157.人形劇の始まり始まり
「ねぇ……これちょっとヤバくない?」
時計台近辺にて。
魔王と激戦を繰り広げる冒険者と貴族兵団の集団。触手と人が入り乱れ、激しい攻防を繰り広げる中、その少し後方で、だらりと垂れた両腕に対の剣を持って、一時の休息を取るアンナは現状を鑑みて一言でそう評した。
魔王という強大な脅威を前に、アンナ達は数の利を活かした戦法──具体的には、幾つかの部隊に分け、ローテーションを組んで交代しながら戦いを繰り広げていた。
長期戦を視野に入れた数の利を存分に活かす戦法。幾ら敵が悪名高い魔王と言えど、疲れは必ずある。加えて、レイとの一戦で、魔王は深い傷を負っている。それが放っておいていい傷でないのは、専門の知識がなかろうとその傷口を見れば一目でわかることだ。治療せずにいれば徐々に弱っていくのは明白。
事実、それを照明するように、魔王の動きは極端に小さい。傷を手で押さえながら自らはその場から動かず、距離を置いて戦っている。明らかに傷を気遣った動きだ。
ならば、何もヤバくなどないではないか。むしろ、戦況は徐々にアンナ達の側へ傾くはずである。
しかし、残念ながら、そう易々と思い通りにはさせてくれない。
現実の戦況は、着々と魔王有利へと傾き始めていた。
アンナの目の前に広がるのは、夥しい数の血痕の跡と、深手を負い倒れ伏す人々。まだ乾ききっていない流血の痕跡のヌルリとした感触に、気持ち悪さと戦いにくさを同時に覚える。
ともすれば足を取られ兼ねない危険を孕んだ血は増え続ける一方で、それに比例するように負傷者や死傷者の数は増大していく。
一度の交代の間──僅か数分程度の間にその約半数が負傷または、死傷し、戦闘継続が困難な状態に陥る。そして、交代した後に再び戦闘が可能になるよう彼らを治療しようにも、戦場から安全な場所へ運び出す人手も、治癒に当たる人員も追い付かない。
そして、治療を終え、幸運にも一命を取り留めた者が再び戦場に舞い戻るかと言えば、否である。
考えてもみてほしい。彼らは今、死にかけたのだ。殺されかけたのだ。
すぐ側には同じように負傷し、あるいは命を落とした者が横たわっている。治癒術師の顔は険しい。途絶える事なく次々と運び込まれる負傷者に、治療が追いついていないからだ。治療する彼らの魔力も無限ではない。自然、そこには命の選択がある。
それを見て、今も量産され続ける死を目の前にして、戦場に戻ろうという気概を持てる者は少数だった。
彼らを臆病者と蔑むなかれ。
災厄の象徴など、本来避ける相手だ。人々を逃がすため、この場に残ったというだけで、十分立ち向かったと評価に値する。
だが、一度目よりも、二度目。二度目よりも、三度目。増えた死傷者と重傷者の分、確実にこの場に立っている人の数は目減りしたのは事実だ。
そんな状態では、数の利を活かす事も出来やしない。
この作戦を打ち立てたギルマスにとって、最大の誤算はそれだった。
彼は、一度身を持って魔王の強さを体験している。それから言って、勝ち目は十分過ぎるほどにあった。以前の魔王は高く見積もったとしても、SS級程度。Sランク冒険者に加えて、数万にも及ぶ数の力があった。
負けるはずもない。勝てるはずだった。しかし、だからこその誤算だった。
言ってしまえば、魔王が強過ぎた。以前よりも遥かに。取り付く島もないほどに、圧倒的に。
もはやそのポテンシャルは、SS級をさらに飛んで、SSS級と言って差し支えない。いや、知恵がある分厄介さで言えば、それすらも超越し得る。
圧倒的な力差の前に、数の力とはここまで脆いなのか。
全体の1割にも満たない超一流のSランク冒険者がいて、これだけの数の援護があって、未だ一撃足りとも決定打を入れられていない。
その事実に、犠牲覚悟で飛び込む冒険者は恐怖を否応なく叩き込まれる。それは、己の死に対してもそう。それよりも強いのは、己の犠牲が何の意味も残さず、無意味に終わるのではないか、という恐怖。
心が折れる。一度目は戻れたとしても、二度目は無理だ。何故なら、次こそは無意味に死ぬかもしれないのだから。
そして、ローテーションは悪循環へと代わる。
数を減らしていく仲間達。
治療が追い付かず命を落としてく負傷者。
徐々に危ない場面が増えてきた一流の冒険者達。
ローテーションの破綻。数の利なくして、いや、新たな犠牲なくして、この均衡は保たれない。
