162.魔剣
来週の更新は日曜日になるかもしれません。
雲の合間から差す日差しのように、空から地面に向かって斜めに伸びた青い光の奔流。青白い炎のような熱射と、竜のブレスのような射線上の尽くを砕き吹き飛ばす破壊力。
その光熱と破壊が、激しい光明と機械の始動音のような甲高い音色となって、周囲にばら撒かれた。
光が晴れ、耳が風の音を拾えるようになった時、山間を抜け避難しようとしていた人々も、街中から遠目に戦いを見守っていた傷だらけの人々も、そして共に戦っていたレイもまた、変わり果てた光景に、放心せざるを得なかった。
「なんて、馬鹿げた技だよ……」
空に舞い上がった爆炎と土煙で急成長を遂げたキノコ雲。天高く舞い上がり煤塵を含み、黒い影を落とすほどに、白かった雲が全体的に茶色く濁っていた。
その下には、まるで空爆を受けたかのように、大きく穴の空いた地面。そして、それを囲うように黒焦げた大地が広がり、砂つぶと化した残骸はモクモクと上がる煙と共に空へと登っていく。
もはや一つの天災に数えて遜色ない威力。
地表から地中深くの硬い岩盤までを塵に変え、あまつさえ大地まで焦がしたその威力は、今のレイではとても再現する事は叶わないだろう。一撃でとなると、せいぜい地面に亀裂を走らせるぐらいが関の山だ。
出来るとすれば、それは英雄と呼ばれる人間か、それより上位の限られた人種のみ。いわゆる人外と呼ばれるような者達だ。
そして、その域にいるのは何も、英雄や神だけではない。
「あれでも死なないのか」
濛々と立ち上がる白煙の中に、浮かび上がる紫炎を纏った人影。その禍々しい姿は、煙の中でもハッキリと浮かび上がって見える。
そして、千里眼を使えばよりクッキリと、透視を使えば白煙に埋もれたその体を詳細に見透せる。
冗談だろ、と吐き捨てたくなるその姿を。
紫紺の鎧は、陽炎のように揺らめいていた。その内に匿われた肉体の損傷は、一見したところディクルドが叩き折った左腕以外は、かすり傷のような有様。
思わず顔が引き攣る。
あの一撃の中で魔装の再生を間に合わせる技量と、瞬時に破壊されない圧倒的な硬度に。
まさに鉄壁。揺るがぬ壁。
それを超えて、腕だけでもへし折ったディクルドは、実際大したものだ。一瞬でも、その鉄壁を破ったのだから。
だが、その代償は大きかった。
「わりに……合わないね」
膝を着いて着地したディクルドは、煙の中の魔王を確認し、脂汗を額に浮かべ呟いた。
「まったくだ。……ディク、期待せずに聞くが、あとどのくらい戦える?」
「残念ながら……レイには悪いけど魔力も霊光も全部使い果たしちゃったよ。それに、剣も……」
ディクルドは気怠い体を起こし、判然しない頭を小さく振ると、右手を持ち上げる。右手には、バキバキに砕けた剣の柄が握られていたが、支給されたばかりとは思えないほどに真新しさを感じない。もう使い物にならない剣だった。
そんな壊れた剣の柄を握る腕は、疲労により小刻みに震え、全身を似たような気怠さが襲う。
「はっきり言って、暫く僕は使い物にならない」
ディクルドは良くも悪くも身体強化に特化し過ぎているために、魔力を使い果たす限界昇華と精神の疲労を伴うユニークスキルの併用の代償が、その後の戦闘継続が困難な程に大きいものとなってしまう。
それも許容限界を越した感情の高鳴りは、著しくディクルドの精神を蝕む。限界昇華の疲弊と合わせて、意識が朦朧としかけていた。
それ故、ディクルドはもはや戦力外である事を自覚しているし、そうなるであろう事は予測していた。それでも、あの場は畳み掛ける場面だったとも思っている。
惜しむべきは、力のなさ。魔装を打ち破れなかった未熟さだ。
終わってみれば、実に割に合わない駆け引きだった。
殆ど使われていなかった腕一本と、事実上の残存戦力の半減。
この不等価な対価が、二体一の状況でも何ら優勢でもない事を如実に示していた。
しかし、だからと言って、早々に力を使い果たしたディクルドを責めるのはお門違い。
これだけやって腕一本ではなく、これだけやったから腕一本へし折る事が出来たのだ。
それが対等でなくとも、まごう事なき戦果であり、同じ状況ならレイも全力で追撃を掛けた事だろう。
それに、見方を変えれば大規模な攻撃よりも、一点集中型の攻撃の方が、効果的である事がこれで証明されたわけだ。
後は、如何にしてその状況を作り出すか。いや、ディクルドと違って何かに特化しているわけではないレイが、それを作り出せるのかという問題だ。
