165.剣の極意
曇天が手に届きそうなほどに近い。ゴロゴロと雷鳴が絶え間なく轟き、ともすればそこは絶好の避雷針の役割を果たしそうなほどに、はるか遠方からも望める大地から一つ抜き出た孤高の柱。だが、不思議とそこには落雷せずに、まるで罪人を晒す絞首刑台のように、下から見守る人々にその頂上を晒す。
頂上には高所のためか薄っすらと霜が落ち、霧がかかっていた。その霜がわずかに塔頂を湿らせ、雪崩のようにその形に沿って、下へと吹き落ちていく。それはまるで、雲の息遣いを見せられているかのようだった。
そんなある意味生き生きとした霧の中には、二人の男が頭を突き合わせるようにして、倒れ伏していた。
「ぁが……っ」
「ぐっ……」
呻き声は二つ。互いに無理に無理を重ねた体が悲鳴をあげ、立ち上がれずにいた。
「あぐぁっ……!」
痛みに悲鳴を零したのは、魔王の方。彼の皮膚は度重なる熱に爛れ落ち、血が焦げ付いていた。足は既にその存在を確認する事が出来ず、炭だけがそこに残っていた。
そして、蛇のように体を這い出しては全身に纏わりつく雷光の残り香が、その弱り切った体を締め付け、さらに痛め付ける。
しかし、それでもまだ魔王は生きていた。徐々に弱まっていくそれに堪え、立ち上がろうとしていた。
流石と言えばいいのか、それとも畏れを抱けばいいのか。魔人の上位に君臨するだけあって、その生命力は凄まじい。
魔王は、失った手足の代わりを魔力で代用し、体を起こす。
一方で、レイもまた起き上がれずにいた。
彼の倒れる地面は血で赤く染まっていた。限界突破のリミット解除。それがもたらしたのは、力だけではない。自傷とも言える代償をレイにもたらした。
内側から弾けるように開いた無数の傷口と体を動かす度に軋む骨の感触。
特に弾けた肩と、傷が開いた腹から出る血は酷い。高まった自然治癒だけでは、とても塞ぎきれないほどだ。
このままでは、失血死するのも時間の問題と思われた。立ち上がる以前の問題だ。
だから、レイは己の手に持つ剣に、体を押し付けた。
「あがぁぁっ……ッ!」
まだ、死ぬわけにはいかないのだ。そう、決めたのだから。勝つまで、倒れるわけにはいかないのだ。
そのためならどれだけ痛かろうと、この体に傷を残す事になろうと、躊躇いはない。
レイは、魔王と同じようにその血を熱で焦がし止血するという、およそ治療とは呼べない延命措置を選択した。
その治療、もとい自傷行為が終わる頃、ようやく痺れから解放された魔王は、失った両手両足を魔力で代用し、立ち上がった。
それを見て、レイもまた寸秒おかず、真っ赤な地面に手を立てる。
「ガハッ……!」
そして、喉の奥に溜まった血を吐きながらも、レイもまた何とか己の足で立ち上がった。
「はぁ、はぁ……」
「はぁ、はぁ……」
息も絶え絶え。
どちらも満身創痍という言葉がよく似合う。
この場合、どちらが酷い怪我を負っているかなどは、関係ない。あと一撃あれば、もう2度と起き上がる事は出来ないような、そんな状態だった。
再び空の上で向かい合う事になった二人は、まだ立ち上がっただけで、構えてすらいない。
もはや気力だけで持っているような状態だ。
魔王は、両手両足を失い、体にも酷い火傷と裂傷を無数に負っていた。
レイは、無茶な限界突破の代償として、全身の骨が軋み、筋肉は切れ、内臓にまで大きな負担を負っていた。
しばしどちらも動きを見せず、ただ荒々しい息を整えながら、視線だけで殺しあった。
大地の上にピンと伸びた土の塔。その頂上に立つ二人の戦いを邪魔するものは何もない。逆に言えば、誰の助けも期待出来ないという事になるのだが、互いにそれは望むところでもある。
天変地異の名残りが、空に雷鳴を轟かせ、二人の影を長く伸ばす。
「これほどまでとは、思いもしませんでした。──が、もういいでしょう。これで終わりにしましょう。貴方の命を刈り取って」
「……死ぬのはお前だ、魔王。俺はもう倒れない。もう負けない。もう何一つ、奪わせない」
レイは己の体を支えていた紅の剣を地面から抜き、両手でしっかりと握りしめ、体の前に持ち上げた。
「お前に勝って、俺が終わらせる」
目を閉じて、静かに、心の中で唱える。
