171.夢の定め
──雷光が弾ける。
閃光が瞬き、視界が塗り潰される。頼りにならない視覚を捨て、耳を澄ますと空気を引き裂くような刃音が聞こえた。
光が収まると、目の前には、薄い刃を持つ火の円盤が、迫っていた。左、右。回避の選択は、直後横から突き出す氷柱によって、邪魔された。
残された背後という選択。しかし、そこには鏡のように火の円盤が音も立てずに潜んでいた。
ゆえに飛び上がる他、回避の選択肢は残っていなかったが、空には今にも落ちそうな雷光が陣取っている。
全方位から魔法の乱舞。それを、俺は氷柱を足場に空へと登ると、落雷を宙返りで紙一重で躱し、地面に降り立った。
「すごいじゃないか、スクルト。もうこんなに魔法が使えるなんて」
俺は、背の丈にあった短い杖を構える弟を、素直に称賛し褒めた。まさかこんなにやるようになっていたとは思わなかった。グールといい勝負をしそうだ。
けれど、スクルトは不満そうに口を曲げるだけだ。
「結局、兄ちゃんには一回も当たらなかったのに?」
「いや、最後のは服に掠ったよ。けど、その年でこれだけ戦えれば大したもんだよ。母さんに教えて貰ったのか?」
「うん……」
俺は出来るだけ明るく、スクルトを褒めたが、スクルトは余り嬉しそうな顔は見せてはくれなかった。
気晴らしにでもなればいいと、引き篭もっていたスクルトを外に連れ出してみたものの、こんな風に暗い顔を見せられると、一人空回りしているようで、寂しくなってくる。
……難しいな、こういうのって。
こちらがどれだけ明るく接しても、中々相手にはそれが伝わってくれない。
「ねぇ……兄ちゃん」
「ん? どうした?」
「兄ちゃんは……悲しくないの? どうしてそんなに笑ってるの?」
軽蔑の視線を含んだスクルトの瞳。それが、胸の奥に隠した箱に深く突き刺さる。それを壊そうとするように、だが、俺は理性で拒絶した。
軽蔑も、反感も当然。スクルトのそれは、あって然るべきだ。親父の死後すぐに笑っている俺を見れば、いっそ不気味にすら思えるだろう。
でも、そんな筈がないだろ。
「……悲しいさ。けどな、人間悲しいだけじゃ、生きていけないんだよ。辛い事があったって、前を見て歩いていかないといけないんだ」
新たな道を見据えた俺にとってそれは、胸の奥に秘めるべきもの。俺だけがそれを知っていればいい。誰かにわかって貰わなくていい。知ってもらわなくてもいい。ただ秘めていればいい。
俺の中の新たな原動力となるものを。
だが、そんな俺の感情を7歳の弟にわかれと言うのは、酷な話かもしれない。
「じゃあ、兄ちゃんは僕が死んでも、そんな風にすぐへっちゃらになっちゃうんだね」
「いや、それは……」
「──っ」
何と返したら正解かと、言葉に詰まった俺の前から、スクルトは聞きたくないと言うように耳を塞ぎ逃げ出した。俺は、反射的に引き止めようと手を伸ばしたが、そんな風に思われていたのかと思うと、その手を掴む事は出来なかった。
空振りした手を引き戻し、俺はどうする事もなく、呆然と遠ざかっていく小さな背中を見詰めた。
……どうしたらいいんだろうな、俺は。
なぁ、親父。
親父なら、こんな時どうしたんだ?
