第4話_嵐の夜に
一週間、何も来なかった。
警戒を続けたまま、来なかった。
だがエルフの子がよく喋るようになってきたことだけは変わった。水の揺れで返事ができる俺に向かって、採集の報告をする。
「今日は茸が少なかった」とか「森の奥でおかしな足跡を見た」とか。一週間前、壁際で膝を抱えて震えていた子とは別人のようだ。
だが今日——空の気配が変わった。
西から重い雲が流れてくる。風向きが変わり、空気が湿った。鳥の声が止んだ。
嵐が来る。
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日が沈む前から、雨が降り始めた。
エルフの子は夕方の採集に出ようとして、入口の外を見て、足を止めた。横殴りの雨が洞穴の口まで吹き込んでいる。今夜の食料は諦めた様子で、奥の空間に戻ってきた。
「……嵐だ」
水場に向かって、エルフの子が言った。
俺は揺らした。そうだ、の意味で。
「ひどくなりそう?」
二度揺らした。わからない、の意味のつもりだ。
「そうだよね、わかんないよね」
だいたい通じているらしい。この一週間で、水の揺れ方のパターンをある程度読み取れるようになってきているようだった。一度は肯定、二度は否定か曖昧、連続した細かい揺れは「そうじゃない」の意味として定着しつつある。不便ではあるが、ないよりはるかにましだ。
夜になって、嵐は本格的になった。
雷が鳴るたびに、エルフの子が小さく肩を揺らした。雷が苦手なのかもしれない。俺は光を少しだけ明るくしてやった。大した意味はない。暗いよりましかと思っただけだ。
こんな天気に外を歩く者はいない。今夜は静かだ。
そう思い始めていた頃、嵐の音に混じって、足音がした。
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七人だった。
これまでの追手とは人数からして違う。しかしそれ以上に、俺の感知が引っかかったのは、七人の中に一人だけ、明らかに質の異なる気配があることだった。
六人は松明を持ち、武器を帯びた雑多な装いだ。先週来た連中と変わらない。奴隷狩りの雑兵だろう。だが七人目が違った。松明は持っていない。雨の中でも背筋が伸びている。薄手の外套を纏い、腰には剣ではなく短い杖のようなものを一本だけ差している。他の六人が入口の前で口々に何かを言い合っているのに、その一人だけは黙って洞穴の中を見ていた。
見ている、というより、読んでいる。そういう気配だった。
他の六人が先に入った。七人目は最後尾から、ゆっくりと続いた。
俺はゴブリン七体に指示を出した。前衛二体を一番の落とし穴の手前に。残りを奥に温存する。先週改良した段差もある。落とし穴の底面傾斜もある。
問題ない、はずだった。
六人が通路に踏み込んだ瞬間、七人目が静かに言った。
「止まれ。左に穴がある」
雷鳴に負けない、落ち着いた声だった。
先頭の男が松明を向けた。砂で偽装した落とし穴が、段差の手前に口を開けている。男は一歩引いた。
見破られた。
「右の壁沿いに進め。穴の縁を踏まなければ通れる」
的確だった。落とし穴と壁の間には確かに三十センチほどの隙間がある。俺が計算に入れていなかった部分だ。横向きに進めば通り抜けられる。
六人が壁沿いに滑り込み始めた。
俺は前衛ゴブリン二体に飛びかかる指示を出した。
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戦闘はこれまでで一番消耗した。
六人は数が多いうえ、七人目の指示で動きが統制されていた。ゴブリンが一体飛びかかれば二人がかりで対処する。落とし穴に引き込もうとすれば仲間が反対側から押さえる。これまでの個人行動とは根本的に違う。
七人目は戦闘に参加しなかった。通路の後方から観察し、時折指示を出す。「そのゴブリンは右から回り込む」「床の変色に気をつけろ、罠だ」。
こいつはダンジョンに慣れている。
俺は緊急でゴブリンを二体追加生成した。20P消費。それと、二番の落とし穴を六人が密集したタイミングで一気に開いた。二人が落ちる。残る四人が乱れた隙に、後衛のゴブリン三体を通路に出した。
混戦になった。
松明の火が揺れる。怒号と獣の唸りが混じる。落ちた二人は這い出せずにいる。ゴブリンたちが数の利で押し込んでいく。
その間、七人目は動いていた。
全神経を前衛の戦闘に注いでいた俺が気づいたとき、七人目は壁に片手を添わせながら、静かに奥へ歩いていた。
三番の落とし穴の手前まで来ていた。
奥の空間まで、あと十五メートル。
エルフの子がいる場所まで。
俺は即座にゴブリン二体を奥へ振り向かせた。同時に三番の落とし穴を開いた。七人目は難なく段差で止まった。穴の向こうを一瞥し、ゴブリンが来るのを確認した。
七人目は一歩も退かなかった。
腰の杖を抜き、軽く振った。次の瞬間、ゴブリン二体が見えない力に弾かれて壁に叩きつけられた。