「……そうか。なら、あとは俺に任せろ。ここにいたらディクはいい的だ」
「ああ、すまないけど、そうさせてもらうよ」
フラフラと覚束ない足で、ディクルドがせめて邪魔にならない場所へと移動しようとレイに背を向けた──その時だった。
「「っ……!」」
二人が同時に感じ取ったのは、魔力の動き。それも、魔力感知の及ばない地中深くから、一気に吹き上がってきた魔力の流れ。
それを感じ取った直後には、もう既にその流れは地表へと飛び出さんとしていた。
「ディ──!」
「っ──!」
警戒を促すレイと、反応はしたディクルド。だが、次の瞬間、背後の地面から飛び出してきた触手に比べると、それは余りにも遅い。
「ガハッ!」
槍のような鋭い矛先がディクルドの体を貫く。反応した事で、間一髪心臓から横の肺へと狙いはズレたが、飛び出すと同時に物資化したそれを回避しきる事も、防御する事も不可能だった。
それは、二人が油断していたからではなく、この触手がただ物資化され、操られているだけの魔力ではなかったからだ。
その秘密は、魔王の超速回避を可能とするのと同じ魔力噴射のスキル。これを物質化と併用したのだ。
魔力噴射を遠く離れた地下から標的に向けて放つ技量と、瞬時に物資化出来る発動速度があって初めて可能な魔術。
魔力噴射のスキルを持たないレイには、真似出来ない技の一つだ。
この技の厄介な所は、感知から到着までのインターバルが余りにも短い事。逆に言えば、それこそがこの魔術の優れた点とも言えるのだが、長距離射撃のように事前察知が限りなく難しいという点でも優れている。
「……っは……」
「ディク、しっかりしろっ!」
肺に穴が開き、朦朧としていた意識がさらに遠ざかる。呼吸が溢れ出した血によって押し返され、まともに息を吸う事も出来ない。
左胸を串刺しにした触手は、既にレイによって斬り落とされてはいたものの、そのダメージは先の代償などより余程甚大だった。
「ディク、これ飲めるかッ⁉︎」
「ま……だ……」
生命が危ぶまれる状態。このままでは、いけない。そう、即座に判断したレイは、サッとディクルドの頭を抱き起こすと、取り出したポーションを傷に掛け、飲ませようとする。
だが、まだだと、まだ来るはずだとディクルドは、レイに注意を促そうとするが、その声は掠れていて聞き取り辛く、レイはただ返事をしただけと勘違いした。
「まだ意識は手放すな、何とかこれを飲み干せッ!」
「ち……が……」
「いいから、サッサッと飲めッ! 本当に死ぬぞ!」
ポーションは、自然治癒力を高めるだけの薬だ。血の代わりにも、一瞬で傷が消えてなくなるような事もない。骨をくっ付けたり、傷を塞いだり出来る治癒魔法とは、ものが違う。
ポーションでの治療は、時間との戦い。一刻も早く飲ませる必要があった。
そのため、レイは尚も注意を促そうとしたディクルドの口に無理矢理ポーションを流し込んだ。本当に死んでしまうと思ったからだ。
だが、それはディクルドの方とて同じ。レイは魔王から大きく意識を逸らしてしまっていた。
そして、ディクルドの思った通り、地下深くからレイを狙い魔力が噴き出す。
「っ!」
だが、魔力感知の範囲に入れば、自分も狙われていた事には気がつく。
レイは反射的にディクルドの体を掴んだまま前方に飛び出した。その一瞬後、察知した通り触手がそのすぐ後ろから飛び出しレイ達へと迫るが、基本一方向にしか噴射出来ないために、その動きは先程の触手より遥かに遅い。
レイはその隙に、腕の装甲をより鋭利に変形させ、その根本を斬り落とそうと────
「っ……!」
時間差の発射。
遅れて吹き上がった4つの魔力が、二人の四方を囲うように上ってくる。そして、横たわるディクルドを無視してレイに襲いかかった。
もはや感知から対応へ移ると同時に足を拘束されてしまう速度。どれを躱すかなどと考える暇はなかった。
そして、足に一瞬遅れて腕も拘束され、さらに動きが鈍ったところを初めの触手が魔手へと変形し、レイの首を掴み取る。
「ッ……!かはっ!」
攻守一転。
首と手足で宙吊りにされたレイの目の前に、余裕を持って魔王がフッと空より降り立った。
「お遊びはこれまでにしましょう」
首までガッツリと拘束されたレイと、口から血を地面に垂れ流すディクルド。言ってしまえば、捕獲された獣と、矢で射抜かれた獣のようなものだ。後は、猟師にトドメを刺されるのを待つだけ。
