182.皇帝の策略
青々とした天蓋より降り注ぐは、老若男女の大歓声。
掘り細工の竜を背に入場した俺に、向けられたものだ。
「よくもまぁこの数日で……」
数十メートル上の高さから外円に向かって階段状に広がる観客席を埋め尽くす人の数は、年に一度の武闘大会にも見劣りしない。
周知されてから数日でよくこれだけの人数を集められたものだと呆れ半分、初めからこうなる事を予測して仕込んではないかという疑い半分で、歓声を浴びていると。
相対して竜と睨み合う虎の威を借りて登場したのは、かつて責任者として作り上げた舞台に自ら上がる全ての原因を作った元凶──現皇帝ゼブラト。
この国最強と言われる男の登場に、俺の時よりも熱の籠った歓声が飛ぶ。早くも会場の熱気はピークに達しようとしていた。
「まずは、逃げずに現れた事に感謝を示そう。よくぞ、この舞台に上がってくれた」
何が、感謝だ。人を脅しておいて、いけしゃあしゃあとよく言えたものだ。
「うるせぇよ。あんたが、それを条件にしたんだろ」
思えば、シルビア達の足止めに合い、俺たちの入国を聞き、帝都より駆け付けた皇帝に会ってしまったのが運の尽き。
俺は、再び帝国の勇者騒動に巻き込まれた。
そもそもの話、帝国の勇者云々の問題は、逆賊アイリスの陰謀と全ての罪を彼女に擦りつけた帝国政府と、勇者選抜試験を勝ち抜き勇者となったシルビアをはじめ、精力的な勇者軍の活動により、解決したはずだった。少なくとも俺の中では、一件落着の案件である。
しかし、帝国側にしてみれば、それはもう一年前の話。
一度収まったはずの火種は、ライクベルク王国の首都を壊滅を受けて再燃した。すなわち、真に強い勇者を、という事である。
しかし、アイリスが引き起こした大事件の全貌は、帝国の辺境にまで伝わるよう、セシルを通じて帝国全土に俺が発信した。それは、彼女の最後を見て、二度とあんな悲しみしか生まない戦いは御免だったからという理由と、帝国の民に誰が生んだ悲劇なのかを知らしめたかったからである。
これが果たして帝国を少しは良い方向に変えたのかはわからない。だが、一つ確かな事として、新たな勇者を求める声は、勇者選抜試験を2年連続で優勝し、力を民衆に示した現勇者シルビアの実力を疑う類ものではなく、魔王を殺せる力を持った勇者を求める声だった。
何を今更と思うかもしれないが、帝国の勇者とは物語にあるような魔王を殺すために過酷な旅をする勇者ではない。
それはあくまで、帝国に属する軍。帝国の平和を維持するために存在するものなのだ。
だから、帝国の歴史上、魔王殺しの偉業をなし得た勇者は誰一人としていない。無論、それが現勇者のシルビアに理不尽に押し付けられようとしているわけでもない。
そう、彼らが望んでいるのは、魔王と戦い、そして奴を殺した事になっている俺が帝国の勇者となり、国を守ることだ。
それが、今回の勇者騒動の発端である。
だが、俺は嫌な事は嫌と言える人間である。もちろん拒否した。
しかし、皇帝も拒否する事は想定済みであったのだろう。条件と脅しをかけてきたのだ。
その条件と言うのが、俺がこの舞台に上がった理由である。すなわち、俺が勝てば勇者の勧誘を帝国は金輪際しない代わりに、負けたら俺が勇者になれ、というものだった。
そして、俺がそれから逃げられないようにする脅しというのが、最悪だ。
「約束しろ。これで、俺が勝ったらもう2度と勇者の勧誘はしてくるな。もちろん俺だけでなく、ディクに対してもだ」
そう、ディクだ。
