156.魔王VSディクルド
どうして……
どうして、私を一人残していったの……?
約束してくれた。約束した。一生側に居てくれるって。一生側に居るって。
『──は死んだ』
それだけで、それだけで良かったのに。
『此方がこの目で見た』
私はそれ以上何も望まなかったのに。
『己の無力を呪うか?』
呪ったよ。もう数え切れないくらい。
『力が欲しいか?』
欲したよ。もう失わなくて済むように。
『行くのか?』
うん。探しに行ったよ。何度も、何度も、繰り返して。
『今度は巡り会えたか?』
ううん、会えなかった。もう、二度と会えない。それが、わかった。
だから、もう……嫌なんだよ。
一人残されるのはもう……耐えられないんだよ。
一緒に生きていて欲しいんだよ。
それだけ。それだけしか望まないから。
だから、お願い。
──死なないで。
〜〜〜〜
──世界に亀裂が走る。
まるで次元を食い破り怪物が這い出てくるかのような悍ましい亀裂が、王都を中心にして世界に広がった。
だが、それも瞬きにも満たない一瞬の出来事。大半はそれに気付くこともなく、気付いたからといって、何が出来たわけでもない。
そして、当然の如く亀裂の走った景色はまるで窓ガラスが割れた時のように砕け散り、キラキラと赤片の魔力が空を舞う。やがて、舞い落ちる欠片は、雪のようにヒラヒラと、地面に溶け込むかのように空気の中へと消えていった。
残ったのは遥か上空から落下してくる4つの人影。例外なく赤みを帯びたその影は、一目で軽傷では済まない傷を負っている事を雄弁に物語っていた。
それぞれまったく別の場所へと落ちてくる影の中で、最も小さい人影は、王城付近の上空に現れた。血の軌跡を描き落ちてくる彼を、王城に駆け付けた人々は呆然と見上げている。その中には、シャルステナやゲルクの姿もあった。
やがて、十分に視認できる高さにまで落ちてきた人影に、シャルステナは一瞬で顔を蒼白させ、悲痛な声で叫びながら、思わず飛び出した。
「レイっ……!」
血溜まりとともに落ちて来たのはレイだった。
レイが落ちてきたのは、王城の入り口へと続く階段の下。シャルステナは、人垣を飛び抜けて、もう地面に触れようとしているレイの頭の下に自分の体を滑り込ませる。
「ッ……レイ! レイッ!」
石畳で服と足が擦れ切れ、僅かに血を滲ませたシャルステナだったが、そんな事は気にしていられない程に、レイと共に落ちてきた血水を浴びて、全身血塗れになっていた。それだけでも、精神の弱い者なら発狂ものだったが、その血がグッタリと倒れるレイのものであると思うと、気が気ではない。
いったいどれほどの血がレイから流れ出たというのだろうか。出血はまだ止まっていない。
一言でレイの状態を表すのならば、ぐちゃぐちゃだ。肉は裂け、骨まで見えている。その骨もまた不自然に陥没しており、顔は血と傷で誰かもわからない。
「レイ、すぐに治すからっ……頑張って、お願いっ!」
レイの意識は既にここになく、シャルステナの呼び掛けにも一切の反応はない。
シャルステナは痙攣が止まらないレイの体を優しく押さえ、地面に下ろした。
「こ、これは……!」
シャルステナの次にレイへと走り寄ったゲルクは、全身血塗れで、所々傷口から骨を覗かせているレイを見て、思わず言葉を失った。
重症も重症。一目見てこれは助からないと経験から察しざるを得なかったのだ。
だが、そんなゲルクの前で、シャルステナは一切の躊躇もなく、ボロボロの衣服を剥ぎ取る。
「────っ!」
ゲルクは息を飲む。
露出した上半身からは、肋が見えていた。血で良く見えないが、おそらくは内臓までその傷は届いているのだろう。並々ではない出血量からは、そう考えざるを得ない。
これで、まだ息があるのだから、レイのしぶとさには感服する。だが、それももはや気休めと言っていいほどに、脆く、儚い生命。
どう考えても、間に合わないし、治せない。