──限界突破。
一度越えた限界を、もう一度。
不可能かどうかなど関係ない。必要だから、高みに手を伸ばすのだ。
勝つために。生き残るために。もう誰も失わないで済むように。
もっと、もっと、もっと、強く。この男に勝てるだけの強さが、今必要なんだ。
その強い願いに応えるかのように浮き上がったのは、魔力が燃焼する光。心を喰らい昇華したそれは、限界突破の赤い光よりも、もっと濃く、強い輝きを放っていた。
「お前を倒すまで、解除しない」
レイは無限に近い魔力の格納庫の扉を開放した。その開放は、いつもの瞬時の解放ではなく、文字通りの全開放。
燃焼した先から魔力が還元され、還元された魔力から燃焼されていく、その無限ループがレイの中で出来上がる。
「俺の全てを持ってお前を倒す」
剣先は前へ。左足を半歩引き、肩幅の分だけ開く。
顔は前へ。けれど、瞼は閉じて、瞳に映す。
初めて剣を学んだあの日の事を。
──『肩の力を抜け』
いつでもリラックスして、敵を迎え討て。
──『自然体だ、自然体。集中なんざしなくていい』
むしろ邪魔になる。集中し過ぎると、視界が狭まる。
──『持ち手は剣に聞け』
剣が一番いい場所を教えてくれる。
──『技は捨てろ』
当てればいずれ勝てる。
──『最後に、これが一番大切な事だ』
戦うときはいつも笑顔で、だろ?
レイは笑った。教えに従い、歯を剥き出しに頬を吊り上げる。
とてもそんな気分じゃなかったが、少しだけ心が和らいだ気がした。
身を焦がすほどの激情が消え失せて、代わりに穏やかな日常の中にいるような安らかな気持ちが、湧き上がってくる。
どうして激情が消え失せたのか。それはきっともう必要なかったからだ。
その目に天変地異という超常の力を目にして。
レイは思い出した。
死ぬわけにはいかない。
自分の死は、守りたいと思うみんなの死と同義だ、と。
憎しみが消えたわけではない。悲しみも、怒りも、なくなったわけじゃない。
守りたいと思う、みんなの顔は、レイの瞼に焼き付いている。
そのために、レイは立つのだ。戦うのだ。生きるのだ。
ならば、必要なのは、その意思だけだ。敵を斬れる刃があればそれでいい。
感情が意思の枷となるというのなら、全て剣に乗せて、振り下ろして仕舞えばいい。
ただ、目の前の敵を倒す、その為だけの刃となる。
今まで築き上げてきた全てを、そこに注ぎ込む。
──ドクッ、ドクッ。
剣の鼓動が聞こえてくる。その音は、どこか心地よく、足りないものをレイに教えてくれるかのようで、酷く落ち着く音だった。
呼吸がゆっくりと、その鼓動と一致する。
レイは手でソッと鼓動を撫でた。
剣の柄から刃先に当たるまで、スーと手を滑らせて。
手が触れたところから、剣が発火し業火に包まれていく。
レイはその火を熱がることはおろか、避けようともせずに、最後まで手を滑らせると、炎に包まれた緋炎を、ゆっくりと構えた。
その一連の動作は、とても静かで、流れるような動きだった。何一つとして無駄はなく、火の中でも一際異彩を放つ竜の紋様は、今にも動き出しそうなほど、生き生きとした強い脈動を刻む。
「さぁ、始めようぜ、魔王様」
「どうやら、その剣はあなたを主として認めてしまったようですね。……まぁ、いいでしょう。また、殺せばいいだけです」
不敵な笑みを浮かべるレイに対して、魔王は全身から夥しい数の触手を生やし、迎え撃つ事を決めた。
両手両足を失ってなお、まだ力は残していたらしい。つくづく怪物だ。
だが、それでも手負いの獣。先のような理不尽な力でレイを沈める余力は残っていない。それは、その姿を一目映せば、わかることだ。それなりに洞察力に長けているレイはもちろんそれを見抜いていた。
しかし、それは魔王としても同じこと。レイもまた限界などとうに超えていた。彼を支えているのは、強い覚悟と、スキルの力だけだ。どちらかが欠けても、レイはその場に倒れるだろう。
しかれば、この勝負、先に根を上げた者が負けるのは、明白。
──否、根を上げるよりも先に相手を殺した側の勝利か。
無数の刺先がレイを捉え、照準を整える。言うまでもない事だが、その照準を合わせているのは、魔王の目だ。