もし俺が勇者にならないのなら、ディクを王国から奪うために戦争を起こす、と俺は脅されたのだ。
ふざけんなの話である。そんな横暴がまかり通って溜まるものか。
しかし、生憎とこの時代は平和な時代とは言い難い。街の中でも、貴族や身分の高い者の搾取がまかり通り、街の外では盗賊や、魔物。幾らでも理不尽な振る舞いをしてくる奴らがいる。
さすがは、地球とは程遠い、成長途中の文明だ。目的のためなら、手段は選ばない。それで、アイリスという復讐者が生まれたというのに、帝国は何も変わらないらしい。
個ではなく、全を優先するで帝国にとって、他国の平和など微塵も考えてはいないのだろう。やはり俺はこの国がどうしても好きにはなれない。
だから、俺は今ここにいる。
俺の生まれ故郷に戦火を振りまかないために。そして、いい加減鬱陶しいこの勧誘を公衆の面前で撃ち砕いてやるために。
そうでなければ、負ければ即勇者の名を背負わされるクソのような試合に誰が出るものか。
「ここで、今一度確約しよう。私が勝てば其方は我が国の勇者、私に勝てば帝国が勇者選別試験以外に勇者を選定する事を禁じよう」
万にも届く民主の前で、断言した皇帝。その言葉を引き出せた事で、俺が戦う意味も少しは出てきただろうか。
何故なら、セシルと学者陣の協力により、密かに今の宣言は帝国中へと知れ渡ったからだ。負けた時の方便も考えていたのなら、お生憎様だ。何を言おうが、帝国中に知れ渡った今の宣言は取り消させない。
あとは……
『両者、中央へ』
この観衆の目の前で、皇帝の策略を打ち砕くだけだ。
『──始めっ!』
マーレシアさんは貴族から進行役に転身したのだろうか?
ふと、そんな事を疑問に思いつつ、緋炎の柄を握る。皇帝も同じように柄を握り、まだどちらも鞘から抜きはしない。
間合いは踏み込めば1秒と経たず重なるだろう。だが、その1秒が曲者で、この距離で先制を入れようものなら、カウンターをもらい兼ねない。しかし、一方で攻め込まなければ、相手に攻撃を加える事も出来ない。
……なんだか、この緊張感も久しぶりだな。
攻撃をするのなら、攻撃を受ける覚悟をしろとは、誰の言葉だったか。昔、そんな言葉を耳にした記憶がある。
このところ、そんな覚悟を必要としない戦いばかりだったから、昔に戻ったみたいで気分が昂ぶる。
やはり、戦いはこうでなくては。
人の命が懸かった戦いでなければ、相手が自分と同等以上に強くなければ味わえない感覚。
程良い緊張感と、胸を燻る高揚感。
勝ちたい。負けたくないと、俺の中のいつまでも子供の部分が、勝利を渇望する。
それこそが、本来あるべき戦いだ。
自分より弱い相手と戦って得られるものは少ない。
強いて言えば、優越感。それに尽きる。
命を懸けた死闘。
傍観者であれば、それは興奮ものだろう。
手に汗握る戦い。白熱する攻防。そこにしかない、独特の緊張感と高揚感も確かにある。
だけど、やってる側からすれば気が気でない。次の瞬間には、自分の首が飛んでいるかもしれない。日常的にそんな戦いを望む奴は、クレイジーを通り越して、イかれてる。
戦いとは、楽しむものだ。
野球やテニス、数多のスポーツと同じでそこに賭けるのは、命でなくていい。自分のプライド。勝ちを渇望する気概。負けられない理由。それだけで、事足りる。
だが、スポーツとの違いを上げるとしたら、それはリスクの高さ。
他のスポーツでも、どれだけ安全を突き詰めたとしても、必ず事故は起こり怪我や、場合によっては死に至る事だってある。戦いに身を置く者はその頻度が少し高いだけの話だ。
