわされることほど疲れることはないわけだし。
ちなみに、モーパッサンの生きた十九世紀後半は、ブールヴァール劇と呼ばれた娯楽性の高い喜劇やメロドラマ、夢幻劇と呼ばれる舞台装置を駆使したファンタジックな演出付きの演劇など演劇文化が花開いた時代でもある。なんと紐で俳優を宙吊りにする、ワイヤーアクションめいた演出もやっていたとか(当時は死と隣り合わせのスリリングな演出)。現代に当てはめるなら堂本光一氏の『SHOCK』を見にいくみたいな、そんな心躍るイベントだったのだろう。そら、若奥様も夢中になるよね。
「えぇー、いーじゃん可愛い奥さんなんだしそれくらい付き合ってあげれば。疲れてるんなら旦那だけ座席で寝てればいいんだよ」
現代の感覚ならそう思うかもしれない。
だが、甘い。
ランタン氏の時代、裕福な彼らの取る席はいわゆるボックス席で、客ながら「観られる」立場だった。つまり「こんなにステータスの高い方々が我らの演劇を観に来てくださるんだぞ」という自慢席だったんだね、劇場的には。だから、いかに客といえど、家で寝間着にしているヨレヨレのシャツでいびきをかくわけにはいかなかった。幕間にはフォワイエ(ロビー)で客同士の社交もあった。妻を一人で放流するわけにもいかないし、ランタン氏はすました顔でエスコートもしていたはずだ。気が抜けないね。加えて、当時は今と違って「女性のお一人様」は一般的ではなかった。夫か家族など、誰かと行かないと体裁が悪かったわけだ。
けれど、疲れを引きずってまでつき合いたくなかったランタン氏は妻に言う。知り合いの奥様でも誘って行ってくれ。帰りはその人に送ってもらいなさい、と。妻はしぶしぶ頷いた。
さて、観劇につき合わずにすんでホッとしたランタン氏。しかし、今度は妻がオシャレにいたく興味をもってしまう。結果、彼女はイミテーションの宝石を次々と買うようになってしまったのだ。うっとりと買い集めた『ニセ宝石』を眺め、あまつさえそれらを身につける妻に、ランタン氏は苦々しい思いを抱く。彼にとって清楚で愛らしい妻は別にニセモノを身につけて着飾らなくても十分素敵な女性だったし、ニセモノ宝石がむしろ妻の魅力を汚しているみたいに感じたようだ。
妻はといえばそんな夫にニセ宝石のネックレスをつけさせて“Comme tu es drôle ! ”(直訳:ダーリンったら、なんておかしいの!、もしくは、なんて滑稽なの!)と夫に抱きついてイチャイチャ。清楚貞淑でやりくり上手な上、茶目っ気もあって可愛らしい――思わず「お安くないぜ」と呟いてしまう。
うん、幸せな生活ってきっとこういうのを言うんだなと、ここまで読んで私は思った。何もかもが完璧で一分の隙もない「理想の相方」より、何か一つか二つダメなことを抱えた「ちょびっとだけ欠点がある相方」といる方が親しみが湧くし、人間楽に息ができるんじゃないだろうか。
読者を微笑ましい気分にさせたところで、物語に悲劇が訪れる。ランタン氏の妻がおそらく風邪をこじらせたかで死んでしまうのだ。ランタン氏は妻を喪った悲しみに暮れる。
悲劇は続くものだ。妻を亡くしたランタン氏は困窮してしまう。妻が生きていた頃の生活水準が保てなくなってしまったのだ。失意のうちに借金までしてしまい、挙げ句無一文になってしまう。なんてこった!
