160.最終局面
眼前には、形容し難い惨状が広がっていた。
潰され、貫かれ、切り裂かれ、散布する肉塊と臓物。建物の外壁を塗り替え、石畳の上に広がる血の海。
まるで地獄の処刑跡を絵に描いたような惨状に、震えと共に声が漏れる。
「なに……これ……」
鼻を突く、濃密な血の香り。一面に広がる夥しいほどの血溜まり。
足先は血だまりに僅かに埋もれ、肉片の混じった血水を掻き分けなければ一歩前に進めない。それだけで、精神が蝕まれ、頭がおかしくなりそうだ。だというのに、半壊した人の頭部、胴体しかない肉塊、耳、目玉、臓器……余りにも惨い惨状が、乱雑に放置されている。
「うっ……」
若い女騎士には、些か酷な光景。アリスは吐き気に襲われ、思わず口へと手をやった。
まさに地獄絵図。
想像は付く。ここでどのような惨劇が起きたのかは。
だが、少なくともまともな人間に出来る所業ではない。
惨い、惨過ぎる。人の尊厳なんてあったものではない。彼らに与えられたのは、等しく惨たらしい死と、苦しみと絶望。
こんなの……こんなのは戦いじゃない。
これは、単なる一方的な虐殺の跡だ。
これが、魔王。
こんな惨状を容易に作り出してしまう存在が、魔王。
「もし……ディクルドくんが来てくれなかったら、私達も……」
こうなっていた、確実に。
そんな底冷えするアリスの恐怖を感じ取ったように、ジッとその惨状を見詰めていたディクルドが静かに口を開いた。
「アリスは生存者を探して。ここから先は、僕一人で行く」
怒りを抑えるように。そして、悔いを噛みしめるように。
ディクルドが拳を握った直後、そこは白き極光に塗り潰された。
「──そこか」
視界が白に染まる中、彼はその向こうに己が敵を見定め、その光に向かって歩き出した。
〜〜〜〜
白に覆われた視界が晴れる。眩い閃光に覆われていた世界に色が戻り、レイは絶句した。
「──────」
そこには、街があった。建物があり、道があった。
サーと吹き抜ける風が白い粉を運ぶ。
光が晴れた時、そこには何の残骸か、円状に広がる白い粉塵だけが残されていた。閑散としたまるで砂漠の一角のような光景。
言葉が出ない。魔王の強靭な肉体をこうも跡形もなく消滅させて、自身が感じた悪寒さえも木っ端微塵に撃ち砕かれてしまったような思いがして、杞憂という言葉がソッとレイの頭を過ぎ去った。
「これでもう、だい、じょう……ぶ……」
ふいに発せられたシャルス──いや、これを成した女神の声。次第に弱まっていくその声に、レイが目を向けると、彼女の力が失われる、正にその瞬間が目に入る。
羽が、ドレスが、弾け飛ぶように失われる。小さな白片が無数に舞い、やがて虚空へ吸い込まれるように消えていく。
フラッと全身の力が抜けたように彼女が倒れこむ頃には、もうその姿は女神ではなく元のシャルステナへと戻り、白銀は欠片も残さず消え去っていた。
ドサッと、シャルステナの体が地面の上に横たわる。その倒れ方は、まるで糸が切られた人形のようで、力なくただ重力に従い倒れ伏す様は、既に息絶えた死体であるかのよう。
レイは慌てて彼女に駆け寄り、その体を抱き起こす。
「シャルッ⁉︎ ど、どうしたんだ⁉︎」
ノルドの言葉が頭に響く。まさか、そんなと、失う恐怖を覚えたレイの腕に、意図せず力が入る。
何度もその体を揺り起こし、呼び掛けたレイの声に、小さく呻き声を漏らしながら、シャルステナは目を僅かに開いた。
「だ、大丈夫。力を使い過ぎただけだから」
彼女の声は小さく今にも掻き消えてしまいそうで、細かく痙攣する瞼は、彼女を常闇の眠りへと誘おうとしているかのようだった。
「使い過ぎただけって……」
とてもそれだけには思えなかった。
自分の所為ではないのか。本当は使ってはいけない力とか、そんなものだったのではないか。悪い方にばかり頭が巡る。
そんな風にレイがネガティヴな思考を巡らせてしまったのは、彼女の顔に走る痛々しい筋のようなものが原因だった。
白い肌を切り裂くように、無数に走る痛々しい筋。それはまるで痙攣でも起こしているかのごとく震え、とても苦しそうに表情は歪められている。
何をどうすればそんな筋が顔に走る事になるというのか。少なくともレイは、一度も見た覚えはなかった。
