前
自分が所謂『転生者』なのだと、自覚したのは本当に突然だった。
繋がりの強い貴族の子どもたちを集めたお茶会で、当時5歳だったわたしは同い年のとある少女に出会うことで、その確信を得ることとなった。そのお茶会のホストであり、参加した家々の中で最も家格の高い、フェルディーヌ侯爵家の令嬢マリーシア様。
彼女の光の反射を受けて輝く燃え盛る炎を宿したような赤色の髪は美しさと豊かさを宿し、つり上がった金の瞳には意志の強さと怜悧さが隠しようなもなく溢れている。彼女の滲み出るような美しさと、気高さにわたしは一瞬にして圧倒され、そして瞬間に頭に強い衝撃を受け、そしてすべてを思い出したのだ。
彼女こそが、わたしカーセル伯爵家の長女シャルロットが生まれた意味そのものであった。
*
「マリーシア様、マルセル様とのご婚約のお話が出ておりますが、本当なのですか?」
自分が転生者であるという衝撃的な確信を得たマリーシア様との出会いから、早くも12年もの月日が経過している。何がお気に召したのかは甚だ疑問なのだが、あの日以来マリーシア様はわたしを一番の友人と称しては常に傍に置いてくださっている。恐れ多いことである。
目の前で優雅に紅茶のカップに口をつけていたマリーシア様が、わたしの突然の問いかけに、珍しくも激しく動揺していた。無論、それを決して表に出して狼狽されるような方ではないので、長い年月を公私共に過ごしてきたわたしだからこそ気づくような些細なものだったのだが。だからと言って、それをとりあげるようは無粋なことはしないけれど。カップをソーサーにそっと置いたマリーシア様が、訝しげな視線でわたしのことを見つめた。
「シャルロット、あなたそんなくだらない噂をどこでお聞きになったのかしら。あり得ないことですのよ」
「……あら。では、全く根の葉もない噂だったのですね」
「当たり前ですわ。わたくし……幼い頃から心に決めた方がおりますの」
つまり、それはマルセルではないということなのか。わたしはなんだか少しがっかりしてしまった。わたしたちももう17歳だ。来年には王立魔法学院も卒業する年齢であり、この歳にはほとんどの令嬢が決まった相手と婚約をかわしている。
こう言ってはなんだが、マリーシア様は世界で一番お美しい女性だとわたしは思っている。外見も叡智と節制の女神セリーヌ様もかくやというようであり、実際のマリーシア様のお心もまた、まるでセリーヌ様の顕現であるかのようだ。マリーシア様は内も外も素晴らしい方なのだ。
だのに、何故か未だに婚約者がいないのはどういったわけなのか。普通なら、もう既に婚約者がいるはずなのだが、いつまで経ってもそういう話は聞かないのはどういうわけか。
ちなみに、マルセル様というのはこの国の第二王子だ。病弱でいらっしゃるらしく、公の場に姿を現したことは一度もないので、どういった方のなのかは詳しくは知らない。
ちなみにわたしにも婚約者はいない。縁談はあるにはあるらしいが、父親はあまり出世欲はないのんびりとした方だし、幸いわたしには優秀な弟が二人いるので後継者については問題ない。我が伯爵家の財政もこれといって逼迫はしていない。焦って婚約者を決める必要がないおかげか、来年には学院を卒業するというのに未だにわたしの婚約者は決まっていない。が、別に必要はないかもしれない。
何故なら、わたしことシャルロットは、王立魔法学院在学中に死ぬかもしれないのだから。
「マリーシア様のお心に住まう方のこと、わたしにはせめて打ち明けてくださってもよいではないですか?」
「……シャルロットったら。うふふ、まだ内緒よ」
マリーシア様があでやかに微笑むのを眺めながら、内心首を傾げつつも、わたしはその笑顔にすっかり見惚れていた。
遅ればせながら説明申し上げると、ここは、実はとある恋愛小説の世界である。乙女ゲーかと思いきや、実は違う。
庶民出身の主人公エレナが、ある日突然魔法に目覚め、王立魔法学院に転入してくることから物語は始まる。王立魔法学院は基本的に、ほとんどの生徒が貴族の者ばかりである。王国の最高学府である魔法学院の学費がかなりの高額である点や、魔法を扱えるほとんどの者が貴族の者ばかりであるという世界観に基づいているからである。そこで、主人公は慣れない環境でいくつも失敗をしながら、健気に努力を続ける姿勢を次第に周囲に認められるようになる。元々それなりの美少女であり、そういった志の高さも加味され、最終的には多くの男子から想いを寄せられる……というもう目が腐るほど見てきた王道展開の物語である。
