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170.復讐者

 

 ここは、どこだろう?


 ホワッと意識が浮かんでいるような、そんな浮遊感がある。気のせいか、体も軽い。


 あれ……というか、あたしの手……透けてない?


 ──アンナ……


 あたしを呼ぶ声がした。その声がした方に目を向けてみると、川を挟んであたしの大好きな人が立っていた。


 お兄ちゃん……? そんな所で何してるの?


 そう、口にしたつもりか、何故か声が出なかった。


 代わりにお兄ちゃんは、あたしに背を向けて一人歩き出してしまう。


 あっ……待って、お兄ちゃん!


 私は、後を追わないといけない気がした。今ここで追わなければ、2度と会えない、そんな恐怖に締め付けられた。

 咄嗟にあたしは駆け出した。追い掛けようとした。

 だが、何もない場所から伸びてきた手が、それを邪魔する。


 な、何すんのよ! あたしは……あたしは今……!


 あたしはその手を振り解こうと、必死に暴れた。けど、万力に掴まれたようにビクともしない。その間にも、お兄ちゃんは私から離れていってしまう。


 待って……待って、お兄ちゃん!


 ようやくその叫びが届いたのか、薄っすらと白い靄のようなものに取り囲まれたお兄ちゃんが振り返り、


『もう起きる時間だよ』


 そう言って、再び背を向けて歩き出してしまった。その背はどんどん白い靄にかすれていく。


 ……ダメ。そっちにいったら、ダメだよ、お兄ちゃん!


 何故かはわからないが、止めなければと、そう思った。

 けれど、あたしとお兄ちゃんの距離は遠ざかっていくばかり。


 行かないで! 待って!お願いだから、待ってよ、お兄ちゃんッ!


 お兄ちゃんの姿が霞の向こうに消えていく。


 あたしを置いて行かないでっ! ここに残して行かないでッ!


 叫んでも、それはもう届かなかった。届きようがなかった。

 そこに残されたのは私だけ。そう、私だけ。

 そこに、私を守ってくれる、安心を与えてくれる大好きな人は、もういなかった。


 あ……あ……い、いやぁぁぁあ!



 〜〜〜〜



 魔王の襲来によって、ライクベルク王国の首都イグノアは、壊滅的打撃を受けた。周囲の一体の景色も含めて、何もかもが大きく変わってしまった。

 死傷者はおよそ、20万人。そのうち、帰らぬ者となったのは、その三分の一を占める。また、行方不明者も含めると死者の数は、10万にも届く。

 その死者、行方不明者の大半が魔王に挑んだ勇気ある者たちだが、中には避難の途中で魔物に襲われたり、突然の天変地異に巻き込まれ、命を落とした者も少なからず含まれている。


 後に『災厄の前触れ』と言われる事になるこの事件で、皆、家族や友人、あるいは知人と呼べる間柄の人物を失った。その心の傷は深く、またこの国一番の英雄を失った代償は大きい。

 復興間際の王都は、多くの人が新しい街の建設に向けて動いていながらも、暗くどんよりとした雰囲気が漂っていた。


 そんな王都の一角。

 何とか崩壊を免れた屋敷の一室で、年若い一人の少女が眠っていた。

 事件から一週間と少し過ぎた今でも、彼女はまだ目を覚まさない。体に負った傷はすでに癒され、外傷は何も見当たらない。だが、彼女が心に負った傷は深く、治癒魔法でも癒す事は出来なかった。


 そんな彼女の手を握り、不安気な顔でジッと覗き込んでいるのは、彼女の友人のゴルドだ。

 いつもの無邪気な彼の顔は、いつまで経っても目を覚まさないアンナに、不安と心配で酷く落ち込んでいた。

 ゴルドは眠り続けるアンナの側で、あの日からずっと彼女が目を覚ますのを、ジッと耐え忍び、待ち続けていた。


 そんなまるで時が止まったかのような動きのない室内に──


 ──コンコン。


 二度軽く扉が叩く音が響いた。

 ハッと顔を上げたゴルドは、どうぞっと言って、扉に目を向ける。

 カチャとドアノブが回り、ドアが開く。


「よぉ、それからアンナの様子はどうだ?」


 入ってきたのは、レイだった。挨拶も手短に、レイはアンナのその後の様子をゴルドへと尋ねる。


「全然、目を覚まさないよ」

「……そっか……ん?」


 首を横に振ったゴルドにレイはうつむき気味に答えて、すぐ顔を上げた。そして、何故か部屋中にキョロキョロと視線を回し、それからアンナを一目見てほんの少し口元を緩める。