つまり、アンナの言った通り、ヤバイのだ。
もうその均衡は崩れかけている。突破、いや、全滅必死の状況だ。
「……って、ほんとにヤバイわよ、この状況」
既に戦死者の数は、百の単位をとうに超え、千から万に迫ろうとしている。
後方の治療のスペースには、もう人を並べられる場所すらなく、回復部隊は死者を置き去りに、街の奥へと後退を余儀なくされ、交代要員など殆どいない。
これから先は、もう増援は望めない。残されたのは、体力が無くなる前に倒すか、力尽きて倒れるかの二択だけ。
一方、死者と怪我人の数に見合わない戦線の維持に全力を尽くす戦場では、刻一刻と時間が経過する度に、数の利の破綻以上に、戦局は悪化していた。
魔王はレイの意図的な魔力暴走に巻き込まれ、軽視出来ないレベルの怪我を負っていた。しかし、元々スキルにより体を激しく動かす必要のない彼に、怪我による弱体化は殆どないに等しい。だが、それは誤算ではあったが、初めから弱体化など不可能だったと受け止めれば済む話だ。
むしろ問題は、着々と過去の記憶から、新たな攻撃手段を思い出し、幾何関数的に強くなりつつある事だ。
当初、叩く、弾く、伸ばす、掴むと4種の攻撃方法を取っていた触手は、分裂やら変形を繰り返し、まるで木の根のように変幻自在な攻撃を繰り出して来ている。また、それに飽き足らず、魔王自身を模した分身まで作り出すと、本体は距離を置いて、指揮官の如くそれらを操り翻弄する。
魔王にとってアンナ達の存在は、戦い方を思い出す足掛かりに過ぎなかったのだ。
言うなれば、この化け物は今ここで、邪神がまだいた頃の、最強の魔人へと立ち還りつつあるのだ。
一方で、魔王の増強に伴い、アンナ達有志軍の死傷者は爆発的に増えた。初めは治癒術師の頑張りにより、何とか最小限の犠牲で抑えられていたものの、途絶える事のない怪我人に、治癒術師の魔力も大半が失われ、もはや数名を残すのみ。死者の数は確実に増えていた。
今もまだ五体満足で立っているのは、アンナとゴルド、それから、魔王の攻撃を防げるAランク冒険者以上と、アンナの兄も含めた数名の兵士ぐらいものだ。
「うーん、勝てないかもしれないね」
盾と両手剣でそれぞれ防御姿勢を取るゴルドの言葉は、アンナよりも具体的に状況を表していた。その言葉に危機感がないのはいつもの事ながら、着々と減っていく人数に、いち早く焦燥を覚えていたアンナは断言する。
「かもじゃなくて、勝てないわよこのままじゃ。確実にあたしらは全滅するわ」
「けど、レイのお父さんが来たら、どうにかなるんでしょ? 大丈夫だよ〜」
「このお馬鹿。一度、こいつは不死鳥に倒されてんのよ? レイに罠を張る前に普通、そっちをどうにかするでしょうが。なのに何も手を出して来なかったって事は、不死鳥に負けない自信があるって事よ」
アンナは馬鹿ではない。やる気はあまりなかったが、それでも王立学院の成績はレイとシャルステナに次ぐ3番手。それは、勉学と体技どちらに置いてもだ。
そんな彼女からすれば、今回の事は違和感だらけ。そのうち幾つかは、魔王の目的がレイの命にあったことから解消されたが、そうなると何故レディクを放置したままだったのかがわからない。
だが、戦闘を重ねる毎に、多彩かつ柔軟になっていく魔王の動きを見て、不死鳥を倒す術があるのではと考えるようになった。
それをつい口に出してみたものの、それを聞いたゴルドは首を傾げるだけだ。話す相手を間違えた。
「負けたのに? この人馬鹿なんだね」
「馬鹿はあんたよ。とにかく、不死鳥に期待するだけじゃダメなの。倒せなくても、あと一撃強烈なのをお見舞いするわよ」
今必要なのは、起死回生の一撃。この傾き始めた戦況を覆すほどの大きな戦果だ。
それ以外に、状況を好転させる術はない。そして、それを為せるとしら、まだ技を隠している自分達しかいない。
「何とか隙を作りなさい、ゴルド。あたしがやるわ」
「了解、任せて!」
理解は期待していないと細かい説明は省いたアンナにゴルドは強く頷くと、両手剣を魔王本体に向けて投合した。
「小賢しい」
魔王はシュルっと伸ばした新たな触手でそれを下から上に軌道修正。真上に打ち上がる剣を他所に、触手は標的をゴルドに見定め、一斉に迫る。
それを盾を捨て両の掌を合わせて受け止めるような格好で、迎え撃つゴルド。
「魔砲!」