だが、レイの目は魔王のそれとは違う。視覚は、レイにとって周囲の情報を得る手段の1つに過ぎないのだ。
今この時、返上仕掛けていたオールパーフェクトの二つ名がレイの下に返り咲く。
不意にレイが動き出した。それと同時に、先程までレイが立っていた地面が弾け、飛び出しきた触手。それをレイは振り返る事もせず、スッと後ろに流した緋炎で斬り払う。
レイの背後で火の手があがるが、それに気を散らす事なく、サッと足をはね伸ばし方向転換。再び、地面が弾けて触手が飛び出してきたが、バントでもするかの如くその射線上に緋炎を残して、回避と同時にそれを焼き斬る。
確実に死角からの連続攻撃に対応して見せたレイに、魔王は感知能力を持っている事を悟る。しかし、常時発動させているところを見ると、余力がそれに削られているのも事実。
ならばと、余裕がなくなるまで、数で押し通す戦法に打って出る。
鈍光を放つ網が空に掛かる。それだけでなく、地面の下にまで張り巡らされた網は、突き出した大地全てを囲い込み、レイの逃げ場を完全に封殺した。
瞬間移動という最速の近距離回避を持つレイに対する対応としては、理に適っている。
だがしかし、今のレイにとってそれは、いいカモでしかない。
「瞬動」
限界昇華状態での瞬動。それは、本気のディクルドに勝るとも劣らないほどのスピードだ。それだけでも今の魔王にとっては十分脅威だが、さらにレイは歪曲空間を併用した。
己が通る軌跡をあらかじめ歪曲空間で整え、一瞬でその中を駆け抜ける。
刹那怪訝したのは業火の円陣。大地の塔を囲った魔力網を一陣の斬風と共に、根元から斬り払った。
──トン。
超スピードが終わる。曲線の直線を駆け抜けたレイが、始まりの一歩と同じ場所に舞い戻るのに合わせて、根元から飛び移った火が魔力を燃やし、大地の塔の頂上は、二人を逃さぬ業火の網と化した。
まるで大地から突き出した塔の上に燃える灯火のごとく、はるか遠方まで伝わる熱。それは、鳥籠の如く二人を閉じ込める炎の檻だった。
もしも、そんな鳥籠の中に入れられている鳥がいたとしたら、それは──
──鳥籠の中央。
レイが、居合斬りの要領で、サッと剣を振り抜いた。すると、生まれた火炎の刃は、余りにも自然に、そして、圧倒するようなレイの立ち振る舞い──いや、成長に動揺の最中にあった魔王へ、その刃は放たれた。
その炎波の向こうで笑うレイの顔。脳裏にふと──
「ッ……! 調子に乗るなァッ!」
業火と共に、憤怒が弾ける。立ち上がる深淵を纏いし、邪の魔力。憤怒は飛び火し、大地にヒビが伝う。
四方八方、地面の下からも、一点を目指し、触手が飛び抜けた。
急迫する闇より伸びる手。その手から逃げるように、トンと軽い音を立てて後ろへ飛んだレイの前で、触手が地面と交差する。土煙が舞い、その中から次弾の手が伸びる。
それをレイは、寸前で横回転しながら紙一重で躱し、触手の真横に出ると、遠心力を乗せた業火の剣で花の茎を刈り取るかのように一閃した。
途端燃え広がるのは、赤熱。バサーッと先だけが土台の地面に落ち霧散する。切り口からは火が溢れ出し、再生を拒む。いや、むしろ火の侵食は再生よりも勢いが強い。魔王は、その火をが自分に迫る前に、触手を自ら切り落とさざるを得なかった。
レイは回転斬りを放つとすぐさま空を駆けた。それを追う無数の触手。だが、レイはそれを嘲笑うかの如く、鳥のように自由に空を駆け抜け、邪魔するものには、灼熱をもって償いを与えた。
その様は、端から見ればサーカス一座の講演を見ているかのようだ。時にはクルクルと体を回転させ、体を捻りながら、ロープ潜りでもするように攻撃の隙間を抜けていく。そして、レイが剣を一振りする度に燃え広がる火の輪。そこへ躊躇なく飛び込んでいくレイはさながら、調教されたライオンか。
まるで、違う。先程までとは別人のような動き。
死角も、隙も、まるでそれら全て誘導されているかの如く、一切の攻撃が通用しない。
限界昇華や魔剣、半刻前との違いは無数にあれど、最も異なるのは、レイと魔王の絶対的な差──速度を補って余りあるほどに効率化された動き。
何が少年をその高みへと持ち上げたのか。
それとも、元々持っていたのか?