だから、戦いは人の世の中で最も古いスポーツなんだと、俺は思う。
たとえこんな嫌々する事になった戦いでも、これは死合いではなく、試合。スポーツとしての戦いだ。
だから、ついつい負けた時の事を忘れて、純粋に戦いを楽しみたくなってしまうのだろう。
帝国最強とやれる、この機会を。
だからこそ、残念だ。そうあれたらよかったと思えるだけに、本当に残念だ。
どうも今の俺には、楽しむには負けられない理由が大き過ぎるらしい。
「…………」
「…………」
時間が停止したかのような静けさ。自分の鼓動だけが鼓膜を揺らす。
瞬き一つ許されない目は、身じろぎ一つしない皇帝の全体を映す。手には剣の柄。左足を後ろに肩幅に開かれた下半身。考えを読ませない無表情な顔は、まるで鏡の中の自分を見ているようだ。
「…………やめた」
俺は不意に剣から手を放した。その戦いを放棄するような仕草に、皇帝は無表情であった顔を一瞬険しくなる。
しかし、戦いをやめる気などない俺の気迫を感じ取ったのか、それ以上の動きを見せはしない。
だが、そんな待ちの姿勢に入ったところで、意味はない。いつまで経っても、何も始まらないだけだ。
だから、俺は歩き出した。
構えも何もなく、隙を晒して。
皇帝の視線が強まる。警戒している表情だ。
俺が一歩近づく度にその度合いは増し、俺はただ歩いているだけなのに、皇帝は動きを止める。
それは、剣の間合いに入っても同じことで、やがて俺の体がその内側に入り掛けた時、目にも留まらぬ速さで剣が抜刀された。
「瞬動」
踏み込みと同時に、ブレる世界。高速の剣の軌道すらも置き去りにして、俺の体は定められた着地点に向けて超加速した。
頭蓋に纏った局部的魔装が、胸に帝国のシンボルが描かれた白銀の鎧とぶち当たる。しかし、その衝撃は軽く、まるで剣をいなされた時のように頭に乗せた体重が空回る。
その時、目筋を掠めた銀色の軌跡。俺は咄嗟に緋炎をその線上に割り込ませた。
甲高くも、岩と岩がぶつかったかのような重鈍な衝撃音が鳴り、バランスを激しく崩していた俺は、その振り上げるような剣筋に沿って高く跳ね上げられる。
その様は、俺があたかも皇帝の剣をまともに受け吹き飛ばされたかのよう。俺が勇者になる事を望んでいる数多の観客達から、皇帝へ熱い声援が飛んだ。
「来い、氷刃剣」
180度返った視界の中、俺は左手に冷気の刃を召喚。
凍える冷気を纏う氷剣が、超広範囲氷風系魔法を原料として、圧縮精製された。
加えて、魔力量により底上げした氷風系魔法の発動範囲の広さを利用して、わざと分離した一部を魔力加工により、無数の氷鳥へと変えた。
空に浮かぶ俺と地表から見上げる皇帝の視線の間に、割り込んだ小さな氷鳥達。その体の向きを見れば、何をしたのかわからない観客達でも、一体どちら側のものなのかはわかろうと言うもの。
歓声が一瞬にして静まり、ハッと息を飲む声が聞こえた。
「行け」
命じた俺が行ったのは、氷剣をかざす仕草と新たなスキル【魔力噴射】による加速。翼から尾にかけて、氷風を勢いよく噴射して加速した氷鳥達は、全方位から皇帝へと特攻をかました。
「数は、多いな」
こちらを挑発するように序盤を強調して言った皇帝に猛スピードで迫った氷鳥達だったが、極小の動作でひらりとひらりと躱され、無意味にも氷片を散らしていく様は、見ていて哀れにも感じる。
だが、皇帝は無理をして空中戦をやる気はないらしく、氷鳥達を避けてこちらに向かって来る気配はない。もっと言えば、反撃一つしてこない。
