181.反撃の狼煙
大地の上に張り巡らされた猛々しく燃やる業火は、勇者軍と一人の少年を分断し、壁のようにその前に立ち塞がっていた。
火の壁の周りには、彼を助けんと果敢に火の壁へと切りかかる者や、魔法で打ち消そうとするものがいた。しかし、その大地さえ溶かす灼熱の前には、武器に纏った魔力など紙クズに等しい。魔法もまた打ち消すどころか、押し負ける始末だ。
「ダメです、お姉様……っ! 火の勢いが強すぎます!」
「そのようね……アレをやるわ。今のうちに陣形を立て直して、一斉砲火の準備を」
「は……はい、わかりました。準備します!」
芳しくない状況を思い、シルビアがルーシィに、ルーシィが全体に指示を飛ばし、レイによって乱された指揮が、纏まりを取り戻す。
バラバラに動き回っていた勇者軍は、集中を高めるシルビアを先頭に集まり始め、後衛の魔法使い達が一斉に詠唱を始めた。
「なんか心配なさそうだね……」
立ち直りつつある勇者軍を少し後ろから眺めていたシャルステナは、何度目かの呆れ混じりの言葉を落とした。
「勇者軍は、この国で一番強い軍と聞いていたのだけど……私がおかしいのかしら、やっぱり……」
「ううん、レイがおかしいんだよ」
最近常識とは何だろうと疑い出した結衣は、帝国全土から集められた精鋭達を諸共しない無双に、とうとう自分を疑い始めたが、シャルステナは断言に近い物言いでそれを切り捨てた。
一方で。
「さすがはレイさん! この一年で、また一段と強くなったんじゃないですか?」
「やはり旦那は只者ではないな。以前とはまるで動きが、違う」
「ククッ、帝国が誇る勇者軍が、雑兵扱いではないか。これを帝国中に広めれば面白い事になりそうではあるな」
『我がマスターならば、当然の結果です』
若干一名不穏な考えを持っているようだが、同じく後方から戦いを見守っていたライクッド達に驚きは少ない。むしろ、初めから常識がなかったか、とうの昔に粉砕されていたかの違いはあれど、当然の事であるかようにそれを受け入れていた。
しかし、近くで会話を聞いていた結衣からすれば、自分だけがズレているのではないかと、疑いたくなるものがある。それをサラリと横から、『みんなおかしいんだよ』と自分の事は棚に上げて、結衣を引き戻しながら、シャルステナはレイの戦いに見入った。いや、見入ったというよりは、比較したという方が正しいかもしれない。
1年前と、今のレイを。
「……もう、そこまで来ちゃったんだね」
シャルステナは少し寂しげに、けれども喜び弾むような声で一人呟いた。それは突然吹き抜けた暴風に掻き消されてしまったが、その瞳に宿る熱と相反する表情は、変わらずレイへと注がれていた。
最愛の父を失った戦いから1年と少し。暴風に煽られても再燃した火のように、未だ燃え続ける復讐の火はレイを強くした。
未だ魔臓全損状態であるレイの魔力量は以前と比べて大きな違いはない。しかし、スピード、パワー、知力、耐久力は、1年前と今とでは、決定的なまでに違う。
仇を討つ為に、自分が足りない部分を集中して鍛え上げた結果だ。魔力だけでは、スキルだけでは、これ以上高みへは登れない。それを身をもって知ったからこそ、レイは今一度自分を鍛え直したのだ。
それはある意味レイにとっては挑戦だった。
幼き頃、ディクルドという才能の塊に己の凡庸さを知ったレイが見つけた、多種多様なスキルにより戦術の幅を広げ、かつ足りないものを他で補うという道。
それでレイは強くなれなかったと言えば嘘になる。実際、空間系と魔術という二柱を軸に、レイはディクルドと並ぶほど強くなった。