この戦いの最中に、それを覚醒させたとでもいうのか?
末恐ろしい。いったいどこまで、この少年は強くなろうというのか。
止めねばなるまい。今ここで、確実にその才を刈り取らねばならない。
「逃げてばかりでは、私には勝てませんよ!」
そう追い風を立てるように、触手が分裂して数を増していく。それは、軽々と触手を切り裂くレイに対応して太さ──つまりは、硬さを捨てたことを示す。代わりに得たのは、攻撃力。細いレイピアのような切先が、レイを囲むように位置取り、そして、一斉に発射された。
「──瞬間移動」
グニャッとレイの体が歪む。魔王はその狙い通りの動きに、思わず口角を上げ、その瞬間を待った。レイが無防備な自分へと斬りかかるその瞬間を。
たが──
「ッ……!」
予想に反する場所へとレイは転移した。思わず、上げた口角か引き攣る。
「な……何故です……何故攻めてこないのですか……ッ!」
今確実に、魔王は隙を晒した。それを逃すレイではない。あるいは、見透かされた? いや、向こうも勝負を急ぎたいのは同じはず。ならば、罠とわかっていても、仕掛けてくるはずだった。今までのレイならば……
だが、声を荒げ、焦燥感を隠し切れていない魔王を嘲笑うように、レイは言った。
「勝ちの決まった勝負を急ぐ必要があるか?」
と。
「お前の言葉、そのまま返すぞ。お前こそ、何で触手ばっかり使って他の技は使わないんだ? それに、初めの位置から一歩たりとも動いてないのは何故だ?」
「……何が言いたいのです? 貴方と私の実力差は明白。ならば、貴方如きに私が本気になる必要などどこにあるのです?」
「──矛盾してるぜ、魔王様」
レイは魔王の言葉の矛盾を、一つ一つ口にした。
「俺を殺す為に、罠を張った。俺を殺す為に4人でここにきた。俺を殺す為に、無茶をしてまで親父を倒した。それなのに、どうしてお前は、今全力を出せない? 何故、自らの体で攻めてこない?」
レイを殺すという大目的が今目の前にあるというのに、本気を出さない。誰の邪魔も入らない空を貫く大地の塔に二人だけでいるというのに、本気を出さない。
それが矛盾でないとしたら、答えは一つだ。
「もうバレバレだぜ? お前はもう限界なんだろ? そりゃそうだ。親父の攻撃をあれだけ受けて、体が無事で済むわけがない。あれだけ激しく戦って、魔力が余ってるわけがない」
そう、出さないではなく、出せないのだ。
「お前は、俺と直接やり合うのを恐れてる。何度もそうやって裏をかかれてきたからな。だから、距離のおける触手を使って、少ない魔力を使って温存が図れるよう物質化したんだ。そして、俺を煽って、焦らせて、挑発して、自分のテリトリーに引き込むつもり、だったんだろ?」
「何を根拠に……」
「お前の触手は、補給する魔力がないから、お前から離れる程細く密度が薄くなる。それが証拠だ」
考えを見透かされ、さらには証拠まで突き付けられて、魔王は戦慄を覚える。
「まぁ、それ以前にお前の魔力がもう殆ど残ってない事は初めからわかってたし、わざわざお前のテリトリーに入らなければならないほど余裕がないわけじゃない」
流れ出る膨大な魔力は、途切れる事を知らない。こうして、話している間にも、今の魔王が喉から手が出るほど欲するほどの膨大な魔力が、無駄に垂れ流されているのだ。
けれど、レイにとってそれは、取るに足らないものでしかない。
「俺の魔力は尽きない。なくならない。無限に増え続ける。始まる前から、この勝負は決してたんだよ」
レイはゆっくりと父の剣を持ち上げて、切先を魔王の首へと向ける。
「お前の触手を全て斬り落とした時、お前を守るものは何もなくなる。この剣がお前の魔力を全て焼き尽くす」
そして、レイはそれを突き付けた。
「──お前の負けだ、魔王」
……嫌に冷たい風が流れた。