まるで俺の方から下りて来いと言わんばかりの待ちの姿勢だ。
おそらくは上空からの遠距離攻撃が何の意味もなさない事を証明し、地上の近接戦に持ち込む算段だろう。見るからにそれが得意そうだが、帝国最強というわりには、慎重さが目立つ男だ。言い換えればそれは、不利な状況でも冷静さを保ち続ける胆力を持ち合わせている事の裏返しでもあるのだろうが、悪いがそれに付き合ってやる気持ちの余裕はない。
ここは一気に勝負を決めさせてもらう。
俺は、体の前で両手の剣を交錯させた。鈍光を放つ灼熱の剣と、氷風を纏う冷気の剣を。
「とっとと起きやがれ!」
収縮された冷気が一気に解き放たれた。俺はそれを竜紋の刀身へと注ぎ込み、手が凍えるのも厭わずに、緋炎を腕ごと凍て付かせた。
だが、それに対抗するように赤熱する刀身。紋様が氷の膜を超えて浮かび上がるまでは、ほんの一瞬の出来事だった。
だが、狙い通りにいったのは緋炎の目覚めまで。
膨れ上がった熱は収まることを知らず、灼熱と極寒のせめぎ合いの果てに、紅と蒼白の渦を生む。渦を構成する激しい寒暖差が生み出した風の螺旋は、相反する熱と冷気を絡め取り、そして狙い澄ませたように地上の皇帝へと向かって駆け抜けた。
「──なに⁉︎」
驚いたのは俺だった。何故なら、それは意図したものではなかったから。
では、偶然かと言えばそうではないだろう。皇帝に向かって、直線的に伸びたそれは明らかに何らかの指向性を与えられている。この際、その何らかはどうでもいい。
俺が与えたものでないのなら、何がその指向性を生み出したのか。
答えは、緋炎以外にありはしない。俺の意思とは無関係に、緋炎がこの渦を生み出し、皇帝を攻撃したのだ。
何て勝手な、と剣に対して思ってしまった事が、驚きだった。
その驚きに、俺が呆けたわずかな間にも、灼熱と極寒の渦が皇帝へと迫る。しかし、皇帝は回避の選択を見せず、剣を正面に構えた。
剣に纏いし強化の魔力。それは、黄緑に近い色をしていたが、それとはまた別に、淡く白い光が皇帝の手から先を覆うように広がっていく。
「──破断」
炎氷の矛が皇帝に到達した時、その矛先に向けられた剣の光が、二重……いや、何重にもブレた。
そのブレより生まれた振動は、炎を揺らし、氷を散らす。それだけに留まらず、それらを通して伝わった振動が、二振りの剣を揺らし、腕から肩へ、肩から体へと振動が体の中を伝播する。
「くっ……」
何だ、今のは……
まるで軽い眩暈が起きたかのように、全身の感覚が揺れた。これまでに受けた事のない攻撃だ。実に気持ち悪い。
「烈破」
続く二撃目。
勢いが衰えない二振りの剣から放出され続ける攻撃を、押し返すかの如く、淡い光を纏った掌が剣に添えられ、景色に波紋が落ちる。
その波紋は、球状に山と谷を持って伝わり、2属性が混ざり合った奔流を掻き消して、瞬時に俺を通過した。
「うっ……」
激しく脳みそを揺さぶられた時の朦朧とした感覚。防御など完全に無視して貫通する振動は、脳とて例外なく揺らし、刹那の間意識が遠のく。そして、空中でバランスを崩した俺は、頭から地面に向かって落下した。
その絶好の好機を逃さず、突撃してきた皇帝。またも淡い光を帯びた剣先が、腹へ向かって突き立てられた。
「ッ!」
寸前で意識を取り戻した俺は、咄嗟に魔装を纏い串刺しは避けたが、鉄の刃さえ通さぬ魔装を軽々と貫く波動がゼロ距離で放たれた。
痙攣でも起こしたかのように全身が激しく揺さぶられ、視界は何重にも重なって、物凄く気持ちの悪い世界が目に映る。
乗り物酔い?