魔王が締め括るまでもなく、この勝負の勝敗は、ディクルドの全力が届かなかった時に、既に決していた。
「少々驚かされはしましたが、やはり限界突破は諸刃の剣ですね。それに頼るようではまだまだという事でしょうか」
「うぐぁ……っぁ……」
気道を捉え離さない魔手。握り潰すかの如く首を締め上げて、レイの抵抗をねじ伏せる。レイもまた素早く魔手を伸ばし、その手を根元から斬り裂こうとしたが、体ごと振り回され地面に叩きつけられれば照準もズレる。レイの抵抗は空振りに終わった。
「あなたも相も変わらず実に小賢しい戦い方をしますね。私の真似をするのも癇に障りますが、実に回りくどい」
ドガッ、ドガッ、ドガッと何度も何度もレイを地面に叩きつける魔王は、悠長に話しながらも、レイの抵抗を事前に察知し、絶え間なくレイを痛めつける。
「まったく……手の内を読むのも、頭が疲れます。しかし、よく戦いの最中にそんな事を考える余裕があるものですね」
それは現在進行形での文句か。多様な抜け技を乱用し、拘束を抜け出そうとするレイに、ため息が漏れる。
それは面倒というよりは、まだ力の差がわからないのかと、言いたげな吐息だった。
随分と自信過剰な上からの目線の心情だが、実際問題、レイの攻撃は魔王にとっては遅過ぎる。あらゆる面に置いて、レイにとっては瞬時でも、魔王にとっては十分に対処可能な時間が与えられているのと同じ。
先程までは、その差を埋めるだけの速さをディクルドが担っていたが、今や死に掛けの状態。この拘束された状態から抜け出せないのも、全てはその足りないもののためだった。
「もう少し彼を見習って、腕を磨いた方が宜しいのでは? まぁ、今更それをしても手遅れなんですがね」
魔法も、魔石も、魔王の鉄壁の前には意味をなさない。全てを打ち払う魔爆も、わざと動けないディクルドの周りに落とされるせいで使えない。瞬間移動は、そもそも接触されている状態では何の意味も持たない。
威力も速度も、まるで足りたない。
だからこそ、レイは選択を迫られていた。
──やるしかないのか?
今、自分に足りたいものを、爆発的に増幅させるそれを、使用するか否かを。
だが、それは奥の手。最後の最後、どうしようもなくなった時、僅かでも抵抗出来るよう出し惜しみ──いや、勝つために残して置いた切り札。
──まだだ。まだ早い。こいつに限界突破を使うようじゃ、絶対に勝てない。
レイは、結局切り札を使わない事を選択した。それは、完全体になった魔王と戦わなければいけなかったから。
無論、そうなったら倒せるとは思っていない。だが、半日あれば、シャルステナがまたあの技を使えるようになる。
ならば、最終形態でもない魔王は、自分が倒さなければ。
彼女が回復する時間は、自分が稼がなければ。
そのために必要なのは、最後の最後まで、切り札を残すという覚悟だ。
目に力が戻る。腕に力が篭る。相手が首を握り潰そうと言うのなら、逆にその魔手を握り潰してやる。
レイは、魔収縮により高めた両腕で、腕を拘束する力と張り合う。激しく震えながら、一進一退を繰り返し、徐々にだが腕が喉に近付こうとしていた時だった──雄叫びが上がる。
「うおぉぉぉおッッ!」
血と共に体に残った空気を全て吐き出す勢いで咆哮しながら、ディクルドもはや大した速さも、力も残っていないその体で、魔王に立ち向かう。
擦り切れた精神を燃やし最後の力を振り絞り、僅かに漏れた霊光を右手に集め、振りかぶった。
「もはやその程度ですか」
決死の一撃。命をばら撒きながら迫るディクルドに、魔王は興味を失くしたような冷たい表情で、スッと残った左腕をその胸に伸ばす。
「──黒雷」
スザァッと鼓膜を裂くような破裂音と共に、致死の弾丸が放たれた。ディクルドの心臓部を貫き、空へと伸びた黒い雷。細く、まるで一本の刀のようにディクルドの胸を貫き、暗黒を散らす。
バチバチと全身に電流が迸り、体内の熱を逃がすよう口からは白煙が漏れる。
「がぁッ!」
言葉にならない声。激しい熱がレイの体を駆け巡り、ジタバタと体を揺らす。そのレイの前で、ディクルドは今度こそ意識を飛ばし、倒れ伏せた。
「見苦しいですよ。もうあなたも死になさい」
一度レイの腹部を斬り裂いた手から伸びた刃だけの剣。それが、持ち上げられたレイの首へとかけられる。
絶体絶命。しかし、レイの目に敗北の2文字の、その片鱗すら浮かんでいない。
レイは奥歯を噛み締め、最後の手段に打って出る事を決めた。
すなわち、限界突──
「──ウイングカッター!」