高所だから、ではなく、そこに乗る殺気がそう感じさせたのかもしれない。
「……すべて貴方の掌だったということですか。──ですが、私はそう易々と何度も貴方に殺されるわけにはいかないのですよ。全ての触手が消え去る前に貴方を殺せば済むことです! これ程までに手を尽くし、貴方を殺せなかったとあれば、魔王の名に傷が付く!」
「違う。俺がお前に勝つんじゃない。親父が、お前に勝ったんだ。自分の守りたいものを守る為に戦って、命をかけてお前を追い込んだから、俺がお前を追い詰めている。お前は、親父に負けたんだ」
「屁理屈を……ですが、そちらがそのつもりなら、私も覚悟を決めましょう」
どうやら中途半端な攻撃では、幾らやったとしても無意味らしい。残りの魔力も、初めに比べればスズメの涙ほどに少ない。
この少ない魔力で、今のレイを殺すのはどれだけ至難の技か。何をやったとしても、殺せない確信がある。
そう──このままでは,。
「あなたの敗因は、私の力がこれで限界と決めつけた事です」
それは意趣返しか、レイの敗因を早くも口にした魔王の体に向かって、塔の下から黒い風が吹いた。黒い風は、魔王の周りを取り囲み、そしてその体へと吸収されていく。傷だらけの魔王の体がボコボコと変形を始めたのはその直後だった。
「まさか……!」
「そのまさかですよ。今ここは、死者の怨念に満ちている。あなたが無限の魔力を謳うように、私の魔力もまた死者の怨念がある限り尽きはしない」
折れたツノが伸びる。目はより赤黒く、その体に満ちる邪の気配は強くなる。
「この一撃に全てを賭けましょう」
回復した魔力の全てが、最強の矛を象る。
「──魔槍」
レディクでさえ、瞬時に防御を捨てざるを得なかった万物を貫き通す至高の槍。
もしその槍を目にして生き残った誰かが居たのなら、彼はこう呼ばれる事になっていただろう。
最強の矛と、最硬の防御を兼ね備えた矛盾の魔王エルグランダ、と。
「あなたにこれが、受けられますか?」
それは安っぽい挑発だった。そんな挑発に乗るとは、口にした魔王でさえ考えてはいなかったが、レイはそれを前にして腰を落とし深く構えた。まるで避けるつもりなどないというのに、剣の熱が膨れ上がる。
「愚かな」
魔王は一言そう述べると、最速、最攻、最硬の槍をレイに向かって全力で投げた。
空気を斬る音が聞こえる。それは、槍の矛先が戦闘機の先端の如く空気を引き裂き掻き分けているからだ。それにより生まれた超速の気流が、さらなる加速を生み出し、レイの知覚を上回る。
──だが、それが如何に速かろうと、いかに硬かろうと、いかに貫通力があろうと、世界に隔たりを超える事は叶わない。
何故ならそれは、ただの魔力なのだから。
「隔離空間ッ!」
空間の途切れと、矛先が重なる。
刹那、弾け飛んだのは爆発音。そして、大地の塔を揺らすほどの衝撃。
一点に集約された魔術の集大成と、たった1つのスキルが凌ぎを削り、せめぎ合う。
優勢はどちらか。
魔力は空間の途切れを超えられない。その一点において、有利なのはレイ。
だが、超えるのではなく、破るのなら。壊すのなら。
「そんなもの、ただの硬い壁でしかありませんよ?」
その矛先は、森羅万象の全てを貫く。
かつて栄華を極めた難攻不落の城塞都市も。
立ちはだかったオリハルコンの鎧を纏いし英雄も。
世界最高の鍛冶職人が鍛えし槍も。
この槍の前では、呆気なく崩れ去った。
それに比べれば、この空間の途切れは何と小さく、何と脆いものか。
不利は、圧倒的な力で覆して仕舞えばいい。
空間すらも歪ますほどに集約された力で、一点を貫けばいい。
この槍が、貫けなかったものなど、この世にはないのだから。
──パキッ
虚空に亀裂が走る。その亀裂は一点から、だが致命的な穴を開ける。
途端、勢いを取り戻したのは、魔槍。絶対防御を、真っ向からぶち破り、レイへと肉薄する。
