アクアツアーに棲むモノ
目的地について漸く掴んでいた手を放される。引っ張られていたとは言ってもそれは同じ様なスピードで走らされていたと同義であり、乱れた息を整えながら林湖は周囲を見回した。
そこに嫌な気配、例えば幽霊だとか、人間の恨みだとかが蔓延っているのかどうかは、零感の林湖には分からず、それを察知出来る心霊組とは今し方別行動をしたばかり。
だから心霊スポットである為、2人のアドバイス通り警戒は怠らないが周囲を見回しているのは、そうした怪異を察知する為ではない。
クルージングアトラクション。確か正式名称をアクアツアーといった様な気がする。そのコースは緑に覆われて外からでは全貌がよく分からない。かと言って仮想ジャングルか何かであろうこのコースを廻る足である船は営業中止になって久しい今動いているとは思えないし、動いているとすればそれは心霊組の領分である力が働いているのは明らかだ。
でも可能な限り間近でコースを見たい。出来れば水面も、とそこまで思って林湖は1つの違和感を抱く。まだ完全に息が整っていない中、深呼吸を1つ。鼻からその場の空気を思い切り吸い込んだ。おかしい。
「秋良。息は整った?」
「ま、まあな。呼吸や体力云々より正直この遊園地の恐怖で精神が限界だけど」
「このエリアは大丈夫だと思うから安心して。息が整ったなら乗船口に行きたいの。ついて来て」
完全な単独行動は危険だ。はやる気持ちを抑えて秋良に声を掛け、林湖は2人並んで乗船口まで向かう。
営業当時は列が出来ていただろう通路を誰に阻まれるでもなくスムーズに進めば、朽ちた中型程度の船が水面に浮いていた。
そう。水面に浮いているのだ。
「林湖?どうしたんだよ?」
「ねぇ秋良。不思議だと思わない?水場の近くにいるのに、なんの臭いもしないの」
「あ?そんなの」
言い掛けた秋良が口を噤む。
そう。閉園してから長い年月が経過した遊園地に、電力やメンテナンスを失った状態で置かれた水が何の悪臭も発していないのだ。
未確認生物を好み、自分の目で見たいと切望して追い掛けていれば、それなりに環境の良くない場所に足を踏み入れる事もある。流れを失い腐った水場というのも何度か目にしていた。しかしこのアクアツアーのコースに満たされた水は、特有の腐臭がしない。
興奮で高鳴る胸を押さえつつ、心霊スポットに於いての教訓はきちんと脳内で繰り返しながら林湖は自分の懐中電灯を水面に向けて照らす。仄かな明かりではあるが水の状態が簡単に窺える程度の光は得られ、林湖は思わず息を呑んだ。
それでも手にした懐中電灯を取り落とさなかったのは、慣れと心霊組が再三再度繰り返して聞かせてくれる心構えのおかげといったところか。
水は濁っていなかった。まるでドリームランドが廃遊園地としてではなく、本来の遊園地の形で人気のあった頃を思い起こさせるかの様に、綺麗な水が行き渡っている。
様々なアトラクション及び建物の塗装が剥がれ、破壊の痕も見られる廃園の中で、却って異質にも映る程美しい当時そのままの水に、林湖の胸は益々高鳴った。
閉園が決まった当時、解体出来る程の予算も残っていなかったという。其れ故当時のままの姿を残しているのが此処、裏野ドリームランドであるらしいが、ことアクアツアーの水に於いては別問題だ。日に照らされれば蒸発もするし、雨風の影響で水が溢れたり、濁ったりするのが自然。
そんな中で綺麗なままを保っている水を2人、特に霞が見れば林湖の前であるのも忘れて思わず心霊現象の2つ3つ語るだろうが、林湖が至る結論は霞と冬里とは異なっている。
林湖が愛するのは未確認生物であり、林湖は未確認生物が齎すのは災厄ではなく幸福だと信じている。
だからこう考える。
人工知能が発達した現在科学でさえ解明出来ていない未確認生物。発見者に幸福を齎してくれる生き物であれば。
「これはやっぱり、未確認生物が生息している可能性が高いのよ」
水を綺麗な状態で維持するという奇跡を起こす、神秘の力を持ちえていても何ら不思議ではない、と。