その時、どこからともなく魔法名を叫ぶ声が響いた。思わず動きを止めるレイと魔王。
暫くして、魔王の体を鋭い刃を乗せた風が撫でるが、中級魔法でどうにかなる相手ではない事は、この世の誰もが知っている。
だが、それでも堂々と杖を構え、魔王に牙を剥いた金髪の少年は、勇ましく叫んだ。
「兄ちゃんを離せっ!」
そう叫び、杖に魔力を通し再び詠唱を始めたスクルト。それを気にも止めず、魔王は目の前で呆然とした表情で目を見開いていたレイへ問い掛ける。
「おや? あなたの弟なのですか? 兄弟揃って愚かですね。実力差もわからないのですか」
その言葉と同時に、スクルトへ振り向きもせず、触手を伸ばした魔王。そのスピードはレイに見せ付けるかのようにゆっくりと、だが確実に殺せる速度と硬さを持って放たれた。
しかし、そこまで時間を与えられて、何も出来ないレイではない。
───隔離空間!
咄嗟に、レイはシャルステナを覆っていた隔離空間を解除。即座に、スクルトの周囲へと展開。不可視の壁が触手を弾き、スクルトを護る防壁と化す。
と、同時にレイは限界を超えた。
もう出し惜しみしている場合ではない。シャルステナの回復を待っていられる状況じゃない。
制限時間内に、倒せるか、それとも全滅か。
ディクルドの命も、スクルトの命も、そして王都に住む人々の命は、今この瞬間、レイ一人にのし掛かっているのだ。
だから──持てる全てをもって、こいつを倒す。
「はぁぁぁぁぁぁッッ!」
追い詰められた決意が、紅き焔となって怪訝する。
腕と足の拘束を引きちぎり、魔手を握り潰す。首に当てられた刃は反発空間で弾き、爆発的に増加した知覚の中で、レイは唖然とした魔王の顔に蹴りを入れた。
「くっ……⁉︎ な、何をしたというのですか!」
2度目となる限界突破を目にした魔王は動揺し、顔を押さえ、無意識の内に後退していた。その動揺にかこつけて、レイは12の斬撃を叩き込む。
だが、限界突破で膨れ上がった力でも、魔王の魔装を破るには至らない。
「くそっ」
相手の防御を貫けないという、いつもとは逆の立場。打たれても、斬られても、魔法を当てられても、倒れない。それが、レイの強みであったはずなのに、それを上回る鉄壁に、我慢に我慢を重ねて残して置いた奥の手が通用しない。
歯嚙みせずにはいられなかった。悪態を吐かずにはいられなかった。
仕方なかったとはいえ、自らに時間制限をかけてしまったレイは、半日という絶望的なまでに長い時間に、歯を食い縛り、だが何もしないという選択肢があるはずもなく、思い付く限りの攻撃を叩き込む。
だが、刻一刻と削り取られていく時間は、無自覚の内に焦りを生む。
焦りは繊細な動きを損なわせ、ミスを生む。
ミスは重なり、絶対的な隙を生む。
負の連鎖が連なり、レイをその時へと導いた。
血飛沫が飛び散る。肩から斜めに、魔装も鱗も全てを引き裂いて。
レイは膝から崩れ落ちた。
それを目にして、スクルトは悲痛のような叫びをあげるが、隔離されたそこからでは、何も聞こえない。ただ終わりの静けさを含む風が吹くだけだ。
「最後の限界突破には驚かされましたが……今度こそ本当に終わりですね」
斬られた場所が熱を持ち、火で炙られているかのように熱い。胸骨にまで届きそうな程、深く切り開かれた胸の奥で鼓動が高鳴り、血が溢れる。
──ゴクッ。
レイは魔王の前に膝立ちで、力なく両手を下ろしながら、静かに喉を鳴らした。
「絶望して死になさい。あなたは、結局私に一矢報いる事すら出来なかったのです」
首に向かって刃が振り下ろされた。それをレイは一切の抵抗も見せず、待った。
──魔装と刃がぶつかるその時を。
「固定」
小さく紡がれた言葉。魔装にぶつかり速度が緩んだ時を狙い、その手を拘束する。
そして、即座に膝を上げ、腰を上げ、立ち上がったレイは右足に力を込めて、剣を両手で腰の高さでガッチリと固定し、最後の技を気合いを込めて叫ぶ。
「瞬動ォッ!」
超至近距離からの超加速。その勢いを剣の先へと集め、レイは直進した。
一度それで己の魔装を破られた事のあるレイにとって、思い付く限りで魔王の鉄壁を打ち破れるかもしれない最後の手段。爆発的に高まった突進力と一点に集中させた力で、その鉄壁を打ち破ろうとした。
だが──
「──わかっていましたよ」
その加速も力も、その間に差し込まれた壊れた右腕を貫き、魔王の胸の魔装で止められた。
「……ぁ……」
これには、流石のレイも敗北を悟らざるを得ない。
残された技?