「ゴルド、じゃあ、早いけど俺はもう行くよ。また、後で来るからさ。今日は、一日中アンナに付いてやっててくれ」

「……うん、わかった」


 ゴルドはそんなレイのおかしな様子に小さく首を捻ってから、ひとまず頷いた。

 レイはまた後でなと、軽く手をあげて部屋を出ると、復興の為、今日も一仕事しに向かった。


 レイが去った後の室内には、また時が止まったような静けさが戻った。音一つなく、窓から入り込む日の光が作る影だけが、日が昇り、落ちていく時を室内に伝え続ける。


 やがて、時は夕暮れ。日暮れ前のオレンジの強い日差しがゴルドを照らし、アンナの顔に差し込む。

 今日という1日で、また変わる事のなかったその表情。それがまた一つ、ゴルドの心を締め付ける。


 もう目覚める事はないんじゃないか。

 このまま永遠に時が過ぎてしまうのではないか。


 そんな考えたくもない考えが、浮かんでは叩き消して、浮かんでは叩き消して。


 その度し難い感情に、ゴルドは深く目を瞑った。


 ──その時。


「イヤァァァッ!」


 鼓膜を貫くような悲痛な悲鳴が、彼のすぐ側で響く。

 その悲鳴にハッとなって目を開けたゴルド。その目の前には、蒼白してやせていたが、10日ぶりに目を覚ましたアンナがいた。


「目が覚めたんだね、アンナ!」


 今日までの辛さや苦しみが、一目で吹き飛び、思わず涙を零すゴルド。


「よかった、本当によかったよ」


 一方で、アンナもまた涙を浮かべていた。しかし、二人して、同じように瞳を濡らしているが、ゴルドは歓喜、アンナは絶望を顔に張り付けていて、その涙の向く先が真逆なのは明らかだ。


「ぁ……ぁ……」


 少しずつ、少しずつ、アンナの中で思い出したくもない記憶が蘇ってくる。

 魔王との戦い。目の前で倒れていく仲間。そして、火の槍で己の胸を貫いた兄の姿を……


「なん、でよ……なんで、あたしが、生きてるのよ」


 震えが始まった。

 それは、恐怖か、悲しみか。あるいはどちらもが表れているのか、アンナ自身にもわからない。


「あ、アンナ、落ち着いて。僕が、全部話すから」

「いらない! お兄ちゃんは⁉︎ お兄ちゃんは、どこ⁉︎」


 そう言って、泣きながら喚き始めたアンナは、布団を蹴り飛ばし、ゴルドに詰め寄った。涙を流し、恐怖を目に焼き付けているのに、何故か笑っているように見える口元が、ゴルドの顔のすぐ前で動いて、お兄ちゃん、お兄ちゃんと喚く。

 そんなアンナの悲痛な姿を、ゴルドは見ていられなくて目を逸らした。


「アンナのお兄さんは……」

「お兄ちゃんはどこよ! あたしが生きてるのなら、お兄ちゃんも生きてるのよね⁉︎ 連れてきてよ! 今すぐ! ほら、早く、ゴルド! お願いだから、お兄ちゃんを連れてきて! 後で、ほら、何かお願い聞いてあげるから! だから、早く!」