しかしそれを確認出来たところで、未確認生物が簡単に見付かるとは思えない。アクアツアーのコースに生息していると限定出来たところで、何しろアクアツアーのコースを廻る為の手段が林湖にはないのだ。
せめて水深が確認出来れば少ない足場を伝って1周する事も試みれるのだが、水深が分からない水際を攻める様な愚行は冒険心や期待があっても犯せない。とは言え1番真っ当な手段とも思える船は目に見えて劣化しており、機動力の一切を失っている現状で働いてくれるとは思えないし、動いたら動いたで黄泉の国に案内されてしまいそうな雰囲気がある。何しろ此処はあの心霊マニア2人が本物だと言った場所なのだ。用心して不足はあれど、過多はない。
「後ちょっとで会えたかもしれないのに」
悔しさに地団駄を踏みたい衝動を堪え、小声で林湖はそう吐き捨てた。
近くにある可能性に手を伸ばせないのはとても歯痒い。
そしてその気持ちが分かっているからこそ、秋良も軽率な慰めの言葉を掛ける事は出来ずに珍しく明らかな落胆を見せている林湖に何も言えなかった。
秋良はひたすら林湖を見守り、林湖は林湖で何か方法はないかと頭を働かせる。その間、比較的平穏なアクアツアー付近には完全な沈黙が訪れていた。
考えれど考えれど、打開策は見付からない。結局今回は可能性を前にして諦めるしかないのだろうか。それは嫌だ。
その思いがじっと綺麗な水面を黙って見つめていた林湖の口を開かせた。
「不思議な生き物さん。もしいるなら姿を見せて欲しいな」
それは秋良もよく知る、林湖が小さな頃から時折口にしていた、一種のおまじないだった。母親から聞いたというそのおまじないは、林湖に未確認生物との出会いこそ齎さなかったものの、幼い頃から勇気や元気、ほんのちょっとの力の手助けを与えてきたのを、林湖も秋良も知っている。
しかし未確認生物との出会いに於いては未だ林湖の声に応えた事はなく、林湖にとっては兎も角、秋良にとっては一種の気休めなのではないかと思いつつあるおまじない。
諦めきれないらしい林湖がそれを口にして、暫く目的の場所を見つめて、諦めて帰る。それが普段のサイクルだった。だから林湖がそれを唱えた事で、秋良は至急慰めの言葉を探す。今までの様な簡単なものでは駄目だ。秋良の目にも彼女が今までで1番未確認生物に近付いたのは明らかで、普段通りの環境であれば彼女は高確率で渇望し、愛する未確認生物との邂逅を果たせただろうから。
そんな秋良の思考を打ち切る様に、水面に変化が起こったのは彼女の呟きからそう時間を経たずしての事だった。流れのなかった水面に流れが生じ、あっという間に水は水底から押される様に大きく盛り上がり。
林湖と秋良が手にする懐中電灯の光の中に、人間の上半身を映し出した。
突然の出来事に林湖も秋良も頭の理解が追い付かない。ただ口をぽかんと開けて目の前の存在を見つめている。
今水中から顔を出しましたと言う様なその人は、闇に溶け込む様な黒髪と、対照的に白い肌を持ち、霞と冬里で“人外の域の美貌”にはとうに見慣れている林湖達にさえ息を呑ませる程美しかった。
何より外に出している上半身だけでも十分な威圧感や神秘性を周囲に振り撒いている。
「……えりちゃん?」
未だ驚きから回復しない林湖を、口を開いた少女は更に驚きへと突き落とした。
無邪気に首を傾げ、不思議そうに林湖を見つめる少女に、大きな驚愕を抱えたまま林湖は、何か反応を示さなければ失礼にあたると己に言い聞かせて、何とか先ずは首を横に振ると言う単調な作業に成功する。
それから小さく深呼吸を1つ。やっつけと言うかハリボテ感は否めず、緊張と興奮で心臓はうるさいものの、何とか会話は出来そうだと自己判断。
答えを補足すべく、ゆっくりと口を開く。
「絵梨ちゃんは、私の祖母です」
「そぼ。……そっか、えりちゃん、孫ができて、おばあちゃんになったんだね」
不思議な少女は林湖の言葉を反芻した後、嬉しそうに言った。
どうやらこの少女と祖母は知り合いらしい。あるいは、少女が一方的に祖母の事を知っているのか。
林湖の思案は表情に出ていたのか、少女は小さく笑うと、本人はそんなつもりではなかっただろうが、ごめんなさいね、と林湖の混乱を深めるような謝罪を口にした。