そんなものは存在しない。これが本当に最後の奥の手だったのだ。
「──魔爆」
それはレイの口から出た言葉ではない。魔王の口から発せられたものだ。
圧縮された魔弾が、レイの体を吹き飛ばし、同時に体へと纏わりつく。
濃度が高まる。煌めきが強くなる。
そして、時間を掛けず限界を迎えた。
限界まで高まった濃度を示す紫色の輝き。レイは本日2度目の魔力暴走の中へと飲み込まれ──
「──邪魔だな」
真っ二つに斬られた。
いや、レイを覆う魔力に走った上下に伸びる亀裂がそう見せているだけで、レイの体は僅かにも斬られていない。
「ったく、世話の焼ける息子だぜ」
絶対的な状況に、希望という光が射す。
レイは、解放されて地面に落ちるなり顔を綻ばせた。
「親父、来てくれたのか! それに母さんも!」
レイの目の前には、レディクとミュラの姿があった。
「ったく、何だこの状況は。街がえらい事になってんぞ」
レディクは外門が吹き飛び、崩れた建物の残骸が残る街を一瞥した。
そして、視線を不可視の壁に張り付くスクルト、倒れ伏すディクルド、そしてその側に立つ魔王へと順番に向け、最後に首を傾げた。
──どっかで見た事があるような……思い出せねぇ。まぁどうでもいいか。
そんな具合に、即刻記憶を探る事を放棄したレディクだが、その異形までもどうでもいいかと、切り捨てるほど、戦闘の経験は浅くない。最大限の警戒を魔王に向ける。
そんなレディクの後ろに付いてきていたミュラは、ゆっくりとレイに近寄るとその体に優しく触れる。
「また無茶をして。それに、どうしてスクルトまでいるの」
「まぁ、いろいろあって。けど、スクルトは怪我一つないから」
何故スクルトがいるのかはレイにもわからなかったが、自分を助けようと勇気を出した弟を、無茶をしたからと責めたくはない。だから、ミュラのお怒りがスクルトに飛ぶのを避けるようにはぐらかすようにレイは答えた。
「でも、あなたは怪我をして……ポーションを飲んだのかしら?」
ふと、レイの傷口へ触れようとしたミュラはこうして話している間にも、高まった自然治癒力で、治りかけている傷口を見て、溜飲を下げる。
レイはミュラの問いかけに一つ頷くと、チラリとディクルドへと視線を向けた。
「母さん、治癒魔法使えるよね? ディクを治してやってくれない?」
「ええ、それはもちろん。だけど……」
ミュラはレイのお願いに一つ頷いたが、魔王のすぐ側に倒れるディクルドを見て、言葉を止める。
治療したくても近寄れないのだ。
一目でわかる人間を止めている容姿と、その体に纏う並々ならない紫紺の魔力。伝え聞く邪神化した魔王の容姿とそっくりではないか。
不用意に近寄る事は出来なかった。
「……どうやら今回はあなたのせいと言うわけではないようね」
ミュラの顔に緊張が走る。冒険者を引退して、もう15年。命を賭して挑む戦いなど、何年振りか。否が応にでも、杖を握る手に力が篭る。
そんなミュラの内心を知ってか知らずか、レディクが口を開く。
「ミュラ。おめぇは、ここから離れてろ。こいつはちょっとばかし、本気になりゃなきゃいけねぇみてぇだ」
「あなたが本気を……? 私も残った方が──」
「ディクの坊主、ありゃほっときゃ死んじまうぜ? そうなったら、グラハムのやつに合わせる顔がねぇ。俺のことは気にせず、離れたところで治してやれ」
そう言われれば、ミュラは頷くしかない。
だが、初めての事だった。治療のためとはいえ、レディクが離れていろと口にしたのは。
その事が、子育ての間に大きく開いてしまった実力差を否応なくミュラに認識させる。
「……わかったわ」
杖を下ろし小さく頷いたミュラ。その彼女に、レイは我儘を言った。
「母さん、俺が代わりに残るよ。援護くらいなら、俺にも出来るから」
「……やめておきなさい。レディクの邪魔になるわ」
「別にいいじゃねぇか、ミュラ。レイはもう一人前の冒険者だ。好きにさせてやれ」