掌へと収束された魔力。以前、花型の魔物──ラフロシアの大群を葬った放射状の広範囲を攻撃するものとは違い、レーザービームのように強い指向性を持った魔力砲。射線上にある触手を尽く吹き飛ばし貫いて、戦場を駆け抜ける。
余裕をかましていた魔王は、その予想外の威力を持った攻撃に対応が遅れ、僅かに体を逸らしただけで回避に失敗する。
「ッ……!」
エネルギーを極限まで圧縮した魔力ビームは易々と魔王を守る最後の砦を突き破り、左肩に大穴を開けた。
ライフルで狙撃されたかのように体制を崩した魔王の背後で、建物の壁へと衝突した魔力が、大きく弾ける。轟音を撒き散らし、建物もろともあたり一帯を吹き飛ばす爆風を背中でモロに受けた魔王は、負傷した直後とあって一瞬体を前にヨロケさせた。
その瞬間、狙い済ませたように背後の地面に伸びる魔王の影がニュルッと歪む。
そして、そこから二刀の剣を持ったアンナが一瞬で這い出てきた。
「もらった!」
完全に捉えたとばかりにアンナの二刀が冴える。背中を向ける魔王へ剣を交差させるように振り下ろし、手首を捻り真横に切り開いた。一瞬にして4回斬撃を加えたアンナだったが、まるで岩を切ったような感触を覚え、すぐさま本能的に体を捻り、一回転。切り開かれた魔装の交差する一点に向けて、剣を深く突き刺した。
グサッと今度は確かに肉を貫いた手応えを感じ、思わずアンナの顔が緩む──が、剣を抜こうと手を引いた時、逆にグッとその手が引き寄せられた。
「うそっ!」
思わず驚愕に顔を染めたアンナの前で、魔王は自ら腹に刺さった剣の腹を掴み、引っ張り上げていた。そのイカれているとしか思えない行為は、死が終わりではない魔王だからこその行動だったが、それを知るよしもないアンナにとっては、予想だにしない自傷行為。
それにより僅かに生まれた膠着。それを狙って傷を深めた魔王が逃すはずもなく、四方から伸びた触手がアンナに迫る。
「させるかァッ!」
と、そこへ飛び込んできたのはアンナの兄、ソルト。彼はドンとアンナに体当たりして、自らの体を盾としてアンナを庇う。しかし、それを嘲笑うかのように急速に向きを変えた触手が、尻餅をついたアンナに迫る。アンナは転倒しすぐには身動きが取れない。加えて、片方しかない即撃特化の軽い剣では防御もままならない。
だが、アンナがその触手の餌食となる事はなかった。ソルトは執念とも取れる決死の形相で触手の先を掴み上げ、踏んづけたのだ。
そして、力任せにそれを振り上げ、地面にめり込ませて──
「──ふふっ」
ソルトが反撃しようとした時、突如として、魔王が笑った。
無駄な事をと嘲笑うのではなく、本当におかしそうに笑ったのだ。全力で触手の相手をしていたソルトも、その後ろで立ち上がったアンナも、思わずゾッと背筋に悪寒を覚える。
「ふふふっ、ふっははは!」
何がそんなに可笑しいのか、腹を貫かれ、血を流しながら、頭に手を当て、高らかに笑う様は狂気的に人々の目には映る。
それはまるで、人が変わったかのよな変化。その狂気に当てられ、その言い知れぬ不気味さえ故に、戦場の動きが完全に止まる。
アンナ達の注目を一点に集めた魔王が笑いながら目を向ける先。そこには、直前に上がった青白い光の奔流があった。
「ははは……」
しかし、やがてその笑い声も小さくなり、力尽きたかのように緩やかに途絶える。
魔王は気持ちを落ち着かせる為か、ふうっと短く息を吐くと、口を開いた。
「あなた達と遊んでいる場合ではなくなったようです」
瞬間、再び動き出しす戦場。触手から魔弾が発射さら、ドドドッと激しく唸りながら、次々に人を吹き飛ばし、建物を破壊し、そして──爆発した。
「そんなッ! あの技って……」
「アンナ! 早く離れるんだ!」
レイと同じ魔力暴走を引き起こした魔王の技。それに思わず動きを止め驚愕するアンナを、兄のソルトは庇いながら、魔王から距離を取る。
弾ける地面。崩れる建物。血を吐き倒れる人々。
その合間を縫って兄と共に走り抜けたアンナの目から、勝機が消え失せる。
無茶苦茶じゃない……
もはや戦況は完全に傾いた。起死回生の一撃を入れるどころの話じゃない。もはや攻撃を躱すだけで限界。その攻撃の嵐の中心に近付く事など、出来はしない。
寒気がした。戦いが始まってから、初めて死を意識した。
こんな時、ずっと心の拠り所にしてきた兄も、背を向けてその場から逃げるだけ。その顔には余裕の一欠片もない。