しかし謝罪の理由を祖母との関係を含めて少女は直ぐに口にする。まるで人と話すのが楽しくてたまらないと言うように。林湖との出会いが懐かしくてたまらないとでも言うように。
厳密に言えば懐かしさを感じているのは林湖に対してではなく、林湖の祖母に対してだろうが。
「1人で話していても、分かんないよね。私はずっとここで暮らしてるんだけど、初めて私を見付けてくれたのがえりちゃんだったんだ」
少女の話は突拍子のないものだったけれど、林湖と秋良に驚きはなかった。絵梨が未確認生物を好いているのは孫である林湖は勿論、付き合いが短くも浅くもない秋良もよく知っている。
その上林湖の未確認生物に対する強い愛を込めた主張を彼女自身が“受け売りというか血筋”と話すように、この祖母も未確認生物は発見した人間に幸福を齎すと語っている女性だ。閉園してから何十年と経っているドリームランドが絵梨の幼かった頃は普通に営業していたとしても、おかしな話ではない。
「私を見付けてくれたえりちゃんは、お魚さんが好きみたいで、私を見た時にお魚さんがいた!って喜んでくれたの。船に乗っていた子供達も興味深そうに水の中を覗こうとして、お母さんも船頭さんも楽しそうにその様子を見ていたのが、水の中からでもよく分かったわ」
「絵梨ばあちゃん、子供の頃は魚が好きだったのか?」
「うん、そうだよ。今でも変わらず魚は好きだけど、子供の頃の出会いが本格的に未確認生物への熱を上げてくれたって言ってた。あなたの事だったんだね」
水面から出ている上半身は美し過ぎるとはいえ完全に人間の物で、未確認生物らしい部分は見当たらない。しかし少女の言葉や林湖があのおまじないを口にするまで少女が潜んでいた場所を思えば、彼女の種族は推測に容易い。
つまりは、人魚なのだろう。
林湖の言葉に人魚の少女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そう。遊園地が閉まっちゃって、もうえりちゃんには会えなくなって。どうしちゃったのか心配だったけど、私みたいな生き物の事を忘れないでくれたんだね」
「忘れてないどころか、今でも大好きだよ。孫である私も、娘である私のお母さんも、おばあちゃんと同じで大好きだし、幸せをくれるって思ってる!」
「うん、ありがとう。……遊園地がやっていた時は、えりちゃん以外もみんなそう言ってくれたの。私の事をちらっとでも見られたら幸せになれるとか、そんな話がこの遊園地にはあって、みんな私の姿をちょっとでも見たいって望んでくれて、此処は人が絶えなかった。遊園地の人も目玉アトラクションの1つだって、忙しそうにしながらも嬉しそうに笑ってくれていて。私は子供達の笑い声や、それをあたたかく見つめる大人、嬉しそうにしている遊園地の人を見るのが大好きだったの。でも遊園地がなくなってしまって、変わってしまったわ」
様々な悪い噂が立った遊園地は人が減り、結果経営不振に陥った。それは裏野ドリームランドに入って直ぐ、冬里達も語ってくれた。結果遊園地は解体する余裕すらなく、打ち捨てられる形で閉園し、皮肉な事にその心霊現象が切っ掛けで廃園となった今、マニアの間で賑わいを見せている、と。
林湖にとっては親しい友人である霞から聞くだけでも胸糞悪く、秋良にとってはその話自体が恐怖を煽る為詳細には聞かなかったが、この人魚が住むアクアツアーも心霊現象の1つとして挙げられているという。
ほら、実際に会ってみればこんなにもやさしい子だというのに。人の笑顔を望む、やさしい子なのに。彼女を邪悪な何かとして扱う噂に苛立ちを沸きあがらせながらも、林湖は何とかその感情を抑え込む。
「遊園地がなくなって暫くは、遊園地の人が様子を見に来てくれたの。でも見付かってしまったみたいで、それも出来なくなった。寂しかったけど、それはそれでいいのよ。あの人達申し訳なさそうに謝ってくれて、私の方も却って申し訳なく思えてしまったから。ただ、遊園地の人達も来れなくなって暫くした頃、また遊園地に人が来るようになったの。でも時間は決まって夜中。そしてその人達は私を見たら凄く怖がった。動揺して水の中に落ちた人もいたわ。出来る限り引き上げるように頑張ったけど。この水の中には人を引き摺り込む謎の怪物がいる、っていう噂が私の耳に入ってくるのにそう時間は掛からなくて。私はそんな事をしたいワケじゃない。でも私に驚いて水の中に落ちてしまうのならって、私は姿を見せるのを止めた。歌も止めたわ」
