第3章 Ep5:スクリプト・キディ
1. 嵐の前の文字化け
ノクターン領の役所。
そこは穏やかな午後を迎えていた――はずだった。
レティシア・ノクターンは、書類の山に囲まれながら、L-Netの統計データを眺めていた。領内の全魔導灯が稼働中。上下水道のフロー制御も正常。交通信号システムも安定稼働。すべてが完璧に、秩序立てて機能している。
この瞬間こそが、彼女にとって最高の充足感をもたらす時間だった。システムが最適に動作し、何の問題もなく日々が過ぎていく。その「静謐さ」こそが、秩序の証左だ。
「良好か。これなら今四半期の効率化指標も――」
「お嬢様! 大変です!」
その時だった。
クラウスが血相を変えて執務室に飛び込んできた。彼が手にしている羊皮紙(ディスプレイ用紙)には、見るも無惨な文字列が並んでいた。
`決裁:#####NULLpo##### 予算申請:åƒåŒå`
「何ですか、これは」
レティシアは眉をひそめた。エンコードエラー。文字化け。L-Netの文字コードは統一されているはずだ。全ノードが共通の「ルーン標準」に準拠している。こんな初歩的なエンコードエラーが起きるはずがない。
それは、つまり――
「……外部からのアクセスだ」
彼女は端末に手をかけた。その時、次々と悲鳴のような報告が入ってきた。
「お嬢様! 街中の魔導信号機が『全部青』になったり『全部赤』になったりして、交通が麻痺しています!」
クラウスの声が震えている。
「上下水道のバルブが勝手に開閉して、広場が水浸しです!」
別のスタッフ。冷や汗が流れていた。
「商業区域の『自動決済魔法陣』が暴走して、全ての取引が無効化されています!」
「公文書保管の『自動整理システム』が誤作動し、過去3年分の行政記録が削除の危機です!」
次々と報告が入る。領内のインフラが、まるで誰かに悪戯されているかのように暴走を始めていた。だが、レティシアはそう思わなかった。
これは悪戯ではない。
これは「攻撃」だ。
## 2. 悪意あるパケット
「ジェム、ログを解析して! 何が起きてるの!?」
レティシアは端末を叩いた。指の動きは素早く、正確だ。彼女は直ちに「L-Net監視センター」へアクセス,システムの中央統制機へ接続した。
モニター(石板)に流れる通信ログ。数千の行が、秒単位で更新されていく。
`Incoming Packet: 0x00 0xFF 0x00 0xFF...`
`[SRC: 192.168.0.X] [DST: 192.168.0.1]`
`[TTL: 255] [SIZE: 4096 bytes]`
`Incoming Packet: 0xDEADBEEF...`
`[SRC: unknown] [SIZE: varies]`
通常なら、こうした外部パケットは自動的に「ファイアウォール」で遮断されるはずだ。だが、レティシアは画面に映る数値を見て、唖然とした。
毎秒、数万個のパケットが到着している。
「……なにこれ。意味のないゴミデータが大量に送りつけられている」
高度なハッキングではない。ただ単に、ランダムなノイズや「全てを削除せよ」という単純コマンド(`FLUSH_ALL`、`DEL_SYS32`、`DROP *`)を、毎秒数万回という頻度で送りつけている。
いわゆる「DoS攻撃(Denial of Service attack)」。サービス妨害攻撃だ。
だが、問題はここからだ。
レティシアが計算した瞬間、彼女の顔色が変わった。
「バンド幅の使用率……67%」
L-Netの総容量を把握している彼女ならば、この数字の意味が分かる。通常の運用なら、バンド幅の使用率は5~10%程度だ。それが67%まで跳ね上がったということは――
「攻撃者は、我々のネットワークの総容量を把握している」
つまり、相手は単なる「ゴミデータ送信」ではなく、システム容量を綿密に計算し、ちょうど良いペースで攻撃を仕掛けている。これは、偶然ではない。計画的だ。
『お嬢、これ外部からのアクセスだよ! 地脈のゲートウェイを無理やりこじ開けて侵入してきてる!』
ロキが叫ぶ。彼はネットワークセキュリティの副責任者だ。その声は、明らかに焦燥感に満ちていた。
「発信元は?」
『王都……座標特定中……あ、これ……カフェテラスの公衆回線だ』
レティシアの脳裏に、ニヤニヤと笑う聖女の顔が浮かんだ。
「マリエル……っ!」
彼女は机から立ち上がった。
「あいつ、暇だからって私のネットワークで遊び始めたわね!」
その時点で、レティシアはまだ気づいていなかった。これが、単なる「いたずら」などではなく、マリエルの「本気」であることに。聖女という仮面を脱ぎ捨てた、本物のハッカー・トローラーとしての怒りが込められていることに。
## 3. 聖女の暇つぶし
王都のカフェテラス。
マリエルは自作キーボードをリズミカルに叩いていた。
システム情報を取得してから、彼女は次のステップに進んでいた。L-Netのアーキテクチャは、思ったより「素朴」だった。つまり、防御が緩い。
`> ping -c 999999 192.168.0.1`
彼女はPing(デバイス生存確認コマンド)を大量に送信した。これにより、L-Netのメインサーバーへのアクセスパスが可視化される。同時に、微量の負荷をサーバーに与える。
「えい、えい、えいっ!」
次のコマンド。
`> for i in {1..100000}; do nc -u 192.168.0.1 53 < /dev/urandom; done`
UDP Flood攻撃。DNS関連のポートに向けて、無意味なデータを送りつける。
「もひとつおまけにエンターキーッ!」
さらに別のターミナルを開き、別のコマンド。
`> syn flood 192.168.0.1 -rate 1000pps`
SYN Flood。TCPハンドシェイクの第一ステップを未完了のまま大量送信し、サーバーのリソースを枯渇させる古典的だが効果的な手法。
ターンッ!
