中
しかし、どうした訳であろう。平和だ。呆気ないほどに平和で、幸せだ。
「シャルロット? どうかしたの、ぼんやりして」
「はっ、すみません。マリーシア様、お見苦しいところを」
「いいえ? 見苦しいなんて、とんでもない。ぼんやりしているところもかわいらしいよ。頭から食べてしまいたいくらい」
「……えっ」
「……おっと。うふふ、今の忘れてくださる?」
なんだか、とんでもないことを聞いてしまったような気もするが、マリーシア様が忘れろというのだから、忘れる他あるまい。わたしは若干ぎこちなくではあるが、こくこくと数回頷いておいた。マリーシア様がほっとしたように、息を吐く。そんな姿までお美しい。さすが、「ぼくわたしの考えた最強、最高の悪役令嬢様」だ。わたしの好みと理想が、その美しいお顔と優雅な雰囲気と華奢なお身体に全て詰まっているな。
……前世のわたしが、イメージをこっそりイラスト化して自分だけで楽しんでいたときのビジュアルでは、もう少し豊満なお身体であったはすだが。まあ、元がわたしのきったないイラストでは、多少のズレがあってもご愛嬌というやつであろう。
「……ところで。ねえ、シャルロット」
「はい、なんですか。マリーシア様」
「あなたも私的な場ではずいぶん砕けた態度をとってくださるようになりましたけれど……あのね、そろそろ様付けも、」
「いやだなあ、マリーシア様はマリーシア様です。恐れ多いことです」
「……そう」
ひどく残念そうに眉を下げられた、そのお顔すら美しい。けれど、マリーシア様はマリーシア様だ。譲る気などはない。
……そういえば、マリーシア様のお名前は、前世のわたしが何かこだわりを持って決めたような気もするが……なんだっけ?シャルロット自身はもちろん、前世の記憶を思い出しながらもシャルロットとして生きている今のわたしも、マリーシア様とずっと様付けでお呼びしてきたのだ。
そしてさらに言うなれば、この物語を書いていた前世のわたしも……そういえば頑としてマリーシア様ただひとりだけは、様呼びしていた気が……主人公など飾り程度だったというのに。はて……?
まあ、正直それも仕方がないことかもしれない。マリーシア様は、シャルロットの憧れであると同時に、前世のわたし自身の憧れと理想の存在そのものなのだ。マリーシア様においてだけは、キャラたちに対する親心にも似た愛情のようなものとは、一線を画していると言っても過言でないのかもしれない。
それにしても、わたしは何故シャルロットを殺す展開を選んだのだろうか……マリーシア様が悪役とはいえども、親友を殺すなどとそんな展開はいくらなんでも酷なのでは……何を考えていたんだ前世のわたし! 盛り上がりのためにマリーシア様を売ったのか!? なんとけしからん根性だ……シャルロットとしては許しがたい所業だ。その後、どう落とし所をつけるつもりだったのかは、とんと思い出せないが。
その贖罪のためにも、わたしは今度こそシャルロットとしてマリーシア様を幸せにせねばなるまい。たとえ死ぬとしても、それはマリーシア様を不幸にする形ではあってはならないのだ。……まさか、なんとなくで書いていた黒歴史と来世で全面戦争することになるとは、まったく人生とはままならないものである。
「……シャルロット?」
「はっ! すみません、なんでしょう?」
「あなたって、時々とてもぼんやりするわよねぇ」
「……申し訳ありません」
「まあ、いいのよ。わたくしを蔑ろにしたことはちょっぴり悔しいけれど、だからってそんな恐縮しないで? かわいいお顔が台無しよ? ほら、笑って」
マリーシア様がなんとも不思議なオーラを纏いながら、わたしの頬に手を添えて笑顔で覗き込むので、わたしは思わず大変に赤面しながら仰け反った。な、なんなんだ! だから、この方に百合属性など付与した覚えはないのだが! なんだか含みのある、頬を撫でる手のひらに、わたしは背中が震えた。
「……相変わらず無防備すぎるぞ、シャルロット」
だから、女神様のようなマリーシア様のそんな……そんなまるで男の方のような恐ろしい呟きなど聞いてません。聞こえてません。
