174.魔王の目的
「お久しぶりです──竜神様」
およそ2年半振りになるのか、俺は竜の谷の最奥で、竜達の主と相対していた。
「ふむ、息災であったようだの」
相変わらずちっとも埋まらない身の丈に、俺の首はほぼ真上に上げられている。まるで山そのものだ。
「して、今日は如何なる用があって参った?」
「二つ報告と、3つ聞きたい事が」
「ふむ、また問題事を抱えておるのか? どれ、話してみよ」
「じゃあ、まず聞きたい事から」
俺は一呼吸置いてから、竜神に質問を投げかけた。
「魂の核って何ですか?」
「……魂の核か。どこでそのような言葉を知ったのか。本来、知らずとも良いことだ」
まずはと、今日の要件の中で一番軽い内容を選択したつもりだったが、竜神の反応は予想していたものとは違った。
「知ったら不味かったですか?」
「いや……知識をつける事は悪いことではなかろう。だが、知ってしまったのならば、正しい知識を身につけなければん」
「確かにそうですね」
竜神の言葉は至極真っ当で、俺は深く頷いた。
「魂の核とは、文字通り魂の核となるものだ。本来それは誰もが有しており、生まれてから死ぬまでの記憶や、経験などがまとわりつく事で一つの魂と形を成す」
「なるほど」
やはり核というだけあって、その根幹を支えるものらしい。今更だが、その核がなかったらしい俺はどれだけ不安定な存在だったのだろうか。
想像するに、原子核崩壊を起こした原子のような存在だったのかもしれない。よくそれまで崩壊せずにいられたものだと、自分の事ながらに思う。
「……じゃあ、次の質問ですけど、死者の都への行き方を知ってますか?」
「……知っておる。だが、お主がそこに行く事は不可能だ」
竜神は断言した。俺は死の都に行く事は出来ない、と。
だが、それだけで諦め切れるほど、死の都は俺にとって思い入れがない場所ではない。
世界を救うためにも、俺とレイノルド、そしてシャルステナの関係にいずれは何らかの形で決着をつけるためにも、俺は何があってもそこにたどり着かなければならない場所だと思っている。
「俺はどうしてもそこへ行きたいんです」
元より、簡単でないことは知っている。名前だけで、どこにあるかも、果たして存在するかも怪しいと言われている場所なのだ。
7代秘境の中で唯一前人未踏と未確認のタグが両方付く場所。それが、死の都だ。
行けなくて当然。不可能と言われて当然。
だが、それが何かしらの条件があるのか、それとも原理的に俺には行く事が出来ない場所なのかで、話は大いに変わってくる。
「何故、俺には不可能なんですか?」
「ふむ……そこまで死の都に行きたいか。よかろう、ならばまず死者の都とはどういう場所なのか、話すとしよう」
どういう場所なのかまでわかるのは、竜神がそこに行った事があると考えていいのか。
いや、それは早計か。ただ知識として知っていて、実際には行った事がないのかもしれない。
そして、その考えは当たっていた。
「死者の都とは、神にのみ許された安息地」
「神にのみ……?」
「そう、神にも死は存在するが、肉体的な死であって、魂の死ではない。我ら神の魂──正確には加護として己の神格の一部を譲渡した者だけが肉体が滅んだとしても、死者の都で生き長らえる事ができると言われている。つまり、神でないものは死の都へは行けん」
それが……死の都の正体……だが、それなら何故……
「何故、そんな事をと疑問に思う事であろう。だが、考えてもみるのだ。我らが消えれば、我らの与えた加護はどうなる?」
一瞬、思考に傾いてた俺は、問われて意識を竜神へと戻す。
「それは……」
だが、すぐには答えは出てこない。それな俺を見兼ねて、竜神は答えをすぐに口にした。
「──消えるのだ」
と、俺はそれを聞いて、戦慄する。ようやく死の都の意味を理解したと言ってもいい。
「それはつまり……俺たちの中にある加護もという事ですか?」
「如何にも。故に、これは世界創世の時より、この世界に備わった安全措置と考えても良い」
「安全措置……」
確かに、神が死んで加護だけが残るというのはおかしな話だ。死の都はもしもの時のストッパーのような役割があるのかもしれない。死んだ神の魂をこの世に繋ぎとめておくような。
だが、俺の疑問は尚深まった。
どうして【神殺しの強奪者】であるノルドがそこにいる?
