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159.白銀の女神

 

 ……暗い。


 どうしてだろう?


 いつもはこんなに暗い場所じゃないのに……


 ああ……いや、そうか……そうなんだ。


 ──死んだのか、俺は。


「そうだ」


 短くハッキリと明言する声。

 声は続けた。


「俺は、言ったはずだ……戦うなと。何故……何故逃げなかった!」


 怒声共に暗闇の中から這い出るように現れたのは、ノルドだった。

 だが、いつもとは明らかに様子が違う。

 声を荒げ、怒りを露わにするノルドは、レイを掴み上げた。


「お前は取り返しがつかない事をしたんだぞ! お前の死がそのまま世界の死に繋がると、わからなかったのかッ!」


 目の前で怒鳴り声を浴びせられたレイは、ようやく意識を覚醒させ、目を見開く。


「死んだ……?」

「何を今更ッ……! お前が、自爆を選んだからだろうがッ!」


 抑えきれない激情を、レイへとぶつけるノルド。

 そんなノルドの様子が、自らの死が嘘ではないことを明言しているように思えて、レイは脱力したように謝った。


「…………ごめん。だけど、ああするしか……」

「黙れぇッ! 今すぐ、お前の存在を消してやる!こんな事になるのなら、お前の意思なんざ全て奪い取っていればよかった!お前が弱いせいで、お前が無駄に命を賭けたせいで、俺がこんな場所で生き残った意味も、命を賭けた理由も、全て消えてなくなったッ! 俺はお前を許さねぇぞ、レイィ‼︎」


 レイの謝罪を受けても尚、ノルドの怒りは増すばかり。いったいそれが如何程のものなのか、その魂の叫びを聞いても尚、レイには測り知れるものではない。


 レイは今度そこ、言葉を失った。


「俺の前から消え失せろぉぉッ!」


 もう全ては手遅れ。レイの存在を消し去ったとしても、それが変わることはない。それをわかっていても、抑えよのない怒りがレイの存在全てを奪い取されと、吠える。

 そして、それをレイは受け入れた。死も、完全に消え去る事も、もう戻れないなら同じ事だ。どうせなら、ノルドがやりたいようにさせればいい。


 そんな風に、どこか達観とした面持ちで、レイはそれを受け入れた。


 しかし、かつて何度もレイの記憶を奪い去った強奪の力が再びレイに放れようとした、その時。

 その場に、光が射した。

 それは、レイの体から溢れるようにその場の暗闇を照らし、ノルドの手が止まる。


「これは……」


 ……暖かい。

 誰かの体温に触れているかのようだ。

 レイは胸から溢れる光に手を翳し、その暖かさに心は満たされていった。


「チッ……命拾いしたな」


 それは生命と存在の二重の意味で。

 しかし、かといって一度吹き上がった火が、すぐに消える事はない。ノルドは、簡単には収まらない気持ちを吐き捨てるように舌打ちし、手を離した。


 しかし、一方のレイにとって、その言葉は実感のわかない希薄なもので、どこか他人事のようにも感じる。


「ひょっとして助かったのか、俺は?」

「……目が覚めたら、彼女に礼を言いな」

「シャルの事か? シャルがまた助けてくれたのか?」


 レイがシャルステナの事を思い浮かべ、ノルドに問うと、彼はそれが気に入らなかったかのようにもう一度大きく舌打ちする。


「……2度目はないと思え」

「ははっ、大袈裟な。今回も死に掛けただけだろ?」


 レイはノルドの脅しを軽く笑い飛ばした。

 そう、いつもと同じく死に掛けただけ。そして、また助けられた。今回は少し危なかったようだが、と幾度もそれを繰り返すうち、レイの中で死に掛けるという状況を誤解してしまっていた。