レディクの思わぬ助け船に、ミュラは一瞬言い淀む。
レディクの言う通り、レイはもう成人しており、仕事もこなしている。いつまでも子供扱いし過ぎるのは良くないかもしれない。
だが、心配は心配だ。レディクがいるからと、危険な場所に残しては行きたくない。
しかし、こうも感じた。
レディクが自分には離れていろと言い、レイが残る事には反対しないのは、レイの力を認めているからなのかもしれないと。
「……あなたがそう言うのなら」
ミュラは渋々頷いた。納得はしたが、したくはないという感じだ。
すると放任主義のレディクは過保護なミュラに代わり、背中を向けたままレイへと忠告する。
「だが、レイ。自分の命は自分で責任もって守れ」
「……わかってるよ、親父」
いつになく余裕がなさそうな父親の背中。会話しながらも、魔王から一瞬たりとも視線を放さないのは、言葉通り本気を出さなければ勝てない相手からなのか。
それ程までに、今の魔王は強いのか。常にレイの前を歩き続けていた父の背中が、気のせいかいつもより一回り小さく見えた。
「──────」
レディクが剣を構える。ニヤリと戦いを楽しむような表情を浮かべながら、竜の紋様が彫られた剣を肩の高さに。そして、腰を落とし、足を広げた。
「もう、家族団欒は宜しいので?」
「悪りぃな、待たせたか?」
「いえいえ、別れというのは、必要でしょう? それが、酷く絶望的な別れであるほど、それは美しく、後に芽生える感情も、より純度の高いものになる。であれば、別れの邪魔はするものではありません」
「あぁん? オメェ何言ってやがる。わけの話からねぇ話持ち出してくるんじゃねぇよ」
レディクは何を言っているかわからず、口汚く罵るが、レイには何となくだが魔王が言おうとしている事が理解出来た。
魔王は、死者の怨念───つまりは、邪神の加護を産もうとしているのだと、確信を深める。
「それは申し訳ありませんね。人間には理解出来ない事柄でしたか。では、代わりと言ってはなんですが、一つお尋ねしたい事があるのですよ」
そう言って、魔王はレイに向けてスッと指を伸ばした。
「そこの少年に、あなたは何をしたのですか?」
「あぁん? 意味わかんねぇつってんだろ」
「では、質問を変えましょう。どうやって、ここまで常軌を逸した少年を育て上げたのですか?」
真剣な声音で問いただす魔王に対して、レディクは大爆笑した。
「がっはははっ! んな事もわかんねぇのか! レイは俺の息子だ。理由なんざ、どこを探してもそれ以外ありゃしねぇよ」
「……なるほど。では、あなたの血を根絶やしにすれば、この一件は解決という事ですね」
「悪りぃが、それは無理だ。俺も、ミュラも、息子達を守るためにここに来てんだ。あとは、オメェがくたばりゃ、全部解決だ」
「それが出来ればいいのですがね」
そこで二人の会話は途切れ、身震いするような殺気が衝突する。
向かい合う両者。背にはそれぞれ、黒く濁った雲と家族。
睨み合いは、長くは続かなかった。
いや、続けるわけにはいかなかったレディクが、不意に地を蹴り飛び出した。
流れるような洗練された動きで、スキルも使わずに一瞬にして距離を詰めると、レディクは剣を突き出す。
対する魔王はその刃を左手で掴みあげ、受け止めた。
すると、レディクは素早く剣を持つ腕を引き、魔王をその腕ごと引き寄せた。と、同時に下から抉るようなアッパーを打ち込み、グオンと魔王ごと剣を一回転。その遠心力で、吹き飛ばした。
「レイッ!」
振り返ることなくレイの名を呼ぶと、剣を横薙ぎに振るい体の横に流しながら、レディクは駆け出した。
その先で、再び衝突する二人。
それを横目に見ながら、レイはディクルドを抱え、隔離空間を解除すると、スクルトの側に駆け寄った。
「怪我はないな、スクルト?」
「う……うん。兄ちゃん、ごめん。僕、邪魔しちゃった」
「そんな事ないさ。いいタイミングだったさ」