考えられるのは、彼も神であるという事。だが、誰も知らない神だ。
果たして、そんな事があり得るのか?
「一つ聞いてもいいですか?」
「何だ」
「認知されていない神がこの世にいる可能性はあるんですか?」
俺は神とは何なのかを知らない。どうやったらなれるのかも。
だが、方法如何によっては、認知されていない神がいてもおかしくないのではないか、と竜神へと質問を投げかけた。だが──
「ない」
またしても断言だった。
「神とはつまり、この世の摂理に干渉する術を得たものの事。一度、神が現れれば、我らが気付かぬはずがない」
「そういうもんですか」
「そういうものだ」
この世の摂理に干渉する力……か。何ともまぁ、神らしい力である。魔法も世界の理を書き換えるものなどと言われるが、おそらくその比ではないのだろう。
思い返せば、シャルステナが女神の力を下ろしたのを感知して、精霊神はやって来たようだった。たぶん俺にはまだわからない力の流れのようなものがこの世界には存在するのだろう。
しかし、そうなるとノルドが神ではないというのは、間違いがなさそうだ。ただ精神の中で顔を合わせているだけでも、竜神達と変わらぬ圧倒的な力量差を感じるというのに、【神殺し】の異名は伊達ではないという事か。
だが、実際問題、ノルドは死の都にいる。まさかそこから連れ出せと要求してきて、嘘だと言うことはないはずだ。
つまり、死の都に行く方法は、竜神の言うものだけではない。
「もし……もしですよ、仮に死の都へ行った人間がいたとして、どうやって行ったと思いますか?」
「…………ふむぅ」
竜神は珍しく考え込み、口を噤んだ。たぶんその頭の中では、俺の知らない知識が縦横無尽に駆け巡り、可能性を模索しているのだろう。
俺は静かに竜神が答えを出すのを待った。
「…………創世神様の力をお借りするしかなかろう」
「創世神様?」
「そう、この世をお創りになられたかのお方ならば、あるいは可能かもしれぬ。だが、我もお会い出来た事がない」
それは驚きだ。竜神でもとなると、神ですらない俺には到底会えない存在なのだろう。だが、確かにノルドならばあるいは会う事が出来たのかもしれない。
ただ何故そこから出られなくなったのかが、わからないが……
「創世神様にはどうやったら会えますか?」
「創世神様は、この世ではない天界に居られると言われているが、そこへ至る神の塔は神となって初めて開かれる。お主では、まだ無理だ。我と共に行ったとしても、天界には入れぬ」
これはまた予想外のところで、いい情報が手に入った。
天界と地上を繋ぐのが、神の塔。確か観光名所と化していると聞いたが、神でないものには攻略不可能の場所なのか。
「じゃあ、誰かに頼んで降りて来てもらうというのは?」
それなら、俺が行けずとも創世神に会える。シャルステナや精霊神にお願いすれば、不可能ではないのではないだろうか?
そう思ったが、所詮は人の浅知恵だったらしい。竜神は大きな頭を横に振った。
「それは絶対に叶わぬ。創世神様が天界に居られるのは、そのお力があまりに強大過ぎるからだ。ただ居るだけで、この世の摂理を破壊し兼ねないほどに」
そんな馬鹿な……とは思ったが、考えてみれば創世神は邪神とは違う意味で異質な神だ。この世の根源とも言っていい存在。本当は神と一括りにしていい存在ではないのかもしれない。
「我が思い付くのはそれだけだ」
「……そうですか」
神……か。それって俺もなれるものなのだろうか。
そう残された方法に考えを寄せる俺に、竜神は付け加える。
「だが、人の世は違うかもしれぬ。我が知るのは、神と竜の世だけだ」
「それってつまり……」
「万に一つの可能性はあろう」
いや、それはたぶん百に一つくらい高い可能性だ。実例が一つある。
たぶん何処かにはその方法が残っているはずだ。まぁ、結局のところ探してみるしかないというのは変わらないが。