「何それ、随分と横暴で無礼な人達ね!そんな人間は神秘性に触れるべきじゃないわ!!」
憤りを思わずそのまま口に出した林湖の様子に少女は一瞬驚き、すぐに嬉しそうに、しかしどこか悲しそうに微笑んだ。
彼女の目が懐かしむ様に空を見つめる。
おそらくは其処に、かつて賑わいを見せていたドリームランドを見ているのだろう。
「此処に来る人達がみんな、あなたみたいな子だったら良かったわ。もしくは、遊園地に来てくれた子達みたいだったら」
そんなたらればを語っても仕方ない。そう言う様に少女は力なく首を横へ振ると言葉を続けた。
「人魚の歌は元から人を誘い込む効果があったから、それは仕方ないの。ただ遊園地が賑わっている頃は子供達の明るさや、船を繰る遊園地の人の陽気な声、何よりこの遊園地自体が明るく活気に満ちていたから、私が歌っても誰かが誘い込まれる事はなかった。本来私は遊園地のアトラクションとして予定されているものではなかったけれど、私も此処の一員として馴染ませてもらっていたわ。えりちゃんが私を見付けて、喜んでくれたおかげで。此処にはそんな明るい思い出が沢山あったから遊園地が終わって寂れていくのは辛かったし、私が、この遊園地が良くないものにされていくのは嫌だったの」
心霊マニアの友人を持つ以上あまりキツく言えない立場ではあるが、林湖と秋良にその言葉は切ない響きを持って届いた。
誰だって自分を悪魔の様に扱われ、自分の綺麗な思い出が詰まった場所を心霊スポットと言われるのは好ましくないだろう。それこそ、“尤も”心霊現象に強い興味を抱いている冬里や霞レベルになってしまうと話も変わってくるが。
心霊スポットで余計な手を出すのは厳禁だと何度も警告されていた。その警告を守っているからか、霊感持ちでもある2人が守ってくれているからか、幸いにもこれまで恐ろしいメを見た事はない。本来であれば同調も同情ももってのほかで、環境に手を加えようなんてしてはいけないのだろうが。
そうした事を理解しつつ、林湖は、心霊組が口煩く言っていた警告を破る様な言葉を口にした。
「あの、もし良かったら海に帰らない?私と秋良も出来る限りお手伝いするし、おばあちゃんやお母さんの力と知恵を借りれば、あなたを海に帰せると思うの」
林湖にとって未確認生物は、人魚は、心霊現象ではない。人を不幸にするものではなく、人に幸せをくれる神秘性溢れる生き物だ。
しかし同時に此処が心霊スポットである事もよく分かっている、つもりだ。この少女の所為で無くともこの付近で命を落とすか大怪我をするかした人間はいないとも限らず、そうした人間の残留した恨みに触れてしまわないとも限らない。
それでも林湖は、人魚の少女を救い出したいと思い、自分の想像では及ばない危険に飛び込む可能性がある事を十分に踏まえた上で、そう提案した。
林湖と人魚を見守る秋良は林湖がきちんと判断し、覚悟を持った上でそう提案したのだと理解していたし、秋良自身も覚悟を決めていた。だから林湖が自分の名前を挙げた際、驚きもなければ恐怖もなく、ただ当然の事として受け入れ、人魚の少女へと力強く微笑み掛けた。
ここは林湖の舞台であって、自分がしゃしゃり出る必要を感じていない為退いてはいたが、この少女を助け出したいという気持ちは秋良も持っていた。もしここに林湖がいないような事態が起きていれば、その提案は心霊組にいくら罵倒されようと秋良からしていただろう。
驚きを見せたのは寧ろ、人魚の少女の方だった。
美し過ぎる瞳を大きく見開き、林湖を見つめる。次いで秋良を。それから花が咲いたかのような、嬉しそうな笑顔を満面に浮べて。
しかし振った首の方向は横だった。
「そう言ってもらえるのは嬉しいわ。でも駄目なの」