「本当に大丈、夫、だから。神の力を下ろすには……まだ、体が付いて、いかないだけだから。暫くしたら、また動けるように………………」
「あ、おい、シャル! おい! ちょっと待てよ! ウソだろ……目を開けろ、シャル! おいってば!」
意識を失ったのか、あるいは……
レイは心臓を握り潰されるような思いで、彼女の体を強く揺り動かす。
「シャルッ!」
「……………………ウソ」
「へっ……?」
レイの呼び掛けに時間を置いて、パチリと開かれた片目。べっと可愛く舌を突き出すシャルステナの前で、レイは間抜けな顔を晒す。
「シャ〜ル?」
数瞬後、絵文字を付けるなら怒りマークを連打するようなレイの声音に、シャルステナはクスクスと小さく笑う。
「ちょっとは私の気持ちわかってくれた? 私は血だらけのレイを見ると、いつもそんな気持ちになるんだよ? だから、もう無茶しないでね?」
そんな風に口を酸っぱくして言うシャルステナは、いつもと何も変わらない。心配性で、少しお茶目で、時々残念な優しい彼女は、レイの知ってる彼女。同じ人間、同一人物だ。女神であろうが、なんであろうが、そこは何一つ変わっていない。シャルステナそのものだった。
そこに、深く安堵を覚えたレイは、自分の惚気具合に苦笑する。
どうやら自分は、もうそんな秘密関係ないと言い切れるほどに彼女に惚れてしまっているらしい、と。
「おいおい、マジで勘弁してくれよ。心臓止まるかと思ったぞ」
まだ顔に筋が入っているシャルステナを見ると、完全に心が休まる事はないが、普段と変わらぬ様子で話す彼女を見ると、安心してもいいように思えた。
だから、レイはソッと胸を撫で下ろし、冷静さを取り戻すようにフゥーと息を吐いた。
「ふふふっ、けど、よかった。レイが怖い顔して叫ぶから、ちょっと焦っちゃった。力を使い過ぎて動けないのは本当だから、まだ生きてたらどうしようかと……」
それはフラグだぜ?
とは言わなかった。そんな事関係ないぐらい魔王の生存をレイは絶対の確信を持って、彼女に告げる。そして、大いにある可能性も。
「あー、その事なんだけどな、生きてるのは確定事項で、ひょっとしたらすぐ側にいる可能性も……」
──5回。
それは、レイ達が文字通り死に物狂いで魔王を殺した回数だ。何を信じ、何を嘘と断定していいかわからない状況で、レイはその可能性を示唆した。
残り二人が、近くに隠れているその可能性を。
「えっ……? アレで最後じゃないの? だって他はもう倒されたんじゃ……?」
──パチパチパチパチ。
シャルステナの言葉に被せるように、拍手が鳴り響く。それにやはりかと、顔を背けたままニヤリと笑うレイと、青ざめるシャルステナ。
「いやぁ、さすがは神のお一人。噂に名高い神剣ハイ・ウィールの力をこの身で体験できたのは、良い経験になりました」
そこに居たのは、埃一つ付いていない綺麗なローブを身に纏った無傷の魔王。少なからず、血と土で汚れていた先程の魔王とは見た目が違う。
しかし、今正にシャルステナに消滅させられた個体とはまったくの別物である事を考慮すれば、何もおかしな事はない。
それは今と先程までの姿を見比べてみてもわかる事で、本気度からして全く違う威圧感を放っている。
少し赤みを帯びた双眸。鋭い牙が二本飛び出している
口元。少し長くなった髪からは、禍々しい黒いツノが伸びており、先は生え変わった直前であるかのように丸く整っている。
心なしか口調が強くなっている気がするのは、精神面でも何かしらの変化があった証拠か。
レイは知っている。一度経験している。
この変化を。この奥の手を。身をもって。
「邪神化……ようやく本気か」
「ええまぁ。その為に、一人近くの山に潜伏していましたから。全員倒されてしまったのは、予想外でしたがね。まぁ、想定外というわけではありませんよ」
「なるほど」
口振りからして王都進行の折に、魔物から邪神の加護を奪い取ったのと同じ事をしたのだろう。以前より、その変化が小さく見えるのは単純に量の問題だろうか。
どちらにしろ、完全体でないのは変わらない。
「しかし、少しは抵抗出来るかと思っていたんですがね。1秒と持ちませんでしたよ。さすがは稀代の天才魔工師クラクベール殿の傑作というわけですか」
「何故まだあなたが……」
「簡単な事です。近くに隠れていた、ただそれだけの事ですよ」