*
物語とは、何のために生まれるのか。
どうして、こんなことになったのか。どうして、主人公を、マリーシア様を、そしてシャルロットを作ったのか。
「……あんたみたいな悪女!!」
それはおかしい。マリーシア様は悪女などではない。初めから、無実だったのだから。主人公……エレナが恐ろしい形相でわたしたちを、いや……マリーシア様のことを睨んでいる。それに対して、マリーシア様は悠然となさったまま、エレナのことをまっすぐに見つめ返している。
今日がこの日だったかどうかは定かではない。何せ、エレナに対するいじめは起こっていないし、マリーシア様はマルセル王子と婚約すらしていないのでエレナに対して嫉妬するはずもない。どころか、むしろエレナの方がマリーシア様に嫉妬しているようだったし。大体エレナは主人公だし、前世のわたしも嫌いだったわけではないが、それにしてもなんというかひどいキャラになってしまっている。
というよりも、わたしも十数年、実感的に生きてきた感触として、この世界に生きている人々をキャラとして見れなくなっている。わたしも、マリーシア様も、エレナやエレナの周りの男たちまでも。たとえ、前世のわたしが生み出した子たちであろうと。だって、もうとっくにわたしの手を離れ、自由に、好き勝手に生きているではないか。
それに、モブキャラや物語に描かれなかったキャラたちはどうなのだ。シャルロットの父や母、弟たちは原作では無論出てきてはいないし、シャルロットに弟が二人いるなんてことまで、前世のわたしは決めていない。前世のわたしが手に及ばなかったあらゆる人々、事柄、すべてが生きているし、動いているのだ。寒さ、暑さだって感じる。痛みだってある。ひどい言葉で心が傷つくことも、やさしい言葉に癒されることだってある。生きていた。わたしの人生は、シャルロットとしてのわたしの人生は確かに生きていた。
だけど、どこかで割り切れてはいなかったこともある。死を回避するつもりが微塵もなかったのは、そこなのだ。その点において、必死になることはなかった。この点だけは、わたしは思考を止めていた。疑いもせず、こんな日をどこかで待ちわびてさえいた。
わたしが、シャルロットになった意味。わたしが、生まれ直した意味。
「私が主人公なの! 私がみんなから愛されて、みんなから必要とされて! なのに、なんであんたみたいなのがいるのよ! 悪役のくせになんなのよ、その私を哀れむような目は!?」
エレナが、まったく意味のわからない言葉でマリーシア様を罵り、さらには杖を構えている。それなのにマリーシア様は表情ひとつ変えていない。わたしは、混乱する頭の中でひとつ分かっていることがあった。この物語は、既にとうにわたしの手から離れているということなのだ。こんな女、わたしは知らない。
わたしは、エレナのなんとも必死な形相と、誇り高く前を見据えているマリーシア様のお顔を交互に眺めて、そしてそこでようやく理解した。いや、思い出してしまった。わたしが、この物語を生み出した意味を。わたしが……シャルロットが生まれた意味を。遂に、そのときが来たのだと悟った。多少……というか実際かなりのズレがあるが、間違いではない。どんな形であれ、シャルロットはマリーシア様のために死ななければならないのだ。
「マリーシア・フェルディーヌ! 私はあんたを潰して、私が……私が一番になるの……っ!!」
錯乱したエレナの杖から魔法発動時の光が灯るのを見た。わたしの隣に立つマリーシア様がわたしを庇うように一歩前へ出て、杖をエレナに向けて構えてた。
だが、わたしは間に合わないことを知っていた。シャルロットは死ぬのだ。親友のマリーシアを庇うことで。これは、この瞬間のためだけに生まれた、卑怯だったわたしのための物語だったのだから。そのためにこの物語を、シャルロットをわたしは生み出したのだ。エレナも、エレナの成長物語も、エレナの恋路も本当は全部どうでもいい。そんなもの土台に過ぎない。