だがそれでも、シャルステナの処置は早かった。一目見て、おおよその傷を把握すると、出血の多い箇所から治癒し始める。そんな彼女の行動に、一縷の希望を託して、ゲルクは問いかける。
「か、彼は大丈夫……いや、助かるのか?」
「大丈夫。 私ならまだ助けられる」
ゲルクの問い掛けにシャルステナはレイから目を逸らさず即答した。迷いのない答えだ。だが、この場合それは助けられると信じているようにしか聞こえなかった。
「……わかった。レイ君の事は君に任せよう。私達は、散った魔王を各個撃破していく。……君も後から来てくれると助かる」
「はい、レイと必ず」
「…………」
シャルステナの一片の迷いもない答えに、ゲルクは風前の灯火に見えるレイを一目見てから、何も言わず背を向けた。
そして、どうしたものかと狼狽える部下やこの場に駆け付けた冒険者達へ、救援を求めに行った王に成り代わり、指示を出す。
「魔王は3人! 各自散開して別々に対処して欲しい!」
寄せ集めの戦力に作戦などあったものではない。だが、その殆どが冒険者という事もあって、突然の事にも取り乱す者は少なく、すぐに街中へと走り出すが、空を泳ぎレイの体へと流れ込んでいく血の流れを見て、思わず足を止める。
一心不乱に治療を施すシャルステナは水魔法でレイの血を無理矢理体の中に押し戻していた。それと並行して、治癒魔法で傷口を塞ぎ、粉々になった骨を戻し、止まりかける心臓を無理矢理魔法で動かし続ける。そして、無理矢理に循環させた血液が全身に行き渡るよう、血管が切れた場所に、血のアーチを繋ぐ。結果、レイの身体から血が噴き出し、そしてまた戻るという奇妙な光景が作られた。
それは、治癒魔法の知識がない者でも、一目で異様とわかる類のものだった。良く言えば、革新的。だが、実際は治癒などではなく、どう見繕ったとしても延命措置にしかなりえない。
破損した身体活動を魔法で補い、それにより生まれた猶予で、細部は切り捨て大きな傷だけを塞いでいく。だが、破損し、あるいは失った部分はあまりに多く、深い。着々と弱まる鼓動は、もはやシャルステナの力なしには、動きはしなかった。
それでも、諦めることなく、無駄とも思える治療を必死に施すシャルステナと、見る見るうちに生気が失われていくレイを見て、彼らは悟らざるを得なかった。
もう助かる見込みがないのだと。
奇跡に必死にしがみつき、そして願っているようにしか見えない彼女の背中に、諦めと同情の籠った視線を送り、好きにさせてやろうと言わんばかりに誰もが無言で走り去って行った。
だが、奇跡などという曖昧で、不確実なものをシャルステナは、信じない。
人が死ぬ時は、無情で呆気ないものだと彼女は、知っている。
奇跡など誰も与えてはくれないのだと、知っている。
世界は、愛する人を理不尽に奪っていくものだと、知っている。
だから、信じない。
世界は奇跡を起こしてなんてくれはしないから。
いつだって、人はその世界の中で、死に物狂いで争うしかないのだから。
奇跡なんてものは、信じない。
「絶対死なせない。もう二度と死なせないっ!」
それでも、彼女は信じる。
奇跡を諦め、掴み取った奇蹟を。
己を賭して、手に入れた力を。
「今度は、私が助けてみせるっ!」
奇跡は起こらない。
だが、人は誰しもが持っている。
────スキルという奇蹟を起こす力を。
「──神威全解放」
シャルステナは解き放つ。
それは、彼女固有のスキル。限界突破的、身体能力の増大と、枯渇した魔力をも限界以上に補充する彼女にだけ許されたチート────と、レイが思っている力の、その全てを解放した。
瞬間、堰き止められていた水が解放されたかのように、白銀の魔力が溢れ出し、それはまた彼女を形作る。白亜のカーテンが彼女を幾重にも包み込み、そしてあるべき姿へと、力の形を創り上げた。
王城の前に白き両翼が怪訝する。それはまるで、花が咲くように彼女の背から芽生え、収まりきれない力を養分に、竜のような力強さと、白鳥のような美しさを増していく。
