閑話〜夢の資格を〜
戦いが終わった。およそ半日に及ぶ激戦の末、多くの死傷者を出した戦いが。
僕はその戦いの結末を知らない。全てが終わり、僕は負傷者が集められた道の上で意識を取り戻した。
はじめに、誰かが啜り泣く声が聞こえた。続いて、大声で泣き叫ぶ誰かの声。痛い痛いと、なきじゃくる子供の声。聞こえてくる声は、どれも涙声だった。
そして、最後に僕の耳に届いた声は、よく知る人の祈る声。
「お願いします。お願いします、神様。どうか、助けて」
その声に、僕はゆっくりと目を開けた。寝起きのようにボヤけた視界。目を開けたことで、飛び込んできた周囲の悲惨な状況。そんな中でも、体を震わせながら祈るアリスが、色濃く僕の意識を再燃させた。
「ア、リス……」
僕は、彼女の名前を口に出し、手を彼女に伸ばした。
「あ……ぁ、よかった、本当に」
泣きながら僕の伸ばした手を両手で包み込むアリス。ようやく鮮明になり出した視界の中で、泣き笑いする彼女の顔が、気を失う前の状況を思い出させる。
「あいつは……魔王は……」
「それはもう大丈夫だから。だから、今は……自分のことだけを考えて。ディクルド君の体は、最低限の治療しか終わってないから」
そう言われて自分の体に意識を向けてみれば、皮膚には焦げた跡が残り、血はまだ完全には止まっていない。今の惨状を表すような空模様からは、雨が降り止む気配も見せず、水滴が体に注いでいる。
「この雨が、傷を癒してくれてるの。けど、重傷者にはこの雨の治癒だけじゃ足りなくて……だから、もう少しだけ我慢して。魔力が回復したら私が治してあげるから」
「この雨が……? いや、今はそんな事より……」
僕は痛みが残る体を、無理に起こした。
「む、無理したらダメだよ、今は」
「無理はしてないよ。もう十分休んだ。それより、教えて欲しい。レイは……どうなった?」
最後に見たレイは、魔王に首を掴まれていた。だが、アリスがもう大丈夫だからというのなら、レイが魔王を倒したのだろう。
だが、レイが無事なのかはわからない。一抹の不安が胸を過る。
「その子は無事ですよ。けど……」
アリスは悲痛に顔を歪めて、言い淀んだ。嫌な予感が背筋を撫でる。
「けど……何があったんだい?」
僕は言い辛そうにしているアリスに、自分から聞いた。
「不死鳥の英雄が……お亡くなりになりました」
「えっ……?」
聞き間違いだと思った。だって……そんな事って……
けれど、それが聞き間違いでなかった事は、悲痛な表情を浮かべるアリスを見ればわかる。
「不死鳥の英雄は、ディクルドくんが気を失った後、魔王と対峙。その戦いで魔王の余力を削り、亡くなったそうです」
「そ、そんな……じゃ、じゃあ、レイは……」
「……不死鳥の死後、たった1人で魔王を倒しました。その後、ディクルドくんの治療をして下さっていた金色の魔女と一緒に、シエラ村に……」
涙が頬を伝った。
幼い頃、よく遊んでくれたおじさんが……死んだ……?
とても信じられなかった。信じたくなった。何故なら、あの人は、あの2人は僕らにとって最強の2人だったから。
けど、周囲に満ちる悲惨な状況が、アリスの顔に張り付く悲痛さが、途切れる事のない涙が、僕にそれを押し付けた。
「僕は……僕は……」
なんと言ったらいいかわからなかった。
はじめに僕の心を支配したのは、深い悲しみ。次に、自らに立てた誓いを、全てを守り抜くという誓いを果たせなかった自分への無力感。そして、最愛の父を失ったレイの事を思うと、どうしようもなく胸が痛くなった。
目から涙が溢れ出る。爪が石畳の間に食い込み、割れる。呼吸をする度に胸が締め付けられていく。
ごめん、ごめん、レイ。
僕が……僕が弱いばっかりに……おじさんを守れなかった。
レイがどれ程おじさんを尊敬して、好きだったのか、僕は知ってたのに……僕は……何もできなかった。
「僕は……今まで……何をしてたんだぁぁぁ!」
無茶苦茶に頭を掻き毟る。もうどうしたらいいかわからなくて、押さえ込んでいた気持ちが湧き出して、僕はアリスの前で激しく取り乱した。