シャルステナは魔王の言葉を血を吐くような後悔と共に受け止めていた。
完全にやられた。その悪質な能力の情報がなさ過ぎたというのもある。けれど、予想出来た事であったのも今となっては事実。レイを狙い残り全員で攻め込んできたと勝手に勘違いしていた。
だから、こうして体に無理をさせてまで、確実を期したというのに、それすらも相手の手の内だった事が、悔しくて、情けなくて仕方がなかった。
「少しあなたの小細工を真似してみました。しかし、予想外に弱っていますね。やはり本体ではないあなたの体では耐えられませんでしたか」
「ッ……! ご、ごめんなさい……私が決着を急いだせいで……」
「シャル、自分を責めるな。シャルは自分に出来ることをやったんだ。一人減らしてくれただけでも、大助かりだ」
レイは軽く笑みを浮かべてから、彼女を優しく地面に寝かし、真剣な表情で立ち上がった。
「あとは俺がやる」
シャルステナは、絶対的な力の代償の苦痛に苛まれる事も構わずに、無理に手を、体を動かし、レイの足にしがみ付く。
「ダメ! それだけは……それだけは、絶対に……! お願いだから、逃げて! 今のレイじゃ、絶対に勝てないッ!」
そう、レイでは絶対に勝てない。勝てるはずがない。幾らレイが強いと言っても、魔王はその遙か上をゆく。
邪神が消え、弱ったとは言え、かつて神の域にまで踏み込んだ者達。それが六天魔王だ。
これが最後と思い込んでいるシャルステナにとって、正しく自分ではないと勝てない相手だ。
しかし、一方でそれは間違いでもある。まだ魔王は、完全体ではないのだ。だから、その力もまた完全ではない。
だが、まだ完全体ではないとはいえ、邪神化までしている今の魔王の力は軽く並の英雄を超えるだろう。いったい今この世界に、この魔王より強い人間がどれだけの数いるというのだろう。
おそらく10にも満たない数だ。
そういう意味では、彼女の言葉は正しく、絶望的なものだった。
けど、それは今更だ。一人で勝てないのは知っている。わかっている。身に染みている。
だからこそ仲間を頼り、その結果、残り5人だった魔王を二人まで追い詰める事が出来たのだ。
「勝つさ。もう負けないし、死んだりしない」
ならば、次は自分が彼らの頑張りに応える番だ。頼るだけの人任せな人間にはなりたくない。残り二人──ひとまずは目の前の魔王はこの手で倒すと、レイは少し強引に彼女の手を引き離し、コツコツコツと三歩前に進み出て、足を止めた。
「お望みの二人になれた感想はどうだ?」
「一言で言えば、憎たらしいという言葉に尽きますね。あなたという存在に関わってしまったがために、私の計画に大きな狂いが生じました」
「計画……ね。何がしたいか俺にはサッパリだ。さっさっと邪神でも何でも復活させりゃいいのに、人に迷惑ばっかりかけて、何が計画だ」
「ふふっ、邪神様の復活ですか。それが出来れば苦労はないのですがね」
「なんだ、出来ないのか。案外魔王様も大した事ないな。それぐらい生贄やら何やらでやって見せろよ」
レイの言葉はいつになく刺々しく、また上から物を言う。
「これは手厳しい。確かにそれを言われると、いささか魔王と名乗る事を恥じてしまいますね。しかし、邪神様が居らずとも、我々だけでこの世界を終わらせる事は可能です。そのための計画なのです」
「ふーん、なるほど、なるほど」
レイはニタニタと悪戯な笑みを浮かべて一つ頷くと、一気に確信に迫る。
「お前ら、邪神を作る気だろ?」
一瞬、魔王の顔が固まった。
「……何を言っているのかわかりませんね。神を作る? そんな事出来る筈がないでしょう?」
「さぁ、どうなんだろうな。俺はどうやったら神になれるのかなんて知らないから、どうやるかはわからないな。けど、他の神と違って邪神だけは特別だ。──違うか?」
少し舌の回転スピードが上がった魔王。明らさまではなかったが、その微妙な変化を鋭く察したレイは、鎌をかけて正解だったと内心勝ち誇る。
「……どうやら、あなたの存在は私達にとって既に大きな障害となってしまっているようですね」
「それは残念。俺は別にそんなつもりはないんだけどなっ!」
レイは言葉の最後で予備動作なさに、短刀を投げ付けた。短刀は真っ直ぐに魔王の胸へ──
「…………悲しいですね」
バキバキッ!
