180.身に覚えのない罪
ほんの少し。
旅を重ねてお互いを理解したのか。それともレイが日に日に疲れていく事を感じたのか。
気の所為と言っても過言ではないほど、シャルステナの結衣の関係が良い方に向上した頃、レイ達は懐かしの武闘大会の開催地──ガルサムを訪れていた。
例年、冬季の数ヶ月に渡って開催される武闘大会。
今年は、魔王の襲来により授業が遅れた事もあって、魔法学校と騎士学校の一騎打ちになると予測されていたが、それを覆す王立学院の奮闘により、総合二位、トーナメントと一位という好成績を収めた。
しかし、年初めから春にかけての武闘大会が終わり、一年で最も人が集まる時期を過ぎたガルサムの街はどこか閑散としていて、寂しい印象を受けた。
もちろんの事だが、この街の知り合いと言えば、何だかんだで仲良く(レイ視点)大会を盛り上げた司会者兼審判の彼ぐらいのものだ。
だから、この街でする事と言えば、月に一回開かれる武闘トーナメントに飛び入り参加して、会場を盛り上げる(荒らすの方が正確)ぐらいしかやる事がなかった。
『トーナメントなんて洒落臭せぇ。全員でかかって来いよ』
と、レイは大いに観客を沸かせ、出場者と司会者の悲鳴を掻っ攫った。
そんなこんなで、若干一名ここに永住しようとか抜かす元王子を引きずりながら、ガルサムの街を後にしたレイ達は、国境を越えて、帝国領土に入った。
ユーロリア大陸の西側に位置するアークティアまではまだまだ遠いが、敵国という事でビクビクしているギルクの顔に変装と称して落書きをして遊びながら、帝国領土を突き進むのだった。
そうして、王国を出ておよそ2ヶ月後──レイはアークティアの大地を踏み締めた。
そんなレイを待っていたのは、1年前共に魔人騒動に立ち向かった頼もしい仲間達。そして、そんな彼らがレイに武器を向ける姿だった。
「待っていたわ、キッチック。私達と戦いなさい」
「…………はぁ⁉︎」
「キッチック以外は、中に入っても構わないわ。けれど、キッチック。あなたは、ここから先へは行かせない」
シルビアを筆頭に、勇者軍の皆々がずらりとアークティアの門前に整列していた。そして、彼らは一様にレイへと武器を向け、鋭い視線を飛ばしてくる。
その中には知らない顔もあるが、ルーシィ、アルク、カノン、そして、グールと共に笑い合った彼らがいた。
「ええっと……何したの、レイ?」
「いや、何もしてないから」
シャルステナは苦笑いしながら疑りの視線をレイに向けたが、当人の心当たりは皆無だ。
「大方その阿呆が、どこかの街でも爆破したのだろう」
「幾ら俺でもそんな事するか!」
「いや、レイさん。これは前科ありですよ」
そんな風に、レイを微塵も信じようとしない、歌舞伎風ギルクと最近長い髪を後ろで束ね始めたライクッドは、2人で結託してあらぬ冤罪をふっかけようとしてた。
人間不審になりそうだ、と思ったレイは、即座に助けを求めてシャルステナの顔を見た。
「レイ、大丈夫だよ。私はどこまでも一緒に逃げるから」
「俺が何かしたのは確定ですか⁉︎」
と、酷く裏切られた気持ちを感じて、若干拗ねて泣き真似をしていると。
「嶺二、もちろん俺たちも同じ気持ちだ」
「そうよ。たとえ帝国が相手でも、私たちは負けないわ」
「旦那に恩を返す絶好の機会。微力ながら私も力を貸そう」