 ノルドとレイ。

 彼らの中の繋がりが、より強く、より近いものとなる時、二人はこうして胸のうちで顔を合わす事が出来る。そして、それはレイが死に近づく事で起こる。


 だが、半死人のノルドにはわかる事が、生者のレイにはわからない。それまでと今では、二人の距離がまるで違う事に気が付かない。

 例えるなら、今までは大阪と東京。今は、徒歩10分といった具合まで大差がある事を。


 全部、同程度にしか思えない。


 そんなレイの態度に、ノルドは一度収めた怒りを再燃させた。


「ふざけてんじゃねぇぞ!テメェ!」


 再びレイを掴み上げたノルド。その目は、レイを消そうとした時の彼の目と何ら変わらない。


「よく聞け! このクソ野郎っ! お前は今間違いなく死ぬ寸前だったんだ! それを、彼女が自分の命をお前に分けたお陰で助かった! ──もう一度言う! 2度目はないと思え! お前が、幾ら死に掛けようと勝手だかな、死ぬまで行くんじゃねぇ! 」

「わ、わかったよ……悪かったって」


 そう、血を吐くように怒鳴られても、レイにはやはり実感がわかない。この状況に、レイは慣れ過ぎていたのだ。

 レイは死に慣れ過ぎて、己の死が何を招くのか、自覚していない。

 それを、鋭く見抜いたノルドは、より強くレイを怒鳴りつけた。


「何もわかってねぇだろうが! 今の説明で、お前に何がわかる⁉︎ もっと考えろ、意識しろッ! お前しか俺をここから連れ出せねぇ! 俺しか世界は救えねぇ! お前が死んだらそれで全て終わりだ! だから、よく覚えとけ! 絶対に死ぬな、死ぬんじゃねぇ! どんなに追い詰められようと、死ぬ寸前で止まれ! 止まり続けたら、俺がどうにかしてやる! わかったか⁉︎」


 怒鳴り散らすノルドの剣幕に押され、無言で首を縦に振るレイ。


「とっとと戻れ。そして、側にいる彼女と逃げろ」

「……嫌だ。それだけは絶対に」


 だが、逃げろという言葉には頑なに首を縦に振られなかった。


「……いい加減にしとけよ? 今日の俺は気が短いぜ?」


 ノルドの剣幕は凄まじいものだった。直接顔を合わせているわけでもないのに、湯水のようにプレッシャーがのしかかる。

 だが、それでも譲れないものはレイにもある。


「魔力暴走を安易に使ったのは悪かった。俺自身死ぬってのが、どういう事なのかよくわからなかったんだ。けど、お前に教えられて、俺が死んだら、世界が滅ぶってのがようやくわかった。そりゃ、死んだら不味いよな」


 レイ自身、称号で示されたように死にたがりなわけじゃない。ただ、優先順位というやつだろうか。

 レイの中で自分の命の順位は軽い。レイは、何も生み出さない死に慣れ過ぎた。

 ただ、レイの中で何よりも重いのは、恋人や友人、自分の家族の命だ。それはきっとレイに限ったことではなく、自分よりも他者の命の方が大事と考えている者もいるだろう。


 そう、特別な事ではないのだ。

 けれど、日向嶺自にはその特別でないものがなかった。だからこそ、より強く失いたくないと思うのだ。それに気が付かせてくれたのは、春樹と結衣の二人。今と昔の自分を、比べて初めて気が付いたのだ。


 そして、レイはまた1つ知った。自分の死=世界の死である事を。それを知り、理解した上で、レイの中の優先順位がどうなるかは、すぐにはわからない。

 だが、1つ言えるのは、自分だけ生き残るという考えは、決して失いたくないものがあるレイの中で浮かぶことはないという事だ。


「けどさ、今ここでシャルと逃げて、ギルクやアンナ、ゴルドを死なせて世界が救われても、俺もシャルも嬉しくない。笑って生きていけない。だから、逃げない。お前も俺ならそうするだろう?」


 それは大切な誰かがいる人間なら誰しもが思う事で、きっと誰もが、自分の命と他者の命を秤にかけて生きている。

 その秤が、今のレイの中では、片方に傾いていただけの話だと、それは世界を救うために、死の都に囚われる事を選んだノルドも同じだろうと、レイは同意を求めた。

 しかし──


「…………いいや」


 ノルドはレイの言葉を否定した。


「俺は、そうは思わない。俺にとって生はただの付属品でしかない。もっと深い部分で、俺は人の生き死にを見ている。それで言えば、人がどれだけ死のうと関係ない。最終的に世界さえ救えれば、何も問題はないんだ」