やがて、限界まで高まった白銀の翼は、二人を優しく包み込み、覆い隠した。世界の理不尽から、隠すように、守るように。そして、連れて行かないで、縋り付き乞い願うように。
白に包まれた世界で、シャルステナはレイの頬にそっと手を伸ばす。
「レイ、あなたに私の命をあげる」
血で汚れたレイの唇に、シャルステナの唇が落とされた。
瞬間──白き光の奔流が立ち上る。
空を貫き、王都の街を白に染め上げて、生命の濁流が渦を巻く。
その超絶たる存在感と、神々しいまでの白い光に、誰もが足を止め、唖然と光の先を見上げた。
それは、魔王とて例外ではなく、その光に込めらた力の大きさに、その力の根源の在在に、身震いした。
「まさか……」
言葉はそれ以上続かない。
全てを飲み込まんばかりの赤黒い瞳は、白き光の輝きを映し出していた。
光の奔流は、台風のように渦を巻きながら、レイの中へと流れ込む。その一欠片の光さえ残さないと言わんばかりに、命の雫となりて、レイの体を満たした。
長い、長い口付けが終わり、そっと、離されたシャルステナの唇。その彼女の憂いを帯びた瞳に映るのは、顔に血色が戻ったレイの顔。
未だ白銀の光に包まれているレイの体は、完全ではなかったが、もはや目が覚めるのも時間の問題に思えるほどに、傷の治りは速い。
「レイ……っ」
シャルステナは堪え切らなくなったように、レイの頭を抱き寄せ、ポトポトとその顔に水滴を落とした。
「死なないでって、いなくならないでって、何度も言ってるのに……どうしていつも無茶するの」
穏やかな顔で目を閉じるレイは、彼女の涙に答えない。
まるで死体のように冷たくなったレイの体を、シャルステナは強く抱き締めた。
〜〜〜〜
王都は世界で数本の指に入るほど大きい街だ。その分人の数も多い。だから、当然王城に集まった騎士や冒険者が、全員ではない。
魔王出現の報告を受け、別の場所からも、同じように武器を手にした者たちが、魔王に向けて走り出した。
そのうちの1つ。王国最大のギルドからも、冒険者が群れとなって、飛び出した。
彼らを送り出したのは、王都のギルドマスター、レダクト。自らも重い腰を上げて、こうも短い再戦の時を鬱に思いながらも、王都に身を置く冒険者としての務めを果たすべく、街に乗り出した。
そして、白き閃光が瞬き誰もが動きを止める中、レダクトが向けた視線の先に、魔王はいた。
魔王がいたのは、王都の中でも一際大きい建物──時計台のすぐそばで、数だけは多いB級以下の冒険者達に包囲されていた。
一瞬の静止の後、再び動き出した時は、無情にもレダクトの前で、彼らが蹂躙される光景を連れてきた。
魔王の体からは、ユラユラと揺れる触手が幾つも生えてきた。その紫の触手が一薙される度、冒険者達は壁や地面に叩きつけられ、血を吐いてその場に倒れる。その体を乗り越えて進み出た勇敢な者も、次の一撃で同じように散っていく。とても包囲が意味をなしているとは思えなかった。
「この馬鹿ども! 無闇やたらに突っ込んでもやられるだけだ!」
怒声が響く。集団戦の意味がまるでわかっていないとばかりに、ギルドマスターである彼は未熟者達を怒鳴りつけるが、すぐにどうこうなる問題ではなく、次々に倒れ伏す冒険者の数は増えていく。
すると、次第に散っていた手練れの冒険者達も、武器を手に姿を見せ始めた。彼らは、さすがに上手く立ち回り、なんとか戦線と呼べるものを作り出すが、攻めに攻めきれない。
と、そんな中、魔王が初めて口を開く。
「おやおや、懐かしい顔がありますね」
それは、レダクトにだけ向けた言葉ではなく、その場に駆け付けたシャラとバジルにも向けられた言葉だった。
「わざわざ殺されに来たのですか?」
「誰が殺されになんか来るもんですか! 今度はそう簡単にやられはしないわ! バジル!」
「あったぼうよ。今日は、朝からいい酒を飲んでんだ。前とは一味違うぜっ!」
挑発に乗り二人は同時に地面を蹴ると、左右からそれぞれ猛スピードで肉薄した。それを見て、レダクトもまた正面から突撃し、3体1の状況を瞬間的に作り出す。