『私はマスターに付き従うのみです』
「ククッ、やはり面白いな主は。これほど厄介ごとに巻き込まれる人生など他にはあるまい」
「巻き込まれるのは嫌ですけど、レイ先輩の為です! 私も頑張ります!」
「ま、あんたがいないと、魔王に復讐なんて夢のまた夢だし、嫌々ながらあたしも協力してあげるわ」
「アンナが協力するなら、僕も協力するよ、レイ!」
『もちろんハクも〜!』
「お前ら誰も俺が何もしてないとは信じてくれないんだな⁉︎」
レイは声を張り上げた。
何という酷い仲間達だろうか。未だに溝のあるパーティが、あろう事か無実の罪を被せられようとしているのをネタにして結託し始めたのだ。
何が悲しくて、自らに降りかかった冤罪と引き換えに、仲間内の一体感を手にしなければならないか。しかも、自分だけ除外されているときた。
レイは傷心して、シルビアへと問い掛ける。
「………………シルビア」
「何かしら?」
「俺何かしたか? まったくと言っていいほど心当たりがないんだが?」
無実を訴えるレイに、歯噛みするような表情を見せたシルビアは、苛立たしげに口を開く。
「……白々しい。あれ程の事をしておきながら、私達が放置しているとでも?」
「おい、お前本当に何をしたんだ⁉︎」
シルビアの答えに敵国という事で、割とガチでビビっているギルクが、すかさずレイの体を揺さぶった。
「だから、何もしてねぇよ! してねぇってさっきら言ってるだろうがッ!」
「そんなわけあるか、お前! どうせイタズラ心で、皇帝のパンツでも脱がしたんだろ!」
「アホか! 男のパンツ脱がして何が楽しいんだよっ! 脱がすなら、まだシルビアの方を脱がすわッ!」
「語るに落ちたな、ど阿呆めっ! 今すぐ謝れ! 謝って、お前も脱げッ!」
「今のは違うだろうが、エロ王子ッ! というか、何でそんなに脱がしたいんだよ!」
やたらと男を脱がしたがるギルクに、レイはドン引きながらも、とうとうプチンッとキレて、ギルクの手を振り払う。
「もういい! 誰も信じてくれねぇし、わけのわからん冤罪吹っ掛けられるし、もういい!」
いや、拗ねた。拗ねて、八つ当たり気味に吠えた。
「お前らの手なんか絶対借りないからな! 俺一人で相手してやるから、さっさと掛かって来やがれ、勇者軍ッ! 」
言いながらレイは緋炎を抜き、自ら勇者軍に向かって突撃した。
「あっ……待って、レイ!」
「そうよ、幾ら何でも一人でなんて……」
慌てて止めようとしたシャルステナに続き、結衣もレイを止めようと手を伸ばしたが、レイは知らん振りで、シルビアへと切り掛かった。
「まずは、一番厄介そうなお前からだ!」
「くっ……!」
峰打ちでシルビアの首を狙ったレイ。対して、シルビアは間一髪のところで瞬間移動し攻撃を躱すと、陣形の後方に引き下がった。
「さすがね……この数を相手に怯むどころか、自分から仕掛けてくるなんて。でも……ここは通さないわ」
後退したシルビアが兵に手で合図を送ると、レイを囲うように、剣や斧を手にした数名の男達が前に出てきた。そして、その後方では槍兵、弓兵と続き、さらに後方で魔法使いが陣取り、詠唱を始める。
「俺は災害級の魔物か何かかよ。こんな陣形組みやがって」
「似たようなものでしょう?」