だが、そこで捨てた、二の次にした身体能力こそ、あの戦いで明らかになったレイと魔王の間に広がる絶対的な差だった。それを埋めずして、どの口が復讐などと大言を吐くのだろうか。
無論、これまでのやり方を捨てたわけではない。あくまで、それが一つの課題だったという話だ。
スキルの方もまた余念なく鍛え上げた。
局部的魔装展開や、新たな魔術、歪曲スキルの範囲拡大と歪曲度の向上。王都でレイがやれる事は全てやってきたつもりだ。
その成果を、レイは今惜しみもなく披露し、帝国が誇る精強な勇者軍をたった1人で翻弄している。太刀筋一つとっても、その鋭さ、速さともにシルビア達が知っていたレイではない。
だが、彼らも決して弱いわけではない。
シルビアをはじめ、勇者軍の中には単体でSS級に勝てる人材がチラホラいる。
それもそうだろう。勇者選別試験からだけでなく、国中から集められた精鋭達なのだ。
だからこそ、負ける事は許されない。ここで敗北するような事があれば、それはレイ一人に帝国が敗北する事と同義。魔王を討つ勇者を謳う以前の問題だ。
故に、今こそ、反撃の狼煙を。
帝国最強の軍として、さらなる進化を成し遂げるために──この理不尽な男に、勇者としての意地を。
「──アン・レクイエム」
かつて──1人の少女が一部の特権階級が剤を貪る国を嘆き、反旗を翻したという。
その少女の名前はアン。
そこから因んで、名付けられた水魔法の最上級魔法は、1万にものぼる大軍を津波の如き荒波に飲み込み連れ去ったと、歴史書には記されている。
反撃の狼煙を上げるには、もってこいの魔法というわけだ。
「お前、2つも最上級をマスターしたのかよ」
緋炎の火を搔き消した水魔法の乱舞。それを統合し、際限なく膨れ上がっていく水の壁。それを見上げるレイの首は、段々と真上へと推移していき、最終的には殆ど垂直に天を貫く高さとなった。
「こりゃまた、無駄にでかいな」
そう、批判的なコメントをしながらも、レイは口角を吊り上げ、近くに転がっていたグールの背中を無造作に掴む。
「えっ、な、なにを──」
「受け身くらい取れよ」
「──ちょ、ま……待って、レイにぃィイィィィィッ⁉︎」
突然、背中から持ち上げられたグールは、過去のトラウマを思い出し、プチパニック。しかし、レイはそんな事は御構い無しに、ポイっとシルビア達に向かってグールを放り投げた。
「なっ……」
自分の弟子にする仕打ちではない人間砲弾に、思わずシルビアは唖然と声を漏らす。しかし、レイもまたそこまで鬼ではない。
壁の直前に差し掛かったところで、グールの姿がグニャリと歪み、不気味なほど体が伸びたように見えた。それは、工夫も何もなしに使った歪曲空間の影響で、軌道と姿を歪められたグールは、気が付けば壁の横合いからシルビア達に向かって飛び込むような形で、地面の上を転がった。
「あいたたた……」
地面の上を転がることで、衝撃を受け流したグールは、頭を押さえながら起き上がった。そこへ、ヨロヨロと覚束ない足取りで、シルビアが近寄ってくる。
「グール……無事?」
「だ、大丈夫です! ちょっと痛いけど、これくらいなら……」
「そう……でも、無理はしなくていい。ルーシィ、怪我を見てあげて」
「はい、お姉様! 任せてください!」
金髪カールを揺らしながら、走り寄ってきたルーシィが、まだ戦えると戦意を露わにするグールの体を引きずりながら、その場から離れていく。そんな中、シルビアは顔色を悪くしながらも、水の壁を挟んでレイへと向き直った。
