赤は、笑えなかった
青色便の成功から一週間後。
私は平穏な日々を送っていた。
少なくとも、表面上は。
だが、人間という生き物は愚かだ。
一つの山を越えると、次の山を探してしまう。
青。
達成済み。
私はノートにそう記録した。
その文字を見るたび、少しだけ誇らしかった。
だが同時に、物足りなさもあった。
研究は終わっていない。
むしろ、始まったばかりだ。
私は新しいページを開いた。
そこへ一文字だけ書く。
『赤』
黒。
青。
ならば次は赤だ!
理論上、難しくはない。
世の中には赤い食べ物が大量に存在する。
トマト。
いちご。
スイカ。
しかし、私は知っていた。
そんな生ぬるい赤では駄目だ。
便器の前で、
「赤だ」
と断言できるレベルでなければ意味がない。
私は調査を開始した。
その過程で、一つの食材へ辿り着く。
『ビーツ』
鮮やかな赤紫色をした根菜である。
切れば赤い汁が出る。
まな板が染まる。
服につけば落ちにくい。
私はスマホの画面を見つめながら、小さく頷いた。
「君だ」
数日後。
私はスーパーを三軒回り、ようやくビーツを手に入れた。
帰宅後、調理方法を調べる。
サラダ。
スープ。
ロースト。
色々あった。
私は全部やった。
研究に妥協はない。
食卓は赤かった。
皿も赤い。
スープも赤い。
箸で持ち上げた野菜も赤い。
途中から、自分が何を食べているのかわからなくなった。
私はスマホのメモ帳を開く。
『20:31 ビーツ大量摂取』
『気分 やや高揚』
『舌 正常』
『覚悟 あり』
最後の一文は、最近の癖になっていた。
その夜、私は妙に落ち着かなかった。
青の時とは違う。
嫌な予感があった。
理由は分かっている。
赤には、別の意味がある。
黒色便。
消化管出血。
以前の記憶が蘇る。
だが赤は、さらに直接的だった。
血便。
その言葉が頭から離れなかった。
翌朝。
私は静かにトイレへ向かった。
心臓が速い。
期待と不安。
その両方があった。
数分後。
私はゆっくり振り返る。
赤かった。
私には、それが赤に見えた。
私は固まった。
赤い。
きっと赤い。
青の時とは違う。
達成感より先に、本能が警報を鳴らした。
私は便器を見つめる。
(たぶん)赤い。
何度見ても赤い(はず)。
私は一度、トイレの電気を消した。
数秒後、再びつける。
(おそらく)赤い。
やはり赤く見える。
私はスマホを取り出した。
検索欄を開く。
指が震えている。
『赤い便』
検索。
画面を見つめる。
ビーツ。
血便。
ビーツ。
血便。
ビーツ。
血便。
私は三十分ほどインターネットをさまよった。
そして最終的に、一つの結論へ辿り着く。
たぶん、ビーツだ。
おそらく、ビーツ。
きっと、ビーツ。
私は深く息を吐いた。
研究者としては失格かもしれない。
だが、人間としては正常だった。
私はノートを開く。
『赤 成功』
そこまで書いて、少し考える。
そして一行付け加えた。
『成功したが、あまり嬉しくなかった』
私はその日、一時間おきにトイレへ行った。
観察のためだった。
たぶん。