そんなレベルではない。三半規管どころか脳全体が、頭どころか内臓全てが、激しい振動によりダメージを受けた。
「かはっ……!」
無理矢理押し出された空気。蒸し返された胃。鼓動を乱された心臓。
外傷は負わずとも、軽くはないダメージが体に刻み込まれる。
そして、俺の体は突きの威力そのままに舞台を囲む防護フィールドへと叩きつけられた。魔力を極力まで遮断し、物質の行き来を妨害する防護フィールドに広がる波紋。しかし、僅かに漏れた波動が観客達にまで影響を及ぼし、軽い船酔いのような症状が彼らを襲う。
「気持ち、悪い……攻撃しやがって」
俺もまた、重度の吐き気と、蒸し返された内臓の何とも言い難い気持ちの悪さを味わっていた。いつか竜神が言っていた耐久値のお陰だろうか、直撃だったのにも関わらず、損傷は受けなかった俺は、とてもベストとは言えない体調で、起き上がった。
そんな俺を油断なく見詰める皇帝。その手と剣には、既に淡い白色の光が込められている。
いつでも、という事だろう。さすがに今のをもう一撃貰うと、立ち上がるのは厳しいかもしれない。けれど同時に、距離を置いたとしても、一撃目のように激しい眩暈が俺を襲うだろう。
近遠距離、どちらにも有効な技だ。とりわけ味方のいない戦いでは、遠慮なく使うことが出来る。これが帝国最強と言われる皇帝の実力か。その心を切り捨てる生き様に相応しい孤独な技だ。
おそらくスキル系統は波。
金にものを言わせたスキル調査で明らかになった衝撃系統のスキルだろう。シャラ姉とバジルも持っており、二人は派生系の希少スキル『波』を持っていたが、使い勝手が悪いと話していた。
というのも、水辺の戦いで自ら作った波を強化する程度で、相手の足を掬うのが限界らしいのだ。
しかし、俺の空間と同じで、極めれば強化なものへと進化するスキルの話はよくある。皇帝のこれもその一種だろう。あるいは、『波』の進化系、仙魂スキルまで手に入れているのかもしれない。
どちらにしろ、波の性質を有しているのは間違いない。海の荒波に直接揉まれたような感覚。揺れた火と氷。そして、妨害フィールドに伝わった波状。
それらが根拠だ。
となると、水系統は自殺物。皇帝のそれは、どうやら空気さえ振動させ、物体にさえ強い貫通力を持っているようだ。とても盾や剣で防げるものではない。有効なのは、波動では打ち消されないであろう光か雷の属性と見る。
しかしながら、俺はそれらの魔法に長けているわけではない。帝国最強の戦士を倒すには、実に心許ないというのが本音だ。
ここはやはり、俺の長所を活かした戦い方をするべきだろう。
詰まる所、魔術と空間系か。
そこまでの思考を数秒で巡らせた俺は、全身に魔装を施した。
裂傷や刺突を避けるため、ある程度高めた硬度。しかし、優先すべきは動きの補助と割り切って、スピードとパワー重視で、魔力の筋繊維を編み込む。
これこそが、俺の新たな魔装。魔力収縮を魔装に組み込んだことで、肉体内部と表面の両方で、身体能力を瞬間的に強化する。
その分、硬さは魔王形態よりも落ちるが、それは竜化すればある程度は補える。どちらかと言えば、防御よりも回避と攻撃に重きを置いた柔軟性の高い魔装だ。
「付いてこれるか?」
軽く踏み込んだだけで、爆砕する地面。俺なら舞い上がった土煙隠れ蓑にさらに加速し──消える。
それは、歪曲空間により光の通る道筋を制限することで生まれる擬似的透明化。初めの一歩以外、忍び足を発動し気配を殺して、底上げした速さで即座に背後を取った俺は、死角から魔手を伸ばた。
そんな俺に対して、皇帝の取った行動は実にシンプル。己の肉体を震源として、全方位に向け波動を放った。
歪曲の影響を受けネジ曲がる波動。しかし、この技の弱点である回り込みを容易にこなす波動はまさに天敵。
複雑かつ重なりあった波動が、俺の体を伝う。だが、ゼロ距離でない分、内部を揺らす振動は幾分か軽い。
目を閉じ意識的に感覚を遮断する。残るは、俺と魔力を繋ぐ無数の細い線のみ。
「捕まえた」
目を開け、戻ってきた吐き気と蒸せ返るような気持ち悪さをグッと堪え、俺は歪曲空間を解除。