 絞り出したゴルドの言葉を最後まで聞かず、いや、聞きたくないと、無理過ぎる笑顔を浮かべて、アンナは兄を連れてきてとゴルドに懇願した。

 ゴルドは、そんな彼女を黙らせるように、グッとその体を抱き寄せると、耳元で囁くように、アンナが目を逸らそうとする真実を告げる。


「アンナのお兄さんはもういないんだ。あの時……死んじゃったんだよ」

「う、嘘よ……だって、だって……嘘ついてんじゃないわよ! 冗談でもそんな事……!」

「アンナッ!」


 強い抱擁の中で暴れて泣き喚いいたアンナは、ビクッとゴルドの大声に体を震わせる。

 ゴルドは一層強く彼女を抱き締めて……


「アンナのお兄さんはもう、死んだんだよ」


 そう、再度彼女に言い聞かせた。


 グタリと、全身の力が抜ける。真実から目を逸らそうと、自身を騙そうとしていた無理な笑顔が消え失せる。

 後に残るのは、恐怖と悲しみにボロボロと涙を零すアンナの顔。

 窓に反射して映る己の顔は、酷く不細工に歪められて、とても醜く見えた。


「……お願い、ゴルド」


 だから、彼女はもうそんな不細工なままいたくなくて、この苦しみから解放されたくて、恐怖から逃げたくて……


「──殺して……」


 そう残酷なお願いを口にした。


 ゴルドはそれを聞いて、もう堪えきれなかった。酷く傷付き、生きたくないと、殺してと口にしたアンナを、肌に跡が残るほど強く抱き締めた。


「……昔、僕に言ってくれたじゃないか。諦めたら何も出来ないって。だから、僕は今まで頑張って来れたんだ。そう言ってくれたアンナが、生きる事を諦めるなんて、ダメだよ」

「……何でよ。そんなの子供の頃の話じゃない。もう……あたしは生きていたくないの。生きる事を諦めたの。辛い、苦しい、怖いこの世界で、あたしが生きていけたのは、お兄ちゃんがいたから……だから、もうあたしは……生きていけない」


 もう自分を守ってくれると言ってくれた人はいない。いつの日かと、夢見た関係になれる人もいない。

 なのに、この耐え難い悲しみと苦しみを、この先どうやって、耐えていけばいいのか。

 ならば、いっそここで、全てを終わらせてしまいたい。

 もう、この辛さごと、全てを捨ててしまいたい。


「嫌だ。僕は絶対にアンナを死なせない」


 だというのに彼は、普段なら何でも言うことを聞いてくれるというのに、この苦しみから解放してはくれなかった。


「……何でよ……」


 内からこみ上げるように、沸々と怒りが湧き上がっていた。やけになったのかもしれない。

 心からの願いを聞いてくれないゴルドに、アンナは駄々っ子のような怒りをぶつけた。


「何で……あたしのお願いを聞いてくれないのよ!」


 ゴルドの腕に、アンナの爪が減り込む。


「あたしはね、死にたいのよ! お兄ちゃんがいないから、もう誰も私を守ってくれない! だから、また怖い思いをするもう嫌なのっ! 震えるのよ、怖いのよ! 生きる希望だってない!お兄ちゃんといつか一緒になる事だけが、私の生きる理由だった! だから、もう殺してよっ! あんたなら、簡単に出来るでしょうッ⁉︎」


