第237話 天正伊賀の乱 肆
音羽半六の鋭い糸が俺の頬の皮を薄く切る。かと思えば両手両足に糸が絡みつく。細い糸は闇夜に紛れ不可視の刃に化けた。
「”乱之太刀”!」
体中に絡みついた糸をまとめて斬り掃う。糸が絡みついて、音羽半六が力を入れて切断するまで一瞬のタイムラグがある。その間に糸を処理しなければ俺の体はバラバラになる。とはいえ、
「攻め込む隙がない!」
篝火がわずかに照らす音羽半六の周辺には糸が張り巡らされている。近付けない。あの細い糸はさすがに銃で狙えない。もし当たっても一本糸が切れるだけだ、ほぼ無意味。銃であの糸の防御を崩すのは無理か。
ん? いや、待て。銃で糸は狙えない。だが当たれば切れる。糸に防弾効果はない。なら、直接音羽半六を狙えばいい。
糸の射程外まで一気に距離を取る。
「氷雨! スナイパー!」
「ん!」
氷雨が放り投げたスナイパーをキャッチ。さすが氷雨、気を利かせて弾丸は既に装填されている。スコープを覗き、狙いを定める。彼の頭に照準を合わせ終わるのと同時に引き金を引いた。
だが音羽半六は読んでいたようで首を傾け弾丸を避ける。だが一発では終わらない。リロードし、再びスコープを覗く。次の瞬間、突如銃が上に向く。
「は!?」
銃身がものすごい力で引っ張られ、思わず手を離すと俺のスナイパーは空中に固定された。
「一発撃たせ、次の銃撃までの時間があればこのくらいは容易い!」
「糸、ここまで届くのかよ……」
どうやら俺は音羽半六の操糸術を甘く見ていたらしい。
音羽半六の糸は俺に触れることはできても拘束することはできない。俺は近付けば糸にとらわれ、敗北するため安易に近づけない。互いに決め手に欠ける長期戦に突入した。
糸を切り、絡みつく糸を振り払いながら俺は思案する。まずは音羽半六を倒すため、自分の手札を再確認。今握っている刀、腰にあるリボルバー、氷雨が持っているショットガンの3つ。
剣技で奴の縄張りに切り込むのは自殺行為だ。攻撃に意識を向けている最中、糸を一本でも見逃せば死に直結する。
リボルバーはさっきからたまに使っているが避けられている。リボルバーで倒すのは難しいだろう。
最後のショットガン、これも難しい。日本語で散弾銃と呼ばれるショットガンはその名の通り、弾が飛び散るのが特徴だ。殺傷能力は高いが射程は短い。ある程度近付かなければ有効打にならない。ショットガンは両手で扱う武器だ、刀なしで近付くことがまず無理。
「そうだ、まずは近付かないと話にならない」
近付けば弾を避けるのも難しくなる。こっちの危険性も増すけど相手にとってもその方がやり難いはず。糸を搔い潜り、弾丸を撃ちこむ。
さっきまでの戦いで観察した結果、音羽半六の操る糸は大きく分けて2種類だとわかった。1つはすでに張ってある糸、固定された罠のようなもの。2つ目は音羽半六が戦いの中で射出してくる糸、通常ではありえない角度で曲がり俺の行動を封じようとしてくる。この2つ目の糸が曲がる原理を見極めないと距離を詰めるのは危険だ。
わからないなら調べればいい。実験だ。
俺は木の陰から飛び出すと音羽半六が狙いやすいように刀を持った腕を振り上げ、あえて大きく振ってみる。思った通り腕に向かって糸が飛んでくる。よく見ると糸の先端には針のようなものがついているらしい。あれが重りの役割を果たすとともに、糸を木なんかに固定する役割を果たしている。
俺は腕を素早く下げる。それを追うように糸も軌道を変える。何故だ、何故糸が曲がる? それは糸の先端を見てもわからなかった。俺が見たのは音羽半六の指だ。両手の計10本の指に糸が結ばれており、自由自在に糸を操る。今放った糸は右手の中指から射出された。だが糸が曲がった瞬間、動いたのは左手の人差し指。
「なるほどね」
別の糸を射出した糸と交わらせて軌道を変えている。これだけたくさんの糸がある戦場で今音羽半六の指とつながっている糸が10本あり、それを使って射出した糸を曲げていた。
「神技だ……」
本当にそんなことができるのかと思える程の高等技術。そもそもどの糸がどの指に繋がっているのか、俺にはさっぱりわからない。音羽半六はそれをすべて理解し、正確に糸を操っている。
理屈はわかった。そして攻略法も。まずは音羽半六に繋がっている10本の糸をすべて見つけて切る。