「何で!?確かに此処から海は離れているかもしれないけど、お母さんとおばあちゃんならきっと抜け道くらい知ってるだろうし」
「ううん。そうじゃないのよ」
少女は微笑みを崩さないまま、視線をどこか遠くへと移した。まるで此処ではない何処か、今ではない何時かを見ているかの様な。
今会ったばかりの彼女が何処を見ているかなんて、林湖達に知る由はない。ましてや相手は人魚。伝承が正しければ生きている時間も違い、生きている時間が違えば感じるものも異なってくるのは自然な事。
林湖の祖母が幼い頃出会ったという人魚の姿がまだ少女のままであるあたり、伝承の正確性を示しているに等しいだろうが。
「遊園地のお兄さん達が教えてくれたけど、此処には海に通じる抜け道があるの。とは言えもう塞がれてしまったけどね。だから自力で戻ろうと思えば戻れたんだけど、私は自分の意思で此処に残ったのよ。寂れていく遊園地を見るのも、私を良くないものと語られるのも辛かったけど、でも此処に残りたい理由があった」
人魚の少女は1度言葉を切ると、照れ臭そうに微笑みつつ、内緒よとでも言うように立てた人差し指を口元にあててから、言葉を再開した。
「昔私は人間の男の子に恋をしたの。当時は特に人魚の中で人間への偏見は強かったから、当然仲間からは猛反対されて私は国を追い出されたの。それでも彼がいてくれれば私は良かった。都合よく人間に変われる魔法なんてなかったけれど、彼と今みたくお話できるだけで良かった。でもね、人魚の寿命は、あなたなら知ってるかもしれないけど長いの。彼はどんどん大人になって、老いていく。私は見ての通り子供のまま。人魚はね最低寿命が設けられていて、その年数を過ごさないと死ねないようになっているの。他の人魚は命の保証期間だって喜んでるけど、人間に恋した私にとってそんなの呪縛に過ぎない。彼はそんな私に言ってくれた。自分が死んで転生したら、また此の場所に会いに来るって。暫く彼に会えない日が続いて、でも彼は本当に会いに来てくれたわ。前々回も、前回も。それでね、今回やっと私は呪縛から解き放たれているの。彼と一緒に命を終える事だって出来るのよ。長年待ち焦がれてた。だから私は今回の彼に会うまで此処を離れるワケにはいかないの」
「……此処が、約束の場所だったんだ」
人魚の話で涙腺がやられたのだろう。涙を流しながら洟を啜る林湖に、秋良は素っ気無くハンカチを手渡す。漫画やアニメでよくあるようにそのまま洟をかむ……という事はせず、不器用に自分の目元を林湖は拭った。
人魚の言葉を深く考えれば死ぬ為に彼を待っているのだとも取れるが、彼女はその愛する彼と一緒に人生の終焉を迎える事を気が遠くなる様な時間待ち続けて、それが漸く果たせるのだ。林湖のエゴで彼女をただ生かすワケにはいかない。
「うん。あれから遊園地が出来て、凄く賑わって、遊園地が閉まって、今じゃこんなになってしまったけど。でも彼なら分かってくれると思うから待っているのよ」
「そっか。早く会えるといいね!」
泣いた所為で僅かに目を赤くしつつ、それでも林湖は明るく微笑んだ。
自分がこの少女から貰った幸せを少しでも返そうと。そして少女も幸せになってほしいと願いを込めて。
所詮未確認生物を愛するだけの人間では何も出来ないかもしれないが、それでもそんな林湖の気持ちが届いたのか少女は笑う。笑って頭を下げてから述べた礼の言葉は、しかし途中で戸惑ったように止まった。
「ありがとう。えっと……えりちゃんのお孫さん、って言い方もなんだか嫌だわ」
「私は林湖って言います」
「そう、ありがとう、りんごちゃん!」
「い、いえ!私は何も出来ないけど、でも、せめて夢が叶うようにって願ってるから!」
「うん。ありがとう。りんごちゃんも幸せになってね」
そう言って微笑む少女が、また水中に消える直前、秋良と林湖を交互に見つめながら思わせ振りな微笑みを浮かべた気もしたけれど、それはなんだったのだろうか。
ともあれ、林湖の念願は果たされた。
手放しに喜べるようなものではなく、胸に僅かな切なさを残したけれど、それでも林湖の心をあたたかく、幸福で満たして。