だが、そこで訪れたのは再度の膠着。いや、立方体を描く断空の背面との衝突だった。
その時になって、初めて気がつく事実。
レイは己の周囲ではなく、その直前に。初めからこうなる事を見越した上で、確実に正面から来るように、構えて誘ったのだと。
「ッ……、このっ……!」
一度目は破れた。性質としての不利を覆す力が──いや、魔力があったからだ。
ならば、二度目も。いや、二度目だからこそ、もはやレイを貫き通す事しか叶わぬそれでは──破れない。
だが、理解したとて、たった一枚。それも、一度は破った壁を壊せば、今度は確実に届くのだ。諦めがつこう筈もない。
「オオォォォォォォォッッ!!!」
咆哮を。いつ以来ぶりかの、魂の雄叫びを。
魔術において、自他共に並ぶものはいないと世界に知らしめた彼本来の力を、極限状況で咆哮と共に絞り出す。
加えられたのは、回転。そして、無意識のうちに矛先は最適化され、螺旋を生む。
ドリルで壁に穴を掘るかの如く、火花が散り、回転が勢いを増してゆく。
一方で、矛先に走る亀裂は、もはやそれ以上がない事を、雄弁に語る。
正真正銘、最後の一撃。
その矛先がほんの数ミリ空間を歪め、そして──断絶された結界は、撃ち砕かれた。
超えた……ッ、勝った……ッ!
だが、そんな思いを打ち砕くように、理不尽にもレイの手がそれに添えられた。
「固定」
途切れた空間を超えた先。一直線に突き抜けた先で待っていたのは、揺るがぬ壁だった。
それと衝突した瞬間、今度こそ魔槍の矛先が、木っ端微塵に砕け散る。
「燃えろォッ!」
間髪入れず振り下された猛炎。自らの防御をも燃やし、その向こうの魔王へと迫る。
「魔た……ッ!」
間に合わない────ではなく、足りない。文字通り、全力を注ぎ込み、レイの防御を破った魔王に、自分を守る盾を生成する余力など、残ってはいなかった。
「ぐぁぁあぁぁあッ!」
全身を駆け巡る灼熱。全身の血が沸騰し、片目が弾け飛ぶ。
それでも、意識を保っていたのは、魔王としての矜持か。
今日何度目かという、猛火の一撃を受けて魔王は、命辛々その場に立っていた。だが、その佇まいには力はなく、もはや吹けば飛んでいくのではないかと言うほどに弱々しい。
「……これ、まで……ですか」
余熱が魔力で出来た足を燃やし、とうとう魔王は崩れ落ちた。
灼熱を孕んだ地面が肌を焦がす。魔王は、最後に残った溶け落ちる寸前の魔力で出来た腕で体を起こし、後ろへと倒れこんだ。
「はぁはぁ……」
視界はもうボヤけていた。何度呼吸しても、肺まで溶け落ちたのか、意識は遠のいていく。
判然としない視界の中で、魔王はゆっくりと前方から近付いくるレイの姿を見た。
「終わりだ、魔王。お前は俺の手で殺す。もう一人のお前も、必ず俺が殺す。次に会った時、それがお前の最期だ」
レイは、最期となる瞬間に向かって歩み進める。
もう止まらない。止められない。
数年前、この地で始まった戦いの、最期の火蓋を、レイは己の手で斬り落とす。
「首を洗って待っていろ」
真っ直ぐに天に剣を掲げたレイ。その目と鼻の先に、魔王の顔と体がある。
そして──
「「──死ね」」
奇しくも二人の言葉は重なった。
そして、重なったのはそれだけではない。
レイが剣を振り下ろしたのと、倒れた魔王の体からウニのようにハリが突き出したのは、まったくの同時であった────
「──ふっふっふ」
笑っていたのは──魔王だった。
「どうやら……最後に勝ったのは……私だったよう……ですね」
果たしてそれを勝ちと呼べるのか。
言うや否や魔王はその背中からその場に倒れこんだ。
飛びそうな意識を無理矢理繫ぎとめ、残った片目で魔王はそれを見やる。
そう、剣を振り下ろした形で無数の針に貫かれて止まるレイの姿を──
「ふっはっはっ!」