「これで遠慮はいらないだろ?」
「……その余裕ぶち壊してあげる」
ギロリと強められた視線。レイはそれをのらりくらりと躱しながら、挑戦的な笑みを浮かべる。しかし、それが彼女のカンに触ったのか、水圧レーザーがレイの頬を掠めた。
躱しきれなかった水が、カッターの刃のように頬を切り裂き、ツーと血が流れ落ちる。
「へぇ……」
興味深そうに目を細めたレイ。
その瞳には、魔力が属性に変化し、魔法が放たられるまでの僅かな間に感じる魔法発動の兆候が映らなかった。
レイの目に映るのは、魔力感知による属性を持った後の魔力、それだけだ。
シルビアの作り出した高波の魔法は、イメージで言えば初級と変わりはしない。だが、街を飲み込むほどの水量を還元する魔力と、それを自在に操るコントロールは、他と一線を画する。
この魔法の強みは、敢えてイメージを少なくすることで、魔法発動後のコントロールを強めることにある。それはつまり、街を飲み込むほどの水が、変幻自在のあらゆる水魔法に化ける可能性を示唆している。
「炎風剣に似てるな」
レイの得意とする炎風剣の魔法もまた、発動の兆候を限りなく抑えた魔法だ。それを意図したわけではない炎風剣は、剣を振り下ろす、または変形と、異なる発動兆候を持っているため察知し易いが、視界を埋め尽くす量の水に紛れたそれを見極めるのは、レイと言えど至難の技だ。
それも、表面に隠れた内側で兆候を隠されては、見極めるのは至難の技と言えよう。
「けど──遅かったな」
緋炎が目覚めた。
竜の刻印が赤々と溶岩のように赤熱し、緋色の光を散乱させる。それはまるで強い光を浴びたルビーのような美しさと、素材となった火竜の荒々しさを兼ね備えた光。
その光に当てられただけで、悶えるような熱が皮膚に伝わり、灼熱の大地に立たされているような錯覚を受ける。
それは人だけでなく、物にも影響を与える。アン・レクイエムの魔法によって集められた水が、ジュワァッと音を立てて、表面から蒸発していく。
「魔剣ッ……⁉︎ それも、こんな強力な……っ!」
自身の全魔力を用いた大魔法が、たった一本の剣に脅かされようとしている。その事実に、悔しさが込み上げ、同時に納得してしまおうとする自分の心を、奥歯を噛み締め、グッと耐える。
そして、前はいなかった仲間の名を叫ぶ。
「アルクっ、カノンッ!」
「任せるだぁ!」
「わかってるよぉ〜!」
名前を呼ばれるよりも先にシルビアの魔法へと突っ込んだ2人。彼ら2人を通すために空けられた穴の向こうには、目覚めの閃光を収めつつある剣と、堂々たる姿で待ち受けるレイがいる。
「鬼畜っちには悪いけど、ここは勝たせて貰うよぉッ!」
水を抜けた瞬間、先行するアルクの陰から軽やかな身のこなしで、空に飛び上がったカノン。その1連の動き中で引かれた金属の弦には、これまた金属の矢が3本セットされていた。
片目を閉じて、一瞬で狙いを合わせるカノン。その彼女の手から、魔力が矢に送り込まれ、パッとその手が離された。
華奢な体に似合わぬ力で引かれた弦が巻き戻る。そして、それと同時に矢が3本、空を駆け抜けた。
「っ……! すごい……」
思わずそう感嘆の声を漏らしたのは、遠目に戦いを見ていたライクッドだ。自分の役割を後衛と割り切り、遠距離からの攻撃を鍛えてきた彼には、カノンの動きが如何に常識はずれか一目でわかった。
高速移動中からの、不安定な空で、一瞬にして照準を合わせる神業。今のライクッドにはとても真似できない。