個人に向けるにはあまりに大層な構え様。それだけ、レイの力をシルビア達が認めているという事なのだが、レイは化け物扱いされている気がして、顔を痙攣らせてた。
「こ、この野郎……前みたいに絶対泣かせてやるからな」
「そんな事したら、有る事無い事でっち上げて、帝国中に触れ回るから」
「だったら、取り敢えずボコるッ!」
レイは苛立ちを吐き出すように、腕を横薙ぎに振るい、それによって生まれた風圧で、地面ごと前衛を吹き飛ばすと──
「お前ら邪魔だから、先に中に入ってろ!」
一瞬だけ振り返って、そう叫んだ。
「──余所見してる暇なんてねぇべよッ!」
しかし、それを隙と見てか、立ち込めた土煙を薙ぎ払い、突貫してきたアルクは、通常の3倍はありそうな巨大な戦斧が、レイに向かって振り下ろされた。
「余所見なんかしてねぇよ」
だが、空間のスキルでその動きを捉えていたレイは、首を捻りそれを躱すと、続け様に放たれた追い打ちに、剣を合わせた。
ズドンッ──と、腕と足にのしかかる重み。かつてその力に押し負けたレイは今、地面に足をめり込ませながらも、受け切ってきた。
「さすがだべぇ。オラァの一撃を受け止めるのはぁ、皇帝様ぁとオメェぐれぇのものでぇ」
「ハッ、これぐらいで驚いてくれるなよ」
レイは軽くアルクの言葉を笑い飛ばすと、さらに足に力を込める。
「オラァッ!」
「うおワッ!」
全身を前に押し出し、アルクを斧ごと押し返す。そして、一瞬の隙に腹を蹴り上げると、アルクを後方へ吹き飛ばし、後ろから来た男の剣を緋炎で溶かし斬った。
「なっ……!」
「隙だらけだ」
ドガッと一発、剣を真っ二つにされた事で動揺した男の頭を掴み上げ、地面へと落とす。メキメキと頭蓋骨が悲鳴をあげ、後頭部から落とされた男は意識を飛ばし、パタリと手足を地面に投げ出した。
「さぁ、どんどん来いよ。時間がもったいない。全員仲良く夢の世界に旅立たせてやる」
気絶した男から手を離したレイは、緩りと起き上がり、緋炎を肩に背負いながらチョイチョイと手招きして挑発を加える。
「舐めやがってッ……おい、挟み撃ちだ!」
「おうよッ!」
「あなた達、待ちなさいっ!」
挑発に乗った前衛二人が、レイの戦い方を知っているシルビアの制止も聞かず、切り掛かった──が、ピクリとも反応しなかったレイの体に刃が触れた瞬間、岩でも斬りつけたかのように、止まる。
「何ッ⁉︎」
「そんな馬鹿な⁉︎」
思い起こされる敗北。その原因と言ってもいい、圧倒的な防御力。
しかし、それを可能とした纏う魔力が、シルビアの目には映らなかった。
「戦闘中に固まるのは、よくないぜ?」
「っ……おい、引くぞ!」
「わかってるっ……わかってるけど、体が……!」
チラリと横顔を向けて忠告したレイに、慌てて武器を引こうとした男達。しかし、体が動かない。
「いや、もう遅かったみたいだな」
そう言って、レイは背後から男達の首筋に手刀を落とし、その意識を刈り取った。
バタリと抵抗も何もなく倒れる男達。その余にも呆気ないやられ方に、勇者軍の動きが止まった。
「いったい何をしたの……?」
「さぁ? 自分の手の内を明かす奴がいるか? 暴いてみろよ」
レイがかつてと逆の立場で、シルビアを挑発する。
「っ……上等ッ!」
タイムディレイなしで返答と同時に中級魔法を打ち出したシルビア。あらゆる方位に展開された大きな氷の礫がレイを襲う。
ドガガガッ!