空の向こうに問い掛けて、俺は返ってくる答えのないそっと顔を下ろした。
〜〜〜〜
「あっ、お帰り、レイ」
「ああ、ただいま」
家に戻るとシャルステナが出迎えてくれた。
あれから二週間。彼女はまだ俺の家にいた。
理由は二つ。彼女の帰る家が、魔王との戦いで大きく崩れてしまったのと、母さんが衰弱してしまっているからだ。
俺は今王都の復興に協力している。本当は母さんの様子を見ていたいのだが、今は一人にして欲しいのか母さんの方から、復興に協力するように言われ、昼は王都の方へ行っている。
しかし、母さんは日に日に憔悴していき、今や食事も喉を通らない。そんな状態の母さんをとても残してはいけなかった俺は、シャルステナにしばらく家に居てくれないかと頼んだ。
シャルステナは、それを二つ返事でそれを引き受けてくれて、甲斐甲斐しく母さんの世話をしてくれている。
「スクルト君が泣きながら帰って来たんだけど、何かあった?」
「いや、まぁ……ちょっと失敗してな。兄ちゃんは僕が死んでも平気なんだね、みたいな事を言われた」
頭を掻きながら、参ったと苦笑い。
どうしてこうなってしまうのか。俺はそんなつもりで、スクルトを外に連れ出してわけではないのに。
「そう……大丈夫?」
「んまぁ、大丈夫だよ。スクルトも、親父が居なくなって不安やら、悲しいやらで、わけがわかなくなってるんだよ」
まだほんの7歳の子供なのだ。
父親を失うには、幼すぎる時期だ。受け止めきれず、かと言って、母さんがあんな調子だ。一番甘えたいであろう人に、泣き付けないから、ああして吐き出してしまったのだろう。
「スクルトは部屋か?」
「うん」
「じゃあ……ちょっと行ってくる」
そう言って、俺は家の奥に入っていく。
幾ら親父に助けを求めたところで……親父はもういない。
何が出来るかと考えるだけではいつまで経っても、何も変えられない。
やるか、やらないか。当たって砕けろだ。
俺は息を深く吐いて心を落ち着けてから、スクルトの部屋のドアを叩いた。
「スクルト……いるんだろ?」
………………沈黙。
部屋の中から、返事はない。
気配はあるから、よほど嫌われてしまったという事なのか。
「……スクルト、親父はカッコよかったな。強かったな」
俺はドアに向かって語りかけた。
「あの人はな、最後の最後まで、凄かったよ。最後の最後まで、笑う事を忘れなかった」
何も考えず、思った事をそのまま口にして、
「親父、死ぬ前に俺に言ったんだよ。情けねぇ顔するなって。だから、俺は辛くて笑う事にした。どんなに悲しくても、辛くても、苦しくても、親父みたいに笑っていようと思った」
隠そうとしていた本心を曝け出す。それが、一番だと思ったから。
理解してくれるとは、思ってない。ただ、こういう考え方もあるんだっていうことを知って欲しかった。
「さっきの質問に答えるな、スクルト。俺はお前が死んでも、平気な顔をしてるかもしれない。笑ってるかもしれない。けどそれはな、辛くないからじゃない。辛いから、悲しいから、笑ってるんだ」
中から息をのむような声が聞こえた後、啜り泣く音が聞こえた。
「だから、俺はスクルトが死んでも、へっちゃらだって事はない。死ぬほど悔やんで、狂うほど悲しんで、我を忘れるほど怒る。今だってそうだ。あの時……ああしてたらって悔やんで……泣いてわめき散らしたい。今すぐにでも、この手で……仇を取ってやりたい」
全部、全部、本心で、そのままに出来たらどれだけ、楽なのだろう。
悔やんで悔やんで、過去が変えられたら。
泣いて泣いて、この悲しみを忘れられるのなら。
怒りのままに、憎しみをぶつけて、それが成せるのなら。
俺は、笑顔なんて捨ててやる。
「でも、それじゃあダメなんだ。悔やんでも反省は出来るけどま、過去を変えることな出来ない。どれだけ泣いても、心は軽くなるかもしれないけど、癒えることはない。仇を取りたくても、今の俺は弱くて、殺されるのは目に見えている」
結局、人生の全てにおいて楽な道なんてないのだ。
どんな道にも、必ず激しい起伏があって、時には崖もあるだろう。
だけど、一度その上に立ったのなら、どんなに痛い思いをしても、進まなければならないんだ。だって道はそこにしかないのだから。
「だから、俺は笑う。平気な面して、過ごす。もう反省したから。もう整理はついたから。後一つ、このどうしようもない怒りをぶつけるために、足掻くんだ」