レイがここで何を言おうと、ミュラはスクルトの事を叱るだろう。だけど、それを恐れて今抵抗されるのは、少しばかり危険が過ぎる。
レイは出来るだけ優しくディクルドの体を担ぐ手とは逆の手でスクルトを軽々と持ち上げると、ミュラのいる場所へと引き返した。
「母さん、俺がディクを運んだ方がいい?」
「大丈夫よ。あなたはここに残るんでしょう? こっちの事は何も気にせず、あの男を倒す事だけ考えなさい」
ふと、この鎧を着たディクルドを細腕のミュラが運べるのかと心配になったレイだったが、風魔法でその体を簡単に持ち上げた母の姿を見て、自分が心配する事じゃなかったかと思い直す。
そして、不安げな表情で、レディクの戦いを眺めていたスクルトを抱えて、ミュラはその戦場から去って行く。レディクの言う通りに、どこか戦いの余波が届かない場所でディクルドの治療に当たるつもりなのだろう。一応、レイがポーションを数個かけておいたので、このまま命を落とすという事にはならないだろうが、果たして次があるとしたら、それまでに失った力を回復出来ているかは微妙なところだ。
レイは、そんな彼らを見送ると、レディクの戦いへと目を戻す。
戦いは互角……いや、若干だが魔王が押しているように見える。以前の戦いで、大量の邪神の加護を取り込んだ魔王と互角の剣戟を繰り広げたレディクだが、今回は少しばかり不利なようだ。
しかし、多彩な技と、その圧倒的な防御力で渡り合う魔王に対し、レディクがやっているのは、剣技だけの戦い。剣に魔力を通す以外、スキルの一つも使っていらようには見えない。
そう考えると、余力は残しているように思える。だが、レイの中で不安なのは、彼自身レディクがどのようなスキルを有しているか知らないことか。
「はっはっはっ! 久々に骨のあるやつが出てきたなっ!」
「褒め言葉として受け取っておきましょう。あなたもお強いですよ、人間にしては」
二人はレイの目では少し掠れて見えるような高速戦闘中に動きを止めず、口を交わしていた。その余裕があるのは、まだどちらも様子見で本気には程遠いからか。
「入り込む隙がねぇ……」
わかっていた事ではあったが、レイの実力、もっと言うなれば速さという重要なファクターが圧倒的に二人に劣っていた。だからこそ、それを補う戦法でこれまで戦ってきたのだが、ディクルドの時もそうだったが、やはり割り込むには最低でもチャンスを見逃さない目が欲しいところだ。
「どうするか……このままだと限界突破も消えちまう」
そうなったら完全に足手まといだ。そうなる前に逃げるつもりではいるが、一発ぐらいあの魔王に強烈なのをぶち込んでやりたい。
レイは、いつでも飛び出せるように心構えを持ちながら、二人の戦いを注視し続けた。その目に宿るのは、羨望か。あんな剣の振り方があるのかと、剣だけで全てを捌き切るレディクの動きを見詰めていた。
レディクの動きは、至極単純だ。一言でその戦い方を表すのならば、斬る。それに尽きる。
魔王のフェイントか、魔弾による攻撃はスーとまるで糸を通すように、斬る。触手は必ず魔王とどこかで繋がっているため、根元から叩き斬る。向こうが直接攻撃してきたら、自らも剣を振り斬る。
それだけだ。それだけなのだが、一つの型として完成の域にあるレディクの剣は、自らの身体能力を十全、否、十二分に活かしきる。
無駄がないのだ。一つの斬るという動作とっても、レイやディクルドを苦労させた魔装に傷を残すというのに、その剣筋は驚くほど軽やかで、また柔らかい。如何なる攻撃にも、臨機応変に対処し、斬り伏せる事が出来る動きだ。
「素晴らしい剣の腕です。貴方ほどの使い手は、世界広しと言えど、指で数えられるほどでしょう」
「オメェこそ、随分と魔力の使い方がうめぇじゃねぇか」
お互いに動きを分析し、徐々にギアを上げていく。そんな中、魔王はレディクの剣の腕に称賛を送るが、一方のレディクもまた称賛で返す。
「知り合いに似たような力を持ってる奴らがいたが、ここまで勢揃いっていうのは、中々ねぇな」
