第3章 Ep1:ドリルなき世界と通信革命
1. 喪失と転換
「ない……ないわ……」
3度目の入学式の朝。朝焼けが天井を赤く染めている。
レティシアは鏡の前で呆然としていた。
彼女の象徴であった「縦ロール(ドリル)」が、跡形もなく消え去り、サラサラのストレートヘアになっていたのだ。
まるで何か大切な武器を失った戦士のように、レティシアは鏡に映った自分の姿を認識できずにいた。髪の毛が優しく波打つだけの、何の威圧感もない顔。それは彼女自身ではない——そう感じた。
『お嬢様、ドンマイドンマイ』
ロキが軽い口調で慰める。その声は聞こえても、心には届かない。
『運営(神)のパッチノート読みましたけど、「回転機構を用いた物理干渉の禁止」って書いてありました。つまり、ドリルもタービンも全滅です。あ、あと遠心分離機も浮遊装置も、回転系は軒並みアウト……』
「私の……私の……」
レティシアは腹の奥から力が抜けるのを感じた。膝がくずれ、床に座り込む。
ドリル。それは単なる髪型ではない。
レティシアにとっての「ドリル」とは何だったのか。それは回転する力の象徴、物理世界を切り裂く力学の化身だった。
彼女の1周目から2周目を通じて、ドリルは魔導産業革命の心臓部だったのだ。
回転する遠心力。大地を貫く穿孔能力。それは攻撃でもあり、防御でもあり、そして建設でもあった。
その全てが、一文のパッチノートで消え去ってしまった。
「私のロマンが……! 私の工学哲学が……!」
レティシアは両手で顔を覆った。
だが、その瞬間、指の隙間からちらりと見えた鏡像が、何か奇妙に輝いて見えた。
ストレートヘアに隠れた、レティシアの本質。
それは「回転」ではなく「情報」だったのではないか。
その思いが一閃する。
「いいえ……泣いている場合じゃない」
レティシアはゆっくりと顔を上げた。
彼女の瞳から涙は消え、その代わりに冷徹なエンジニアの光が燃え上がる。
これはゲームオーバーではない。新しいステージへのリセットだ。
回転が禁止されるなら、どうする?
そういった問いへの答えは、既に彼女の中に存在していた。
「ハードウェア(物理)がダメなら、ソフトウェア(情報)で戦うまでよ」
彼女は勢いよく立ち上がり、窓を開け放った。
冷たい朝風が、レティシアの新しいストレートヘアを優しく揺らす。
窓からは王領ノクターンの全景が見える。
2周目で彼女が整備した「舗装された道路網」が、放射状に広がっているのが見える。
それは物理的なインフラ、実体のある血管だ。
だが、その血管の中を流れるべき血液(情報)は?
「『通信』よ。『通信線路』。マリエルのバグ汚染は、情報伝達の遅れにつけ込んで拡散する。伝令が馬で数時間かけて町から町へ移動する間に、バグは数百体に増殖する。だったら、光の速さで情報を共有し、バグを未然に防ぐネットワークを作ればいい」
レティシアは手帳に走り書きを始めた。
その手は既に震えていなかった。
むしろ、新たな何かに向かって震えていた——それは絶望ではなく、ワクワクという名の戦慄である。
## 2. 地脈=光ファイバー説
城の書斎へ。
レティシアは羊皮紙、つまり紙ロール数巻と木炭、そして計算用の石板を広げた。
書斎のテーブルは、瞬く間に図面の海と化す。
「この世界には『地脈』という魔力の通り道があるわね」
彼女はまず基本から始めた。
『はい。大地のマナが流れる血管のようなものです。この領内だけでも、主要な地脈が13本あります』
城の専属アドバイザー、ジェム・クリスタルが補足する。
「正確には『主要』が13本。支流を含めると、おそらく数百本は存在するはずよ。そして、これらの地脈は——」
レティシアは指で空中に複数の点を打った。
「——どこかで交差している。それが『ノード(結節点)』だ。魔力の溜まり場。それは言わば『ルーター』のようなものよ」
『ルーター……でしょうか?』
『それってコンピュータの用語では……』
二人の部下が首を傾げる。
「そう。この世界は『アナログな魔法』に支配されてきた。だけど、もしも地脈を『光ファイバー』のように使えば? 単純に魔力を流すだけじゃなく、『変調した魔力波』を流す。つまり、デジタル信号として情報を乗せるのよ」
レティシアの目が光った。
彼女は羊皮紙に急速にスケッチを描き始めた。
複雑な回路図、信号波形、データ構造。
もし誰かが見たら、完全に異世界の言語に見えるだろう。
だが、レティシアの手は決してぶれていない。
「前世の知識、全て活用する。TCP/IPプロトコルの概念。パケット交換方式。ヘッダー情報。チェックサム。オーバーヘッド効率。全部を、魔法体系に適応させるのよ」
彼女は一息つき、テーブルの中央に一枚の紙を置いた。
そこには大層な字で「L-Net計画」と記されていた。
「名付けて『L-Net』計画。まずは、領内の地脈結節点に『中継サーバー』となる魔導石碑を設置する。これは単なる石碑ではない。地脈を流れる魔力波を『受け取り』『解析し』『増幅し』『転送する』知的な装置だ」
『つまり……領内の全ての地脈が一つのネットワークに繋がるということですか?』
「ええ。領内全域をカバーする『魔導イントラネット』を構築するのよ。想像してみて。王都の役人が書いた書類が、瞬時に地方の行政官に届く。遠く離れた村の火災情報が、同時に全領に共有される。マリエルのバグ発生を、発生地で『検知』し『隔離』できる。そうすれば、感染拡大は未然に防げるわ」
レティシアは不敵に笑った。
物理兵器を奪われた? くだらない。
ドリルが禁止された? そんなことは些細だ。
彼女が失ったのは、単なる「道具」に過ぎない。
しかし、彼女が持っているのは「思想」だ。
前世で培ったインフラエンジニアとしての魂。
それは「道具」など必要としない。
「マリエル。貴方が『バグ(無秩序)』の力で、この世界を『混沌』へ導こうというなら——」
レティシアはテーブルの上の設計図を両手で抱き、胸に引き寄せた。
「私は『論理』の力で、世界を『秩序』へ導く。完膚なきまでに、貴方のバグを『パッチ』してあげるわ。『情報戦』では、私の方が上なのよ」
その時、朝日がちょうど窓を通して彼女の顔を照らした。
ストレートヘアが金色に輝く。
もはやそこに悲壮感はない。
そこにあるのは、新たなステージへ立ち向かう者の覚悟。
「3周目の戦いが幕を開ける。爆音と硝煙の戦場から、静寂と電子(魔力)の海へ。ドリルを失った悪役令嬢は、新たな武器を手に入れた。それは『世界編纂』の力である」
その夜から、レティシアの領ノクターンでは、工事が始まった。
地脈のノード地点へ向かう荷馬車の列。
巨大な黒曜石の運搬。
そして、彼女自身が現地で指揮する、魔導回路の彫刻作業。
一つの革命が、静かに、だが確実に、この世界に根を張り始めていた。