氷同士がぶつかる音か、硬い激突音が弾け、レイの姿はその氷の中に消え──
「どこを狙ってるんだ?」
「ッ⁉︎」
ふと、耳元で囁かれた声。驚愕し、振り向けば、そこにはレイの影も姿もない。だが、代わりに、悲鳴がシルビアの耳に届く。
「うわぁぁァッ!」
「いつの間、グハッ!」
「ッ⁉︎ な、何だ、これはッ⁉︎」
どこからともなくその悲鳴は上がり、いつの間にか倒れている仲間の姿。そして、それに目を取られた隙に消えていく、仲間達。
「な、何が起こってるっていうの……?」
思慮深い彼女でも、すぐには答えは出ない。
姿無き敵が、誰にも見られず、気付かれず、次々に仲間の意識を刈り取っていく。残るのは、仲間の悲鳴と地面に横たわる姿。
「や、やめてくれぇぇ!」
「何だよ、これ!何なんだよ、これはッ!」
「姿のない敵なんて、どうやって倒してらいいんだよ! あり得ないだろ、こんなのってッ!」
ある意味それは心霊にも似た恐怖であり、また、敵の正体がハッキリしている分、畏怖とも言うべき感情だ。
勇者軍の大半は、初めて出会うレイという常識外の化け物に、震えずにはいられなかった。
「しかし、アレだな。あの阿呆どこまで規格外になる気だ? もはや俺には何をやってるのか、さっぱりなんだが……」
「私もですぅ……なんか自信なくしちゃいそうですよ」
「ピッ(笑)」
元よりない自信のない元王子と、調子に乗りやすい犬耳少女は、レイの動きに圧倒されるうちの2人だった。
そんな2人を自分の事は棚に上げて、馬鹿にするハクは、ププッーと言いたそうな顔で、2人の顔の前をチラチラ。キーッとなったリスリットが、掴みかかるがヒョイっと躱され、ゴテンと地面で頭を打つ。
「もう、何をやってるの。大丈夫? リスリットちゃん」
「はうぅ、舌噛ひましひた」
「何ぃ⁉︎ 大変だ、見せてみろ! 切り傷には、唾がいいらしいからな。俺が舐めて──グハッ!」
セクハラ発言をしようとした春樹を、容赦のない幼馴染の鉄拳が襲う。結衣の目は、ゴミを見るような冷たい目だった。
そんな風に観客同然の立場で、レイと勇者軍の戦闘の行方を見守っていた彼らだったが、アンナだけは違った。
「…………」
無感情な瞳。どこか殺伐とした余裕のない表情。
その瞳は剣呑な雰囲気を携えて、レイの戦いへと向けられていた。
「どうしたの、アンナ?」
「……別に」
ゴルドの心配を受けて、そっと視線を地面に落としたアンナ。けれど、またすぐに視線を戻して、一方的な戦いに見入る。
戦いはレイ優勢のまま進んでいた。勇者軍の数はもう初めの半分以下にまで減少し、いつの間にか消えた仲間の悲鳴が、虚空から響くその場所は、混乱に染まっていた。
連携をするどころではない。陣形を保つ余裕などない。
集団の中にいるというのに感じる孤独感。己以外の誰かからの助けを期待なんて出来はしない。虚空に引き込まれたら最後、たった1人で向かい合わねばならないのだから。
そんな混乱の最中、1人の勇気ある少年は、芳しくない状況を好転させようと、姿なき襲撃者に向けて叫んだ。
「レイ兄ッ──! 僕が相手だ!」
虚空を見つめ、どこからでも来いと言わんばかりの頼もしい背中。手には剣を。体には軽装の装備を身に付け、予備の小刀を腰に差している。
彼の名はグール。レイの弟子であり、幼いにもかかわらず、2度にわたり勇者選別試験へ挑戦した度胸と、その有望な将来性を見込まれ、勇者軍の一員と認められた少年だ。
そんな彼に名指しで勝負を挑まれたレイは、己が世界に引き込んだ男の意識を刈り取りつつ、暖かな笑みを浮かべた。
再会した弟子が折れずに、まだ戦い続けている何よりの証拠を見せられて、喜ばずにいられるか。
虚空から火が噴き出し、その火は舞台を囲むリングのように、勇者軍とグールを引き裂いた。そして、その中にレイは姿を現す。