もはや風前とも言える命を燃やし尽くしていいと言わんばかりに、魔王は高らかに笑う。
ようやく、ようやく、目的を果たせたと、歓喜に打ち震える。
──その時だった。
全身、針のムジロと化したレイが──笑ったのは。
致死の攻撃を受けてもなお立ち上がった英雄のように。
灼熱の業火の中で、笑い続けた不死鳥のように。
そして、最後まで笑みを絶やさなかった父のように。
──笑った。
それは、今日という1日で植え付けられた不死の恐怖を呼び起こし。
魔王が無意識のうちに飛び起きた、その時──
「ガハッ!」
胸が燃える。見ればそこには、真っ赤な剣が心臓を貫き生えていた。
そこでようやく、魔王はそれに気が付く。
この限界の状態ですらなければ、当然のように気が付いていたであろう手応えのなさに。
「な、何故……?」
ボヤけた視界の中で自分に向かって振り下ろされたはずの剣は、いつの間にか真っ直ぐと突き伸ばされ、そして何故か途中で途切れていた。
「言っただろ? お前の魔力残量はわかってるって」
360度、二人を囲む景色が淀み幻影が消え、真実が露わになる。
「動けば気が付けただろうに」
魔王は見ているようで、その実何も見えてなどいなかったのだ。
初めから少しずつ、少しずつ己の周りだけ景色が反転していた事に、その場から動かなかったばかりに気が付けなかった。
レイが本当は、魔王の背後にいた事に気が付けなかった。
「最後に教えてやるよ、魔王。お前の敗因は、俺たち人間を最後まで見下していた事だ」
体に流れる血の一滴、肉の一辺に至るまで、レイの中には、今まで培ってきた出会いと経験の日々が詰まっている。
誰か一人、何か一つ欠けていたら、レイは今立っていない。
だからこそ、舐めるなと。人の底力はこんなものじゃないと。
レイは今、己が剣を振るう。
「──じゃあな」
灼熱の鎮魂火が、燃ゆる。
スッと刃を引いたレイ。吹き出た血が一瞬にして蒸発し、粉塵爆発のように燃え広がる。
「ふふふっ、これで終わり……では、ありませんよ」
震えながらレイに伸ばされた先のない腕が、煙となって消えていく。
灼熱の業火に包まれた魔王は、最後の意地か苦痛に声を漏らす事なく、不気味な笑みを漏らした。
「次の再会が……楽しみ……です。天災のゴー……シュの生ま、れ、か……」
魔王は途中で言葉を止めた。それは、命が燃え尽きたのか、それとも喉まで燃えて話せなくなったのかはわからない。
ただ、その体が骨の髄まで燃え尽きるところを目に焼き付けてから、レイは剣を下ろした。
「…………そんな奴知らねぇよ」
不意に、雷光が瞬く。決着を付ける鐘の音のように、雷鳴は一人の勝者を照らす光と共に、大地に轟いた。
だが、それでも。
まだ戦いの激しさを残す雲に覆われた空のように。
レイの心は、まだ……晴れてなどいなかった。
異夢世界を読んでいただきありがとうございます。
戦闘描写しか書いた覚えが残らないような章でしたが、ようやく終わりが見えてきました。あとは、エピローグを残すのみ。その後は、外伝という名の本編を挟んで、次の章へ入っていく予定です。ペースから言って、来週か再来週ぐらいですかね。三連休なので、もう一話くらいこの休みに投稿出来たらと思ってますが、私の調子次第です。
次章は殆どこの章のエピローグのような感じになるかと思いますが、おそらくは皆さんが気になってるだろう彼女の事とか、父親を失ったレイがどう立ち直っていくのかなど、物語の転換部になるような要素が多々あるので、章として独立させました。それで第二部は終了といった感じになるかと思います。
以前感想欄にて、この章で第二部は終了と言った気がするので、ここで訂正させていただきます。
という事で、長くなってしまいましたが作者の調子が良ければ、三連休の間に、悪ければ来週この章のエピローグを更新します! 皆さん良い三連休を!