ちなみに、この恋愛小説。作者はなんと……前世のわたしである。王道展開好きだった前世のわたしは、自分でも物語を書くことも好きだったので、ついついありがちな話を戯れに書いてみたという次第であった。ちなみに、めんどくさくなって途中投げしたので堂々の未完である。主人公は多くの将来のある男性から想いを寄せられるが、それは言ってしまえば読者のための設定であり、わたし自身はハーレムものは好みではなかったので、主人公自体はずっと想い続けていた初恋の相手と最終的にはくっつく、はずだ。残念ながら完結には至らなかったので、わたしの頭の中にある残りカスのような記憶に頼るとそういうことのはずだ。
ここで、問題となるのが、わたしとマリーシア様の立ち位置であるが、はっきり言ってしまえばわたしの崇拝しているマリーシア様はお決まりの悪役令嬢だ。そして、わたしはマリーシア様信者兼取り巻き令嬢Aである。このあと王道展開的には、妬みやら何やらでおかしくなってしまったマリーシア様は主人公に対し、怒り狂うあまり魔力を暴走させ、特大魔法をしかけ主人公を殺そうとしてしまい、最後には破滅の道へ向かっていく……はずである。
何せ未完なので、マリーシア様が主人公を殺しかけたところまでしか書いておらず、その後マリーシア様がどのような処遇になったかは書いてもないし、考えてもいない。永遠の未完作なので、マリーシア様の今後は分からない。ただひとつ分かっているのは、マリーシア様の魔法の暴走を止めるために、信者Aが主人公を守るためにマリーシア様の魔法を食らい、最終的に死んでしまうという、現在のシャルロットであるわたしにとってはかなりの鬱展開が待ち構えている、というか死ぬ、ということである。
信者Aを死なせ、マリーシア様と主人公の対決がおおよその終焉を迎えたことで、すっかり満足してしまった前世のわたしは、主人公を幸せにしきる前に書くのも考えるのもやめてしまったようであった。
そもそも原作(作者は前世のわたしなのでこの言い方はなんだかむず痒い)では、主人公に想いを寄せる相手の中に、マリーシア様と婚約を結んでいたマルセル王子というのが存在していた。原作のマルセル王子は、決して病弱などではなかったし、むしろ王太子の第一王子よりも優秀で、諸外国にも顔の広い、まあ言ってしまえばハイスペックイケメン(※ただしお約束のように腹黒マン)というよく言えば王道な、悪く言えばお粗末な設定の王子だった。
が、この世界に生まれ、頭がおかしくなったかと疑う暇もないほどひどく実感的に生きてきて、シャルロットの目を通して世の中を見てきた限り、今まで一度とてマルセル王子が公の場に顔を出したことはなかった。諸外国どころか、臣民すら顔を知らないとはこは如何に。
そのせいかは分からないが、王立魔法学院入学(入学は11歳から)とほぼ同時に、婚約をするはずのマリーシア様とマルセル王子は未だに婚約を果たしていないし、原作ではあんなに熱烈に愛していたマルセル王子のことをマリーシア様は見向きもしてないとは、全くこは如何に。
だが、まあ主人公は順調に逆ハーレムもどきを築いているようだし、物語の修正力というものも発動しているのかもしれないし、していないのかもしれない。端役であるシャルロットのことをそこまであまり詳しく決めていなかったので、わたしの素でマリーシア様に接してきたが、どういうわけか原作通りお傍に置いてくださっているし。……まあわたしが作者だから、わたしがシャルロットとしてどのように振る舞おうと結局はそれが正解なのかもしれないが。
おかしなことはそれだけではない。マリーシア様とシャルロットは原作では、お嬢様とその取り巻きのような関係のように思えるが、その実、裏設定では二人は幼馴染として友情を育んだ親友同士、なのだ。……説明すればするほど、前世のわたしの黒歴史暴露に羞恥心でどうにかなりそうだが、今生のわたしにとっては何度疑っても現実そのものであったので、文字通り死活問題なので必死だ。
閑話休題
この世界でも、確かにマリーシア様とシャルロットは友人関係にある。が、どうも原作のマリーシア様よりも、この世界のマリーシア様の方がシャルロット……わたしのことだが……をかなり気に入っているようだ。時々、かなり距離が近く、戸惑うことも多い。……マリーシア様に百合の趣味はないはずだが。
そして、もうひとつ。どうも主人公の性格が悪い気がする。あんな性悪な顔をしていたのか? というほど、ずいぶんとひどい顔で男を侍られている。前世のわたしの好みの都合上、あからさまな逆ハーではなく、主人公に惚れる男たちは密かに想いを燻らせている展開にしたはずなのに。あんな堂々と真昼間から学院内で口説かせた覚えなど、一度とてないぞ。ふざけんなよ、ドラ息子共!!