しかし、触手という数の暴利を持つ魔王は、余裕綽々と意趣返しのように三本の触手をそれぞれ伸ばした。
「遅いっ!」
「軽いぜ!」
「ふんっ!」
3人はそれぞれ回避したり弾いたりして、触手を躱す。そして、同時に魔王本体へと攻撃を加えた3人は、油断なく即座に離脱を図った。
瞬間、棘が生える。バシュッと石畳を軽く撃ち抜いたそれは、魔王の全身から生えた棘であった。
しかし、それを見切っていたわけではないが、回避仕切った3人に魔王は感嘆の声を漏らした。
「ほう、以前よりはマシですね」
S級を葬る実力者の一撃を同時に受けて、微動だにしなかった魔王は、先のレイとの一戦で受けた傷を抑えながら、血の付いた口元を愉快に歪める。
と、その余裕を突くように突如として、銀線が無数に走った。そして、ボトッボトッと棘が全て切り落とされ、地面へと落ちる。
すると今度は、空から雄叫びと共に表れた少年が、魔王を片手持ちの両手剣で吹き飛ばした。
「飛んでけっ!」
ドゴォンと豪快な破壊音とともに一軒の家に叩きつけられた魔王。ギロッと鋭い視線を、自分を吹き飛ばした相手に向けようとした瞬間、業火の槍が彼を撃った。
瞬く間に家屋に広がった火は、魔王の姿を覆い隠し、次々に飛び込む火槍が火の勢いをより一層激しくする。
「ふふん、どんなもんよ」
「倒したかな?」
鼻を高々に伸ばしたのは、アンナ。逆に、予想と違う手応えに首を傾げたのは、ゴルドだ。
未だどこからか位置を掴ませないように建物の裏から注ぎ込まれる火槍は、この二人のどちらかが唱えたものなのかは定かではないが、ここ二年で冒険者の間でルーキーとして噂される二人の登場に沈みつつあった士気は再び上昇を見せる。
だが、それも火の海の中から、魔王が無傷で出てくるまでの間だけのだった。
「まったく……急ぎ確かめなければならない事があるというのに、寄せ集めの雑魚風情が、邪魔をしてくれる」
「えっ? うそっ……全然効いてないじゃない」
「う〜ん、困ったね、これは」
ゴルドの状況に合わない伸び伸びとした声にどこか力抜けするアンナだったが、そんなアンナを、一瞬でやる気100パーセントに変える人が、応援に駆け付けた。
「ここだ! 魔王はここにいるぞ! 我ら、キラムルト家の力を見せ付けるのだ!」
『うぉぉぉぉ!』
と、雄叫びを上げて駆け付けたキラムルト家の私兵。それを率いるのは……
「お兄ちゃん⁉︎」
「アンナ⁉︎ どうして君がこんなところにいるんだ? 君は旅行に行ったのではなかったのか?」
「旅行? あー、そういうことか」
噛み合わない会話に、そうなった原因に心当たりがあったアンナは、今話すことじゃないかと『うん、今帰ってきたところ』と自ら話を合わせる。
「そうか、大変な時に帰ってきたね。けど、ここは危ない。避難してなさい」
「冗談。あたしも戦うわ。ね? ゴルド」
「むむむっ」
若干猫を被るアンナに笑顔で同意を求められたゴルドは、敵対心を丸出しにするので忙しく、アンナの言葉を聞いていない。今にも噛みつきそうだ。
アンナはニッコリと笑ったまま、ゴルドの足を素早く踏んだ。
「あいっ……!」
「ほら、あたしの友達も戦うし、お兄ちゃんを置いて逃げられないよ」
「しかし……」
「悪いが、兄弟の話し合いは後にしてもらっていいか?」
兄弟の会話に割り込んだのは、レダクトだ。
「申し訳ありません。私もすぐに参戦します」
「いや、あんたじゃなくてな。その嬢ちゃんの力は、今必要だ。それに、冒険者としても一人だけ逃がすわけにはいかないのさ」
「冒険者……? アンナがですか?」
「ギクッ」
アンナは、ソロォと目を逸らす。まるで悪戯が露見してしまった時の子どものようだ。
だが、アンナを見る兄の目は優しい。怒っているとかそんな感情は宿っておらず、むしろ少し驚いているかのように見えた。
「そうか。けど、無理はしないように」
「えっ……? お、怒らないの? 勝手に冒険者になったりして……」
アンナは恐る恐るといった感じで、兄の顔を上目遣いで見上げる。