しかし、一方でライクッドの弓術の方が優れている部分もある。それは、機動性で、レイの炎風剣を真似た魔法を武器とする戦い方からくる優位性だ。しかし、その優位性に甘んじて、鍛錬を怠るような教えを彼は受けていない。
常に自分より強い相手を。自分より上手い使い手を。
目にして生きてきた彼にとって、カノンもまた尊敬に値する師であった。
しかし、彼が最も尊敬する師は、カノンの攻撃をあろうことか素手で掴み取る。そして、三本纏めて槍投げの要領で、カノンに向かって投げ返した。
「それは、やり過ぎだよぉ、鬼畜っち!」
まさかのカウンターにカノンは、泣き言を漏らしたが、瞬時に矢を弓にセットして、それらを纏めて射ち落す。
しかし、それにより一手遅れをとったカノンは、アルクとレイの接触するまで、援護を封じられる事になった。
待ち受けるだけでなく、自らも弾丸となって肉薄するレイ。アルクの大斧が頭の上に持ち上げられる。
「ぶっ潰れるけろぉッ!」
惜しみなく振るわれた剛腕。その先端、斧の半月状の刃が、緋炎と交錯──地を揺るがす轟音と、激しく陥没した大地から亀裂が走った。
レイの足が衝撃に耐え切れず押し潰れた大地にめり込む。だが、それでもアルクの攻撃を剣と己の体で受け切ったレイは、真下にかかる力を背中へ押し流し、一歩前へ。
「俺の剛腕も受けてみろ」
伸縮する内外の魔力。合わせて一歩前に踏み込み、アルクの間合いの内側へ。代わりに置き去りにされた左腕は、筋繊維が浮かび上がるほどに、純粋なパワーをその内に溜めて、一気に解放された。
「ぐはっ……!」
腹から背へと突き抜ける一撃。鋼鉄の壁くらい粉砕してしまいそうな威力で放たれたそれは、アルクの体をくの字に曲げ、瞬く間に吹き飛ばす。
地表スレスレを真横に飛び抜けたアルクは、水の分厚い壁の抵抗で勢いを殺されて、シルビア達の前でようやく地面の上を転がった。
「アルクッ!」
動く気配のないアルク。その意識はすでに空の彼方。すぐ様、魔力を使い果たしたシルビアの代わりに、グールの応急処置を終えたルーシィが駆け寄って治癒魔法を施すが、すぐに立て直す事は出来ないだろう。
主戦力の後衛2人に対して前衛が0。
レイという化け物に挑むには、些か脆すぎる。それを悟ってか、次々に生き残りの面々が、文字通りの特攻を実行するが、カノンの射撃とシルビアの魔法をもってしても、後退していく戦線の流れは止められない。
「キッチック……あなたは、いったいどこまで……」
かつて、同じ舞台で戦った日が懐かしい。あの時も、手も足も出ずに敗北したが、これほどまでに差があったとは思わない。
いったいいつの間にこれ程の差が開いてしまったのか。
いや、そんな事は戦いを始める前から分かっていた。
不死鳥の英雄を殺した魔王を討ち取った、再来の不死鳥。
それを耳にした時、納得する反面、どうしようもなく開いてしまった差に拳を握った。
しかし、改めてその無茶苦茶な実力を目の当たりにすれば、唖然としてしまうのも無理はない。
姿なき攻撃に始まり、知覚を超えた圧倒的なまでの攻撃予測。鉄の剣をバターのように溶かし切る魔剣。
そして、何よりこれだけの数を前にしてのあの余裕。
「……ッ! 全員、後退ッ!」
それら全てが、彼女の余裕を奪い取り、一発逆転の勝負に挑ませた。
カノンを含めた勇者軍が、一斉に後退を始める。それを追う気もないレイの前で、水の壁が形を変えていく。
「最後の勝負よ、キッチック。あなたなら、正面から来てくれると信じてるわ」
挑発というより、お願いを口にしたシルビアの前で、レイは仕方ないなと苦笑いして、正面を見据えた。