 世界さえ救えればと言うノルドはいったい何を見てそう言うのだろうか。

 あるいは、そもそも見ているものが何もかも違うのかもしれない。だけど、ノルドが何を見ていようとレイにとって死は文字通りの意味であり、世界さえ救えればとは、とても言えない。


「……お前の言う事はいつも難しくてわからない。だけど、俺が踏みとどまる限り、どうにかしてくれるんだろう?」


 だから、レイは言葉の足をとって頼むのだ。俺の力が足りないのなら、お前が力を貸してくれと。


「頼むよ。俺が笑って生きていくために、お前の力を貸してくれ」


 ノルドはイエスともノーとも言わなかった。ただ、無言で踵を返した。


「……しばらくお前の顔は見たくない。もうここへは来るな」

「……ああ」


 レイはその返答をイエスだと受け取った。そして、胸の光に誘われて、その場を出ようと意識する。それだけで、意識がどこかに上っていくような感覚に襲われた。


「なぁ、1つだけ教えてくれ。あんたが、『神殺しの英雄』なのか?」


 意識がそこを去る直前、レイはノルドにそう問いかけた。


「……俺をその名で呼ぶんじゃねぇ」


 少し不機嫌気味に答えたノルドの背中は、どこか虚しさを帯びているようにレイの目には映った。



 〜〜〜〜



 ──悲鳴が聞こえる。


 知らない人の声だ。ソッと目を開けると、飛び込んでくるのは、眩い光と泣き笑いするシャルステナの顔。けど、それに似つかわしくない爆音と、悲鳴が木霊する。


「体はどう? レイ」

「…………」


 レイが目覚めてすぐ、シャルステナは涙を拭い体に異変はないか聞いた。レイはしばし無言で彼女の顔を見つめてから、一度目を閉じた。


「……絶好調さ」


 言葉の内容はいつもと変わらないのに、レイの声は少し低かった。そんな微妙な変化にも鋭く気が付いたシャルステナは、心配させまいと嘘を言っているのではないかと不安に駆られた。


「本当に?」

「ああ。シャルこそ、平気か?」

「私? うん、少し足を擦りむいただけで、もう治しちゃった」

「そっか、ならいい」


 レイは腹に力を入れて体を起こすと、どこか素っ気ない様子で立ち上がる。その動きが余計にシャルステナを不安にさせるが、悲鳴の上がる方向へ目を向けたレイを見て、余裕がないのかもしれないと、思い直した。


 レイは不意に半面だけ顔をシャルステナに向けると、小さく呟いた。


「……ありがとな、シャル」

「あ、うん。いつもの事だから」


 はにかみながら答えたシャルステナに、レイはまた顔を逸らし、彼女にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「……違うだろ」


 レイは自分の死を告げられた困惑の中で聞いたノルドの言葉を、目覚めてから思い出して、胸が痛くなった。ノルドの剣幕に圧倒され、話が半分程度しか入っていなかったとはいえ、聞き直さなければならなかった事を、聞きそびれてしまったと、急に冷静になった。


 後悔と自責が嵩む。

 曖昧な言葉では、彼女に何を差し出させたのか、何が起こったのか、正しく判別させてはくれない。


 と、同時に激しい戦闘音が、ゆっくり話す時間さえ与えてくれそうにない事を伝えてきて、より歯痒い気持ちになる。


「シャル、これが終わったら二人で話そう」

「二人で? いいけど……またどうして?」

「ちょっとな」


 レイは屈託ない笑顔で、シャルステナに顔を見せた。


 切り替えなければならない。

 魔王との戦闘はまだ続いているのだ。


 気持ちを切り替え、武器を取り出す。元々持っていたオーガの剣は、今手元になく近くにある事もない。大方、向こうから戻ってくる時にどこか別の場所に落ちのだろうと思いながら、魔王に挑むには頼りない剣を代わりに腰へと差した。


「あっ……と、シャルもいるよな? これ安物だけど、取り敢えず使ってくれ」

「うん、ありがとう、レイ」


 レイの血で汚れたドレス姿で、何も武装らしい武装をしていないシャルステナに、レイは自分と同じものを手渡した。レイ曰く安物だが、金銭感覚がおかしい事は折り紙付きで、実はそれなりにいいものだ。ただ、元値がタダ同然だった事を踏まえると、今回ばかりはレイの言い分も間違いではないのかもしれない。