目の前には、二本の魔手で体を鷲掴みにされた皇帝の姿があった。
「喰らえっ──魔爆砲ッ!」
圧縮した魔力。それを掌から打ち出すのではなく、噴出する新たな魔術──魔力噴射と魔力加工の合わせ技。それは、一方向に指向性を持った高密度の魔力ビームである。馬鹿みたいに燃費の悪い技だが、その分相手を吹き飛ばす力と、破壊力は俺が生み出した技の中でも一二を争うほどだ。
しかし、その反動もまた凄まじい。
魔力噴射のスキルは、ゴルドがやっていたように推進力を得るスキルだ。つまり、勢いよく噴出すほどその反動は大きい。
だが、俺はその反動を強化した力でねじ伏せた。右手を左手で支え、狙いは正面に。ジリジリと噴射の勢いで足が地面を滑るが、体は逸らさなかった。
一方で、魔手で身動きを封じられ、背中の一点に向けて、魔力噴射を受ける皇帝は、えび反りになって苦悶の表情を浮かべる。しかし、皇帝としてのプライドか、民の前で苦痛の声を上げはしなかった。
鎧と魔力が激しくぶつかる衝突音の中に、骨が軋む音が混ざる。そして、そろそろ濃度が限界近くまで高まり始めた魔力が、俺の支配を打ち破ろうと、反旗を翻す。
俺はその発動兆候を鋭敏に感じ取ると、皇帝の拘束を解いた。そして、止めるものがなくなった皇帝の体は、一直線に舞台の壁へ。
舞台の中央から端まで横断した魔力の奔流。その奔流の中に、ポツポツと浮かび上がる一際強い紅の光明。やがてそれらは、奔流全てに広がり、閃光と共に破壊をもたらした。
目を逸らしたくなる強い発光。耳を塞ぎたくなる破壊の轟音。
舞台の半分を占めた俺の魔力が、容赦なく皇帝と、その周囲の地面を破壊し、バキバキと不穏な音を防護フィールドに奏でさせ、消滅の道連れへと誘おうとする。招待には些か配慮に欠く、容赦無用のない嵐に、硬い地面は砂とかし、防護フィールドには無数の亀裂が伝わる。
「おっと、出力が足らないんじゃないか?」
防護フィールドは、つぎ込む魔力の量でその強度が変わる。闘技場建設責任者としてその特性を知っていた俺は、流し目で合図を送った。
その先には、観客席とは別の特等席で観戦していたシャルステナの姿があり、コクリと頷いた彼女の真正面のスタッフ席では防護フィールドの燃料タンクが、引き攣った顔を浮かべていた。
「や、ヤバイですぅ! もう魔力が……っ!」
皇帝主催とあって、面倒事を押し付けられた勇者軍の中で、国民に愛想をふりまかなければならない現勇者シルビアの次に魔力が豊潤なルーシィ。その彼女を始めとした数人が防護フィールの術式に魔力を流し込んでいたのだが、現在進行形で切羽詰まっていた。
慌てて彼らに変わり、カノンやアルクがそれに加わろうとするが時既に遅し。亀裂が広がりガラスが割れるかのように砕け散った防護フィールド。観客達に恐怖と驚愕の色が浮かぶ。しかし──
「空間の記憶、害を阻む絶壁になりて守って──断空壁!」
散った防護フィールドの代わりに、世界を分ける断絶の壁が生まれた。スキル隔離空間の魔法バージョンと言えばいいだろうか。決まった形がない分、隔離空間より遥かに大きく、また形も自在なその魔法は、空間系の最上級魔法の一つ。けれど、それを難なく発現させてしまう彼女は、さすがと言ったところか。
神の力を使わずとも、この安定感。元より当然の事だが、女神である彼女は強い。俺よりも遥かに。
シャルステナには悪いが、試合が終わるまでは、頑張ってもらおう。なるべく早く終わらせないとな。
「緋炎、殺すなよ?」
決着を急いだ俺は火力調整が困難な愛剣にそう語り掛けると、勢いが弱まってきた魔爆に向けて、振り下ろした。
刃の反りに沿って、猛火が這い出る。その火は俺の思い描いた直線の軌跡を辿らず、波状に広がりを見せ、大炎上を巻き起こした。
「またか、こいつ……」
放射状に広がった分、逃げ場もなく、火力も抑えられてはいるのだろうが、言う事を聞いたのか、聞いていないのかは非常に怪しい。それに、無茶な起こし方をしたせいか、いつもより火の揺らめきが荒々しい気がする。
やっておいてなんだが……生きてるよな?