何もかも嘘でも、たった一つ強い思いがあれば、人は歩いていける。
俺の中でそれは、親父を超えたい。
それだけだ。それだけがたぶん、色々と目移りする俺の根底に、いや、最も強く輝く夢なのだ。
「お前はどうだ、スクルト? もう反省はしたか? 泣いて、心の整理が付いたか? 怒りは収められたか? 出来てないんだったら、取り敢えず無理にでも笑ってみろ。自分を騙せ。人を騙せ。泣いてるだけじゃ、後悔してるだけじゃ、いつまで経ってもそこから動けないぞ?」
俺はきっと言葉足らずで、親父のように、それをスクルトに伝えられた自信はない。けど、きっとスクルトはわかってくれると、俺は確信している。
だって、スクルトは親父の子で、俺の弟なんだから。
今は無理でもいつか、俺たちの生き様を見て、それを悟ってくれると、俺はそれ以上何も言わずにそこから立ち去った。
〜〜〜〜
スクルトと少し揉めてから、一週間程が経過した。あれからスクルトとは、言葉を交わしていない。母さんも、ベットの上からずっと動かず、賑やかだった家の食卓を囲むのは今となっては俺とシャルステナだけとなった。
「………………」
このまま…………俺の家族は……バラバラになってしまうのだろうか……
不安が、心を薔薇のロープでグルグルと締め付ける。
「ふぅ……」
俺は、自分で作った味気ない食事を半分ほど残し、箸を置いた。なんだか、食欲が湧かなかったのだ。
そんな俺を見て、シャルステナは少し焦ったように、会話を切り出してきた。
「あ、あのね、レイ。ええっと……あの、そう! 精霊神様がね、しばらく王都周辺を守護してくれるって。だから、その……魔王の事は心配しなくても大丈夫だよ?」
途中から言い難そうに声量を落として、そんな事を教えてくれたシャルステナ。
俺は、一言そうかと口にすると、ふと窓の外を見た。
「………………」
……ハクは……もう知ってしまっただろうか?
セシルなら確実に、不死鳥の死という情報を掴んでいるだろう。さすがに面白半分でもそれをハクに伝えるような事はしないだろうが……ここにまで至る経路で、必ずそれはハクの耳に入る。
あるいは、今頃一人で泣いているかもしれない。
「……馬鹿か、俺は」
俺が、沈んでいてどうする。親父はもういないんだ。俺が全部、どうにかしなきゃいけないんだ。
「シャル、みんなでピクニックに行こうか」
「えっ? みんなって……」
「母さんとスクルトと俺とシャルで」
シャルステナは一度、目をパチパチさせて、それから笑顔で、
「うん!」
と、頷いた。
思い立ったが吉日。
それから取り敢えず俺は、スクルトの部屋をぶち破った。
「ええっ⁉︎ に、兄ちゃん⁉︎」
ビクッと体を震わせて、食事を口に運んでいたスプーンを落としたスクルトは、驚愕仕切った様子で、扉の残骸と俺を視線で行ったり来たりしていた。
ふと、何事かと慌てるスクルトを見れば、床に置かれた食事の横に、難しい魔法書の山が出来ていた。そして、その近くには何かを書き写した紙とペン。
俺は、そんな風に隠れて、何かをし始めたスクルトを見て、胸の棘が一本抜かれたような思いだった。思わず頬が緩む。
「ピクニックに行くぞ、スクルト」
「ピ、ピクニック……?」
「そうだ。たまには外で食事をするのもいいだろ」
そう言って、俺はあわわわと状況理解が遅いスクルトを捕まえて、無理矢理外に連れ出してシャルに渡してから、母さんの部屋に行き、今度は扉をゆっくり開けた。
明かりの灯っていない部屋で、母さんはベットの上に腰を下ろしながら、食事をゆっくりと取っていた。すぐに俺に気が付いた母さんが向けてきた顔は、以前のような明るさも、優しさもなかった。ただただ虚ろで、生気がないそんな顔だった。
「さっきから騒がしいけれど、どうかしたの、レイ?」
「みんなでピクニックに行こうって思って。あそこに……墓を建てたからさ。親父が好きだった場所だから」
「……そう……けど、私はいいわ。みんなで行ってきなさい」
母さんは抑揚のない声でそう言うと、また食事に戻る。本当に少しずつ、戻さないようにゆっくりと食事を運ぶ母さんの様子は痛々しかった。
棘がより深く食い込む。そんな感じがして、俺は胸を押さえた。
「……母さん、親父は最後まで笑ってたよ」
「……あの人らしいわね。ずっとそうだったわ。私の気持ちも知らないで、無茶して、笑って誤魔化すのよ。死んでしまったら、もう笑う事だって出来ないでしょうに……」