 シャルステナは剣を受け取ると、状態を確かめるためか少しだけ鞘から刀身を抜いた。


「えっ……これって……」

「帝国でちょっと一仕事した時の余り物みたいなもんだよ。魔力を込めないと鈍らだけど、まぁ、鉄オンリーのものよりマシさ」

「そ、そうなんだ。けど、たぶんかなりいい剣だと思うよ?」

「なら、あげるよ。俺には合わないから」


 レイの渡した剣は性能的には一級品にも届くレベルの剣だ。だから、シャルステナの言う通りかなりいいものなのだが、レイは余り好きではなかった。

 これならまだオーガの剣の方がいいと思うほどに。


 それには、ちゃんと理由がある。

 1つに魔力を込めなければ使い物にならないという事。レイにとってそれは余り好ましくない性質だった。咄嗟の反応で斬り結んだ時、硬度が十分ではないからだ。


 加えて、剣の成分自体に魔力吸収の性質があり、それに逆らって動かすのは手間がかかる。魔術方面の技を使うレイにとって実に相性の悪い剣なのだ。

 だから、主武装として使う事は出来れば避けたい。


 ただ、魔力を込めるだけで、通常の魔力充填よりも高い性能を引き出すそれは、サブに置いておくのには十分過ぎるもので、意識の分散が避けられない12手状態では非常に重宝する。

 だから、予備も含めてレイの収納空間の中には結構な数の魔力鉱石で出来た武器が仕舞われている。


「ありがとう、大事に使うね」

「まぁ、今回の戦いが終わったら捨ててくれていいか、ら……? ──変だ」

「えっ?」


 レイは捨てていいと言いかけて、異変に気が付き、鋭い目を街へと向けた。


「……戦いの音が聞こえない。悲鳴も」

「まさか……!アンナ達が……」

「……行こう。全員倒したって可能性もある」

「うん、 みんなが心配!」


 シャルステナの言葉に無言で頷いたレイは、いても立ってもいられないとばかりに、駆け出した。すぐにレイは少しでも効率を上げようと、千里眼を発動。空間は探索範囲が広すぎて時間がかかるため使わずに、アンナとゴルド、ギルクの姿を手当たり次第に探す。


 だが、その捜索行為はすぐに止められる事になる。


「それには及びませんよ」


 二人の前に魔王が姿を現したからだ。それも、手勢を携えて。


「魔王……!それじゃあ、アンナ達は……」


 シャルステナの顔から血の気が引く。そんな彼女の肩にポンと手を置いて、レイは魔王を睨み付けた。


「他はどうした? お前一人か?」

「他の私なら、もう既に死にましたよ」

「ハッ、大口叩いて、負けてんのかよ。カッコいい魔王様だな」


 魔王を軽く挑発しながら、レイは内心安堵していた。無事かどうかはまだ分からないが、二人の魔王を倒したのはアンナとゴルドだと思ったからだ。

 それは、シャルステナも同じで、少しだけ希望が湧いてきた。


「さぁ、どうでしょう? 私を2度殺す間に、あなたのお仲間は全滅。残りはあなた達ぐらいのものでしょう。果たして最後に立っているのはあなたか私か、いったいどちらでしょうね?」


 そう言って、手勢を前に。もはやボロボロの体で、動ける状態でない男達がグルリと二人を囲む。正面には、戦闘体制を整えた魔王。魔力の濃さが高まり、黒光りする触手を携えて、暗色に包まれている。