「……最後の質問ですけど、邪神の支配について、詳しく教えてくれませんか?」
「邪神の支配か。それを、我に聞くという事はそなたが我に報告したいものの内容は、また邪神関連の事か」
また、と言われ本当に竜神には王都進行の時から一方的にお世話になっていると、俺は苦笑いした。
「ええ、まぁ。あんまりいい話じゃないんで、後回しにしたんですよ」
「そうか……では、覚悟して聞くとしよう。しかし、先にお主の問いに解を示さねばな」
「ありがとうございます」
俺が礼を言うと、竜神はよいと一言口にしてから、抽象的に説明を始めた。
「コップに入れた水に赤い液体を一滴混入させたとしよう。ここでは水が魂、赤の液体が邪神の加護だ」
俺は、頭の中で竜神が口にした状態を思い浮かべた。
「コップの水は赤が多ければ多い程、赤く染まる。しかし、同じ量を加えたとしても、コップが大きければ大きいほど水の透明度は保たれる。もうわかっておるとは思うが、コップに入れた水が赤く染まる程に、邪神の支配は強まるのだ」
つまり、水が多いほど邪神の加護の影響を受けなくなる。先ほどの話を合わせて考えれば、おそらく魂の強さ、大きさというものがあるという事なのだろう。
「しかし、その液体の中に、赤と対抗する色、たとえば青を混入させたとしよう。この青は、魂の核だ。青が正常、赤が邪神に囚われた状態だとすると、青と赤が混ざり紫となった状態──つまり、己の意思を封じられているわけではないが、憎悪や破壊衝動が抑えられない状態を、総じて魔王と呼ぶ」
なるほど、色分けすると分かりやすい。
つまり、赤が混じっていても青であれば、魔獣や、理性を保った人間で居られる。しかし、一方で赤となってしまった魂は、魔物や、魔人となって理性を失う。
そして、どちらでもない紫が、強大な力を得た魔王というわけか。
だが、そうなると……
「じゃあ、もしも初めから赤だった魂は……」
「そう、下手をすれば邪神を上回り兼ねない真の魔王が誕生する」
「ッ……!」
俺は自分の頭で理解して、初めてその危険性に気が付いた。
俺が竜神に話したい事は、二つあった。その一つが、正にこれ。
帝国で新たな魔王が生まれ、真の魔王とノルドに呼ばれていた事を報告しようと思っていた。
だが、それがここまでヤバイ事態だとは思ってもいなかった。
帝国で邪神を上回り兼ねない──すなわち、新たな邪神が生まれた、と言って過言ではないのではないか?
だが、それがわかったところで、今の俺に何が出来る?
ノルドもそれをわかって放置しろと、俺に言っていた。まだ、完全ではないとも。
だが、それなら今のうちに叩くのがベターなのは疑いようがない。だから俺は死神に頼もうと彼を探したこともあった。
しかし、その後どうなったかはわからないままだ。もし、真田慎二が死神から逃げ切っていたら、今頃力を完全にものにしているかもしれない。
正直、死の未来しか見えない。おそらく真田慎二の力が完成されれば、それは神ですら容易に退ける事が出来ない脅威になる。
今の俺には、到底太刀打ち出来やしない。だが、放置するわけにもいかない。
ならば、今俺が取る選択肢は──
「……生まれましたよ。ついこないだ。その真の魔王が。あれは多分邪神の加護と共鳴してる」
「何だと? それは真か?」
「はい、たぶん。それと、もう一つ」
俺は畳み掛けるように、報告した。
「魔王達は邪神復活じゃなくて、新たな邪神を作ろうとしている。ひょっとしたら、これが、これこそがあいつらの目的なんじゃ……」
それはつまり魔王達の目的は既に達成された──そう思考を導く事で竜神、ひいては神達の力の向く矛先を、邪神復活を企む魔王ではなく、真田慎二へと誘導した。
「……ッ! こうしてはおれぬ」
そう言って、竜神は洞窟の天井に向かって、咆哮をぶつけた。
グラァァァァァッ!