魔法だ。
俺は後衛から残っていた三体を加え、五体で取り囲む形にした。七人目は杖を構えたまま、五体のゴブリンを無言で見渡した。
その顔に、驚きがあった。
感心に近い種類の、驚きだ。
「……なるほど」
七人目はぼそりと呟いた。そして、一歩引いた。後退を選んだ。
入口の方から「退け、退けっ」という怒鳴り声が上がった。前衛の六人が崩れていた。落とし穴に落ちた二人を引き上げながら逃げ始めている。
七人目はゴブリンたちを引き離しながら、乱れた様子もなく後退した。
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全員が洞穴の外に出た。
雨の音が戻ってきた。
DP獲得を確認した。雑兵六人で300P、七人目の実力はDランク相当らしく150P。総獲得450P。緊急生成に使った20Pを差し引いてネット430P。
DP残高:10,620P。
数字だけ見れば悪くない結果だ。だが七人目のことが頭から離れなかった。
魔法を使った。ダンジョンの罠を一瞥で看破した。戦闘に参加せず後方で指揮を取った。これまで来た連中とは完全に質が違う。奴隷狩りの仲間ではない。
別の組織から雇われた専門家か、あるいは最初から別の目的を持っていたか。
外から、声が聞こえた。
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「面白い洞穴だ」
七人目の声だった。他の六人ではなく、洞穴の奥へ向かって言っていた。
「ただの魔物の巣じゃない。統制されている。意志がある。……マスターがいるな」
洞穴の中に、声が染み込んだ。
エルフの子の体が、固まった。
「エルフの娘、中にいるだろう。生命魔法の残り香でわかる。今日は引き上げる。だが次は『コア解体師』を連れてくる。コアを処理して、マスターも一緒に回収する。それだけのものがここにはある」
足音が遠ざかった。
雨の音だけが残った。
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しばらく、洞穴の中は静かだった。
雷が遠くで鳴った。
負傷したゴブリンが三体、通路から引き上げてくる。今夜中に回復するか微妙な傷もある。
エルフの子は立ち上がっていた。
いつのまにか、コアのある岩盤のそばまで歩いていた。岩壁の前で立ち止まり、手を伸ばして、表面に触れた。
小さな手のひらが、冷たい岩に当たった。
「……コア解体師」
エルフの子の声は低く、震えていなかった。
「コアを壊したら、あなたも消えるんでしょ」
水を揺らしたかった。でもできなかった。水場が遠く、それより先に、何かが俺の中で動いていた。
「わたしが、ここにいる限り」
エルフの子が岩壁に額を寄せた。
「絶対に、壊させない」
その瞬間だった。
俺の内部の、どこか深いところで、何かが動いた。
権能ではない。DPの増減でもない。ゴブリンへの指示でも、地形の変化でも、光の制御でもない。それら全部とは別の、もっと根元に近い部分で。
誰かと、繋がろうとする何かが、動いた。
それが何なのか俺にはわからなかった。一週間この洞穴にいて、一度も感じたことのない感覚だった。権能の一覧のどこにも、対応する説明はない。
エルフの子は岩壁から額を離した。手を離した。また壁際に戻って、膝を抱えて座った。頬が濡れていた。雨ではない。雨は洞穴の中まで届いていない。
嵐は夜通し続くだろう。
七人目の男はまた来る。「コア解体師」とやらを連れて。コア解体師が何者なのか、俺にはまだわからない。名前からすれば、コアを壊す専門の人間か。あるいはコアに干渉する魔法を使う者か。どちらにせよ、今の俺の防衛力で対処できる相手かどうか、確信が持てなかった。
それよりも。
俺の中で動いたあの感覚が、嵐の音の中でも静かに、確かに、振動し続けていた。
何かが始まろうとしていた。
俺にはまだ、それが何なのか、わからなかった。
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DP残高:10,620P
配備戦力:ゴブリン×7体(うち3体負傷・回復中) 落とし穴×3か所 宝箱×1
本日の収支:+450P(侵入者×7撃退) 緊急生成:-20P 純増:+430P
現在のダンジョン規模:1層 推定ランク:E以下
警戒事項:魔法使い(Dランク相当)が洞穴の性質を看破。「コア解体師を連れてくる」と宣言。
未解明:コアの深部で生じた不明の「共鳴」。
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次話は明日の17:00に投稿します。
1日1話投稿の予定になります。
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