 抱擁する腕を強引に引き剥がし、アンナは己の全てをぶちまけるように、ゴルドに向けて嘆き叫んだ。

 死にたい、死にたい、死にたいと、その叫びの一つ一つにそう思いを乗せて。


 簡単な事だろうと。

 その壁に立て掛けた大剣で、この首か、この頭か、この胸でもいい。何でもいいから、早く終わらせてくれればそれでいいのだ、と。

 ゴルドの気持ちなど微塵も考えず、ただ死を望んだ。


「わかった」


 でも、その通りだ。アンナの言う通りだ。

 簡単な事だった。ゴルドに出来る事なんて、初めから一つしかなかい。


「僕が絶対にアンナを守る」


 アンナが本当に欲しているものを差し出す以外。


「僕がアンナの生きる理由になる」


 ようやく吐露してくれた願いを叶える以外。


「だから、もう死にたいなんて言わないでよ。アンナが生きるのに必要な全部、僕がまとめてどうにかしてみせるから」


 惚れた女に、何をあげるというのか。


「何でも言ってよ。僕、頑張るから。アンナが生きていたいと思えるように、僕頑張るから」


 震える手を押さえるように差し伸ばされた両手。

 手の温もりが、腕を通して、全身に伝わっていく。それは、彼女の恐れを振り払い押し出して、失くしたものを埋めるように、内へと入ってきた。


 気が付けば、震えが止まっていた。


 その潤んだ瞳に映るゴルドの顔。本人は精一杯の頼もしさを出しているつもりなのだろうが、いつもの無邪気な笑みだった。

 だけど、それはとても頼もしく、また男らしい顔に、アンナには見えたのだ。


 ただ受け入れてくれる。どんなにダメでも、それをどうにかしてくれる。

 そんな風に、その一片の曇りもない優しさをそこから感じた。


「……じゃあ、慰めてよ」


 だからか、彼女はポスッと音を立てて、ゴルドの胸に寄りかかった。


 ゴルドの鼓動が耳から聞こえてくる。その音が、とても心地よくて、アンナはもっと聞きたいとその体を強く預け、手で引き寄せた。

 でも、足りない。もっとよく聞きたい。この落ち着く音色を。


「抱き締めてよ……強く」

「う……うん」


 背中に手が回された。その感触が心地良くて、安心できて。

 そして、さらに近付いた鼓動が、恐怖と悲しみを湯水のように溶かし流していく。それがとても心地良かった。


 ふと、耳に届く鼓動が強くなった。ドクッ、ドクッと少しずつ間隔を速めていく胸の音。

 ソッと髪が撫でられた。ゆっくりと、ゆっくりと。

 何故か、小刻みに震えている手が、アンナの頭を撫で──


「──!」


 ハッと顔を上げたアンナ。見上げた先で、ゴルドは──色々限界だった。

 その様々な感情が入り混じった顔を、どう表現したらいいかわからないが、一つ言えるのは……幸せそうだった。


 自分の言動を自覚して、アンナはカーと瞬間湯沸し器の如く顔を赤くする。

 そして、気が付けば、ゴルドの顔にはいつも通りの紅葉が咲き乱れた。



 〜〜〜〜



「さぁて、今日も一日頑張るか!」


 バチバチと頬を叩いて、気合いを入れ直す。


 先程、10日ほど眠り続けているアンナの様子を見に行った。今日も、ゴルドが朝から彼女の側で手を握っていたが、それで今日も終わりだろう。そういう声(・・)を聞けたしな。


 俺は、アンナの実家を出て、今日の復興地区へと向かった。

 その途中、大通りをチラリと通る事になったが、瓦礫が散乱し、殆ど人もいなかった。復興の手がまだここまで伸びていないからだろう。かつての賑わいを知っているばかりに、余計に寂しさを感じてしまった。


 俺はその感傷を抱えたまま、今日の復興に取り掛かった。

 復興の指揮は、主にギルクが主体となって動いている。腐っても王子。指示を出すのには慣れているのか、作業は比較的スムーズに進んでいる。


 だが、復興の速度として見てみると、遅く感じてしまう。それは単純に手が足りないから。

 しかし、皆精神的にしんどい時期だ。無理に手伝わせるわけにもいかない。

 だから、復興は俺のような心の整理がついたものが有志で参加しているのだが、数はそれ程多くないのが現状だ。


 そして、もう一つ理由を挙げるとしたら、それは被害の大きさ。これまで街の復興やら建設に何度も携わってきたが、王都はそれとはまるで規模が違う。

 地割れや、ちょっとした破損は除くにしても、建物の被害だけでも膨大な量がある。直しても直しても、キリがない。

 それに、いつもならば俺が魔法でバババッと家を建てたりして片がつくのだが……今、俺はそれが出来ない状況にある事も、理由の一つだろうか。


 実は、俺は今──魔力がないのだ。


 理由は簡単。

 無茶し過ぎた。俺の魔臓は、治療不可の全損状態だ。シャルステナ曰く、焼き切れてるのだそうだ。


 何度も許容量を超える魔力を流し込み、更には一度暴発させた。それだけならまだしも、限界突破の永続化はやり過ぎたらしい。あの時は、それが最前だったと今でも思っているから、後悔など微塵もしていないが、正直言うと、面倒な事になっている。


 魔臓が全損。それは、魔力が新しく生成されないという事ではない。

 魔臓とは魔力を貯蔵しておく容器。その容器が一杯になると、魔力がその外に漏れ出す。実はこれもあまり良くはない。魔力が勝手に肉体に作用して、酷い場合セーラのような病気になってしまう。


 つまり、俺は今常に魔力垂れ流しの状態なのだ。だから、感じる魔力としては、魔法を唱えるのも幾ばくか厳しいものになっている。

 ただ、俺はこんな時非常に有能なスキルを持っている。


 そう、魔素化のスキルだ。

 簡単に言えば、魔力を貯蔵出来ない体の代わりに、魔素として物に貯蔵しているのだ。

 だが、効率はあまり良くない。常に魔素に変換し続ける事は出来ないからだ。正直言うと、10日かけて、総魔力の3倍がようやく集まったというところだ。とても無駄に消費する事は出来ない。


 おそらく経験還元を使えば、王都の街の復興を一気に片付ける事は不可能ではないだろう。だが、怖いのでやってない。

 だって、魔臓が焼き切れたなんて事例、5千年生きたシャルステナでも聞いたことがないって言うんだぜ?