「ディクルドくん……」
そんな僕をアリスは押さえようとしてくれたけど、僕はその手を打ち払い、頭を抱え、地面に何度も、何度もぶつけた。
「どうして、僕はこんなに弱い!」
「どうして、僕は何も守れない!」
「どうして、僕はこんなところで蹲っているんだ!」
僕は……ちっとも、成長していない。
失いたくなかったから。
大切な人を守れるようになったから。
僕は騎士になったのに。
僕は、レイと出会う前の、弱い自分のままだ。
何一つ。命一つ。僕は……守れなかった。
僕は今まで、何をして生きてきたんだ。
「くそぉ!くそッ! くそぉぉぉっっ! なんで僕は……っ!」
「やめて、ディクルドくん! 傷が開いちゃう!」
肩を押さえ止めに入ってきたアリスに、僕は邪魔だとその手を振り払わんと、無意識のうちに手をあげた。
「────っ」
けど、僕を心配してくれるアリスの濡れた瞳を見て、僕は手を振り上げた手を下す事は出来なかった。
自分が嫌になる。自分を心配してくれる彼女を邪魔者扱いするなんて。
僕は、力なくその手を地面に落とした。
「ディクルドくん、お願いだから、正気に戻って。私でよければ、胸ぐらい貸すから」
力を抜いた僕の頭をアリスは抱きよせる。
ポツポツと降り止まない雨が体に落ちて、体が癒されていく。彼女が言っていたその雨の効果。
だけど、それは僕の心を癒してはくれなかった。
「うっ……ぁぁぁぁぁぁあ!」
情けなくて、悲しくて、悔しくて、痛くて、その胸を吐き出すように、僕は泣き叫ぶ。
泣いたって意味はないのに。もう何もかもが遅すぎるのに。胸の奥から湧き出す感情を抑えられず、アリスの腕の中で発露する。
情けない、本当に情けない。
何が騎士だ。どこが騎士だ。何一つ守れないで、何が騎士だ。
こんな僕には……騎士である資格なんて、何一つない。
〜〜〜〜
雨は、次の日も降り続いていた。
王都の街は壊滅的被害を受け、そこに住む人々も心身ともに深い傷を負っていた。救いは、精霊神の魔法の効果が未だ続いているお陰で、新たな死者が出ていない事だが、失った命が戻ってくる事はない。
王都周辺の草原は、東側はマグマが固まったかのような黒く硬い地面が永遠と広がり、グルリと王都を囲んでいた山は幾つもその姿を消してしまった。全て魔王との戦いの跡だ。
そして、その戦いの終盤に起こった天地開闢の大災害。原因不明とされるそれによって、近隣の村や街まで建物が崩壊し、地盤の隆起や沈没により山が崩れたり、新たな山が出来たりと、自然にも大きな影響があった。
その影響は、比較的王都に近いシエラ村にもあった。だが、レイが作った頑丈な建物のお陰で、幸いにも村人に怪我はなく、土崩れだけに留まった。
しかし、それでも村に落ちる空気は、酷く冷めきっている。
「…………」
幼い頃、よくレイと共に遊んだ村の広場。そこに、村人が集まっていた。その中心には、村長。それから、レイとその家族。そして、中身のない棺桶が物寂しく置かれていた。
「……儂はいつも思う。この村で生まれ、大きく育った子供の死を見る度に、悔やみ切れん後悔が胸を抉る」
雨の中、村人の中で啜り泣く声が聞こえる。
「今でも、思い出す。レディクが、生まれた日の事を。成長し、村一番の悪童となって手を焼かされた日々を。そして、英雄となり帰ってきたレディクを誇らしく思った日の事を。ミュラを連れて帰ってきた時は、村を挙げて祝福したものじゃ」
村長は目に涙を浮かべ、村人の気持ちを代弁する。
「本当に……最後まで、こやつは悪ガキじゃった。じゃが、生き方は最後まで間違えんかった」
僕は、村長の言葉が終わるまで、そのずっと後ろで呆然と立ち尽くしていた。
どうしたらいいかわからなくて。
レイにどんな顔をして話しかければいいかわからなくて。
「この村の英雄に、冥福を」
村人が村の英雄にそれぞれの思いを胸に、冥福を祈る。
僕も目を閉じて祈るが、何と言葉にしていいかわからない気持ちが胸を漂う。
目を開ければ、泣きじゃくるスクルトとは対照的に、虚ろな目で、覇気のない顔をして、呆然と棺桶を見下ろしているミュラおばさんと、無表情でただそこに立っているレイが目に入る。