洞窟全体が激しく揺れ、土煙が落ちてくる。体を起こし、洞窟の天井目一杯にまでその体が迫る。
今の咆哮は竜語でこういう意味だ。
『我が眷属達よ。我の声に応えよ。我ら竜の力を使わねばならぬ時が来た。翼を打ち、飛び立て。そして、世界に伝えよ。竜神が名のもとに、全ての神に、警鐘を轟かせるのだ』
何重にも重なった竜の咆哮が響く。俺は、その余りの迫力に、声を失った。まるで怪獣大戦争が今から始まるかのように、大地が咆哮だけで激しく鳴動する。
「我は行かねばならぬ。すまぬが、頭上に気を付けよ」
その瞬間、洞窟の中に暴風が吹き荒れた。その爆風を悠然と掻き分け、竜神の体が宙に浮く。風を切る翼は激しい粉砕音と共に、洞窟の天井を突き破り、硬い岩盤が岩となって落ちた。
「後は我ら神に任せるが良い。ではな」
暴風や崩落の中でも竜神の声は強く鼓膜を打つ。青い空が岩の割れ目から垣間見え、そこから差し込む太陽の光。
それに照らされた大きく逞しい翼は、山のような大きな体を洞窟の外へと浮かび上がらせた。
洞穴は既に跡形もなく、空からは大岩が幾つも落ちてくる。そんな中にあっても、空に浮かぶ巨軀は天を覆い尽くさんばかりに広がり、その周りに色様々な竜が付き添う光景は圧巻の一言。一際大きい竜神に付き従う、蒼き竜はウェアリーゼだろうか。
俺はその光景を、隔離空間の中から見上げ、思わず興奮から来る笑いを漏らした。
「ははっ、なんか凄いことになったな」
いったい何が始まるというのだろうか。
きっとそこに俺という、ちんけな存在が割り込む余地などないが、これだけは言える。
──神が動く。
それが、どれほどの緊急事態を示すのか、言うまでもない。この世の頂点に立つ者達が動いたのだ。
「どうやら、お前とはもう2度と会う事はなさそうだな、真田慎二」
だからこそ、俺はそう確信めいた言葉を吐いたのだ。そして、崩落が収まると同時に、俺はふぅと息を吐く。
「神を騙すなんて、いつか罰が当たるかもな。けど……」
仇は誰にも譲らない。たとえそれが、世界を欺く行為だとしても、この気持ちだけは、この世の誰であろうと譲る気はない。
だから、今は──俺の掌で踊ってくれ。
〜〜〜〜
竜神が去った後の穴倉を出て、谷に向かい合う。いつもは空や、谷の中に竜達の姿があるそこは、今に限っていては閑散としていて、一斉に竜が飛び立った影響だろうか、強い風が吹いていた。
俺はトントンと軽い調子で、谷に向かって飛び上がると、弧を描きながら、二段、三段と重ね亀裂を横断していき、やがて一度の跳躍で向こう岸に渡れるようになると、雄大な自然の中で、アクロバティックを決めながら遊ぶと、入り口へと戻った。
「確か、こっちだったな」
朧げな記憶を弄り、足を向けた先は、セーラの住む村だ。今日中に王都へ帰ると約束してきたので、軽く走って、村へと向かう。
「あれ? なんかあったのか?」
ようやく見えてきた村。しかし、何故かそこには不穏な気配が漂っていた。村の入り口にたむろする物騒な剣や鎧を身に付けた人々。
引き攣った顔には、瀕死の思いが張り付いているかのようだ。
何かあったのだろうかと、ふと考えを巡らせると、先程のあれが頭に浮かぶ。
俺は警戒されないよう、わざと大手を振ってゆっくりとそこに近づいた。
「こ、この村に何か用か?」
声の届く位置まで近寄ると、向こうから声を掛けてきた。
「この村の宿屋にいるセーラに会いに来た。それと、さっきの竜の咆哮は竜達の会話だから、警戒する事はないよ」
「う、嘘を言え! 生まれてから一度もあんな恐ろしい叫び声は聞いた事がない!」
「そうだ! あいつが、竜達に何かしたんだ! 余計な事をしやがって!」
あれ?
余計警戒させてしまったか?
俺はやれやれと後頭部を掻いた。
険しい視線を向けてくる村人達。そこには、言葉を交わす意思など垣間見えない。
武器を持った男達が、ある程度間隔をあけて前方に広がると、その切っ先を全て俺に向けた
「出て行け! この村に近付くな!」
「そうだ、この罰当たりめ! 何の目的があって、
「いや、だから俺はセーラに会いに来ただけだって……」
「ッ……! あの子が目的か! 辛い旅を超えてようやく帰ってきたってのに、あの子を誘拐する気か!」
いや待て。
どんどん俺が悪者に仕立てられていってる気がするのは気のせいか?
いや、気のせいじゃないよな?