短刀は魔王の手に握り潰された。
「今の動きでわかってしまいましたよ。やはりあなたに勝ち目などない」
パラパラと開かれた掌から銀片が舞い落ちる。
「レイ、やっぱり逃げて! あと少し、ほんの少しでいいから、逃げて!」
「はっ、冗談。まだ、諦めるには早いだろッ!」
シャルステナの急白する声を耳にしたレイはそれを笑い飛ばし、格納庫の扉を開く。そこに仕舞われた大量の海水かザバーッと瀑布のように流れ落ち、魔王へと降り注ぐ。
「鬱陶しいですね」
魔王は物質化した魔力の盾で傘を操るかの如く、収納空間から流れ出た海水を避けた。ドババッと周囲に飛び散る水滴。一瞬にして魔王の周囲に水溜りが形成される。
そこへ、海水に紛れて投入された爆弾が水の垂れ落ちる音に紛れて、コツンコツンと傘を打ち、地面へと流れ落ちる。
瞬間、閃光玉のような発光を放ち、特大の爆発音を携えて、視界を爆炎が染め上げる。灼熱と豪風の嵐。石畳は砕け散り、粉塵が舞う。
それを、呆気に取られたように見ていたシャルステナの視界が突然ガクンと揺れ動く。
「はい、ちょっと失礼して」
「えっ、あっ、に、逃げるの?」
いつの間にか、レイの腕に抱きかかえられていたシャルステナ。爆心地に背を向けて白砂の上を走り出したレイのいつになく素直な行動を嬉しく思うも、つい疑問を口を吐いて出てしまう。
対してレイは、真面目な顔で答えた。
「いや、避難だ」
「…………何する気?」
不穏な気配を感じ取ったシャルステナが目を細めたのと同時──雷鳴が轟いた。
思わずビクッと体を震わしたシャルステナが、コテンとレイの腕の中で首を傾けると、爆炎が雷炎へと変わった正にその瞬間が目に入る。
「すごい……何て魔法?」
「いや、ただの金の力だ。本命はこっち」
ズザザッと石畳がレイの急停止に擦切れる。それに伴い、またその名前なのっと弱冠呆れいていたシャルステナが、慣性の法則でレイの体に押し付けられた。
「戻れ魔力!」
レイが叫ぶと同時、爆炎の中にレイが仕掛けた魔素から回帰した魔力の柱が突き上がる。数にして10本の魔力の柱は、地面を通し瞬時にレイの体と繋がると、伸び縮み自在の鞭へと姿を変える。ボコボコっと邪魔だと言わんばかりに石畳に穴が開き、道はモグラの通ったあとのように盛り上がる。
グルグルとネジ巻き状に枝を伸ばし始めた触手達。雷炎が途切れ途切れになるのも構わず、まるでアスパラの先端のように捻り固まると、グググッと内側を押し潰すように圧力をかける。だが、内からの圧力が爆発的に高まり、抑え込めずアスパラの腹の部分が膨張し、ボコッと膨らんでいく。
「チッ! だったら、これだ!」
レイは素早く押し潰す事を諦め、切り替えて次に臨む。
グッと握られた掌。
「魔爆!」
圧迫と破壊の二段構えの後者が炸裂した。ザーっとさざ波のように石畳が捲れ、空中で砂と化す。爆炎と雷を作り出していた魔石も呆気なくチリと化し、粉微塵と化した砂に攫われて、雷炎が消え去ったが──
「はぁ⁉︎」
魔力の膨らみが、魔爆のエネルギーを押し返した。まるで衝撃波の如く目に見える破壊の波が、レイたちに迫る。
咄嗟に発動させた隔離空間。その破壊のエネルギーを断絶し、レイとシャルステナの二人は事なきを得たが、一方でレイの中には酷い動揺が生まれる。
いったいどうやって……?