「……皆、レディクに最後の別れを」
順番に棺桶の前に花を添えていく。僕も、 またその列に並び、母さんと共に別れを済ます。
父さんは今ここにはいない。騎士団の依頼で、東北地方に行っている。父さんはおじさんの死に何を思うのだろうか。永遠のライバルと言っていたおじさんの死に。
きっと……僕に失望するだろう。
何も守れなかった僕に。
そう思うと、会わせる顔がなかった。
父さんにも。そして、レイにも。
〜〜〜〜
二日間降り続いた雨が上がり、太陽が顔をみせる。僕は家の窓から、無気力に空を仰ぐ。
何をする気も起きず、何をしたらいいかもわからず、ただ呆然と。
「…………」
「ディクルドくん……」
不意に声を掛けられ、僕は振り向く。そこには、昨日から僕の家に泊まっているアリスがいた。
「……こんな時だけど、私達は仕事をしないと。今もまだ未開発地域の事態は収まってない。このままだと、今度はキャランベルさん達が……」
……そうだった。僕は、ここに仕事に来たんだ。レイを探して、力を貸してもらう為に。
だけど……
「……レイはしばらく動かないよ、絶対に」
僕はさも確信があるように装う。半分は本気で、半分は自分の心を隠す為に。
「……なら、復旧作業を手伝いましょう。体を動かせば、少しは気が紛れるかもしれないし……」
「復旧……か」
レイと顔を合わせないようにするなら、王都で復旧を手伝うのも悪くない。ここで何もしないよりは。
「王都に行こう。あそこが被害が一番大きいから」
「う、うん。この村でなくて、いいの?」
「……いいんだよ。僕達は騎士なんだから、より被害が大きい所で、より力を必要としている場所で力を発揮しないと」
またも適当な言い訳で、アリスを騙す僕。
その行いに、嫌悪感で吐き気がした。
どこが騎士だ。騎士らしさなんて欠片もない、汚い人間だ、僕は。
どんどん自分が嫌になる。
僕は、そんな自己嫌悪を抱えながら、村を出た。
そして、時間短縮のため断崖山を抜け、王都へと辿り着いた僕達は、そこで王子達が復旧の手を集めているという話を聞き、王宮へと向かった。
まだ血の跡が消えない道を通り、崩れ落ちた建物の破片を踏みしめ、道を進むと安っぽく、気品の欠片も感じないボロボロのテントが見えてきた。その後ろには、崩れた階段と王宮の跡。それが、無力感を刺激する。本当に、何一つ僕は守れなかったのだと。
だが、僕の目はすぐに別のところへ向いていた。僕が見ていたのは、王宮の復旧のために集まった人々。もっと言うなら、その中に混じっていた父親を失ったばかりのレイだった。
「レイ……っ」
思わず声が漏れた。
どうしてここにいるのかとか、おじさんの事とか、色々と聞きたい事や言わなければならない事はあったのに、僕が感じていたのは今は顔を合わせたくないという逃げの心だった。
そんな僕に、鋭いレイはすぐに気が付き、声を掛けてきた。
「……お前も来たのか、ディク。見て通り、今から始まるところだ」
レイは、僕の顔を見てすぐに目を逸らすと、人垣を見て状況を説明してくれた。だが、そんな事は今の僕の耳には入らない。
それよりも、どんな顔をしたらいいのか、何て声を掛けたらいいのかと、必死に頭を巡らせて、ようやく口を出た言葉に、どうか安堵さえ感じて、僕は謝罪を口にした。
「……すまない。僕が弱いばかりに、おじさんを──」
だが、その途中で頬を貫く激しい衝撃に襲われた。僕はその衝撃に逆らわず、後ろに倒れて、ようやく悟る。
レイに殴られたのだと。
「ウジウジしてると思ったら、そんな事か」
レイは僕に今まで見せた事のないような、憤怒を浮かべて、声を震わせた。
「──自惚れんなよ、ディク」
「自惚れてなんか……」
「親父は、お前に守られるほど弱くねぇよ」
否定しようとした言葉を、重ねて否定されて、僕は何も言えなくなった。
「俺たちはな、親父に守られたんだよ。そこを履き違えるな」
「っ……!」
言われて、初めて気が付いた。
守る?