 まず間違いなく、この経験還元が原因なのは間違いない。それを今使ったらどうなるか……チャレンジは進化出来るようになってからにしよう。

 これ以上変なハンデは背負いたくない。まぁ、今まで罠にしか使ってこなかった魔素系のスキルをこの機会に鍛えると思って、耐えるとしよう。俺の考えが正しければ、魔素でも、経験還元と同じような使い方が出来るはずだ。


 まぁ、そういう理由があって、俺は今温存という形を取っている。だが、帝国でコロシアムを建てた時の余りがあるので、それは提供した。

 どうせ石コロぐらいの量があったら、春樹に増やして貰えるから惜しくも何ともない。後で、帝国の技術を盗んだとか何とか言われそうだが、知らんぷりを決め込むとしよう。最悪、シーテラからの技術提供で、だまくらかせるだろう。


 そんなこんなで、今日も一日肉体労働でいい汗を掻き、帰りにまたアンナの実家に立ち寄った。


 アンナの実家は、今人が殆どいない。それには、色々と理由があるが、一つ上げるとしたら、アンナの兄が率いていた私兵がほぼ全滅したからだ。


 俺が気を失っている間、王都の戦場は3箇所に分かれていたらしい。それは敢えて、戦力を分散させるため、俺がバラけさせたというのが最大の要因だろう。


 そして、その3箇所のうち、一番被害が少なかったのは、王立学院で起きた戦いだった。死者は、12人。その全員が、王立学院の先生だった。俺が教わった人も、何人かいた。


 だか、他と比べると死者の数は圧倒的に少ない。それは、ディクが駆け付けたというのが最大の要因か。

 俺が旅をしている間に復職していたトリス先生の見舞いに行った時に聞いた話だが、瞬殺だったらしい。

 まぁ、あの親父さえ超えるスピードを見た後なら、納得だ。5分の一じゃ、抵抗も出来なかっただろう。


 次に被害が大きかったのが、王都にあった時間を知らせる時計台の下で起こった戦いだ。この戦闘には、アンナとゴルド、それからライクッドが参加したらしい。他にも、大多数の冒険者がここには集まった。その中にはバジル達もいたが、俺の知り合いはみな無事だった。重症ではあったらしいけど……


 そこで、戦闘に参加した人の数は、王立学院の千倍。具体的に言うと、15万人。そのうち死者は、3万人だ。およそ5分の1が帰らぬ人となった。その半数が、新米の冒険者だったらしい。その死者の中には、アンナの兄の名もあった。


 ……そして、最後の戦場は、王城の近くで起こった。

 そこでは、冒険者が半分。貴族や王子の直轄の兵が半分での戦闘だったと聞いている。参加した人の数は、およそ7万人。殆ど全員が死んだ。

 生き残ったのは、100人ほどという悲惨な戦いだったらしい。


 ……その生き残りの中に、ゲルクさんはいなかった。彼はそこで、命を落とした。

 彼と最後に言葉を交わしたのは、王城の階段だった。あれが最後になってしまったと考えると、もっと明るい話でもしていたら良かったと、少し後悔が過る。


 ……暗い話題だったな。話を戻そう。


 今の話を纏めると、最も被害が大きかったのは、王子や貴族の私兵達だ。だから、今この国は冒険者が代わりになって守ってるし、積極的に動く貴族は、冒険者を雇っている。

 ただ、基本的に学がない冒険者に出来ることは、戦い以外だと余りない。そのため、必然とその負担は貴族や王子達にのしかかって来る。


 辛いのは彼らとて同じだろうに、それを思うと復興には出来る限り力を貸そうと思っている。あくまで、一個人としてだが。


 とにかく、そういう理由で、アンナの家族や、シャルステナの家族、それにギルク達も今は非常に忙しく、今はどこの屋敷も閑散としている。いるのは、仕事熱心なメイドくらいのものか。