「勝てない不利を悟って、自分の得意な状況に誘い込む。そこまではいい」
その手段が挑発だけというのはいただけないが、シルビア達でさえ、対処法を思い付くことが出来ない技に対して、何歳も年下のグールが対応出来るとはレイも思っていない。
だから、甘いかもしれないが、ハンデとしてレイは姿を現した。しかし、同時に邪魔に入れないよう緋炎の業火で、グールを孤立させ、そして問う。
「それで、これからお前はどうする?」
「レイ兄を止めるっ!」
気合いは十分。スッと滑らかな動作で引かれた体は、一年前と比べ大きく、そして逞しくなった。その引き締まった体を見る限り、怠けてはいなかったようだ。
しかし、改めて正面に立つと、その大きさは背丈以上に開いて見える。
それこそが、今のレイとグールの差。無意識下でグールが感じ取った実力差に他ならない。
そして、それはグールにとって、嬉しくはない事実だ。
必死に、必死に追い掛けて、少しは追い付いたかと思った頃に飛んできた驚愕の事実。そして、一年を経て再会した今日、目にした遥かに遠い存在。
レイがレディクに抱く視線と、グールがレイに抱く視線は、とても似ていた。
しかし、だからと言って、レイは諦めてなどいない。もう見えない背中を追い掛けて、今も前に進んでいる。そんな師の背中を見ていたグールもまた、ここで逃げ恥を晒すような男ではない。
彼の夢は、いつだってその足元にある。
だからこそ、強く地面を踏みしめて、吠えるのだ。
「1速ッ!」
勇ましく吠えて、グールは空気の壁を壊し加速した。その速さはまだ、レイの目で十分追いかけることの出来るものであったが、贔屓目に見ても、シルビア達を除く寄せ集めのような兵とは、比べるまでもなく速い。
その素早い剣をレイは難なく上に跳ね上げると、グールに合わせたスピードで、掌底を放つ。それが、グールの胸部へと触れた瞬間──
「2速ッ!」
バチンッと再び空気の壁が弾けるような音が鳴り、グールの体は、滑るようにレイの手を躱す。それだけに留まらず、レイの間合いの中に入ると、お返しとばかりに拳を打った。
だが、反応速度で勝るレイは膝を上げ、器用にもその腕を下から上に跳ね上げると、体を横に倒し脇にその腕を挟もうと動く。だが、そこでまたグールの動きが一段階伸びる。
「3速ッ!」
瞬間、レイはグールの姿を見失った。だが、危機感知のセンサーが自然と働き、レイは転げるように前へ。
そして、同時に後ろ足を蹴り上げた。
ガツンと硬い感触と、それが砕ける感触がカカトに伝わる。
「っ……! 4速ッ!」
砕け散った小手。その破片が地面に落ちるよりも速く、グールはレイの前に回り込む。速さだけなら、もうレイを上回っているかもしれない。
だが、幾らスピードで勝ろうと、簡単に負けてくれるほど、レイは弱くはない。
「瞬動」
不安定な状態で超加速の切り札を切ったレイ。頭からの体当たり。魔装を纏っていないとはいえ、尋常ではない超スピードでの体当たりに、グールは反応すらままならずに、吹き飛ばされた。
「あがっ……!」
腹部を貫くような激しい痛み。内臓がむし返り、吐き気すら覚える。
グールはレイに体当たりされた腹を押さえ、蹲っていた。今しばらくは、その痛みと呼吸困難で、身動きが取れないだろう。
だが、一瞬とは言え、レイの本気を引き出したのは、紛う事なきグールの実力だ。
「強くなったな、グール。見違えたぞ。けど、スピードに踊らされて、隙が大きくなってる。そこをカバー出来るようにならないとな」
そんな風に褒めて伸ばしながらも、意図せずレイは結構無茶なアドバイスを掛けていた。
グールの使ったスキルは、【上乗せ】。文字通り、グールの能力値に、上乗せするスキル。そして、その上乗せ出来る数値は、相手のスピード、パワー、魔力に限られる。