──ああ、お兄ちゃんでも無理なんだ。
そう、考えるよりも先に心が感じてしまう。そして、湧き上がってくる抑えていた、いや、抑えられていた恐怖という感情。
手が、足が、体が震える。唇が乾ききったかのようにカサカサして、全身の血が引いていく。
それを間近で感じていたソルトは、怒鳴るようにアンナを正気に戻そうとした。
「アンナ、しっかりしなさい! 大丈夫、命に変えても君の事は守る。だから、今は前を向きなさい! 少しでも早く、ここから離れるんだ!」
バッとアンナの手を引いていた手を前に押し出し、自分は魔王とアンナの間に立つ。それを見て、アンナはソルトのしようとしている事を察し、戻ろうとした。
「お、お兄ちゃん、あ……あたしは……」
「行きなさいッ!」
しかし、ソルトの有無を言わせぬ圧力に、踏み出そうとした足が、ビクッと止まる。
そんなアンナに背を向けて、ソルトは魔弾と触手、そして、それを火薬にする爆発に向かって、槍と盾だけを頼りに突撃した───が、直後それら全ての動きがピタリと止まる。
「な……に……」
金縛りにあったかのように、ぶっ格好な構えでの完全停止。口の動きさえ、何故か自分の意図した動きを放棄して、体は言う事を全く聞かない。首の回転も、指先の動きでさえも、凍り付いたように動かない。
まるで、こまどり画像を一枚だけ抜き出したかのような格好だ。
と、そこへ飛び込んできたのは、激しい戸惑いに彩られた声。
「ちょ、ちょっと、バジル⁉︎ 危ないじゃない!」
「あ、いや、これは……体が勝手に……ッ!」
「こんな時にふざけ……」
「──避けろッ! シャラァッ!」
視線だけ動かせば、先程までお互いをカバーし合っていた二人の冒険者が、剣を交錯させている光景だった。
しかし、その二人の会話とぎこちない動きから、故意の攻撃ではない事は一目瞭然。
ソルトの頭に最悪のビジョンが浮かぶ。すなわち──
「お兄ちゃん……?」
「に……」
「に?」
「逃げろぉぉぉッ!」
最愛の妹をその手にかける光景だ。
そして、それは現実となる。
「えっ……」
頬にピッと切り傷が走る。それは、ソルトの槍の穂先がアンナの顔を掠めた揺るがぬ証。頬に伝わる小さな痛みが、今見た光景を夢でないと豪語する。
絶対の信頼を置いていた兄がこんな事をするわけないと、頭と心が否定するが、揺れる瞳に映るアンナに槍を向ける兄の姿が、より強く肯定する。
今、アンナは兄に攻撃されたのだ、と。
「に、げる……んだ、アン、ナ」
「あ……え、お、お兄ちゃん?」
「はや、く」
ソルトは誰か別の意思によって乗っ取られた体に必死に抗いながら、苦しみを顔に発露させ、掠れ声で言った。
だが、アンナの動揺は激しく、とても正常な判断を下せる状態ではなかった。それは、ヨロヨロと後ろに下がり、ペタンと座り込んだ体制で、信じたくないと涙を浮かべるアンナを見れば、一目でわかる。
「さぁ、幕を開けましょう。身の程も弁えず私に歯向かった愚かな人形達が踊る舞台のね」
哄笑を混じえ、大きく広げた両手から、最後の抵抗を打ち消す魔弾が、撃ち出された。それは、バジルやソルトを始め、突然味方に斬りかかった者全てに撃ち込まれ、体の中に消えていく。同時に、なけなしの抵抗も全てが打ち消された。
「や、やめてくれ……」
槍を構え直す動きからは違和感が消えていた。体はもう完全に言う事を聞かない。
口だけだ。口だけが、悲劇を彩れとでも言うように、残された。それ以外の全ては魔王の思うまま。
至る所で悲鳴と嘆きが上がり、傾いた形勢は、一気に加速した。
唯一勝っていた人の数という力も、魔人形の前にはいいカモでしかない。操り人形と化したのは、約半分。その全員が、一度は魔王の攻撃に直接触れた者達だった。
仕掛けていたのだ。始めから。気付かぬよう配慮し、着々と毒を流し込み続け、そして最悪のタイミングで使うために。
槍の矛先を向けるソルトの前にペタンと座り込んだアンナは、震えながら泣いていた。
兄に攻撃されたという悲しみと、崩れ落ちた心が抱く恐怖で。
どうして、こんな事になったんだろう……
あたしは頑張ったのに。
約束してくれたから、頑張れたのに。
もうお兄ちゃんは私を守ってくれないの……?
「さぁ、殺しなさい。仲間を、家族を、友人を、その手で」
そして、悲劇の人形劇の幕が上がった。