言っておくが、ランタン氏は別に仕事をクビになったわけでもないし、大幅な減給があったわけでもない。もちろん退職する年齢でもなく、景気が凄まじく悪くなったわけでもない。なのに困窮してしまったのだ。不思議な話だが、当初のランタン氏はやりくり上手な妻がいなくなったからだと考える。
しかし、お金がなくていよいよ困ったランタン氏は思いつく。亡き妻の買い集めたニセ宝石を売ってしまおうと。妻のことは大好きだったけど、妻の蒐集したニセ宝石は好ましく思っていなかったランタン氏は、ニセ宝石の中から見栄えが良いものを選んで換金に行った。食事代程度のカネが手に入ればいいと考えて。
ところがどっこい。
持ち込んだニセ宝石を鑑定した宝石店は、とんでもなく高額な査定額をランタン氏に伝える。びっくりしたランタン氏だが……なんとイミテーションの宝石と思っていたそれらは実は本物の宝石だったのだ。しかも、亡き妻が確かにそれらを購入した記録まで見つけてしまう。
突然大金を手にしたランタン氏。しかし不思議だったのは、妻はどこからこんな高価な宝石を買うお金を捻出したのかということだ。
妻は仕事をしていない。
妻の実家も裕福ではない。
もちろん、大金持ちの友達にも心当たりがない。
ランタン氏の安月給からやりくりした? いやいや無理でしょ!
ランタン氏の思い至った可能性はひとつ。「誰かからの贈り物」だ。いったい誰からの贈り物? 目玉が飛び出るお値段の本物の宝飾品をいくつも買えるくらい、贈り物をくれる相手とは……?
ランタン氏の顔から一気に血の気がひいた。だってそんな相手が女友達なんてことはまずあり得ない。つまり、相手は男だ。高価な贈り物を妻に寄越した……つまり、浮気相手。
ショックだったろう。あんなに愛していた妻。愛されているとも思っていたのに。
“Comme tu es drôle ! ”(直訳:ダーリンったらなんておかしいの!、もしくは、なんて滑稽なの!)
幸せだったあのふざけ合いの時の台詞が、急に意味深に聞こえるね。彼女はいったい何を思ってこう言ったんだろう。彼女はランタン氏を愛していたのか? それともうまいこと騙して心の底では嘲笑っていたんだろうか。
今時のラノベならきっと、妻は「黒」……清楚な理想の「真実の愛の相手」と見せかけた「ヒドイン」だったと断じるだろう。
でも、不思議じゃないかい?
妻が文字通り「ヒドイン」なら、どうして安月給のランタン氏なんかと続いていた? それも仲睦まじく。いったい妻に何のメリットがあって?
しかも、おそらく妻は推定浮気相手からの「贈り物」を換金して、ランタン氏の安月給では到底実現できない美味しい食事やワインを手に入れていたんだ(※だから妻が亡くなった後、ランタン氏はそうとは知らず身の丈に合わない生活をし続けて困窮した)。夫を蔑ろにしていたわけじゃあないんだね。
妻の心はどこにあったんだろう。ランタン氏? それとも浮気相手? 真実はもう、闇の中だ。
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実はこの妻の出自について、物語の冒頭にはこのように書かれている。
“C’était la fille d’un percepteur de province,”
訳しますと「(妻は)地方収税吏の娘であった」となる。ヨーロッパで収税吏(人)ってどういうイメージを抱かれるものだろうか。
日本だと収税人は国税局のお役人さん――国家公務員のエリートというイメージだろうか。けれど、ヨーロッパではそうではない。収税人(徴税人)とは、権力と結託して私服を肥やす悪人、なのだ。
『二人の徴税人』マリヌス・ファン・レイマースワーレ、1540年頃(出典:Wikimedia Commons ライセンス:Public Domain)
これは、1540年頃に描かれた収税人さんのお姿です。顔ッ! 特に右の人! 表情がすんげぇ醜い! つまり、収税人さんのイメージってこんなんなのよ。
Googleさんでいろいろ調べてみると、収税人さんは国家のお役人ではなく、収税業務を請け負っている民間業者で。さらに彼らは、通常の税に上乗せして高額な手数料を取り、つまりはピンハネし、私腹を肥やしていたらしいのだ。さらに、懲罰権といって、税金を払わない者に罰を与える権利まで持っていたとか。
そりゃ嫌われますわな。
そんなわけで物語や小説で、収税人さんは悪役になっていたり、上の絵のように醜く描かれていることが多いのだそうな。なお、聖書の上での収税人さんは少し違うイメージで、「罪人」として蔑まれる職業(※支配者であり異教徒ローマ帝国に協力していたから)でありながら、悔い改めれば救われる――神の愛と救済の象徴として描かれております。参考までに。
話を『宝石』に戻そう。
疑惑の妻は、そんな収税吏の娘である。モーパッサンはこの設定にどんな意味を込めたんだろうか。「悪人の娘」とのほのめかしで、結末を知った読者に「ああ、やっぱり」と思わせる仕掛けだったのだろうか?