何度となく、魔王へと軽くないダメージを与えてきた魔爆が、押し返された。その事実が与えたレイへの衝撃は計り知れない。何故なら、唯一の可能性が潰されたと言っても過言ではないのだから。最強の矛が握り潰された気分だった。
破壊の波が隔離空間を過ぎ去った直後、飛行機のエンジンのように魔力を噴射しながら魔力壁が、そこを通り抜けた。そして、魔王を狙ったはずの魔爆は、そこを中心とした球状に広がり、その破壊のエネルギーがある限り、街を粉塵と化す。
気が付けば、レイの周囲の建物は消滅し、周囲一帯の開けた場所の端には、半壊した建物の姿と押しのけられた街の残骸が映った。
「ははっ……こりゃ、やばいな」
勝機を一つ潰され、レイは冷や汗を流した。
「だから、言ったの。お願いだから私の力が回復するまで逃げて」
「それってどのくらい?」
「…………半日ぐらい……?」
「それは戦うより無理臭くないか?」
ちょっと遠慮気味に目を逸らしたシャルステナに、即答したレイは一拍置いて、一つの案を口にする。
「一つの手としては、このままここで耐えるって手もある。けど、この技も完璧じゃない。空間系と光系の魔法に対しては無力だ。そこに気が付かれた瞬間、確実に終わりだ」
隔離空間は直径3メートルの立方体だ。だから、もし断絶された壁を通り抜けてしまう光や、空間系統の魔法で押し潰されたりでもしたら、逃げ場などない。確実にそこで終わってしまう。
そして、もう一つ留意する点は、隔離空間を壊す事を諦めて、解除するよう仕向けるよう人質を取る可能性。
はっきり言って、知り合いが目の前で殺されそうになれば、レイは迷わず飛び出すだろう。その点において、異空間へ逃げ込むのもなしだ。しかし、そちらは一度異空間を生成してしまった場所では、著しく空間を隔てる壁が破壊された事で起こる自浄効果により阻害を受けるため、暫く使うことができないという点でも不可能である。
「だから、戦う以外に生き残る方法はないと思う。何とか裏をかいて、あいつの防御を貫くしかない。まぁ、なんだ。勝算はない事もないんだ。一つだけ俺は絶対に誰にも負けないものを持ってるから」
「誰にも負けない……?」
一瞬、何を指しての事か分かり兼ねたシャルステナにレイは自信を顔に浮かべて、こう言った。
「魔力量だよ」
隔離空間を解除する。そっとレイ達を囲んでいた薄い透明の膜が消え、空間が地続きに戻る。
「おや、出てきたのですか? それはつまり死ぬ覚悟が決まったという事ですかね」
「そんなわけあるか、ボケ。お前を殺す算段が整ったから出てきたんだ」
「なるほど、私を殺す算段ですか」
魔王はレイを嘲笑い、タクトを振るう。指の動きに従って、レイの背後で魔爆のエネルギー弾が打ち出された。
「それは、私も同じ事ですよ」
レイとシャルステナを囲む環境は、先の破壊により様変わりしていた。しかし、それだけでなく、膨大な魔力が大気に満ちているという意味でも、大きく変わっていた。
紫炎の靄が漂うそこは、すでに魔王のテリトリー。
魔力噴射のスキルで散らした魔力が、未だ霧散することなく漂っている。それはつまり、まだ魔王が支配を取りこぼしていない生きている魔力という事だ。
レイは周囲360度、どこからでも生成され、打ち出される魔弾と魔爆の嵐を、シャルステナを両手に抱えながら、魔手で握り潰していた。
それで対処出来なかった撃ち漏らしは、魔弾を用いて迎撃。加えて、経験還元を使い、満タン状態からさらに魔力を増やし、体に収まらない魔力を外へと放出した。
それにより生まれた一瞬の隙と、安全地帯。
レイはシャルステナを魔術の影響を受けない隔離空間の中に置くと、自分はその魔術の嵐の中に飛び出した。
「まったく、あなたの用心深さには呆れますよ。いったいどれほどの魔素を隠し持っているのですか」
魔王は知らないからこそ、余裕を見せている。最大魔力という観点で、レイの50倍を有しているからこそ見せる事が出来る余裕だ。