「怒らないよ。むしろ、そういう荒事は苦手だと思っていたから、嬉しく思うかな。ようやく乗り越えられたんだね」
「……どうかな、それは。けど……頑張ってみる。だから、お兄ちゃんは私が強くなったところ見ててね」
「ああ」
兄の笑みを見せられたアンナは、一転して無垢な笑みを浮かべた。
「さぁ、いつまでも拗ねてないで行くわよ、ゴルド!」
「むむむっ」
「早く来なさいってば!」
意気揚々と兄への敵対心を剥き出しにするゴルドを、アンナは相手が違うと引きずり、激しい戦闘が続く触手の嵐の中へと飛び込んだ。
〜〜〜〜
散り散りになった魔王のうち、王立学院の敷地に落ちた魔王と、大多数が学院の教員で構成された集団が凌ぎを削っていた。
彼らの後ろには、未だ避難が完了していない生徒が、悲鳴と怯えを撒き散らしながら、街の外に向かって全速力で逃げている。その中には、リスリットとその彼女に手を引かれて走るシーテラの姿もあった。
「あわわっ……、どうしよう! こんな時なのにライクッドは部屋にいないし、先輩達はみんな王都にいないし……っ! シーテラさん連れて、ライクッド探すのは無理だしっ……、何より私ってそんなに強くないしっ!」
走りながら犬耳をオロオロさせて、学友の姿を探すリスリットは、目に見えてパニックに陥っていた。だが、彼女に手を引かれて走るシーテラにとっては、そんなものは無用の産物であり、普段と何も変わらない様子で、しかし、どこか口惜しげに呻いた。
『こんな時、前マスターがお残しになられた至高の発明の数々があれば対処可能だったのですが……申し訳ありません』
「あっ、いや、シーテラさんを責めてるんじゃないんです! でも、やっぱり今は逃げましょう? それで、先輩達にこの事を伝えるのが、一番だと思うんです!」
『異論ありません』
リスリット提案を肯定したシーテラに、リスリットはせめて彼女だけでも守らないとと、グッと拳を握る。
そして、彼女達が避難の波に乗って、全力で足を回転させる中──学院を出てすぐのところで、街へと踵を返す金髪の小さな少年の姿があった。
彼の名は、スクルト。
7歳になった彼は兄であるレイと同じく王立学院の地を踏み、シャルステナと同じ首席入学を果たした次世代の期待の星。
そんな彼が、自身の安全よりも優先して街へ乗り出したのは、魔王と戦おうと考えての事ではない。彼は、どちらかと言うとミュラ似であるため、それが無謀過ぎる事はわかっていた。
だが、入学してまだ間もないとはいえ、身を呈して生徒を逃がそうとする先生を放っておく事は彼には出来なかった。
そんな彼の頭にあったのは、先日兄を探して訪ねてきたディクルドの存在。今や王立学院では伝説になりつつある11歳で魔王と渡り合ったレイと同等の強さを持つと言われている彼ならと、スクルトは助けを求めて街中に走り出したのだ。
広い王都で人一人を探し出す。それが7歳の子供にとってどれだけ困難な事か、彼にもわかっていた。
だけど、彼の中に流れる英雄の血が、ここで逃げ出すわけにはいかないのだと吠える。
スクルトは必死になって街を走り回った。
しかし、彼の預かり知らぬところで、王立学院で戦う教員に手が差し伸べられていた。
「第二級騎士のアリスです! 手をお貸しします!」
「おおっ、心強い」
ディクルドと共にこの街へ来ていたアリスが、参戦したのだ。
「つかぬ事をお聞きしますが、ここに青髪の騎士が来ませんでしたか?」
「いえ、来てませんが……ッ! ぜ、全員退……!」
「ハァァァァ!」
魔王の攻撃に回避を促そうとした校長よりも速く、尋常ではない速さで動いたアリスが、その拳で巨大な魔力弾を弾き飛ばした。
「さ、さすがは二級騎士ですな……」
「いえ、このくらいは」
謙虚な態度で言葉を返しながら、アリスは思った。
魔王を倒すって一人で勝手に走っていった彼はどこ行ったのよぉぉおっ!
アリスの胸の内はひどく荒れていた。
方向音痴の癖に!
いっつも迷子になる癖に!
ついこないだ二年も行方不明になった癖に!
