蛇女とラブソングを。
夏休みも残り半月を切った、とある日の昼下がり。
所属している水泳部の練習を終えた皐月は、友人と馬鹿話に興じた後、帰路に就いた。自転車の籠には水着の入った学校指定の鞄。
辛木中学校は全員部活に入らないとならない。そのため、なんとなく入った水泳部だったが、最近は練習にも慣れ、日焼けも様になってきた。入部したての頃は疲労で死にそうになっていたのが懐かしく思えてくる。
いつもの帰宅ルートとは違うルートを取る。目指すのは近所の雑貨屋。目的はプレゼントの購入。
そう、今日は初めて霞と会った日なのだ。出会って一年。長かったような、短かったような。
学校指定のジャージ姿―上は白い半袖の体操服、下は紺色のジャージ―で入るのは少し気が引けたが、いちいち帰って着替えるのも面倒だ。小学生の頃はジャージでうろうろする中学生のことを「無し」だと思っていたが、いざ中学生になってみると、ジャージの着心地が良く、そして着替えるのも面倒だった。風呂に入るまでジャージ姿というのもザラにあるし、近所のコンビニやスーパー程度ならジャージのままで出かけてしまう。
慣れというのは恐ろしい。皐月はつくづくそう思う。
閑話休題。
雑貨屋に入って、目指すのはアクセサリー売り場。以前友人と来たときに、こっそり目星をつけていた髪留めを探す。少し和風なデザインで、霞に似合いそうだ。価格も三千円と、懐にも優しい。中学に入って、小遣いは月三千円になったが、友人との付き合いで少しずつ消費していってしまう。ほとんど毎日飲んでいる練習後のジュースが地味に効いているようだ。
ラッピングをしてもらって、鞄に入れる。水着はビニール袋に入れているので、箱が濡れる心配は無い。
あとは自宅に帰って、霞にプレゼントとして渡すだけ。何も言ってないから、びっくりするだろうな。反応を予想すると、なんだか楽しくなってきた。
団地の駐輪場に自転車を停めて、階段を上がる。
「あ、さっちゃーん」
千歳の声がした。立ち止まって振り向いてみると、自分と同じように体操着姿の千歳がいた。
「練習明け? お疲れ様」
「そっちこそ。お疲れ様」
「いやいや、今日は練習試合だったの。まだ試合に出してもらえっこないからさ、ちょっとヒマだったな」
千歳は中学生になってから剣道を始めたらしい。そのせいかどうかわからないが、最近は声が大きくなって、だいぶハキハキしてきたようだ。
バレンタインに千歳を振ってしまってから、なんだか気まずい雰囲気になっていたが、小学校卒業前ぐらいからだんだん元に戻り、今ではすっかり元通りの付き合いである。同じ部活に入ったせいか、深雪とはさらに仲良くなったようだ。
「なるほどー。試合見てるだけ?」
「そうそう! でも勉強になるんだよ。上手な人はあんなふうに動けるんだな、って!」
最初に千歳が剣道を始めるって聞いたときは、続かないと予想していたのだが、この様子だと頑張っているようだ。予想は外れたが、楽しそうで何よりである。
一緒に階段を上がって、5階に到着。
「じゃ、お疲れ様。今度宿題見せてよ?」
「うん。……って、宿題は自分でやらなきゃ!」
千歳と別れ、自宅へ。
「ただいまー」
「おお。遅かったのう。疲れたじゃろう、スパゲティでも茹でるから、待っておれ」
「はーい」
皐月は水着を洗濯機に放り込むと、居間に座った。どうやら昼食は昨日の夕飯で出たミートソースの残りらしい。
「お姉ちゃんは?」
「学校に行っておる。部活じゃろうな」
テレビには昼下がりのゆるいバラエティ番組が映っていた。出演者のゆるい会話をBGMに、プレゼントの箱をテーブルの下に隠す。
「ほれ、できたぞ」
「ありがと。いただきます」
霞は意外と器用で、弥生の教えがいいのかどうか、料理が上手い。最近は一日交替で料理をしているようだ。このミートソースも霞が作ったもので、なかなかの味である。
今の皐月は、霞が作るものはなんでも美味く感じるのだが。
霞もスパゲティを食べだして、しばらく静かな食事時間。
「ごちそうさまー」
「うむ。桶に浸けておいてくれ。後で洗うからの」
霞に言われたように、皿を台所の洗い桶に突っ込む。食後に少し麦茶を飲んで、まずは満足。
霞も食事を終えたようなので、頃合を見て話を切り出す。
「……霞、今日は何の日か、覚えてる?」
