シーン5 「悪役令嬢、目覚める」
温室は半壊していた。
いや、半壊という表現は少々温情が過ぎるかもしれない。
天井は吹き飛び、鉄骨は曲がり、ガラス片は中庭一帯へ飛散している。丹精込めて育てられていた花壇は薔薇コンテナの直撃で無惨に潰れ、土と花弁が泥のように混ざり合っていた。
あたり一面、赤だった。
薔薇の赤。
破損警告灯の赤。
そして園芸科教師たちの顔色である。
完全に予算が死んでいた。
花弁の吹雪がようやく収まり始める中、
ミレイユ・フェルナン
が震える声を漏らした。
「ご、ごめんなさい……!」
彼女の瞳には涙が浮かんでいる。
制服には花びらが張り付き、小鳥がまだ肩に乗っていた。なぜまだいるのか。
そこへ、
アルベルト・ルクレール
が颯爽と前へ出る。
なぜか無傷だった。
しかも髪型も崩れていない。
彼はキメ顔で周囲を見渡し、高らかに宣言した。
「怪我人はいない!」
いや数名軽傷者が出ている。
保健委員が今走っている。
だが王子は気づかない。
「これもまた青春だ!」
歓声が上がった。
「殿下ぁぁぁ!」
「素敵ですわ!」
「前向き……!」
レオノーラは沈黙した。
理解できない。
彼女の視界には別のものが見えていた。
崩れた温室。
折れた配管。
停止した魔導炉。
泣きそうな顔で瓦礫を片付ける用務員。
青ざめた園芸科教師。
そして地面に散らばる、請求書の未来。
その時だった。
レオノーラ・ヴァレンシュタイン
が初めて口を開いた。
静かに。
本当に静かに。
「……いくらですの?」
沈黙。
風が止まった。
さっきまで騒いでいた生徒たちが、一斉に彼女を見る。
アルベルトが眉をひそめた。
「なに?」
レオノーラは表情を変えない。
「温室修繕費」
一歩、前へ出る。
「輸送船補填」
また一歩。
「魔導炉修理」
花弁を踏む音だけが響く。
「薔薇農園補償」
周囲の熱気が、少しずつ冷えていく。
「医療費」
ミレイユが不安そうに目を瞬かせた。
「学園設備再建費」
そこでレオノーラは、ゆっくりと崩壊した温室を見渡した。
「……総額でおいくらになるのか、お聞きしているのですわ」
誰も答えなかった。
答えられなかった。
なぜなら、今まで誰も考えたことがなかったからだ。
恋愛イベントの裏側を。
ロマンスの後始末を。
レオノーラだけが見ていた。
花吹雪の裏で、
誰かが徹夜して薔薇を運び。
感動的な演出の裏で、
誰かが予算書と格闘し。
「運命の恋」の陰で、
誰かが怪我をして。
そしてイベントが終われば、
誰かが黙って掃除をする。
それを当然として消費する、この世界の空気。
レオノーラは、ゆっくりと息を吐いた。
その金色の瞳には、怒りにも似た冷たい光が宿っていた。
「……なるほど」
花弁が舞う。
壊れた温室の向こうで、庭師が膝をついていた。
その姿を見ながら、彼女は静かに理解する。
この世界は。
あまりにも“演出”に酔いすぎている。