俺は距離を取ったまま、戦場を駆ける。糸が飛んでくることを確認し、方向転換。糸は俺を追う。その糸がどこで曲がったかを確認。その曲がった位置にある糸を切った。それを繰り返す。
「ほう、見破りましたか、我が術を。だとしてもあなたが私に勝てる道理はありません!」
「どうだろうな! これで、10本目ッ! これで全部だ、お前が操れる糸は!」
半六が操る糸を10本、全て切り終えた。俺は糸を掻い潜り一気に距離を詰める。
半六が自分の中指を親指で抑える。その間には針が挟まっている。何度も見た、糸を射出する体勢だ。
飛んでくる針と糸を避ける。次々と飛んでくる針と糸をすべて避ける。そして8発の射出をすべて掻い潜ると俺は一気に飛び出した。
「8回だろ。糸の射出できる回数。他の指を親指で抑えて放ってたからな。すぐわかったぜ!」
10本の糸と8本の射出する針はすべて封じた。もう半六に俺を迎えうつ術はない。
「いつ私が糸を10本しか操れないと言いましたか? 全く、嘆かわしい」
底冷えするような声が耳に届く。背中に悪寒が走る。音羽半六が両手を交差するように強く引く。
「がッ!?」
俺は足先から首まで一瞬にして拘束される。続けて音羽半六が足を引くと何かが音羽半六の前に移動してきて、空中で固定される。それはさっき俺から奪ったスナイパー。音羽半六はスナイパーを丁寧に持ちあげると、俺に向けた。
「それではさようなら。あなたは素晴らしい侍でした」
音羽半六が引き金に指をかける。まずい、まずい。マジで死ぬ。
俺はわずかに動く左足の指に俺を縛っている糸を引っかけ、力の限り引っ張った。
「ふ、無駄な足掻きは見苦しいだけですよ」
音羽半六が俺を縛る糸を持ち直す。持ち直す最中の一瞬力が弱まるタイミング、俺はそこを見逃さない。左手で腰のリボルバーを抜き、音羽半六に向けて一発弾丸を放つ。弾丸は音羽半六の太ももを貫通し、半六の表情が苦悶に歪む。
体に糸が食い込むのに耐えながら俺は刀を振るう。この機を逃せば俺はこの拘束から逃れられず死ぬ。
「”乱之太刀”ッ!!」
糸が空中に舞う。音羽半六の表情が今度は驚愕に変わる。
服はところどころ千切れ、体中から血を流す俺と足を弾丸が貫通した音羽半六が至近距離で睨み合う。もう音羽半六に手札はない。今度こそ、音羽半六にこの窮地を脱する術はない。
「俺の勝ちだ。ギリギリだったがな」
音羽半六に刀を突きつけ、俺はそう言った。本当にギリギリの戦いだった。全身を拘束された時は本当に死んだと思った。
「誰の命も取るつもりはない。武器を捨てて城を明け渡せ、音羽半六」
「……どの道、私がいなければこの城は守り切ることはできない。城を渡すのは仕方がない。ですが伊賀衆が黙って捕虜になると、本気でそう思っているのですか。全く、嘆かわしい」
「黙って捕虜になる以外の道がお前らにあると思うか?」
徹底抗戦するなら必ず織田軍が勝利する。その場合両軍に多くの死者が出ることになるが、それでもそれに応じる覚悟はある。
「あなたも忍の端くれならわかるでしょう。伊賀忍者は何があっても捕らえられてはならない。捕らわれるくらいなら死を選ぶ」
「お前ッ!」
音羽半六は懐から短刀を取り出した。自害するつもりか……!
音羽半六は短刀をそのまま空中に放り投げた。
「は?」
俺の視線は反射的に短刀を追う。それが間違いだと気が付いた時には音羽半六は糸を使って空中にいた。
「総員、撤退! 城を捨て各々柏原城を目指せ!」
音羽半六は城の中にいる人たちに向けてそう叫んだ。すると中にいた伊賀忍者たちが次々と城壁を飛び越え、森の中に入っていく。鎧武者たちが森の中を全力で逃げる忍者を追いかけて捕まえられるわけがない。追撃など、不可能だった。
「まだ私1人が敗れただけ。この戦いは伊賀衆が必ず勝利する」
音羽半六はそう言い残すと、姿を消した。
ひとまず、平楽寺に敵はいなくなった。こちらの犠牲はごく僅か。敵も大した犠牲は出ていない。俺の体はボロボロだが、大勝利と言っていいだろう。兵たちは何が起きたのかわかっていないが。
「長可! 勝鬨だ!」
「ハ! えい!」
「「オオォォ!!」」
「えい!」
「「オオォォ!!」」
織田軍が勝鬨をあげる。伊賀の三大拠点のうち1つ目、平楽寺、落城。織田軍の伊賀侵攻開始からわずか3日目の出来事だった。