しかし、魔王がそれを知れば、その余裕はたちまち戦慄へと変わる事だろう。
──経験還元。
レイのユニークスキルの一つである経験還元は、余剰経験値を魔力へと変換する事の出来るスキルである。
今、レイの蓄積されている経験値は、およそ60万。
魔力への還元倍率は、およそ100倍。つまりは、6千万という膨大な量の魔力をレイは有しているのである。この絶対的な魔力の数値には、幾ら魔王と言えどもそれには遠く及ばない。
魔力量だけで言えば、現在進行形で創世神の次に最も古い神──精霊神に次ぐレベルなのだ。
具体的に言おう。
レイの総魔力は魔王の──25倍だ。
しかし、悲しきかな。両者の間には隔絶とした差があった。それは、パワー、スピード、知覚能力に至るまで、魔力量を除いた全てが、レイと魔王の実力を隔てる壁なのである。
お得意の搦手からの本命を繰り出すレイの動きは、魔王の知覚を上回る事はない。逆に向こうの攻撃は裏のない単純なものでも、紙一重で避けるのが精一杯ときた。
肉体的に遥かに劣っているのは明らか。それは、限界突破をしても埋めきれるものではない。
ならば、唯一勝っている魔力の総量で勝負するしかレイには勝ち目がないのだ。
レイは空中で体を捻り、触手を躱すと、魔弾を連射。触手の腹魔装を纏った足で蹴り、さらに高く上がると、先程発射した魔弾を絞り、魔爆球へと変える。
すると、レイの魔力操作を完全に離れた魔力が独りでに破壊を生むが、魔王はその破壊ごと触手を変形させた球の中に閉じ込めた。
続いてレイは、雷の中級魔法を高速移動中で組み上げ発動。魔力の量で底上げされた推定上級クラスの雷光が魔王を撃つが、魔装で固められた魔王の体には届かない。
瞬時に反撃と、魔王お得意の触手の連打が幕を開けるが、レイは回避として振り分けていた一つの思考から、瞬間移動の魔法を起動。触手に埋もれたレイの姿がグニャグニャに歪み、パッとその姿が消える。
レイが移動した先には、魔王の背中があった。魔装とその上から生えた触手が、その背中を守っているが、レイは構わず魔収縮により爆発的に高めた筋力で、殴りつけた。
しかし、それを触手一本を犠牲にして魔装で受け止めた魔王は、振り返りざまに裏拳でレイの顔を狙う。
と、そこで後方に向かって瞬動を発動させたレイが、一瞬魔王のスピードを上回り、回避とともに大きく距離をとった。
「チョロチョロとよく動きますね。バテますよ?」
息も付けぬ攻防に一息入れたのは、魔王の方だった。汗一つ書いていない魔王が忠告を入れるが、レイはどこ吹く風で、答えた。
「まだまだ余裕だね。体力には自信がある方なんだ」
「そうですか、それが最後まで続けはいいんですがね」
「生憎、死んだら体力やら諸々回復しちまうお前と違って、俺は一人しかいないからな。今、全部使い切るつもりはないさ」
事実、レイにはまだまだ余裕があった。それは、体力より魔力優先で戦いを組み立てているからこそだが、そもそもの前提にこれで終わりではないという考えがレイの頭の中にあっだからだ。
「おやおや、もう一人の私の事も計算に入れているのですか? そんな余裕がまだあったとは驚きですよ」
「何が驚きだ。どうせその辺で油売ってる奴がいるんだろうが。なんなら今呼んだらどうだ? 俺は2対1でも一向に構わないぞ?」
本音は勘弁して欲しいところだが、それを押し殺して、そんな挑発を入れたのは、結果的にその方が楽だからだ。
どうせあと二人倒さなければならないのなら、弱い内に怪我の一つでもさせていれば、後々助かる。
その代わり、一人でも厳しいところにもう一人、同じレベルの厄介な奴が出てくる事になってしまうのが、痛いところだったが……
「では、お言葉に甘えてそうしましょうか」
不気味に光る赤い瞳がより濃くなる。レイは、覚悟を決めて、その時を待った。
後ろか。
前か、横か。