手を止めて、俺の顔を見ないで母さんは家の壁を見詰める。その壁には、二人の思い出なのだろうか、この辺りにはない調度品や、何かのメダルが飾られていた。
それらの物が、母さんは親父が無理をし続けたから手に入ったものとでも言いたいのだろうか。
でも、そんな筈はない。母さんも、本当はわかってるはずだ。
「違うよ。親父は笑って誤魔化したんじゃない。いい人生だった。そう言って、親父は笑い続けたんだ。あの人は馬鹿だったから、きっとその言葉通りの意味で、笑い続けたんだよ」
楽しかったから。見たかったら。知りたかったから。
理由は色々あるだろうけど、あの日親父が俺に語ってくれた世界を、親父は確かに楽しんでいたんだ。
だから、この壁に残っているのは、楽しい思い出の品。決して、苦しい、辛いを笑顔で誤魔化して手にした品ではないはずだ。
「……そうかもしれないわね。けど、私はあの人の笑顔が嫌いよ。笑って誤魔化さず、言って欲しかった。頼って欲しかった。けど……結局最後まで、そうやって死んでしまったのね」
母さんの声は震えていた。俺は、すぐに駆け寄って母さんの背中に手を這わす。
「本当に馬鹿よ、あの人は……」
ポトポトと、雫を落とす母さんを見て、俺はピクニックに行く事を断念せざるを得なかった。
〜〜〜〜
月夜の空を流れる薄い雲。儚く、希薄なそれはともすれば消えてしまいそうなほどに、影が薄い。靄のように暗色の空を流れている。
そんな空のした──
「……レディク。レイは益々あなたに似てきたわ。あの子ね、笑ってるのよ。ふとした時辛そうな顔してるのに、笑うのよ」
満月の光を映す湖の前で。
剣が供えられただけの簡素な墓の前で。
月のような金色の髪を冷たい風になびかせるミュラの姿があった。
時刻は、もう夜中の3時頃だろうか。
深夜に入り、冷たくなった春の気温の中で、ミュラは部屋着のような薄く、寒々とした格好で、その場に立っていた。
ミュラはゆっくりとレディクの墓の前で腰を落とすと、あれから10日を過ぎても緋色の輝きを収めない刀身に触れた。
「……不思議ね。熱くない」
暑さを感じるどころか、夜間の気温に同調したような冷たさを手に感じ、ミュラはソッと手を離した。
「昔、あなたは言ったわよね。笑っていれば、辛い事でも楽しくなるもんだって。あの時は、そうかもしれないと私も思ったけど……本当にそうかしら? 今のレイを見てるとね、私には余計に辛そうに見えるのよ。無理に背負い込もうとして、無理に誤魔化そうとして、取り敢えず笑ってる。そんな風に見えるのよ」
墓の向こうに語り掛けて。レディクの姿をそこに映して、ミュラはジンワリと濡れる瞳を拭う。
「……あなたもそうだった? ずっと無理していたの? もしそうなら……どうして言ってくれなかったの? あなたと一緒になった時、私はずっとあなたの横にいると覚悟を決めていたのに……やっぱりあなたは何も言わずに、先に行ってしまうのね」
それ程までに自分は頼りなかったのか。
そんな無意味な自問自答を何度と繰り返し、その度に涙して、ふと浮かぶレディクの顔。
そこにあるのは、いつもの笑顔ではなくて、これ以上なく真剣な表情。
そして、レディクは言うのだ。いや、言ったのだ。
「……わかってるわよ。あなたが先に逝った理由は」
今ならわかる。あの日聞いた、非現実的過ぎる話。レディク自身、冗談半分にしか話さなかったあれは、今にして思えば、真実だったのだ。
あれ程好きだった冒険を止めたのも。
結婚して子供を作ったのも。
日頃、家でダラダラとしていたのも。
「もう……限界だったのでしょう?」
つまりはそういう事だったのだろう。
「だから、もう自分の心に決着を付けに来たわ」
そうまでして、レディクが残してくれたもの。それに対して、ミュラの心が浮かべるのは、深い感謝と、愛だ。それ以外には何もなく、何も必要ない。
「ありがとう、私にあの子達を残してくれて。そして、一緒に生きてくれて。あなたが、残してくれたものを……私は大切に育てていくわ」
それは別れの言葉。
先延ばしにされた別れを口にしたミュラの頬を大粒の涙が一筋落ちた。
「……あなたの言っていた夢が本当になってしまうのね」
ミュラはそこにある剣へと手を伸ばした。
「お願いよ、レディク。あなたがあの子を守ってあげて」
そして、願うように目を閉じ、その柄を撫でて、
「──夢の定めから」
緋炎を地面から抜いた。