「だから、本当にセーラに会いに来ただけなんだって。誘拐なんてする気ないから」
「うるさい、黙れ! 誘拐犯の言葉なんか信じられるか!」
繰り返しの説得も、余程気が立っているのか、不安なのか、村人達を得心させる事はできなかった。
ここは一度帰って、この村に送り届けてくれたシャルステナを連れてきた方が早いかもしれない。
そう考えて、大人しく帰ろうとした時──
「キッチック兄!」
そんな懐かしい呼び名が聞こえた。声のした方向に顔を向けてみると、病気など感じさせない元気さで、走り寄ってくる少女の姿が。
俺は安堵と自責が入り混じった何とも言えぬ顔をすぐに整え、笑顔を作る。
「よう、元気にしてたか、セーラ?」
「うん!」
村人の隙間を抜けて、飛び付いてきたセーラをキャッチした俺は、地面にゆっくりと下ろた。
「元気そうでよかった。ごめんな……セーラ。俺のせいで余計な苦しみをセーラに味わせちまった。ほんとうに、ごめんな」
「……? よくわからないけど、わかった! 許してあげる。だから、こっち来て! お母さんも会いたがってたよ!」
ああと、一つ頷いて、セーラに手を引かれて村の中に入る。俺を街へ入れさせまいとしていた村人達は、勘違いに気付き、それを止める事はなかった。むしろ、口々に疑って悪かったと謝罪してくれた。
セーラに引っ張られるままに村の中を走り抜け、俺は懐かしの宿屋に来ていた。
すると、真っ先に出迎えてくれた女将さん。
「あらま! こりゃびっくりだ。もう会えないかもと思ってたよ」
「お久しぶりです。女将さんも、元気そうで何よりです」
「何よりじゃないよ、この子ったら帰ってくるなり、慌ただしくてね。ほっときゃ村中走り回ってるんだよ」
相変わらず恰幅のいい女将さんは、そう口では困ったもんだとセーラへの愚痴を零すが、表情はとても明るく、嬉しそうだった。
「子供らしくていいじゃないですか。俺なんて、5歳になる前から村中走り回ってましたよ」
「流石、噂に聞くトーナメント優勝だねぇ。まぁ、立ち話もなんだから、その時の話も奥でゆっくり話そうじゃないか」
女将さんの好意で、奥の部屋に通された俺は、出された紅茶とお菓子を食べながら、セーラとの思い出話に花を咲かせ、それを女将さんに聞かせていた。
そうして、ひとしきり話し終えた頃合いを見計らってか、不意に女将さんが頭を下げた。
「ほんとにあんたには感謝しても仕切れないよ。この子を救ってくれてありがとうね」
「いや……俺は無駄にセーラを苦しませただけで、感謝されるような事はしてません」
謙虚とも取れるその言葉は、本心だ。俺は、必要のない苦しみを彼女に与え、ギリギリで間に合わせたに過ぎない。
たぶんどれか一つでも狂っていたら、セーラは助からなかった。
知らない土地で、知らない場所で、行った事もない道中で、予想外の出来事が起きていれば、間に合わなかった。事実、クラーケンではなく、もっと恐ろしい危険な魔物が出現していたらと思うと、俺は自分を許せそうにない。
「そんなわけあるかい。あんたがいたから、この子は今こうして生きていられるんだ。この子を送ってきてくれた子にも言ったが、旅の過程で何があったとしても、あたしゃ責めないよ。あたしはこの子の命を一度諦めたんだ。だけど、あんたは最後まで諦めず、この子を救ってくれた。それだけで十分さ。大事なのは、今この子が笑って生きていられる事だよ。違うかい?」
そう言いながら、女将さんはセーラの頭を撫でていた。いきなり頭を撫でられたセーラは、目を閉じて顔を綻ばしたが、しばらくすると、セーラは俺の方に体を乗り出してきた。
「あのね、キッチック兄! 私、キッチック兄に会ったら言おうと思ってた事があるの!」
セーラはそう言って、満面の笑みを浮かべると。
「私を助けてくれて、ありがとう!」
そう口にした。
えへへと少し恥ずかし気に笑うセーラ。その華やかな、それでいて無邪気な笑顔を見ていると、心が溶かされていくような感じがした。
「……こっちこそ、ありがとう。セーラ」
俺もまた、ありがとうと口にしていた。
世界樹へ行く道のりで、俺は何度となく間違えて、それ以前にも、間違えてきたけれど。
セーラを助けようと思った事だけは間違いじゃなかった。
そう、思えたから。