違う。
僕は、守れたんだ。守られる側だったんだ。
「俺たちは、まだ弱い。弱すぎるんだよ。なのに、親父を守れなかったなんて、見当違いな事を考えてる暇がお前にあるのか、ディクッ!」
ああ……そうだ。レイの言う通りだ。
守られる側の僕が、全て守りたいなど、見当違いも甚だしい。それは、ただの驕りだ。
騎士だから、全てを守れるわけじゃない。そんな当たり前の事に、僕は今の今まで気が付かなかった。
僕はまだそれを感じる資格さえないのだ。
恥じるべきだ。
その資格を持っていない自分を。
守りたいと、守られる側の僕が、自惚れてしまった事を。
今の僕は、ただの騎士でしかない。
「誰も彼もを守りたいなら、誰よりも強くなってから、言え」
「……ああ、その通りだね」
大切な誰かを守りたい。
誰しもがきっと心の内に秘める思い。
けれど、僕は騎士だ。そんな思いを背負うと決めた騎士だ。
僕ら騎士は、その思いに応えるのが仕事なのだ。
──資格を手に入れよう。
どんな敵が来ようとも、決して屈しない、人々を守る盾に、僕がなろう。
それこそが、おじさんの死に報いる、僕にとって唯一の方法だ。
その時、僕の中で何かが変わった。
騎士という職業の枠を超え、より高みを見上げて。
気が付けば僕は、レイを、集まった人を押し退けて、その前に立っていた二人に膝を付いていた。
「ジャニス王子、ギルク王子。三級騎士ディクルド・ベルステッドは、これより王国騎士団の命を一時離れ、甚大な被害を受けた王都の救済に当たります。ご命令を」
〜〜〜〜
受けた任務は、救援物資の運送。先日の大変動による危険もあり、長期間街を離れる事になるそれは、騎士の僕達には打って付けの依頼だった。
そして、まだ王都に残っていた馬と荷台を借りて、被害が少なく救援物資が望める街へと向かっている途中。
不意にアリスがポロリと零す。
「……よかった」
「えっ?」
「あ、いや、ほら……元気、出たみたいだから」
何だか言い訳でもするように言ったアリスに、僕は心配をかけてしまった事を申し訳なく思った。そして、もう心配の必要はないと伝えたくて、強がって答えた。
「レイがもうおじさんの死を乗り越えて、前に進もうとしているんだ。ライバルの僕がいつまでも後ろを見ているわけにはいかないよ」
「……うん、かもしれないね」
それで、その会話は終わりだった。
しばらく会話もなく馬車にひたすら揺られ続け、今度は僕の方から話し出す。
「アリス、僕は決めたよ」
「えっ? 何を?」
「ちょっと調子に乗ってるみたいで、恥ずかしけど……」
でも、それは僕の新しい夢だから。
彼女には話しておきたいと思うから。
僕は、恥ずかしさを抑え、夢を語った。
「僕は、この世界で一番強い人間……いや、最強の生物になるよ。そうならないと、僕の夢は叶わないから。だから僕は──」
誰も彼もを守りたい。その我儘を叶えるために僕は。
「──世界最強を目指す」
言ってみて、少し恥ずかしさが増す。笑われてもおかしくないよね、と思った。けれど、アリスは。
「世界最強かぁ……遠い目標だね、それは」
「……うん、凄く遠い。けど、僕はもう決めたんだ。騎士として一人前になるだけじゃ、僕が守りたいものを守り抜くことは出来ない。ただ強いだけじゃ、全部守れない。だから、どんな敵が来たって、どれだけ敵がいたって、僕1人で全部守れるような最強の騎士に、僕はなるよ」
笑ったり、否定しないアリスに僕は安心して、本心を曝け出す。それは僕の我儘な気持ちだったけれども、彼女は穏やかに聞いて、頷き返してくれた。
「そっか。じゃあ、頑張らないと」
「うん、頑張るよ」
「まぁ、その最強の騎士様が迷子になったり、騒ぎを起こしたりしなくなるなら、私としては凄く助かるんだけど……そっちの方はどうなの?」
「か……考えとくよ」
たぶん無理な気がするけど……それも含めて頑張ろう。
「ふふっ、じゃあ、私はディクルド君が頑張る間、ずっと見張ってなきゃいけないんだね。あ〜あ、私も大変だ。行方不明になってたせいで二年分の給料が溜まってるどこかの騎士様が、ご飯でも奢ってくれたら、元気出るのになぁ」
「か、考えときます」
何もしてないのに出るんだろうかと、少し今後の生活に不安を覚えつつも何とか頷くと、アリスは調子を良くして、コロコロと笑う。
「ふふっ、じゃあ、期待してるね、最強の騎士様?」
そう言って、馬車のシートから飛び降り、はにかむアリスが、騎士ではなく年相応の女の子っぽく見えて、思わず僕は見惚れてしまった。
「う、うん」
何だか気恥ずかしくなって、アリスの顔を直に見れず、僕は目を逸らしながら、返事をした。
「あぁ──! 今、目逸らした! 絶対はぐらかす気だ!」
「ち、違うよ! ご、誤解だよ、アリス!」
疑うアリスに、僕が言い訳をして、あるようでない道を馬は進む。
ガタンガタンと時折小石に躓き揺れながら。
僕は、世界最強の騎士を目指し、歩き出した。