シーン2「幸福の空白」
王都の朝は、静かだった。
静かすぎた。
第四部の終結から数日。
空は正常。
季節も正常。
巨大魔法陣は消え、
観客席も消え、
誰かに見られているような不快感も薄れている。
人々はようやく、
“人生”を取り戻し始めていた。
――はずだった。
◇
中央広場。
かつては常に誰かが演説し、
誰かが泣き、
誰かが恋をし、
誰かが劇的な運命へ巻き込まれていた場所。
今は違う。
パン屋は普通にパンを焼き、
花屋は普通に花を並べ、
学生たちは普通に遅刻しそうになって走っている。
それだけだ。
ただ、
それだけだった。
「……平和ですわね」
レオノーラ・ヴァレンシュタインは、
噴水の傍で静かに呟いた。
セシルが肩を竦める。
「お前、前なら絶対“退屈”って言われる側だったぞ」
「失礼ですわね」
「実際そうだったろ」
否定できなかった。
以前の王都なら、
毎日のように事件が起きていた。
決闘。
陰謀。
恋愛騒動。
劇的告白。
運命的再会。
まるで、
世界そのものが“盛り上がり”を要求していた。
だが今は違う。
誰も叫ばない。
誰も運命へ選ばれない。
奇跡も起きない。
だからこそ――
人々は、
戸惑っていた。
◇
「最近、変なんです」
花屋の少女が、
不安そうに言った。
「変?」
「……毎日が、
普通すぎて」
レオノーラは、
わずかに眉を動かした。
少女は困ったように笑う。
「前は、
もっとこう……
運命とか、
劇的なこととか、
あった気がして」
「……」
「今は、
朝起きて、
花を並べて、
店じまいして、
帰るだけで」
少女は視線を落とした。
「これで良いのかなって、
時々分からなくなるんです」
その声は、
静かだった。
けれど、
深刻だった。
◇
王都全域で、
同じ症状が起きていた。
刺激不足。
達成感喪失。
恋愛観崩壊。
“何も起きない日々”への不安。
人々は、
自由を手に入れた。
だが同時に、
“演出”も失った。
誰かに運命を与えられない世界では、
自分で人生を作らなければならない。
それは、
想像以上に難しい。
◇
酒場。
「なぁ」
若い男が、
酔った顔で呟く。
「昔の方が、
生きてる感じしなかったか?」
周囲が沈黙する。
「命懸けで誰か守ったり」
「世界救ったり」
「泣ける恋したり」
男は笑った。
「今って、
毎日同じじゃん」
誰も、
反論できなかった。
◇
中央劇場。
崩壊したままの舞台に、
ルフレ・ノクスの残した言葉が、
亡霊みたいに漂っていた。
『人は、
物語なしでは生きられない』
その思想は、
まだ死んでいない。
むしろ、
世界から演出が消えた今だからこそ、
人々の中で静かに蘇り始めていた。
◇
観測室。
ベアトリクスが、
術式盤を見つめながら言う。
「……禁断症状ですね」
「は?」
「人類が、
“物語”へ依存していた痕跡です」
無数の数式が、
空間へ展開される。
「劇的展開。
感情刺激。
運命的成功体験。
強制的な意味付与」
ベアトリクスは疲れた顔で続けた。
「長期間、
世界法則そのものが、
人間へそれを供給していた」
「つまり?」
「物語中毒です」
最悪だった。
◇
ミレイユは、
静かな街を歩いていた。
誰も彼女を見ない。
誰も歓声を上げない。
主人公補正は、
もう存在しない。
風は、
誰に対しても平等だった。
「……変なの」
思わず呟く。
昔なら、
歩くだけで事件が起きた。
誰かとぶつかり、
恋が始まり、
陰謀へ巻き込まれ、
世界を救う流れになった。
でも今は違う。
本当に、
何も起きない。
それが、
少しだけ怖かった。
◇
王都の空。
夕焼けは、
ただの夕焼けだった。
誰かの悲恋を演出しない。
誰かの死を彩らない。
ただ、
空が赤いだけ。
けれど。
その普通さへ耐えられず、
人々は少しずつ、
“劇的さ”を求め始めていた。
幸福だけでは、
満たされないみたいに。