そして、それを眺めるマリーシア様であるが、ハーレム要員に婚約者の予定であったマルセル王子がいないせいか、迷惑気に眉を顰めるだけで、別に怒ってはいないようだし……むしろそんなマリーシア様を忌々しげに睨んでくるのは主人公の方だ。おいやめろ、そんな顔すんな! お前は仮にも主人公……だったはずなんだぞ!? そんな醜悪な顔でマリーシア様を見るな! 穢れる!!
……ここまでの説明で、お分かりいただけたかもしれないが、実は前世の作者であるわたし、主人公のことはそんなに好きではない。むしろ実はマリーシア様推しだった。
マリーシア様は、ぽっと出の主人公に対して散々嫌味を投げかけ、庶民である主人公が気に入らないからといじめるのような性悪な貴族のお嬢様……のように描いているが、実は違うのだ。散々嫌味というのは、主人公視点に立ったらそう感じるのかもしれないが、実際は自らが悪印象を受けてでも、主人公が学院内で浮かないようにとそれとなく苦言を呈しているだけだし、マリーシア様はいじめなどそんな低俗なことは一切していない。マリーシア様の名を笠に着た自称取り巻きの、他の性悪令嬢共がやらかしていただけなのである。ちなみに、シャルロットではない。
マリーシア様は、幼い頃から侯爵家の令嬢として厳しく育てられた。マリーシア様の生来の才能によるところも大きいが、しかしそれ以上にマリーシア様は血の滲むような努力を重ねることで、貴族としての威厳や相応しい才覚や名声を手にしてきたのだ。マリーシア様から溢れ出る自信と優雅さは、決して驕りなのではなく、努力の末に手に入れたもの。それをシャルロットは知っている。幼馴染として、傍で見てきたからだ。ただ、マリーシア様がたった一度だけ自分の望みのため我を通し、感情を爆発させたのが、主人公を攻撃してしまったときのことだったのである。
シャルロットはマリーシア様を尊敬し、憧れていた。また親友だと言ってくれたマリーシア様のために、主人公に歩み寄ってはマリーシア様の無実を主張し、一方で困っている主人公にやさしくもする、どっちつかずの八方美人なキャラ……に見えるように書いた、つもりだった。マリーシア様を誤解しないでくれと、マリーシア様が否定しないのをいいことに全てマリーシア様のせいだと鵜呑みにしている主人公を諭すというキャラなのだ。……まあ、ぶっちゃけ主人公視点からみれば「なんぞこいつ、まじうぜぇ」キャラである。
先ほど述べたように、作者である前世のわたしはマリーシア様推しだった。そしてこのテンプレ王道を書いたら、真っ先にマリーシア様視点のスピンオフ作品を書くつもりだった。むしろ、こっちが本命だった。「分かってくれる人が分かってくれればいい。幸い、周囲の良識ある方々は分かって下さっている。我が家にとって不利益を被る事態にならない限りはどうとでもなる」と言っては、悔しがるシャルロットを諭すマリーシア様を、シャルロットは尊敬していたし、好きで好きで堪らなかった。百合ではないが、シャルロットにとってマリーシア様はとにかく大事なひとだったのだ。
前世のわたしは、実は幼い頃から健気に努力し続けた証としての堂々とした矜持や風格を備えている、そんな悪役や敵キャラが好きだった。ただの性悪やクズには興味がない。ただ、物語の中心のキャラに選ばれなかっただけで、主人公に敗れてしまうもうひとつの正義、というような悪役や敵キャラが好きだったのだ。悪役フェチが講じた結果が、マリーシア様という存在の爆誕に繋がったわけだが。
だから、わたしは本当はマリーシア様を幸せにしたかったし、今もしたいと思っている。マリーシア様は、シャルロットにとっても、わたしにとっても、憧れの存在そのものなのだ。
アンチ主人公勢ではないですが、悪役・敵キャラフェチです。