「さぁ、もう終わりにしましょう。いい加減あなたの顔を見るのも飽きました」

「それは、こっちのセリフだ!」


 レイの体から魔力が溢れる。溢れた魔力は、魔装でも、魔手でもなくレイの掌へと集められる。


「魔弾!」


 ドドドドっと連発で魔力弾を放ったレイ。その魔弾は魔王ではなく、ボロボロの操り人形と化した人々にぶち当たり、吸い込まれる。

 そして、前に皇帝を縛り付けた要領でグッと体を固め、魔王の支配を打ち切る。


「お見事。しかし、まだ魔力が残っていたのですね。予防線を張って正解でした。いったいどこに隠し持っているのやら」

「あいにくこの程度じゃまだまだ余裕だな」


 何十という数の人間の動きを止めるには、それなりに魔力が必要だ。普通ならとうに欠乏してもおかしくない量の魔力をレイは使っている。

 だからこそ、隠し持っていると魔王は言ったのだ。まさか無限に近い魔力を持っているなどとはつゆ知らず、魔素による補給が行われているのではないかと考えたからだ。


 それを確かめるための予防線が、この操り人形達。殆どが気を失い、あるいは死して体を乗っ取られた者達だ。

 これにより、魔王の疑問は確信へと変わり、己の勝利が確実なものへと変わった。


「その余裕が最後まで持ちますかね」


 溜め込んだ魔素もいずれは尽きる。その時がレイの最後と、卑しく口角を吊り上げた。


「持たせるさ」


 レイはどこか誓うようにそう言って、腰を落と──


「待って」


 ──そうとして、横から割って入るように手を伸ばしたシャルステナに、目を向けた。シャルステナは魔王に歩み寄ると、距離は置いて言葉を投げかけた。


「どうしてこんな事をするの?」


 シャルステナの裏表ない素直に質問に、された側の魔王は問いの意図がわからないと首を小さく横に振る。


「どうしてとはまた可笑しな事を聞きますね」

「本当にそうかな? あなたは邪神に乗っ取られた魔物とは違う。意思を持つ人間。だったら、理由があるはず」


 断定に近い物言いにレイはふと首を傾げた。

 レイの中で邪神に限った事ではないが、加護というのは酷く曖昧だ。それは、加護システムという枠組みは知っていても、その仕組みについて深く知らないからこそなのだが、今ある知識で考えると、魔王とは邪神の奴隷という認識になる。


 しかし、レイのように竜神やノルドという情報源を持たないはずの彼女が、どうしてレイとは別の答えを確信を持って言えるのだろうかと、不思議に思ったのだ。


 一方で、彼女の前提知識の有無に興味さえ持っていない魔王は、別の意味で深く頭を悩ませていた。


「理由……ですか。そう言えば、考えた事もありませんでした。ですが、そうですね……敢えて言うなら復讐でしょうか」


 己は世界の敵。そう、定められたものだと深くは考えてこなかった魔王だったが、彼が魔王となった時を思い返して、復讐という答えを出した。

 対して、シャルステナは再び質問を投げかける。


「誰に復讐したいの?」

「私の全てを奪った男にです。しかし、とうの昔に当人は死にましたからね。せめて、あの男が命を懸けて守ろうとしたものを壊してやりたいのです」


 今度はすぐにスラスラと答えを返した魔王。一度思い返してみれば何てことはないただの復讐だと、既に死んだ男の悔しがる姿が見たいだけの話であった。


「それがあなたが魔王でいる理由?」

「ええ、そうです」

「そっか……悲しいね。あなたには、あなたの戦う理由があるんだね。けど、私は許せないよ。きっとあなたも悲しくて辛い思いをしたんだと思う。けど、自分の辛さを関係ない人にぶつけるのは絶対に間違ってる」