その理由は、上乗せするそれらが乗った攻撃を、自らの体で受けなければ、発動条件が満たされないからだ。
つまり、グールのスキルは相手ありきのものとなっている。だから、瞬時にその速さに慣れろと言うのは、かなり無茶な要求だ。体が速く動いたとしても、事実上グールの認識は何ら変わらない。動く直前に行動を決めて、やっと使える代物なのだ。
しかし、それを差し引いても強力なスキルには変わりはない。一発逆転も望めるスキルである。そう、たおえ効果時間が短く、4速までの上乗せの効果が消えていたとしても、最後に受けた攻撃が、それらを逸するものであったのならば──逆転は可能である。
「1速……ッ!」
グールは苦痛に耐え、血と唾が入り混じった口で、能力を発動させる。その諦めない姿勢にレイが感慨を覚えたのも束の間、瞬動の猛威がレイ自身へと向けられた。
豪風がリングの業火を激しく揺らめかせ、一瞬その向こうが露わになる。火の手に阻まれ、水魔法により消化しようとしていたシルビア達の目に、現在進行形でモグラが掘り起こしたかの如く捲れ上がり、無数の筋が走る大地が映った。
「何て馬鹿げてるの……」
それは果たして、グールに向けた言葉か。それとも、業火さえ打ち消す速度を与えたレイに向けられていたのか。
それは、無意識のうちに口から言葉が漏れていたシルビアには、わからない。ただ、敢えて言うのなら、その両方。
あの決勝戦で見せたディクルドの本気を思い起こさせる動きそのものが、彼女を唖然とさせた。
「お姉様、いつでもいけます!」
思わず立ち尽くしていたシルビアは、ルーシィの呼び掛けにハッと我を取り戻し、手を前に突き出した。
「……総員、放て!」
シルビアの指示で一斉に放たれた水魔法の乱舞。業火と膨大な水がお互いを打ち消し合う中、レイの動体視力の埒外の動きを見せるグールの剣が、レイに狙い澄ます。
その時、僅かに漏れた気迫。
それを、レイの体は無意識に感じ取り、同時にレイの中の極地が刺激される。
足が自然と前に動いた。直後、レイの背後で地面が弾け飛ぶ。
剣を何もない正面に振るう。刹那、甲高い音ともに、剣が虚空から弾き出されたかのように見えた。
そして、振り返りざまに伸ばした手に、グールの首がすっぽりと収まり、腕に激震が走る。
「かはっ……!」
超スピードが仇となり、自らの動きで激しく喉を潰されたグールの顔は苦痛に染まり、口からは血とともに唾が飛び散った。
「マイナス100点だ、グール」
完全に動きを封じられたグール。悔し紛れの超速の拳も、首の動きだけで躱され、宙吊りにされる。
「折角のスピードも、単調な動きじゃテレフォンパンチと同じで、読みやすい。それに、スピードだけじゃ、敵は倒せない。こうして、窮地に陥るぐらいならさっきのスピードを使って逃げる方が余程堅実だ」
説教でもするようにグールを叱ったレイ。首に食い込む手を必死に引き剝がさんと暴れるグールは、悔しげに顔を歪めた。
それを見て、レイは手の拘束を緩め、グールは重力に従い足元から地面に足を付いた。だが、解放された喉はむせ返り、咳き込みながらそのまま倒れこむ。
そんなグールに、レイは手を差し伸べるようなことはせず、だが捨て置くようなこともしなかった。
「まぁでも、こんな圧倒的な力の差を見せ付けられて、1人で挑もうというお前の度胸と、その努力に免じて、オマケで20点くれてやる」
何だかんだ言いながら弟子は可愛いのか、厳しさと甘さを見せたレイは、咳き込むグールから視線を外し、業火の壁を掻き消して、尚も膨れ上がる膨大な水量に目をやった。
「よく引きつけてくれた、グール。これで、キッチックを沈められるわ」
シルビアを先頭に、陣形を整えた勇者軍。その彼らを守るように、莫大な量の水が天に昇り詰める。
「──アン・レクイエム」