そこにあるのは、巨大な水の壁。さらに上を向くと、薄青い顔がこちらを見下ろしていた。
水の巨人。
手には、巨大な太刀と、体を半分は隠せそうな巨大な盾。
その身長は、アークティアの外壁をも超え、街の全てを一望できる位置に顔がある。無表情な顔だ。一切の感情を持っていない魔法に相応しい、敵を倒すための道具だ。
「なら、遠慮はいらないな」
緋炎に魔力を注ぎ込むレイに対して、ノソリと浮き上がった足。全体で見ればゆったりとした動きだが、真下にいるレイにとっては、一瞬にして空が水の天井に覆われたようなもの。
天井から無数の水圧レーザーが落ちてくる。しかし、それが到達する前に瞬動により離脱したレイは、巨人の股下へと回りこむ。そして……
「咆えろ、緋炎!」
股下からの、灼熱の奔流。魔王の絶対的な防御さえもうち破り、その肉を燃やし尽くした一撃。それを股下から放たれた水の巨人は一溜まりもない。股から頭まで突き抜けた業火の熱は、一瞬にして水を蒸発させ、その内に秘められた魔力さえも、焼き尽くす。さらに、巨人の頭から火山の噴火の如く吹き出た炎は、そのまま空高く登り詰め、灼熱に空を染める。
だが、それで終わりではなかった。体の中央を吹き飛ばされた巨人の太刀の切っ先が、自身の足元へと向けられた。
そこには──
「お前パクリやがったな⁉︎」
そう、レイが驚愕と共に盗作を叫ぶようなものが用意されていた。
シルビアは言う。
「瞬間移動を教えたのだから、おあいこよ」
と、悪びれもなく言い放ったシルビアは、後方で控えていた仲間達に向かって合図を出し、切り札を解放した。
空気が爆発したような炸裂音が鳴り響く。
そう、それはレイの水竜と同じ原理。カノン達の特攻紛いの動きは、その充填が完了するまでの時間稼ぎである。
空を赤く染め上げた火炎とは対照的に、全てを飲み込み、地の彼方へと連れさる激流の奔流が真下に向けて放たれた。
「ッ……!隔離……」
焦りから絶対防御を使おうとしたレイは、ふと口を止めた。巨人との一戦が始まる前、シルビアが口にした挑発。それが妙なところで働き、レイの中のフェアプレー精神に火を付けた。
「正面、からだ!」
レイは飛び上がり、両手で緋炎を振り抜いた。
瞬間、爆ぜた爆炎と、激流の渦がぶつかり、せめぎ合い、拮抗する。
「俺の魔力を持ってけ、緋炎!」
グングン、レイの魔力が手に吸い込まれ、消えていく。
もっと──もっとだ。
親父の火はもっと強かった。もっと──熱かった。
魔素変換で身に付けた装備に蓄えられていた魔力が、湯水の如く消費され、代わりに爆炎の勢いが増していく。
「ッ……!」
だが、水の勢いは緋炎の爆炎を凌駕した。
それを目の前で見ていたレイは、逃げる間もなくその劇流の渦に飲み込まれ、地面へと叩き落とされた。
しかし、それだけに留まらず、真上から絶え間なく落ちる水圧で、地面が脆く砕け、大穴が顔を覗かせる。
「レイッ!」
そこまで、手を出さず見守るだけであったシャルステナ達も、押し負けたレイを見て、驚愕と焦燥を同時に覚えた。
しかし──
「どうして……?」
不意に届いたのはシルビアの唖然とした声。信じられないものを見たときのように見開かれた瞳は、今まさにレイを押し潰さんとしている水の柱に向けられていた。
よく見れば、その水の柱の付け根。レイの姿が完全に消えた場所から、淡い赤の光が漏れている。
しかし、シルビアはそれに気が付いて、唖然としたのではない。むしろ、それは事後的に気が付いた現象で、彼女が唖然としたのは、大地を砕き、今もレイを捉える水が、突如として地中深くで消えていたからだ。
