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追想

 あの扉を叩いたのは現地時刻で深夜一時を過ぎた頃だったと、私は確かに記憶している。

闇に溶け込み、どうにも全容の知れない屋敷ではあったが入り口の扉は私の前に確かに存在していたようだった。

そんな両開きの扉の左右には狼の顔を模した呼び鐘が厳めしく牙を剥き、正面に立ちすくむちんけな男を憎悪に満ちた瞳で睨みつけていた。

立ちすくむちんけな男。とは勿論、私のことを指す。

くたびれたスーツに体を押し込みさらには、顔に浮かぶ怯えた表情までもを必死に押し込もうとしていた。

だが結果、私の中にぐいぐいと押し込まれていったのは狼の顔のトラウマだけであった。

あの鉛色の狼の形相は今でも脳裏に深く焼き付いて簡単には消えくれそうにない。

平生、他人の趣味についてとやかく言う私ではなかったが、その時は来訪者を迎い入れる扉に狼の顔を据え付けるなんてどういう了見だろうかと詰問したくなっていた。

ここをノックする罪無き者にさえ一体何を伝えようと云うのか。

―だが今となって思うと、それは相応しい場所に相応しい形であったのだと、納得している。


 多少の苛立ちも混じった溜息は白く曇っていた。

もの言わぬ扉の前で私は口から出る白い息ばかり見ていた。

現れては消える、実態の無い白い靄をひたすら観察しているしている人の様にも見えなくないだろう。

しかし私のしていることはあくまで『躊躇』であった。

考えても見てくれれば分かるだろう。

東欧の森の奥深いところに屋敷が建っているのだ。

木々が忽然と消え、黒い鉄柵に囲われた奇妙な空間が突然現れるのだ。

その中心にはヨーロッパ貴族の別荘を彷彿とさせる屋敷が据えてある。

白い煉瓦の壁は時代によって彩られその全体に趣を与えていた。

半円アーチの窓は一階二階を知らしめるかのように均等に配置されていて、日本とはまた違う美意識を感じ取れる。

だが、それらの情景は『美しかった頃』のであろう屋敷の全容である。

私の目の前に存在している屋敷は、別荘というより廃墟であった。

壁には蔓は絡みつき、貪欲にもその内側にまで触手を伸ばそうとしている。

窓には全てカーテンがかかっており、頑なに外部との接触を拒んでいた。

玄関の前の石段には湿った落ち葉が積もっており、来訪者が絶えて久しいのを語っていた。

―そしてこの扉である。

決して良い感情ではない疑問を向けつつも、ようやっと私は扉を叩く意を決したのだった。

ナニ? 「ドアをノックするのに『意を決する』は大げさだ」 いやいや、そんなことはない。

むしろこの時の私の決心は、扉を跨ぐのには余りにも小さ過ぎたと言うべきだろう。

今ならば、あの狼の呼び鈴の意図しようとしたことが分かる。

扉とは、本来ならば「入らない」為に在る。無闇やたらに触れるべきである筈がないのだ。


―話を進めよう。

私は恐る恐る呼び鐘に手を掛け、怖々と金輪を二度程、黒い木の扉に打ちつけた。

否もしかすると、私は『打ちつけさせられた』と云うべきなのかも知れないが…。

 

 ―ダン、ダン…


扉の向こう側、静謐なる未知の空間に音は吸い込まれていく。

(―ダン、ダン…)

時に私は、この音に対して体の芯が冷たくなるような気味の悪さを覚えた。

自分で扉を鳴らしておいて言うのも難なのだが…。

この無機質な音の中に卑しい執着にも似た「意思」を感じた、とでも言えば良いのか。

しかし不思議にも、どうして呼び鐘を叩く音でこんなことを連想してしまったのかは分からなかった。

考えれば考えるほど不気味の泥沼へ嵌っていく感覚が有った。

私は知らず知らず、粘っこい悪寒を吐き出すように腹に力を込めて深呼吸をし始めていた。


 ―そうかあるいは、解釈を求める私に対してほくそ笑んだまま黙っている、他でもない自身の脳髄に、無意識にこそ私は真の不気味さや恐怖を感じたのかも知れない。


(―ダン、ダン ―ダン、ダン…)



―追想終り―



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