 だから、俺はアンナの屋敷に軽く失礼しますとだけ言って、中に入った。ちゃんと許可は貰ってるから、不法進入ではない。


 閑散とした屋敷の中を進み、階段を上る。その先の角を曲がったところが、アンナの私室だ。そこへ、ゆっくりと歩いて進んでいると、突如アンナの部屋の扉が吹き飛んだ。

 思わず何事だと身構えた俺だったが、壁を突き破って出てきた転がり出てきたゴルドの晴れた頬を見て、状況を悟る。


「うぅ〜、酷いよ〜、アンナぁ」

「あっ、ご、ごめん! つ、つい!」


 パチンと手を合わせて、ゴルドに謝るアンナ。その目元はまだ赤く、拭ききれていない涙の濡れ跡が残っていた。

 ただ、頬が紅潮しているのは、どういう理由か。俺は転がるゴルドに駆け寄って、優しく起こそうとするアンナを見て、取り敢えず……


「お邪魔だったみたいだな。まぁ……程々にな」


 気を使って帰ることにした。すると、ようやく俺の存在に気が付いたアンナは、俺の最後の一言で顔をより一層赤くする。


「ま、待ちなさい、あんた! 邪魔でも何でもないから! てか、ここにいなさい!」


 アンナはとても必死に俺を引き止めようとしてきた。だから、俺は仕方なく立ち止まると。


「そうか? けど、邪魔しちゃ悪いからさ」


 やっぱり帰ることにした。


「ちょ……! 勝手に勘違いして行こうとするじゃないわよッ!」

「うおっ!」


 クイっと俺の腕を曲げて、関節技を決めたアンナ。俺は背筋をピンと伸ばされ、壁に取り押さえられた。


 く、屈辱だ。アンナに取り押さえられる日が来るなんて……!


 俺はその屈辱の中、アンナの部屋に強制連行された。


「……それで、何の用よ?」


 ポスッと椅子の上に座らされ、その前にアンナとゴルドが並んで座る。


 ……ニヤニヤ。

 ギロッ。


「んんっ! コホン! ……用は……ない事もないんだが、また今度話すよ。今日はお前のお見舞いだ」

「はい? ごめん、もっかい言って」

「今日はお前の見舞いに来たから、もう帰るって言ってるんだ」


 幾ばくか落ち着いているように見えて、まだ普段の調子は取り戻せていないのか、簡単な説明に首を傾げたアンナ。俺は仕方なくもう一度同じ事を言って、立ち上がろうと膝に手を置いた。すると……


「あんた熱でもあんの? それとも、頭打った? あんたが、あたしの心配するってどういう事よ」

「お前、しばき倒すぞ」


 非常に不本意なアンナの中の俺の評価に、思わず素で脅してしまった。

 いけない、いけない。まだそういうのは早いよな。


「──こほん。まぁとにかく今日のところはお前の顔見に来ただけだから、帰るよ」

「ちょ、本気で言ってんの?」


 まだ言うか、この野郎……!

 やはりここは一度徹底的に……いや、いかん! 今日は……そう、今日だけは優しくしてやろうって来てやったんだ。そう、今日だけは!

 明日からは知らん! もうそんな気はなくなった。


 俺は、ピクピクと震えるこめかみを押さえ、顔を隠すと。


「ふっ、今日の俺は紳士なのさ」

「キモ。ドン引き。死ね」


 やっぱやったろかッ、この野郎! 人が気を使って、今は色々心の整理が必要な時期だろうと、優しく接してやってるのに死ねってどういう事だ、この野郎ッ!


 と、手のプルプルを押さえていると。


「冗談よ。あんたも偶にはいいとこあるじゃない」


 そう言ってアンナは笑った。

 だが、一言余計とはこの事。偶には、抜いておけ。

 偶にと言われるほど性格破綻者じゃないと、俺は自分で自分をそう思う。

 と、後日ギルクに愚痴ったら首を傾げられた。だから、取り敢えずあいつの首を90度に曲げておいた。


「……んじゃま、それじゃあな」


 このままアンナにからかわれるのも癪だったので、俺は改めて帰る事を伝えた。


「──待ちなさいよ」


 だが、またしてもアンナに呼び止められた。

 いったい今日のこいつはどうしたんだ? 俺に懐いたか?