いくら嫌っているとはいえ、皇帝を殺してしまうのは非常にまずい。色々な面でまずい。
確かに分散したお陰で火力は抑えられているが……どうなのだろう。魔爆の直後に火事に巻き込まれたようなものだ。俺なら勘弁願いたい。
そんな一抹の不安を覚える俺の前で、やがて燃えるものがない舞台を激しい熱で焦がした火は、赤熱した地面と、スス汚れた壁を残し消え去った。
そして、その熱せられたフライパンのような地面の上で、剣を支えに跪く皇帝ゼブラト。
ひとまず俺はホッと胸を撫で下ろしたが、帝国の国旗である三本の剣のモチーフが刻まれた鎧はひび割れ、白煙が漏れでいる。そこから覗く肌は赤く焼け、顔の半分は庇いきれなかっのか、酷い火傷の跡が残っていた。
「まだやるか? 俺としては、これ以上深手を負わす気はないんだけど?」
「……ふっ……まだやるか、か。これほど痛め付けられたのはいつ以来か。若い頃の血が騒ぎ出しそうだ」
普段はぶっきら棒の能面を被っているかのように表情が読めない皇帝が、歯を剥き出しに笑っていた。
俺は何やら彼の中の押してはならないスイッチを押してしまったのかもしれない。はたから見ても軽くはない火傷を負っているのにも関わらず、皇帝の纏う気迫と威圧感は先程までとはまるで違う。
無意識に剣を握る手に力がこもる。額を伝う汗が嫌に冷たく、心臓の鼓動が速くなる。
試合ではなく、死合。否応もなく、皇帝から当てられる殺気にそれを意識せずにはいられなくなる。
だが……
「私の負けだ。これ以上は、殺し合いになってしまう」
「……そうか」
アッサリと剣を納めた皇帝。諦めの悪い帝国国民の筆頭が、アッサリと諦めたことに疑問を感じるより先に、こんな場所で殺し合いが勃発せずに済んだことに、安堵した。
『そこまで! 勝者、再来の不死鳥ッ!』
皇帝の敗北宣言を聞き、マーレシアさんが拡声器で、俺の勝利を宣言する。──が、そんな呆気ない幕引きに納得出来やしない、俺を勇者にしたがっている帝国民達は、大声で不満を吠え散らかした。
「なんでだよっ! 皇帝様っ!」
「皇帝様、あなたなら勝てますッ! この国最強の戦士なんですから! 諦めないで!」
「勇者を! この国に真に強い勇者を! お願いです、皇帝様!」
皇帝に強い応援を送る人々。一方で、直接俺に当たってくる奴らもいる。
「おい、不死鳥ッ! どうして、それだけの力があるのに、勇者になる事を拒むんだッ! 守ってくれよ、俺たちを! 魔物から! 魔王から! ラストベルクの二の舞いは嫌なんだッ!」
「この人でなしッ! 私達を、守ってよ!」
「そうだ、このクソ鬼畜め! 一昨日俺のスープだけタバスコで作りやがってっ、俺が何をしたというんだ! ちょっと婚活してみただけだろうがッ!」
「そうだそうだ! 俺の迸るパルスを理解さずいっつも力でねじ伏せやがって! 最近、リスリットちゃんが警戒し出して、碌に話も出来ないんだぞ! この鬼畜の悪魔ッ!」
……ここぞとばかりに便乗しているあいつらは後で殺そう。
しかし、魔王の一件は考えていたよりも遥かに、他国にも不安を煽っているようだ。聞いているだけだと、俺の意思も考えず自分勝手な奴らだと思うが、魔王が帝国にも現れるのではないかという不安から、一応はその魔王を仕留めた俺に助けを求めているのだと考えると、不思議と怒りは湧いてこない。
確かに彼らからすれば、力があるのに自分のやりたい事を優先し、ディクのように他者を守ろうとしない俺は、自分勝手で人でなしなのだろう。まぁ、自分勝手なのは、結構なところで本当のことだろうが……それはお互い様だ。
そんな風に考えて、非難を聞き流していると。
「──鎮まれェッ!」
非難を搔き消すほどの怒号が、突如として響き渡った。
「気に入らぬのならば、力で示せ。さすれば、皇帝の地位をくれてやろう」
有無を言わせぬ声音と、強い眼力。言葉の内容とともに、非難を口にしていた者達は一斉に押し黙った。
皇帝は、一呼吸置き台上を見上げて、彼らに語り出す。