一つ一つのスキルで言えば、百人に一人は持っているようなそんなスキルだが、ここまで網羅し尽くしているのはそうそういない。
「確か、魔導とか言ったか?」
「魔術です」
魔術。
そう呼ばれる技は、およそ7つのスキルの総称だ。
魔装、魔力加工、魔人形、魔力物質化、魔伸縮、魔力噴射、そして、魔性変化。
これら全てに共通するのは、他のスキルのように何かの効果と引き換えではなく、直接魔力を使用する事。だから、2種以上を有する者は、それを組み合わせて、さらに強力な技へと進化させる事が出来るのだ。
例えば、魔力物質化と、魔伸縮を組み合わせれば、物質化した魔力を素早く伸び縮みさせる事が出来る。
組み合わせは無限大。つまり、可能性も無限大だ。
その総称が魔術というものなのだ。
「おおっ、それだよ、それ。ほぼ合ってたな」
間違いを正されたレディクは命の取り合いの最中でも、構わずケラケラと笑う。まるで、遊んでいるかのようだ。だというのに、油断も隙もない鋭い剣線は、確実に魔術を斬り捨てる。
「──厄介ですね」
それは剣技もさる事ながら、魔力そのものをまるで熱したナイフでチーズを斬るかの如く溶かす剣の性能に対してもだ。
「魔剣、ですか。能力は『熱』と言ったところでしょうかね」
「ハズレだ」
魔王の追求を笑い飛ばし、魔装を切り開いたレディク。トロリと切り口の魔装がとろけ落ち──発火した。
「──ようやく起きてきやがったか」
ニヤリと口角を上げたレディクの振るう剣の紋様は中程まで、緋く染まっている。
「なるほど。『発火』ですか。副次効果まで持ち合わせているとは……貴方を殺したら、その剣は頂く事にしましょう」
魔王はレディクから少し距離を置き、斬られた箇所を手で撫でた。すると、火は消えて、魔装も元に戻る。
「またまたハズレだ、馬鹿野郎。この剣──緋炎の能力は、『灼熱』。下手に触ったら、火傷するぜ? こいつは、俺以外誰も主として認めねぇ、暴れん坊だからよぉ」
「ふふふ、まるで剣に意思があるような物言いですね。些か、その剣に浸透し過ぎではありませんか?」
「なら、使ってみな。──ほらよ」
レディクは無造作にポイッと剣を魔王の前に放り投げた。
「はぁぁぁっ⁉︎ な、何してんだよ、親父⁉︎」
戦闘中に武器を敵に明け渡たすレディクに、頭おかしんじゃねぇのかと、驚愕を顔に張り付けるレイ。
一方でレディクの顔には、絶対の自信があり、それを前にした魔王は、戸惑いを覚える。
「……ただの馬鹿でしょうか。それとも、何か罠でも仕掛けてあるので?」
「俺がそんな小細工をするように見えるか? おら、ビビってねぇで持ってみろ」
「……では、口車に乗ってみるとしましょう」
魔王の手が剣に伸びる。ゆっくりと、ゆっくりと、警戒しながらも、剣の意思が気になったのか、それとも単にその剣を欲したからかはわからないが、その剣の柄を握った。
そして──
「……何も、起こりませんね」
剣を地面から抜いた魔王は、普通にその剣を持ち上げたが、それを見てもレディクの顔には一切不安や後悔の念は湧いていない。
困惑は深まる。だが、一つだけ確かなのは。
「やはり、剣の意思など存在しないよう──」
言い終えようとした瞬間、突如として剣から灼熱の猛威が噴き出した。その火は魔王の全身を暴れまわり、その手から剣が零れ落ちる。
それが地面へ落ちる寸前、剣の先から爆炎が散った。そして、その爆風に飛ばされた緋色の剣は、クルクルと空を舞い、空に掲げられたレディクの手へと、実に自然に落下した。
「ほらな? こいつは気性が荒れぇんだ」
「……なるほど。益々、その剣が欲しくなりました。素晴らしい魔剣だ。貴方を殺せば、その剣も私を主として認めてくれますかね? 」
「それは知らねぇな。俺を殺して、こいつに聞いてみねぇ限りはな」
そう言って、レディクが真横にして持ち上げた緋色の剣の紋様は、およそ6割まで灼熱に染まっていた。