「っぷはっ」
水の途切れが、勝敗の切れ目。注入される水量が減り、また恐ろしいスピードで下がっていく水位。その中から全身ビチョビチョになりながらも現れたレイは、穴の底で大した怪我を負っている様子もなく、大きく息を吐き出しながら起き上がった。
対して、魔力枯渇による目眩に悩まされるシルビアは、フラリと足がもつれ、崩れ落ちる。それを、サッと横から支えるカノン。
しかし、その目にはもう先ほどの鋭さはない。
「勝負に勝って、試合に負けたってとこだな。さっきのは中々危なかったぜ。あと一瞬魔力を張るのが遅れたら、どうなってたか。さすがは、俺の力作」
そんな風に自画自賛しながら、穴から這い出てきたレイに、シルビアは顔を苦しげに歪めながら、問うた。
「……いったい何をしたの? 途中で、私の魔法が……」
「ああ、あれか? 俺は無限格納庫みたいなスキルを持っててな。それで、お前の魔法を収納したのさ。また集められても面倒だから」
魔力が込められていようと、それが物であるのなら収納空間に納められる。それを己の前面に展開し、さらにその上部に魔力物質、魔力強化の盾を張ることで、初めの叩きつけ以外の威力を殺し、地中深くに埋められるのを、耐えたのだ。
「さてと……もういいだろう。シルビアは魔力切れ、アルクはダウン。カノンの攻撃は、残念ながら決定打にはならない。まだ、他に試したい奴がいるなら、相手になるが?」
「…………」
まだ立っている勇者軍の兵を一瞥して、レイはもうやめないかと口にした。元々、半分八つ当たりで、もう半分はグールの成長見たさに始めた戦い。
もう十分だろう。
そう思って、レイは彼らに問いかけたのだが……まだ挫けていない奴がいた。いろんな意味で。
「私が相手です、キッチックさん」
そう言って一人前に出たのは、金髪ロリこと、ルーシィだ。
「お前そんな血気盛んな感じだったか?」
「それはもちろん。私も勇者軍の一員ですから、何もせずに負けるなんて出来ません」
「そうか……前に戦った時は、全力が出せなかったからな。今回は、手加減なしだ。どっからでもかかって来い」
ルーシィの勇者軍として、責任と覚悟を耳にして、レイは真剣な眼差しで向き合った。
一歩、また、一歩と両者の間合いが近づいていく。その緊張感の中、ルーシィは言った。
「キッチックさんは本当に強いです。お姉様が手も足も出ないなんて、想像もしませんでした」
「そらどうも。まぁ、俺もこの一年真剣に鍛え直したからな」
2人の間合いが重なる。いったいどちらから仕掛けるのか。
と、ルーシィの腕が動く。レイはそれを止めることなく待ち構えだ。そんなレイの胸貸し稽古のような態度に嫌な顔を浮かべる事はせず、ルーシィは何故か頬を染めて言った。
「お姉様が勝てない相手に、私が普通に戦ったところで、絶対に勝てません。だから……」
──ハラリ。
「これで手を打っていただけませんか?」
服をはだけさせたルーシィ。
その予想打にしない攻撃はレイにだけ向けられた攻撃ではなかった。
鼻血を吹いた歌舞伎野郎と、『離して? アンナ? 私、手を汚さないといけないの』『そうね。私も協力するわ』『あら、結衣さん。初めて意見が合ったね』と、ウフフと芯が凍るような笑みを携える2人。そして、それを必死に羽交い締めにして止めるアンナと春樹。
観客達にも、流血と精神異常を強いる攻撃だったのだ。
レイはそんなルーシィにゆっくりと歩み寄るとその肩に手を置き、ニッコリと笑った。
「──埋まれ」
「ふぇ……?」
ズボボボッ!