上か、下か。
知覚が生える。あらゆる感知能力を持ってして、レイは備えた。
しかし──
「……と言いたいところですが、今日のところは私で最後なのですよ。まさかここまで苦戦を強いられるとは思ってもみなかったですし、最後の一人は国落としの真っ最中でね。嘆かわしい事に、今日は参戦出来なかったのです」
返ってきたのは、思いもしない答え。レイは、考えが読まれたのだとすぐに考え、苦言を呈す。
「嘘つけ。お前の言葉なんか信用できるか」
「ふふっ、信用出来ますよ。何故ならこれから死ぬ相手に嘘をつく理由がありますか? 魔装、魔力物質化、魔力加工、魔人形、魔伸縮、そして、魔力噴射。過去、どれか1つでも名を挙げた者は数知れず、複数を持ち合わせた者は数えるほどしかいない。加えて、邪神様の加護を取り込んだ私に、あなたが勝てる希望など残ってはいない。違いますか?」
魔王は断言した。だが、レイを舐めているのではない。レイを殺すために、必要以上の戦力を集めた。予想外の事は多々あった。だが、事実として余力を残した戦いで、レイを圧倒出来ている。
その隔絶とした差が、よもやわからない相手ではあるまい。
けれども、レイは違うねと短く否定を入れる。
自らがその力を持っている故に、その力の大きさと、強さは身に染みてわかっている。だが同時に、その弱点もまた、身に染み渡っているのだ。
それを、レイより長く魔術に関わってきた魔王が知らない筈がない。むしろ、レイの知らない弱点を知っていると、レイは見ている。
見上げる者と見下げる者。
敢えて言うなら、その違いだけが、両者の異なる弱点となるものだろうか。
レイはその二つ両方に気が付いている。だからこそ言える、先の忠告のお返しを口にした。
「何回繰り返せば気が済むんだ? そうやって、何度負けを繰り返してきたか……懲りない奴だな。一回頭ん中洗濯して出直してきた方がいいんじゃないのか?」
忠告返しに挑発が混ざっているのは、敢えてと言ったところか。見上げている相手にただの忠告など馬鹿らしい。
むしろそれを利用して、相手を嵌める方がレイらしい。
しかし、魔王はその忠告を素直には受け取らず、不愉快と言った感じで歪めた口を動かした。
「……あなたは1つ勘違いしているのではありませんか?」
「勘違い……?」
すぐに思い至る事がなかったレイは僅かに首を捻り、問い返した。
「あなたが私に勝った事など一度もないのですよ? 一度目は、あなたの父に、2度目は死神に、今日はあなたの仲間達、そして、女神というイレギュラーがいたからこそあなたは生き残ってこれた」
二つ目の死神という、聞き逃せない単語に、レイは目を細めた。その眼に薄く映る、崩壊する城の姿。
思えばあの時、レイは魔王の死体を見たわけではなかった。ただ、城が完全に崩壊してから空間と魔力完治で、死亡を確認しただけだ。それから数日経って、瓦礫を片した時も、魔王の死体は見つからず、魔爆で消えたのだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
あの場に、死神が現れ、魔王を殺したのだ。
それを今になって知ったレイは、それが勘違いだったのかと、感じた。
しかし、魔王の言う勘違いとは、それとはまた別のところにあった。
「あなたは確かに強い。有象無象とは違い、私を前にしてたった一人で未だにその足で立っている。──しかし、そのせいで勘違いしている。あなたが今生きているのは、己の力ではなく、ただ偶然が重なった結果に過ぎないという事を」
偶然。
血反吐を吐き、骨をバキバキに折られても、戦って生き残った。それが、偶然か。
レイの顔に青筋が走る。
「……言ってくれるじゃねぇか、クソ魔王。ちょっとだけ頭にきたぞ」
あの痛みがあったからこそ、レイは強くなれた。弱い自分を鍛え直さなければならないと強く思った。
そして、危ないところへ助けに来てくれた父の姿に、自分の未来を映した。