「うん? どうしたのじゃ、急に?」
「いいから、答えて」
「うーむ……。……わからぬ」
「えー。今日はね、霞と出会って、ちょうど一年になる日だよ」
まぁ、あの頃の霞は外との触れ合いが少なく、今日が何日かなんて解らなかっただろう。それで責めるつもりはない。
「そうか! もうそんなになるのか……。早いものじゃのう」
「そうだよ。まさかこうなるなんて、思ってなかった」
「そうじゃろうな。何せ、わしを初めて見た時、そなたは失神したからのう」
あのときのことを思い出したのか、霞が意地悪そうに笑う。
「しょうがないだろ!! びっくりするよ、普通!」
食べられるだなんて思っていたことを思い出す。だけど、その後の応対で、その考えを改めるに至った。なんというか、本当に懐かしい。
「まぁうん、それでね、これ。一周年記念の、プレゼント」
「!?」
皐月がプレゼントの箱をテーブルの下から出すと、霞は目を点にして驚いた。してやったりである。
「プレゼントって、これをわしにか?」
「だって、それ以外にないだろ?」
「……ありがとう。開けて良いか!?」
「どうぞどうぞ」
霞は目を輝かせながら、ラッピングを破かないように丁寧に剥がす。丁寧な扱いが少し嬉しい。
中に入っていた髪留めを見て、霞は更に目を輝かせた。
「おお、可愛い品じゃな!!」
「ホント? よかった。とりあえず、つけてみてよ」
霞は家事をする時や外出時は長い黒髪をポニーテールにしているが、髪ゴムで無造作に束ねているだけなので、アクセサリーの一つでもつければいいのに、と思って選んだ品だ。似合うと嬉しい。
「うむ。……こうかの? どうじゃ?」
霞が髪留めをつける。なんだか恥ずかしそうな霞の表情と、髪の中でアクセントになっている髪留めはとても可愛くて。
「……いいよ、凄く。っていうか、うん、ホントに可愛い」
なんだかぼーっとしたまま答えると、霞は凄く喜んでくれた。
「本当か!? どれ……うむ、確かに良い感じじゃな、これは」
側にあった鏡を覗き込んで、ご満悦の様子だ。三千円の価値はあった。
「わしも何かお返しをせねばな……。……そうじゃ。皐月、こっちに」
霞がちょいちょいと手招きをする。側に寄ってみると、霞はそっと、皐月の頭を自分の尻尾―人間でいうところの太股の部分―に持って行った。
「ちょ、霞?」
「あの時もこうしたじゃろう? ふふ、あの時は驚かせすぎてしもうたのう」
霞に膝枕されるのは久々のことだ。鱗のひんやりとした感触と、霞からのいい匂い。それは部活後で疲れた体に効果抜群だった。
「やば、ちょっと眠くなってきた……」
「よいぞ、しばらくこうしておれ。疲れとるじゃろうしな」
霞がゆっくりと、皐月の頭を撫でる。それは睡眠誘発剤のような働きをして、皐月はほどなくして、意識を失った。
「ただいまー」
弥生がドアノブを捻ると、玄関は軽く開いた。皐月の自転車もあったし、二人とも中にいるようだ。
その割には返事がない。不審に思いつつ居間のふすまを開けると、エアコンの心地良い冷風が吹いてきた。いい気持ちである。
「……お休み中、か」
居間の中央には、横になっている霞と、彼女の尻尾に頭を預けている皐月。そして彼女の尻尾は、皐月を守るかのようにとぐろを巻いていた。二人とも幸せそうな表情で、寝息を立てている。
「膝枕ならぬ蛇枕、か。ふふ、仲のよろしいこと」
弥生はくすくすと笑ってから二人にタオルケットをかけると、洗濯機を回しに行くのだった。
このお話は、これでお終い。
二人はこれからも、日常と非日常を少しずつ積み重ねていく。
二人でラブソングを歌いながら。
4月28日微修正。
ホントにこれで完結。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
書き始めてから一年、プロット版からは二年を経ての完結です。
筆遅いなオイ。
登場人物がどうなったのか、これからは皆様のご想像にお任せします。
あ、エドワードはラブレターの子とくっつきました。
お付き合いいただき、本当にありがとうございました。
読んでくださった方、お気に入り登録していただいた方、評価を下さった方、感想を下さった方。
本当にありがとうございました! またお会いできるといいですね。いや、お会いしましょう!
あ、本気で蛇枕されたいです。