と、アリスは心の中で地団駄を踏みつつも、たった一撃弾いただけで、痺れが走った腕を思い、何かの奇跡が起きてディクルドがこの場所に辿り着く事を切に願った。
アリスは胸の前で拳を軽く握りながら、半身をきる。空手のような構えながらも、銀灰色に輝く籠手や臑当てがより実践を意識しての構えである事を示している。
「ハァァァァ!」
気合い一線。
腰のバネを使った一撃を地面へと叩き込む。粉塵が舞い上がり、アリスを含めた数名の教師の姿を覆い隠す。
口と目を庇い土煙を避ける教師をよそに、アリスは動く。土煙の中から物凄いスピードで飛び出し、魔王へと接近する。魔王は即座にアリスに向けて触手を放ち迎撃するが、瞬間的に速度を上げたアリスを捉えることは出来ず、鈍い音とともに地面を砕くだけに終わる。
「残念、こっちよ!」
残像を残し、一瞬の間に魔王の背後へと回り込んだアリスは、フルスイングの右腕を叩き込む。だが……
「見えてますよ」
「えっ……きゃっ!」
右腕が魔王の体に触れる直前、急回転してきた触手が、アリスの腹を捉えた。胃の中のものを溢してしまいそうなほど、強く腹を打たれたアリスは、10メートルほど空を飛び、地面に転がった。
「うぐっ……」
アリスは苦悶の表情を浮かべながらも、すぐに立ち上がり、片手で打たれた場所を押さえながら、再び構えた。
魔王はそんな風に立ち上がったアリスには目もくれず、魔法による攻撃を弾き、触手を後衛に陣取る魔法使いに叩き付けていた。まるでモグラ叩きでもするように、何度も何度も振り下ろし、その度に誰かの悲鳴が上がる。
アリスはそんな彼らを庇うように、速さを生かした立ち回りで、触手による攻撃をその身で受けた。ドシンと加わる圧力を両の腕を頭の上で交差し受け止めながらも、反撃の機会を窺うが、前衛に立つ接近戦を得意とする教員と同じく一人一本触手を付けられて、邪魔される。
その間にも、後衛に立つ教員が次々に血反吐を吐き倒れていく。だが、そんな苦戦を強いられる状況下で、アリスは挽回のための一手を打つ。
「宿れ、俊速なる足よ」
盾としての役割を止め、後ろで誰かが打ちのめされる音を聞きながらも、アリスは高速移動で触手を引き離した。
「宿れ、剛腕なる腕よ」
そして、その中でも詠唱を重ね、彼女だけに許された魔法を唱える。
「敵を穿つ矛となれ。瞬剛付加!」
それは、どの属性にも属さない付加魔法。強いて言えば、回復魔法と同系統の魔法となるのだろうが、使えるのは付加のユニークスキルを有する彼女だけ。
世界で唯一の特異な魔法は、長命な魔王でさえも初めて目にするものだった。自然、それを唱えた彼女に目がいくが、アリスには何ら変化はない。
ハッタリかと魔王が警戒を解こうとした時、魔王を取り囲んでいた武器を手にした教員達の動きが格段に上がった。
受けきる事しか出来なかった触手を大きく弾き、あまつさえ斬り払う者まで現れた。そして、その体の動きも先程までとは比べ物にならないほど、俊敏でまた、力強い。まるで一斉に限界突破でもしたかのようだ。
「なるほど、面白い魔法ですね」
だが、この程度では魔王が慌てる事はない。これならまだレイ一人の方が、何をしてくるかわからない分手強かった。多対一というのは、彼が最も特異とするものなのだから。
「うそっ……!」
アリスは思わず驚愕に声を上げる。ただでさえこちらの数よりも多かった触手が、倍以上に増えたからだ。
しかも……
「ぐぁぁぁぁっ!」
「こ、こんなの無茶っああああ!」
「や、やめ……!」
一本一本の触手の先から付け根に至るまで、全てが魔弾の発射口になった。触手に潰され、魔弾に撃たれ、一人また一人と地面に倒れていく。
数では勝っているのに、数の力で潰される。それこそが、魔王が集団戦を特異とする理由だ。
アリスらを取り囲むようにぐるっと伸びた触手は、誰一人として逃さないと、網のように繋がり、広がっていく。やがてアリス達は完全に包囲され、全方位、360度から数えるのも愚かしいほどの魔弾の嵐に晒された。1つ1つがレイが使うような未熟な弾ではなく、鉄球のような重さと、プロピッチャー級の速さのそれを完全回避する術はなく、例外なく全身を滅多打ちにされる。
ドバババッ‼︎
ハズれた魔弾が地面を砕き、噴煙を撒き散らす。初めはひっきりなしに聞こえていた悲鳴が、段々と弾丸の落ちる音に埋もれ消えていく。
だが、その激しい地鳴りの音は、街の中まで轟いていた。