あんな風になれたらいいな。
それが、拙い憧れだったしても、目指す先を否定された気がして、レイは憤りを覚えた。
「1ついい事を教えてやるよ、魔王様。偶然なんかこの世にはない。全ては必然だってな。確かに、俺一人じゃお前には勝てないのかもしれない。けどな、いつだって俺はお前に抗ってきた。その結果生き残る事が出来たのなら、それは俺が抗ったからこそ起きた必然で、偶然なんかじゃない」
そう、偶然が重なり合い必然が生まれるのだ。
「世界は偶然のような必然で回ってるんだよ」
この世界は何もかもが偶然の出来事で、何もかもが必然の出来事なのだ。偶々こうしたから、こうなったではなく、偶々こうしたから、必然的にそうなるのだ。
そして、今この瞬間も、偶然は必然へと姿を変え続けているのだ。
「──やぁ、レイ。久しぶりだね」
背中越しに掛けられた声。チャキチャキと鎧が擦れる音にレイが振り向くと、そこにはこれ以上ないほどに頼もしい騎士の姿が。
「ディク!」
綺麗に切り揃えられた短い青い毛。子供っぽさが抜けかけている顔は、男らしく、また凛々しく見えた。
「大変な事になってるね。魔王がこの地に2度も現れるなんて、君誰かに呪われてるんじゃないの?」
「うるせぇよ。割とマジで呪われてそうだからやめてくれ。それより、良いところに来てくれた。助かるぜ」
そんな冗談を交わし、短く旧友を温めた二人は、横に並び立ち、魔王と相対す。
「また偶然が起きたぜ?」
レイが不敵に笑い、それを受けてふぅと短くため息を吐く魔王。
「やれやれ……私の説明が悪かったのですかね」
肩を落とし、やれやれと頭を振って。
「イレギュラーは力を使い果たし、もう戦えない。残されたのはあなた達二人だけ。どちらも看過は出来ない実力をお持ちです。しかし、あなた達は真に魔王たる私を知らない。もう諦めてはいかがですか?」
またしても、諦めろと口にする。
「寝言は寝て言えってな」
短く笑い飛ばしたレイの眼には先程よりも強い希望の光が宿っている。
こいつがいて負けるわけがない。レイの知る中で、最もこの世界に愛された存在。その潜在能力、実力共に、疑う余地などない。
それは、ディクルドにとってもまた同じこと。
「その通り。僕らは決して屈しない。特別討伐対象が一人──魔皇帝エルグランダ。その首、ここで貰い受ける」
「おやま、懐かしい名を。何千年振りですかね、その名を聞いたのは」
5000年前より今に伝わるその名は、過去の偉人達が果たせなかった悲願そのもの。
その悲願をレイは初めて耳にしたが、その名を心に刻み付けるように小さく繰り返し。
「ディク、二人で仕留めるぞ」
そう口にした。しかし、魔王を文字通りに瞬殺したディクルドは、不思議と首を傾げる。
「たぶん僕一人でも問題ないと思うけど……?」
「今のあいつをさっきまでと比べるなよ? あいつは死ぬ度に強くなる。計算上でいえば、さっきまでの2倍……場合によっちゃ10倍以上強い」
「それはちょっと一人だと厳しいかな」
小さく笑みを零し、納得を示したディクルドは、一つ頷くと。
「仕方ないね。二人でやろう」
「俺は初めからそのつもりだ」
元よりそれ以外に道などない。王都に生きる人々の命は、この時、この二人に託された。
隣に並びだった二人の拳がコツンと合わさる。
「今更だが、初めてだな。一緒に戦うのは」
「そうだね。遅れないでよ、レイ?」
「お前こそ、すぐにはっ倒されるんじゃないぞ、ディク」
二人はどちらからともなく拳を離すと、グッと腹に力を入れて、叫びと共に『力』を搾り出す。
「限界突破!」
「限界昇華!」
赤と赤。
微妙に濃さや色が違う二本の赤い柱が空を貫いた。
「では、最終局面の再開といきましょう。そして、無知なあなた達にお見せしましょう。私が、魔王たる所以の、その一端を」
魔王の余裕は──まだ消えていなかった。




