謎の声の正体
少女が水中に戻って少しの間、林湖は様々な感情を抱えてその場に立っていた。切なさや寂しさもあるし、此処を心霊スポットだの、水中に引き摺り込む生き物がいるだの言い出した人間への怒りもあるし、常日頃祖母である絵梨の影響もあってか語っている未確認生物は幸福を齎してくれるという主張の様に幸福もある。
ただその感情を何か1つには絞れない。
ただ、悪い感情ではない。
「林湖。その良かったなと言うか、偶然ってあるんだなって言うか……」
秋良のなんと言ったものかという具合に戸惑いがちの声に、林湖は完全に現実へと思考を戻す。そうだねと短く返答してからなんて返そうか考えて、結局適当な言葉は見付からず、微笑みを返した。
それで言いたい事は分かったのか、少なくとも深い追求は意味を成さないという事だけは悟ったのか、秋良は後ろ、来た道を振り返る。
零感である秋良にも林湖にも、このドリームランドを包む気配なんてよく分からない。ただこの一帯はあたたかく、幸福で満たされているようにも思えた。
「じゃ、そろそろ戻るか。あまり遅れるとアイツ等に説教されかねないし」
「心配してくれてるんだと思うよ?結局心霊現象については私達疎いし、対策を知っておかないと災厄を引き起こしかねないからさ」
話しながら、集合場所として約束した地に向かう。2人はまだ戻っていないかもしれない。普段冷静そうな顔と振る舞いをしていながら、あの2人は人参をぶら下げられると分かり易く目の色を変える性質だから。
そうは言っても林湖には林湖で割り切れない点がいくつかあるが。
「だからと言って霞が私の地雷を容赦なく踏み抜くのは許せない!あれ、興奮して失念と言うより、わざとやってないかと思う時があるわ……」
「霞はそういうトコがあるからな……」
拳を作りあげ訴える林湖。下手に否定も肯定も出来ないが、霞の言動を見ていると心霊現象を嫌っているという自分の事情を抜きにしても、林湖の肩を持ちたくはなる。
「霞によくよく言っておかないと。それに心霊現象なんて人の口から口で伝わるんだから、アクアツアーには何もないっていうのを、それとなく冬里達に流してもらった方がいいのかな?……でも余計な事はしない方がいいよね」
そんな会話をしていれば、あっという間に観覧車へと辿り着いた。行きがけに聞こえた声を思いぞくりと背筋が凍るのを感じたが、しかし行きのあれが嘘であったかの様にもう秋良に声は聞こえなかった。
やはり幻聴の類だったのかと今更の様にその可能性を探り出した秋良の、言わば現実逃避を阻む様に、そう言えば、と林湖が今思い出しましたというように切り出した。
「あの声、誰の物か分かったよ」
「は!?マジで!?なんで、いや、やっぱいい。言うな」
「そんなに怖がる事じゃないって。霊関係じゃないから」
「……は?」
耳を塞ごうと翳していた手を止め、訝しげに問い掛ける。
嘘でも言って自分の反応を楽しもうとしているのではないかと一瞬思うが、霞や冬里であれば兎も角、心霊現象に一切興味のない林湖がそれをするとも思えないし、いくら心霊組に付き合っているからとはいえ、そんな直ぐに直ぐ適当な心霊話が出てくるとも思えない。
手を下ろし、林湖に目を向けて聞く姿勢を見せれば林湖は1度頷いた後。
「あの声、多分おじいちゃんの若い頃だよ」
「は!?つーかお前のじいちゃんまだまだ若いし、普通に健在だろうが!!」
「ただおじいちゃんの若い頃の声を想像したら、あんな感じなんだよね。それにさっきの話を聞くと納得出来るし」
「さっきのって……ああ」
聞き返そうとして、しかし秋良も納得して頷く。
アクアツアーに住む人魚に1番最初に気が付き、その人魚を幸福の象徴にしたのは林湖の祖母である絵梨だ。
絵梨はそのアトラクションを気に入っており、家が近い事もあって何度も通っていたらしい。そして林湖の祖父であり、絵梨の夫は当時、その遊園地でスタッフとして務めていた。出会いの切っ掛けはそのアトラクションだったと林湖は聞かされていたし、交流がある秋良も知っている話だ。
スタッフも遊園地の閉園が決まった際、人魚の事を気に掛け、中には“海に通じる道がある”という噂が本当なら、それを使って広い海に出て欲しいと願ったスタッフも少なくなかったと、林湖の祖父は語っていた。
つまり、あの出して、助けてと訴える声は自分達の事ではなく。
「一概には言えないし、冬里達が聞こえなくなった、って言わないと確信も持てないけどね。私はそうなんじゃないかと思うんだ。少なくとも行きには零感の私にも聞こえたのに、今は何にも聞こえないし」
言いながら林湖は慎重に懐中電灯の明かりを円形のアトラクションへと向ける。
夜にはロマンチックに輝く観覧車は今、闇の中仄かな明かりでぼんやりと浮かび上がり、寂れたゴンドラは動く気配を微塵も見せない。
心霊スポットとして有名であるにも関わらず人の姿が見えないのは、果たして此処にいるのが零感2人だからか。それとも。
それとも閉園になって長らくも、自分達に幸福を齎してくれた“クルージングアトラクションの謎の影”である主を案じる気持ちが、主の本音によって解決したからなのか。
後者であればいいと淡い期待を持つ事くらい許されるだろう。
そしてまるで、それが正しいと示す様に。
「満喫。流石と表して問題は皆無。有名になるだけの理由は見られた」
「いやぁ、此処はやっぱり心霊マニアとして押さえておきたいよね。ああ、ごめん。待たせたかな」
予想通りに遅れて集合場所へとやってきた霊感持ちの心霊マニア2人が、満足そうに感想を述べつつも、ふと不思議そうに言ったのだ。
「帰りは観覧車の横、何も聞こえてこなかったんだよね。そっちで何かあった?」
「私も疑問。何か1現象に変容を来たす事態でも発生した?何も感知出来なかったけれど」
林湖と秋良は顔を見合わせ、満足そうに笑いあった。頭上にハテナマークを浮べる心霊組は一先ず無視だ。
林湖が嬉しそうに言う。
「帰り道で話してあげるわ。素敵なお話よ!」
「霞は余計な茶々を入れて、林湖の地雷を踏み抜くなよ?」
「……善処するよ」
自然、秋良さえも軽い足取りで4人は帰路に着く。
帰り道は何処か切なくも、あたたかくなれる昔話を、発見者にやっぱり幸福を齎してくれる未確認生物の話をしながら。