「……帝国は長らく、勇者軍という存在によって、守られてきた。この国の歴史には、勇者軍が数多の凶悪な魔物を討ち取ってきた歴史がある」
帝国が繰り返してきた勇者の歴史。それは帝国民ならば誰もが知っている事で、深く掘り下げる事なく、皇帝は疑問を投げ掛ける。
「しかし、勇者とは果たして、人を守るためだけの存在なのだろうか。かつて、邪神によって滅ぼされようとしたこの世界を救った神殺しの勇者は、果たして人々を守ったのだろうか」
まるで答えを誘導するように、勇者軍の起源──神殺しの勇者について、皇帝は触れた。
「──答えは否だ。神殺しの勇者は人々を守らなかった。代わりに、強大な邪神へと挑み、その命を持ってこの世界を救ったのだ」
……言われてみればそうだ。勇者とノルドは、人々を守るのではなく、その根源を断つ事で世界を救った。なら、魔王の命を狙う俺は、ある意味そんな彼らと似ているのかもしれない。
「では、その時人々は誰に守られていたのかだろうか」
再び投げ掛けられた疑問。その問いに対する答えを、その場にいた観衆は想像し、やがて皇帝がそれを口にした。
「彼らは、誰にも守られてなどいなかった。彼らは自らの手で立ち上がり、自らの命を、家族を、友を、守ったのだ」
誰かが守ってくれる。
その誰かがいればいい。けど、誰もいないのなら、人は自らの足で立ち上がるしかないのだ。そうしなければ、何もかもを失うのなら、それこそ人は誰だって死にもの狂いで立ち向かう。
「私が愛する帝国国民達は、そんな彼らと同じように、他者に頼るのではなく、自らの手で愛する者を守れると信じている」
他者に頼るのではなく、か。
この国の勇者軍へ非難が集まるのは、元を辿ればそういう事になるのだろう。
いざとなったら、勇者軍がいる。彼らがいれば大丈夫と、甘えを抱いているからこそ、自分達は立ち上がらず、世間の声という影に隠れて、文句だけを口にする。そんな卑怯な人間になってしまったのだろう。
それを、自らを鍛え上げ、実力でこの国のトップになった皇帝から指摘されれば、彼らも口を閉じるしかない。
ここで口を開けば、自分は卑怯者で臆病者だと、恥を晒すことになるのだから。
しかし、そんな国民に対して、皇帝は自ら恥を晒して謝罪を口にする。
「だが、詫びねばなるまい。この国の頂点に立つ者として、無様を晒した事を。そして、私の愛する国民の悲願を叶える事が出来なかった事を。試合前の確約により、彼は帝国の勇者になる事はない」
深く頭を下げる皇帝の仕草に、観客達はグッと何かを堪えるように押し黙る。
……静かだった。まるで帝国全土が敗北したかのように、涙まで流す者までいる始末。俺が最低な事をしているように思えてくるから不思議だ。
数分間、頭を垂れ続けた皇帝。
やがて、静まり返った闘技場に、パチパチと手を叩く音が鳴り始める。まるでもういいと言うように、暖かい拍手は、少しずつ数を増し、大きくなって、会場を包み込む。
「我が愛する国民達よ……心より感謝する。勇者が居らずとも、共にこの国を守っていこうではないか」
薄く微笑みながら、感謝を口にした皇帝。彼が真に俺に戦いを挑んだ理由は、彼なりに考えた帝国と勇者の在り方を彼らに伝えたかったからかもしれない。
もう二度とあの2人のような悲しみを生まないために…………と思っていた時期ありました。はい。
俺は続く皇帝の言葉に、耳を疑った。
「──しかし、ここは闘技場。勝者にはそれに相応しい賞を与えねばなるまい。違うか、皆の者?」
悪い笑みを浮かべ、観客に問い掛けた皇帝。一瞬何を言っているのか理解できなかった俺を他所に、一部の理解の早かった観客達が歓声を上げる。
「その通りだ、皇帝様!」
「えぇ! えぇ! 相応しいものを与えなくてはいけませんわ! それこそ、帝国の名に恥じぬものを!」
そこで、ようやく俺は理解した。
うまい具合に利用されたのだということを。
「では、帝国皇帝を倒した者に相応しい品を、彼に授けるとしよう」
そうして、勝者への賞品という建前の元、帝国から俺に支援が敢行される事になった。




