第百話 ウザいんだよ ~それでも少女は憧れる!~
殺してやる。
それは、少女が目覚めてもはっきりと意識できる感情だった。今まで少女は、殺意は怒気の延長線上にある感情だと考えていたが、それが全く違うものだと初めて知る。
怒りは、確かに殺意の契機となりえる。しかし少女は、生まれて初めて自覚した感情の中に怒りはなかったのだ。
「…………」
落ち着いて、ただ冷静に。
猛り狂う想いが消えて、残ったものがそれである。
明確な意思に導かれて動く体がまず行ったのは、寝床から抜け出して時間を確認することだった。
「…………、……遅刻だっ……!」
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
大慌てで支度をすませた少女、廉城帷は学校を目指す。すでに遅刻も確定の時間、そうとあらば少女も焦ることなく歩いて行くだけだ。
歩きながらも考えるのは夢の中で出会った敵、エンジーについてだった。
彼女へ有効と思われる攻撃は少なく、手練れであると思えたプレイヤーらの攻撃を意に介さない恐るべき防御力を見せた。
そんな彼女へ唯一、傷を負わせることができたのは少女の持つ大剣の一撃だ。エンジーとの戦いでは夢中だったために気づかなかったが、思い起こせば彼女の腕に飽きたらず周囲の建物をも斬り裂いて見せたのではないか。
使い方は不明だが、その刀身に光が宿るとき、驚嘆すべき力を発揮する。
(フューと相談して、あの力の出し方を勉強しないと)
そしてもうひとつ、炎の力を持つ魔法剣。
初心者支援ギルド、〝世界の剣と盾〟に所属するヘイズの所作を思えば、危険極まりないととれるほどの魔法を秘めているのではないかと推察できる。
その程は不明だが、ギルドを同じくするカンナに連絡すればはっきりするだろう。
(あたし、変なこと考えてるのかな?)
敵と認めたプレイヤーへの有効打を模索し、準備する。それも相手を亡き者とするために。
それは、間違いなく殺人だ。明確な殺意をもっての行動なのだ。
(でも、間違ったことなんかじゃない)
あれの、人々を貪り食らう姿を、トバリは見ている。
あれの、魔王と忌むべき悪意を、トバリは体感した。
だから帷は考えるのだ。これ以上の災厄を引き起こさないために、魔王を討ち倒す方法を。
(それをするのはトバリである必要なんてない。だけど、帷が倒したいと思ってる)
ヒーローになりたい。
誰に否定されても燻り続けるその想いが原因かと考える。
それもあるのだろう。しかし少女は気づいていない。自らの中に燻るもうひとつの想いを。
それは怒り。自らを抑え込もうとする者への怒り。
少女自身ですら気づかぬその灼炎の如き激しい感情を、愛して止まぬ者こそがエンジーであると、知る由もなかったが。
「…………!」
校門を正面から潜ることなどできず、裏門から校内へ向かう帷。時間を確認しようと腕時計に視線を下ろした時だった。
誰かを責め立てる声。すぐにそれが、少女の旧友を謗る言葉だとわかり身を凍らせた。
頭に浮かぶのはいつもの光景だ。三名ほどの上級生に囲まれて、罵倒や殴る蹴るの暴行を受ける糸田詩織の姿。そして、なにもできない自分が通り過ぎる。
そう、いつもの光景だ。
――だって君は変わろうとしてないじゃない。
不意に蘇った言葉に、背筋を寒気が走る。
それは呪詛の如き言葉だった。自らが何者にも成れず、何者にも歯向かえなくなるような、そんな言葉。
だからこそだろうか、帷の中が熱くなったのは。
「……ヒー……ロー……、ヒーローに、なるんだ!」
校内へとつながる扉を素通りし、帷は校舎裏に向かう。その先ではやはり、いつもの光景があった。生意気な目つきの詩織を叱責する上級生、おそらくは見張りかその一人と目が合った。
だが、彼女は帷を問題外としたのか、手元の携帯電話に目を下ろすだけで、残りは誰も気づきもしない。
「あのっ!」
帷の声は掠れていたが、彼女らの視線を引くには十分だった。警戒と威圧、とても友好的とはいえない視線を向けられて思わず怯んだ少女に、何の用だと上級生の一人が声を上げた。
「そ、その、先生……が……、さっき、近く歩いてたから、……その……」
言葉を続けるほどに小さくなる。
声の大きさと同じくして身まで縮こまる帷に、彼女らは顔を見合わせたが言わんとすることを理解したのだろう。先生に見られる前に退散してほしいという言葉を。
見え透いた嘘、というには判断が難しいところだ。事実、帷は何度も詩織を見捨てているのだから。
「どうする?」
「あー、いいよ、もう。ほら、あんたも行きな」
「詩織、また後でな」
腰を蹴りつけられて尻餅をついた詩織を笑い、端に寄る帷へわざとらしく肩を当てて去って行く。少女は、彼女たちを見送ってスカートの土埃を払う旧友に近づいた。
安否を気遣う様子の帷を睨みつけて、詩織は鬱陶しいとばかりに舌打ちする。
「なんだよお前。ウザいんだよ」
はっきりとした、敵意を持つ言葉に帷は思わず胸元を抑えた。今まで見捨てていた距離では決して聞くことのなかった否定の意志を直に感じることとなったのだ。
せっかく庇ってやったのに、助けてやったのに。
そんな想いを抱くことも、昔の自分を思い出して惨めにさせた。
(きっと、フューの言葉は正しいんだ。正義の味方なんて、誰も求めてなんかない)
本当に、そうだろうか。
自らの言葉を否定する強い意志。それは紛れもなく自分の意志だ。
〝正義の味方〟を求めているのは、ここにいると、その胸の中で叫ぶ自分がいる。
「詩織、あたし、頑張るよ。これからは何度だってさ、あたしが気づける範囲でなら、わかる範囲でなら、詩織のこと、助ける」
「あぁ? ……ワケわかんねーこと……ウザいって言ってんだろ!」
詩織に肩を突き飛ばされて、今度は帷が尻餅をつく番だった。
見上げる少女に旧友は鬼のように柳眉を逆立てていたが、やがて舌打ちしてその場を離れた。帷はそれを見つめていたが、立ち上がるとずれた眼鏡を正し、スカートの土埃を払い落とす。
ふと視線を向けた先、窓ガラスに映る自分の顔に帷は驚いた。笑みを浮かべていたのだ。
それはどこか誇らしげで、少女がもう見ることはないと思っていた表情だった。少しだけ震えている足に力を入れて、帷は教室を目指す。
どこかで、なにかが変わり始めている。否、正に今、ここで変えているのだと、それを自覚することが嬉しかった。
(なってみせる、今度こそヒーローに!)
元気良く教室に着いた帷がまず行ったのは、教師から命じられた遅刻の罰を行うことだった。