ちなみに、上に書いた民間業者が徴税を請け負う徴税請負制度は、実はモーパッサンの生きた時代には既に廃止されている。あんまりに民衆を苦しめたもので、フランス革命の遠因になったんだね。フランス革命後に制度もろとも廃止されております。ただ、税制についての不満がなくなったわけではなく、不公平もなくなったわけではないので、やっぱり収税吏さんのイメージは悪かったんだろうなぁ。
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つらつらと書いてきましたが、『宝石』は思った以上に読みやすく、読後にあれこれ推理したり妄想を膨らまることもできて、総じてとても味わい深くて面白かったです。そこはかとなくヒドインのかほりもするし、情報を補いながら読めば今でも十分楽しめるのではと思いました。作品が書かれた当時の風俗を知る機会になったし、些細な描写から日本人ならではの思い込みをひっくり返されたのも勉強になりました。
例えば末端医療について。
日本では町に病院がたくさんあるのが当たり前。「かかりつけ医」っていう町医者が末端医療の担い手。だから、日本人の書いたナーロッパにも、末端医療が街の小さな診療所や施療院という描写があったりする。街の人が軽い怪我や病気で主人公のいる診療所を訪れる場面もあるよね。
『宝石』にはこんな一文があった。
“Il reprit connaissance dans la boutique d’un pharmacien où les passants l’avaient porté. ”
訳しますと「彼(ランタン氏)は、通行人らが彼(ランタン氏)を運び込んだ薬剤師の店の中で意識を取り戻した」となる。ランタン氏、妻の不貞と宝石の価値を知った混乱から、外でぶっ倒れてしまったのだ。で、薬剤師の店=薬局に運び込まれた。
そう。ヨーロッパの末端医療の担い手は薬局なのです。日本みたいな小さな専門診療所じゃない。調べてみると、当時の薬局では薬の処方からちょっとした応急処置なんかもしてくれた模様。
そういや自分もフランスに新婚旅行で行ったことがあるけど、薬局を表す赤や緑の十字マークはたくさんあっても病院っぽい建物はあまり見た記憶がなかったなぁ。
てかそもそも日本って、他の国と比べて病院の数が異様に多いのね。そして医療費が安い。救急車呼んでも無料です。海外だと救急車は有料(数千円~十万円超えになることも)なことが多いのに。
こういったことを考えると、子供の軽い擦り傷や農民のおじいちゃんの腰痛とかで診療所に行くのって、果たしてあり得たのか? 創作をする上でいろいろと考えさせられます。そもそも中世近世のヨーロッパには現代日本のような医療保険なんかないんだから、医者も薬も高額に違いないのです(一応、ギルド内の助け合いで集めた会費から医療費をカバーしていた事例はある。ただし、国家レベルの医療保険は1883年にドイツで制定された「疾病保険法」が初)。蛇足だけど、当時の大病院的な施設には教会運営のオテル・デューなるものがあるそうですぞ!
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『宝石』がこれだけの文量を書かせてくれるくらい面白かったので、モーパッサンの他の短編作品も読んでみました。特に面白かったのは『遺産』。文字通り、遺産をめぐるドロッドロの昼ドラ。愛あり、殴り合い(物理)あり、最後は「これでええんか? ホンマに?」という結末が刺さりました。ヒドインの芳しいかほりがするのは『首飾り』、それから逆ハーの末路とも言うべき『蠅』でしょうか。モーパッサンさんは怪奇小説も書かれており、『オルラ』は見えない未知の存在の怖さとそれに突き動かされた人間のとんでもない行動が描かれております。気になる方はぜひお手にとって読んでみてはいかがでしょうか。
思った以上になっがい読書感想文になってしまいました。ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました!