「それは綺麗事ですよ。長く生きればわかります。綺麗事では、満たされない事だってあるのです」


 殺戮を楽しむ魔王に同情を寄せるシャルステナ。レイは、そんな彼女の底無しの優しさに、自分もそうやって助けられたのだと思い出していた。

 だから、ひょっとしたらと期待が心に浮かぶが、即座に切り捨てた魔王にやはり戦うしかないのかと、戦法に頭を巡らせた。


「うん、だから悲しいね。あなたはそれを最後まで知る事が出来なかったんだね。とても苦しかったでしょ? 辛かったでしょう? 全部投げ出してしまいたかったでしょう?」


 優しい言葉をかけるシャルステナの横で、レイは何食わぬ顔で、魔王に感知されない魔素を張り巡らせる。

 着々と戦闘の準備を整えていくレイの前で、魔王は不快気に目を細めた。


「……あなたは何が言いたいのです? 私を説得でもするつもりですか? 生憎と高々数十年生きただけの小娘に、絆されるような私ではないのですよ」

「うん、わかってる。だから……」


 話の切れ目を感じ、レイは魔素に使った魔力を補填し、万歳の体制で腰を落とした。

 そして、一気に奇襲をかけようとした瞬間──


「──同じ苦しみを知ってる私が終わらせてあげる」


 ──目の前で光が爆ぜた。


 神々しくも美しい純白の光。白亜の羽が、後ろに掛かる赤い髪を持ち上げ、悠然と羽ばたいた。

 体に纏う白い光のドレスは、肩から先をさらけ出し、けれど薄く彼女を守るように光が包む。


「来て、ハイ・ウィール」


 スッと天へ伸ばされた透き通るような美しい手。その手に、天から光が落ちた。視界が白濁し、眩い光に目を閉ざす。

 光明が落ち着きを取り戻し、視界が戻った時、彼女の右手には一本の剣が握られていた。


 それは、レイが貸し与えたものとは全く形も色も違う剣。

 白銀の鏡のような傷一つない美しい刀身。刃は片方にだけ付いてあり、峰打ちの出来る日本刀のような形をしている。しかし、刀身は刀のそれよりも太く、中央に、赤、青、黄色の三つの半透明な球が埋め込まれている。


「ハイ……ウィール……だって……?」


 レイは呆然と、彼女が呼んだ剣の名を繰り返していた。


 その剣の名は、知っていた。

 いや、剣を志す者なら誰でもその名を知っている。


 曰く、その剣は、剣であって剣でないもの。

 曰く、その剣は稀代の天才によって作られた、叡智の結晶。

 曰く、その剣を扱えるのは一人だけ。


 もはや名前だけが伝説や伝承の中に登場するだけで、誰もその姿を見た事もなかった伝説の剣。

 それが今、シャルステナのか細い腕に握られている。


「もう説明はいらないよね」

「……ええ。その姿、その剣、そして何よりその強大な力」


 ある伝承にはこう記されていた。


 ──新創世歴1235年。


 人々の都に、十万の闇の軍勢が侵攻す。人々絶望し、滅びに身を委ねる。

 その時、街に白銀の聖女舞い降りる。

 白銀の聖女、一振りの剣を携えて、一人闇の軍勢に突撃す。

 3つの宝珠、彼女の意にのみ応え、闇を殲滅す。

 3つの宝珠埋め込まれし剣の名は、ハイ・ウィール。

 それを持つことが許された聖女を、人は──



「あなたが、そうでしたか──女神シャール」



 ──女神と呼ぶ。





 〜〜〜〜



 白銀の竜巻が目の前で渦を巻いていた。

 ヒシヒシと伝わる、これまで一度も感じた事がないような強大な魔力。それはまるで、器に収まり切らないと言わんばかりに、外へ流れ出し、かと言って逃れる事は出来ず、街を貫く白銀の光へと変わって、渦を巻く。


 本能的に感じる威圧感。それはまた、竜の王や、妖精の主と相対した時に感じたものと同種の、人を超越した存在である事の証明。


「──女神シャール」


 そのあり得ないはずの名は、不思議とストンとレイの中に落ちた。

 だが同時に、夥しい疑問がレイを埋め尽くす。


 何故、これほどの強大な力を彼女が持っている?

 何故、彼女がハイ・ウィールを持っている?

 何故、神の威圧感を彼女から感じる?