「うぅ……」
「ぁ……」
およそ1分ほど続いた集中放火。それが終わった時には、魔王と戦える者は残っていなかった。全員が全員、激しい打撲の跡を体に残し、体の一部が潰れている者までいる。そして……すでに息をしていない者の姿もあった。
アリスは鎧や攻撃のための籠手のお陰で何とかそんな悲惨な状態は避けられた。だが、手入れが行き届き美しく輝いていた鎧はヘニャヘニャにねじ曲がり、籠手はもはや修復不可能なまでに砕けている。
何度も魔王の攻撃を受け止めてきた腕は折れ、全身の骨にヒビが走っている。
「さて、楽しい戦いの時間は終わりを告げました。非常に残念な事ですが、私の邪魔をした皆さんにはその行為の愚かしさを悔い改めてもらうため、一人一人順番に殺していきます」
魔王の残酷な死刑宣告に意識がある者は、心の底から震える。ゆっくりと歩き出した魔王の足音が大きくなる度、死へのカウントダウンが近づいていると恐怖心が煽られる。
「まだ死んではダメですよ? 命は大事にしませんとね。せめて、私を楽しませてから死んでください。さて、誰から殺しましょうかね?」
コツコツと音を立てて倒れる者の間を練り歩く魔王。その足音が近づくほどに、震えは大きくなる。
やがて死傷者の間を一周回り終えると、魔王の足が止まった。
「やはり、おかしな魔法を使えるあなたからでしょうか」
目の前にある先の尖った靴。それが、針の先ようにアリスの頭へと向けられていた。
魔王はアリスへと触手を4本伸ばすと、その両手両足を縛り付け持ち上げた。
「うあぁ……っ! ……っつぁ!」
折れた腕が、ヒビの入った骨が悲鳴をあげて、アリスの口から外に漏れる。
「ふふっ、まだお若いのに、無茶をしましたね。いえ、若いからこそ無謀な挑戦をしてしまうのですかね」
「あぁぁぁぁあッッ!!!」
グググッと引っ張りあげられた手足。今の拷問のような仕打ちに、ヒビが広がり新たに数本の骨折が増える。
「さて、遊ぶのはこれくらいにして、死んでもらいましょう。私はとても優しいのでね、楽に殺してあげますよ」
新たに魔王の体から触手が伸びた。その触手は他のものより細く、また鋭利に先っぽがとんがっている。
アリスは顔の前に伸ばされたそれを、見て涙を浮かべながら目を閉じた。
──ディクルドくん……
その時、その声に応えるように、怒哮が轟いた。
「邪魔だァッ!」
吹き抜けた豪風と岩を砕くような轟音。
激しく揺れる体と、それを受け止めてくれた誰か。
目を開けたアリスの目に飛び込んできたのは、待ち望んだ存在の姿だった。
「遅くなってごめん、アリス」
「ディクルド……くん……」
アリスの目は半目で開ききっておらず、額から流れ落ちる血が顔を伝い、とても痛々しい。
ディクルドはソッとアリスを仰向けに地面に下ろすと、懐から回復薬を取り出しアリスに飲ませた。
「遅いよ、もう……けど、来てくれて本当に助かった。私まだ、生きてる……?」
意識が朦朧とし、現実感が薄い。だからか、アリスはそんな事を、目の前のディクルドに溢した。それが、いつになく弱々しく見えて、彼女を抱く腕に力が篭る。
「うん、生きてるよ、ちゃんと。間に合って本当に良かった。正門で会った獣人の女の子のお陰だ。魔王を目指して進んでたら、いつの間にか街の外に着いてしまったから、本当に参ったよ」
「参ったのはこっちだから! いつっ……!」
思わずツッコミを入れたアリスだったが、激しい痛みが体を走り、思わず苦痛に顔を歪めた。そんなアリスの様子に、心配そうな顔を浮かべたディクルドだったが、アリスのグリーンの目が大丈夫だからといじらしく主張するのを見て、強く頷くと剣を手に立ち上がる。
「初めまして、魔王。僕の名はディクルド・ベルステッド。君を斬る騎士の名だ。僕の元副官を痛めつけた報いはその身で受けてもらう」
柔らかい表情が一転。敵を見定めた男の顔へと変わる。同時に青白いオーラを纏い、魔力が全身を伝う。
「ほう、あなたがあのディクルド・ベルステッドですか。では、武闘大会の決勝であの少年に負けたというのは、あなたですね。それなら、警戒する必要もありませんか」
そんな風に取り越し苦労かと、小さく息を吐いた魔王に、ピクリとディクルドの耳が揺れた。
そして、その評価を一掃するように、ディクルドは胸の前で腕を薙いだ。
瞬間、魔法の如き豪風が地面を削り、戦塵を吹き飛ばす。
ドガァァアア!