「うげげげげっ! ぺっ、ぺっ! 口に砂が……っ! い、いきなり何するんですか⁉︎」
「いや、貧相で、可哀想だから隠してあげたんだよ」
「ひ、貧相……ッ⁉︎ ひ、酷いです! 鬼です! 悪魔なんですか⁉︎ あんな優しそうな顔で笑って近づいて来たから、あっ、やっと手を出してくれるって期待したのにっ! 埋めるってら何ですか⁉︎ 何なんですか! 私は花ですか⁉︎」
「何言ってんだ。ルーシィが花なわけないだろ?」
実に優しげな表情を浮かべて言ったレイ。思わず、ルーシィは怒りを忘れ、期待するように──
「花ってのは、シャルのような可憐な美少女を言うんだよ」
「……………………鬼。悪魔! 鬼畜! というか、出して下さいっ! この地面どうしてこんなに硬いんですか!」
生き埋めにされ、憤るルーシィ。その手にはいつの間にか、魔力封じの腕輪が嵌められ、自力での脱出は不可能であった。さらに、地面はレイの魔力によって固められ、ちょっとやそっと暴れたところでビクともしない。
真剣に勝負してやろうという気概を潰されたレイは少々オコだった。
「ゔぅーッ! 抜けない、抜けないんですけど!」
「そうか、大変だなお前も」
「誰の所為ですか! キッチックさんの所為ですよ! その辺ちゃんと──」
──カチャ
ルーシィが穴から体をすっぽ抜こうと顔を赤くして足掻きながら抗議の声を上げた最中、不穏な装着音が耳に入る。
「な、な、なな……」
即座に自分の首元を確認して狼狽えるルーシィ。そんな彼女の様子に取り合う事なく、レイはそのままポチッとボタンを押した。
「ちょ、待っァアババババッ!」
いち早くそれに気が付いたルーシィのストップなんてなんのその、今のレイに容赦はない。
ピカッと骨が透けるような放電に、全身を痙攣させるルーシィ。レイはニコニコと笑みを浮かべているが、周りの皆はドン引きだ。
「あ、あいつ、とんでもねぇな……。普通にルーシィが可哀想なんだが……」
「今更何を言ってるんだ、久城。あいつは、鬼畜のレイだぞ。最近大人しくなったと思えば、本性はあんなものだ。気を付けろ、あいつに情け容赦はない」
「お、おう……」
ルーシィに同情を寄せていた春樹は、やけに実感の篭る鼻血ブーのコメントに少し引き気味に答えた。
一方で、そんな会話を仲間がしている事には気が付かず、ついでにモクモクと白い煙を上げるルーシィを放置したレイは、改めて勇者軍に顔を向けると。
「──さて、他に俺とやりたい奴はいるか?」
……いるはずもない。
誰もがアレはないだろうと、引き攣った表情を浮かべ、前に進みでる者はいなかった。
「いないなら、どうして俺を捕まえようとしたのか、教えてくれ。俺には何がなんだかサッパリだ」
「……別に、捕まえようとしていたわけではないわ」
「はぁ? じゃあ、何で襲ってきたんだよ」
レイの問い掛けな答えたシルビア。しかし、その答えは予想の斜め上を行く。反射的に問い返したレイに、シルビアは視線を泳がせて、口を開く。
「それは……」
「──私がそう、命令したからだ」
しかし、帰って来た答えは、正面の彼女の口からではなく、いつの間にかレイの背後を取った男の口から発せられた。
レイは背後を取られた事に驚きを覚えつつ、鋭い視線で振り向いた。
「勇者軍は私の命令で其方の足止めをしていたのだ」
「皇帝……何が目的だ?」
レイの目に最大級の警戒が浮かぶ。その警戒は正しく、また皇帝と顔を合わせてしまった時点で、レイの負けは決まっていたのだ。
「──今度こそ、帝国の勇者になってもらおう」
帝国の勇者を巡る戦いが、今再び始まろうとしていた。