 何故、何故、何故、何故…………


 幾らでも疑問は湧いてきた。しかし、その答えをレイは既に得ていた。


 ──女神だから。


 ストンと、疑問は腑に落ちる。

 しかし、真実を真実として、受け入れられずレイは、言葉を失い立ち尽くしていた。


 そんなレイに、白銀に彩られた彼女は、ゆっくりと振り返る。


「……黙っててごめんね」


 まず、口を飛び出してきたのは、謝罪だった。

 秘密にしていた事に対しての。

 騙していた事に対しての。

 そして、彼女が女神でいる理由に対しての。

 それは、謝罪。


 シャルステナ──いや、女神は申し訳なさそうに目を伏せて謝ると、ゆっくりと胸に手を当てて、自らの言葉で正体を明かす。


「私は、この世界の神の一人、女神シャール。それが、本当の私なの」

「あっ、えっ……ええっ⁉︎ いやいや、ええっ⁉︎ ちょ、ええっ⁉︎ シャ、ええっ⁉︎」


 何か言おうとしては、驚愕を繰り返すレイ。まさにその言動がレイの心を表していた。簡単に言えば、めっちゃ混乱していた。

 そんなレイの様子に、シャルは朗らかに微笑むと、魔王へと向き直り、胸の前で剣を掲げた。


「あなたの罪は三つ。平和なこの国に災厄をもたらした事」


 赤の宝珠に光が灯る。


「罪のない人をその手にかけた事。そして、私の希望を、この世界の希望を、消そうとした事」


 続いて青、緑と順番に宝珠が燦然と輝き、ハイ・ウィールに秘められた力が起動する。


「それら全ての罪を許します。神の名の下に、あなたの魂に救済を」

「ふっはははっ、魂の救済とは、聞いて呆れますね。ただ、私を殺すだけの話でしょう? さぁ、おやりなさい。神のエゴの下に私を殺してみなさい!」


 輝きが一層強くなる。三つの宝珠から発せられる光が混ざり合い、白く輝く。


「……来世で、あなたに幸せが訪れる事を祈っています」


 ソッと瞼を下ろしたシャルステナ。レイはただ、呆然と突っ立ていたが、その瞬間、やっと頭が状況に追い付いた。


「シャル、待て! そいつは……!」


 しかし、一歩遅かった。


断罪の光(コンビクション)


 胸の前で剣を空に向けたシャルステナ。彼女は両手で押し出すように、ハイ・ウィールを空に持ち上げた。

 その瞬間、剣から閃光が飛び出し、何千という光の輝線が空中に幾何学模様の紋様を描く。


「シャルッ! そいつは何か……!」

「今は来ちゃダメ!」


 まるでシャルステナを煽るような態度をとった魔王に、嫌な予感を覚えレイは彼女を止めようと手を伸ばした。

 しかし、彼女の放つ神々しい光に触れた瞬間、バチッと弾かれ、僅かに痛みが走る。


「ッ! シャル、その技を止めろ!」

「大丈夫。これは、この剣の術式は、もう止められない。だけど、これを喰らったら、魔王でも死は免れない。逃げられる事もない。これでもう──終わりだよ」

「違う! 何かわからねぇけど……」


 魔王の姿を覆い隠した術式が、光の軌跡を持って繋がる。それは魔王を囲いこむ檻のように、一つ一つは小さな紋様が、光の線で繋がり、空を覆い尽くすほどの巨大な一つの術式へと姿を変えた。

 シャルステナの言葉通り、標的を逃さない自動追尾機能の術式の前に逃げ場などなく、神級の魔力を消費しなければ発動すらままならない確実に相手を滅する術。

 それは、文字通り一撃必殺の技だった。


 だが、その超魔法を前にしても、レイの警鐘は鳴り止まない。


「──そいつは何か狙ってる!」


 発動とレイの叫びが重なり、ハッとなってシャルステナがレイに振り向くが、声も、顔も、姿も、全て必殺の光明に掻き消された。


 ──神級消滅魔法ラスト・ウィール。


 この世界で唯一神の名を冠する魔法が、王都を白に染め上げた。



異夢世界を呼んでいただきありがとうございます。


異夢世界を書き始めて、一年と半年。ようやく物語が動き出した気がします。初めはもっと早くに明かすつもりでしたが、あれやこれやと書き足すうちに160話手前という引っ張り具合になってしまいました。なんという計画性のなさ……

しかし、ここは開き直って、書きたい事は全部書いてやるという気概で、完結まで突っ走りたいと思います。


さて、話は変わりますが、本章もいよいよ大詰め。しかし、話数的には未だ半分を越した程度。いい加減バトルにも飽きてきたという方申し訳ありません。まだまだ続きます。もう少し戦闘にお付き合い下さい。

ちなみに、私はシリアスを書き続けると、ギャグを入れたくなる病気なので、この章は結構シンドイです。


次回更新も、土曜日の予定。

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