地面が弾け飛び、遥か向こうにある学校の建物の窓ガラスが轟音と共に砕け散る。それを成した無造作に振るわれた腕は、魔王の動体視力ですらブレて見えた。
「御託はいいよ、魔王」
戦慄が走る。愕然と開けた口が閉まらない。
ありえない……あるはずがない。
こんな馬鹿な事がまかり通るはずがない。
そう、唖然と開かれた瞼の裏では、声にならない声が繰り返される。
一方で、別の意味でディクルドの様子に目をパチパチさせるアリスがいた。
「ディクルドくん……?」
何故かはわらかないが、普段とどこか違う雰囲気の彼に、アリスはひょっとしてと、首を傾げる。
……怒ってる?
「レイに負けた僕は彼より恐れるに足りないって?」
そう、アリスが感じた通り、ディクルドは怒っていた。
1つに、彼と苦楽を共にしてきたアリスを傷つけられたことに対して。
1つに、何の罪のない人々の命を奪い、あまつさえ残酷に殺そうとした事に対して。
そして、1つに──レイより弱いと口にされた事に対して。
「心外だよ」
「くっ……」
ディクルドの言葉は魔王の耳には入らない。予想だにしない強敵の出現に、とても会話する余裕などなかった。出来る全力をと、持てる限りの力を絞り出す。
だが……
「僕はいつだって、レイより弱いつもりはないんだよ?」
常に全力、手加減という言葉を知らないディクルドの前では、その全てが無意味。歴戦の魔王の目ですら残像に惑わされる速度で動いたディクルドを、慌てて出したたかが数百の触手で捉え切れるわけがない。
決着は一瞬。そう、一瞬だ。
魔王とディクルド以外にその戦いの全てを見れた者はいなかった。
常軌を逸したスピード。ただでさえ、スキルによって莫大な恩恵を受けた身体能力値。この二年の戦いに次ぐ戦いの日々で、素の能力が今までとは比較的にならないほどに上昇した今の彼の動きは、本来の5分の1の力しか持たない魔王についていけるものではなかった。
「終わりだよ」
「こんな馬鹿な事が……」
一瞬にして吹き荒れた斬撃の嵐。残像の黒い影だけが残り、数百に及ぶ触手は細切れにされ、魔王自身も意味をなさなかった魔装ごと体を半分に切り裂かれ、上半身がボトリと地面に落ちる。
「あなたも……なのですか」
いわば、魔王にとってもう一人の天敵。常軌を逸した成長速度で強くなり続ける化け物の片割れが、魔王に初めて認知された瞬間だった。
「トドメだ」
ディクルドは半分になった魔王の姿を見ても油断する事なく、己の精神を高鳴らせる。
「極光招来!」
天に掲げた剣から青白い光が立ち上がる。それは、次第に光を強め、空に上がりきったところで折り返し、魔王の体へと降り注いだ。
降り注ぐ光の瀑布は、魔王の体も、残された魔力さえも全てを消し去り、王立学院の敷地に大きな風穴を開けた。
「化け物具合が上がってる……」
アリスは、再開してから初めて見たディクルドの戦いに顔を引き攣らせた。そんな彼女の前で、ディクルドはまだ終わっていないと気を引き締め、口にする。
「さぁ、次だ」
異夢世界を読んでいただきありがとうございます。
来週は投稿出来なさそうなので、次の更新は再来週になります。すいません。