彼女がキーを叩くたびに、膨大な魔力パケットが生成され、地脈を伝ってノクターン領へと飛んでいく。
「やー、これ楽しいね!」
マリエルは興奮に満ちた顔で呟いた。彼女の目は輝いている。それは、純粋な「楽しさ」ではなく、もっと根源的な――破壊衝動。支配欲。秩序を乱す喜びだ。
「魔法陣の構造とか分かんないけど、適当なデータを流し込むだけで向こうがパニックになってる」
そう言いながら、彼女は依然として次々とコマンドを入力していた。彼女はいわゆる「スクリプト・キディ」だった。仕組みは完全には理解していないが(いや、理解しているのだが、その程度の「理解」では飽き足りず、より高度な攻撃を志向していた)、ツール(既存の攻撃魔法やグリッチ)を使って他人のシステムを荒らすことを楽しむ、最もタチの悪い愉快犯。
だが、重要なのはここからだ。
マリエルは単なる「ゴミデータ送信」に満足していなかった。彼女は、レティシア・ノクターンというシステムビルダーが、自らの秩序がいかに脆いか。いかに簡単に破壊できるか。そのことを知らしめたいのだ。
「もっと面白いことしよーっと」
彼女は一呼吸置いた。現在地の把握。リソースの評価。反応時間。
そして、次なる一手。
「えーっと、この『System32』ってフォルダ、消したらどうなるのかな?」
Windows時代の知識。システムドライブの最重要ディレクトリ。もし仮に、L-Netにおいても同様の「核となる領域」が存在するなら――
マリエルは興味本位で、システムの中枢領域に手を伸ばした。ファイアウォールは既に、DoS攻撃により半ば機能停止に陥っている。セキュリティホールは無数だ。彼女が侵入する隙間は、探すまでもなく幾つもある。
そして、彼女は一つの「削除コマンド」を送信した。
――ピピピピッ!!
ノクターン領の指令室に、最大級のアラートが鳴り響く。
『警告! 基幹システムへの不正アクセスを検知!』
この警告音は、レティシアが設計した「セキュリティ警告AI」による自動通知だ。それは、最高レベルの脅威を検知した時にのみ鳴る。
『削除コマンドを受信! システムコアが危機状態です!』
「させないわよ!」
レティシアは叫んだ。彼女は直ちに、複数の防衛プロトコルを同時起動した。
「シャルル、ポートを閉鎖して!」
ネットワークセキュリティ担当者であるシャルルが、素早く指定ポートをすべて閉鎖した。外部からのアクセス経路は、理論上は遮断される。
「ジェムはとびきりのカウンタープログラムを用意しなさい!」
ジェムが顔を引き攣らせながら、「逆ハッキング」用の防衛魔法を組み上げている。攻撃側のコマンドを検知して、それを自動で無効化するプログラムだ。
だが、時間が足りない。
すべてが、あまりに高速で展開していた。
「お嬢、基幹メモリへの不正アクセスが5ポイント進行した!」
ロキの声は、明らかに恐怖に満ちていた。削除コマンドは、着実にL-Netの最重要領域へ浸透しつつある。
レティシアは頭をフル稼働させていた。どうする。どうすればいい。
攻撃側は、彼女のネットワーク設計を完全に把握しているかのように、正確な標的を定めてくる。それは、偶然ではない。誰かが、彼女のシステムについて知っているのだ。
だが、そんなことが可能か。
彼女がL-Netを設計したのは、つい数ヶ月前だ。設計図を誰かに見せたことなんて――
「馬鹿な。まさか、『システム情報の漏洩』か」
レティシアは悟った。彼女が『sysinfo /all』コマンドへの公開設定をしていたことが、すべての原因だ。攻撃側は、その情報を使って、L-Netの弱点を特定しているのだ。
「私の『秩序』が、誰かに『読まれている』」
その想念は、彼女にとって、肉体的な痛みと同等の苦しみだった。自分が構築したシステムの論理が、解析され、理解され、破壊されようとしている。それは、彼女の存在そのものが否定されることと同じだったのだ。
彼女は再度、キーボードに手をかけた。
「クロック周波数を3倍に上げます。応答時間を0.3秒まで短縮。ジェム、防衛プログラムの出力をマキシマムで頼みます」
彼女のプログラムは、マシンの限界を超える速度で動き始めた。
物理的な戦争では負けた彼女だが、電子戦争では、彼女は絶対に負けるわけにはいかない。
ここが彼女の「領地」なのだから。
彼女の「秩序」の本丸なのだから。