わたしは庇おうとしてくださったマリーシア様を突き飛ばし、エレナの杖から放たれた特大魔法の前に躍り出た。わたしが、マリーシア様に無礼を働くのはこれが最初で最後であろう。マリーシア様が優秀でいらっしゃることは知っているし、あんなエレナの魔法など防御魔法で簡単に防ぐことができるだろう。だが、それでは意味がない。暴走させるのは優秀であるマリーシア様のはずだったからこそ、誰も防ぐこと叶わずに犠牲者を出してしまうはずだったのだが、まったくどういうわけか作者のわたしの手からすっかり離れてしまい、いろいろとおかしなことになってしまった。けれど、これでいいのだ。……ああ、やっと、思い出した。
「……っくそ、ばか香奈ッ!!」
これは、前世のわたしが愚かだったせいで、傷つけてしまった親友マリに対する償いのために生まれてきた物語である。
*
前世のわたしは、八方美人で、誰かに嫌われることを恐れる弱虫だった。そんなの、大半の人間がそうだと言われればそうなのかもしれないが、だがわたしはこの性格のせいで、親友マリを傷つけ、そしてその親友を失ったのだから、わたしは終生自分の性格をひどく呪ったものだった。
「香奈は争い事がきらいなやさしい子ってのは知ってるし。別に、気にしなくていい」
香奈、というのは前世のわたしの名前である。
「……マリちゃん」
前世、わたしの親友の名はマリといった。マリはとにかくきれいな女の子で、小さな町では有名になるくらいの美少女だった。幼い頃から、ほんとうにきれいな子で、そして佇まいや所作も美しく、性格も穏やかでやさしく、それでいて自信に満ち溢れていて気高い雰囲気すら持っていた。いいところのお嬢様だったせいかもしれない。お金持ちで、家柄自体は旧家だかなんだかだったと思う。幼稚園の頃は少し病弱だったようが、それも小学校になると安定してきたようで、マリは勉強も、運動までもよくできた。習い事では色々なことをやっていたが、そのどれもがかなりの腕で、毎度毎度小学校で全校生徒の前で表彰状をもらっているくらいだった。
そんなマリと、わたしは親友だった。なんでもできて、とてもきれいなマリは、何をやっても冴えないわたしの憧れだったし、尊敬もしていた。マリのことを、よく天才と褒めたたえるひとが多かったが、実際はマリはものすごい努力家で、まだ子どもなのに泣き言ひとつ言わず、また一度もサボることさえもせずにとにかく一生懸命に、学校の勉強と習い事とを両立させていた。
そんなマリは、いつからか妬みとやっかみを買うようになった。それが一番ひどかったのは、小学六年のことだった。最初は、仲間外れとかだったように思う。それがだんだんエスカレートし、次第にマリはいじめられるようになった。マリの言葉を、存在を、みんなが悉く無視をした。主犯のグループは、いわゆるスクールカーストトップの女子たちで、誰も逆らえなかった。同じく、トップグループに所属する男子たちもまた、おもしろがってマリへのいじめに加担していたので、ますます誰も止めることなどできなかった。庇うことすら恐ろしかった。女子はマリへの妬みと、男子はマリへの好意の裏返しといったところだろう。まったくくだらない理由だった。
そして、わたしはそれを一番近くで見ていながら、マリのもとから逃げ出した。マリがやさしいことをいいことに、それにつけこんで見放したのだ。
そんな事態が変わったのは、転校生がやってきたときだった。主犯グループたちは、ターゲットを転校生の女の子へとチェンジしていった。やつらは、学校の勉強はあまりできなかったのに、何故か変にずるがしこく、転校生の子をきわめて巧妙にいじめた。そして、それをすべて、マリのせいにしたのだ。
マリは、わたしの憧れそのものだった。どんな苦難にも挫けず、負けなかった。誇り高く前を見つめ、いつだって凛としていた。どんなにいじめられても、一度だって学校を休むことはなかった。マリーシアは、わたしのマリへの憧れを具現化した存在なのだ。
そして、誰よりも卑怯なわたしは、シャルロットになりたかった。何があってもマリーシアを信じ、そして最後にはマリーシアのために死ぬ、そんなシャルロットになりたかったのだ。