 そんな風に軽い冗談を考えていると、アンナは呆れたように息を小さく吐いた。


「あんたまだわかんないの? あたしに気使うなって言ってんのよ。めっちゃ気持ち悪いから、今のあんた」


 ……何だ、バレてたのか。


「まぁ、だから、もういいわよ。あたしはもう大丈夫だからさ。そんな風に気使われたままだと、いつものあたしに戻るに戻れないでしょ?」

「……そうか? なら、もう気使うのはやめるわ」


 本人がそう言ってる事だしな。もう少し落ち込んでるかと思ったが、案外ゴルドの腕は大したものだったらしい。

 まぁ、俺もシャルステナが側に居てくれたお陰で、気持ちは大分楽になった。こんな時は、やはり誰かが一緒に居てくれるだけでも有り難いって事なのか。


 俺はもう一度座り直すと、アンナに向かい合った。

 正直、まだ話すには早いと思うが、気を使うなとアンナたっての希望だ。

 俺も一発ぐらい殴られる覚悟はしようか。


「アンナ、俺は魔王を殺す」

「……っ」

「レイッ!」


 魔王という単語で全身をビクッと震わしたアンナ。その隣で、ゴルドは憤怒を顔に浮かべ、怒鳴りながら拳を突き出してきた。

 俺はそれを避けるつもりなどなかった。元より覚悟していた事だ。


 ゴルドの拳が急迫し、俺の顔面を捉える。そして──


「ゴルド!」


 アンナの声にゴルドは拳を止めた。


「ゴルド、あたしは大丈夫だから。ちょっとビックリしただけよ? だから、座りなさい」

「本当に?」

「しつこいわね。大丈夫って言ってるでしょ」


 そんな風に、アンナはゴルドを宥めて椅子に座らせると、俺の方へ顔を向けてきた。


「それで、それをあたしに言って、あんたはどうしたいわけ?」

「……俺とお前にとってあいつは仇だ。だから、お前には言っておこうと思っただけだ」


 俺なら、人に仇は譲りたくないから。

 そう理由は口にしなかったが、言いたい事は言えた。ゴルドもまだ怒っているようだし、今日のところは本当に帰る事にしよう。

 俺は何も言わず立ち上がると、二人に背を向けて扉に向かって歩き始めた。そして、扉に手を掛けた時。


「……待ちなさい」


 またアンナから呼び止められた。


「私も行くわ」


 振り返ると、アンナは立ち上がっていて、決然と同行を口にした。その目は、どこか俺を試すようで、まるでまさか除け者にしないわよね、とでも言われてるような気がした。


「えっ⁉︎ けど、アンナは……」

「だからよ。あんたのお陰で少し落ち着いたけど、お兄ちゃんを殺したあの男を許したわけじゃない」


 許せるわけないわよ、とアンナは掻き消えてしまいそうなほど小さく、苦汁を舐めるように苦々しげに言った。


「あたしも……あんたの復讐に加えなさい」

「……と、言うと思ったよ。ああ、やろうぜ。俺とお前の二人で、あのクソ野郎を地獄に突き落としてやろう」

「なら、僕も!」

「ゴルド、あんたはダメよ。これは、私とレイが決着つけなきゃいけない事だから」


 アンナはそう、俺たち二人だけの問題と強く言ったが、実際はどうだろうか。

 俺たち以外にも、魔王に対して憎しみを抱えている奴はいるだろう。けど、その殆どが何かに理由を付けて諦める。


 勝てないから。他にやらないといけない事があるから。死にたくないから。


 理由は様々で、人それぞれだろう。


 けど、俺は冒険者だ。

 自由に自分のやりたいようにやる。だから、仇を討ちたいと思ったのなら、それを成し遂げる。


 それが、親父が俺に残してくれた言葉だ。


「まぁ、ゴルドもやりたいならやればいいさ。好きにしろ。けど、あいつを殺すのは、俺だ。それだけは譲らない。たとえ、アンナでもな」

「……別に最後ぐらい譲るわよ。私は、仇を討てればそれで満足だから」


 なるほど、そういう考え方もあるのか。いや、それに拘るのは単に、長く続くこの戦いは、俺が終わらせねなければならないと、俺が無意識のうちに思ってしまっているせいなのかもしれない。

 気持ちとしては、仇さえ討てれば、それでいいのだから。


「じゃあ、またしばらくは一緒だな。まぁ、ライクッドの卒業まではここにいようかと思ってるから、それが終わったら改めて話をしようぜ」

「ええ。どうせ今のままじゃ、仇も討つ前に殺されるだけよ。ちゃんと準備はしとくわ。ゴルド、明日からよろしくね?」

「任せて! 僕が、アンナを慰めるよ!」

「そっちじゃない!」


 ゴルドは、また紅葉を顔に張り付けていた。

 そんな今まで通りの光景に、俺は小さく笑みを零すと、今度こそアンナの部屋を後にした。


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