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153.暗躍する影

 雲一つない開けた青い空の下。

 暖かな風に舞う白の花弁が、蝶々のように悠然と人垣の上を泳ぎ、大きく天井が開かれた荷台に落ちた。


 荷台の上に乗っているのは、ジャニス王子とシャルステナの二人だけ。大通りの沿道には、新たな王とその婚約者を一目見ようと、沢山の人集りが出来ていた。

 人々の視線を集める二人に投げ掛けられるのは、祝福を祝う歓声。それに混じって、一部嫉妬の声が聞こえるのは、民に彼らが愛されている証拠か。


 そんな人々に向けて偽物の笑顔を披露する二人の間には、祝いの場とは思えぬほどにピリピリとした緊張感が漂っていた。


「それじゃあ、ギルクはまだ生きているんだね?」

「はい。やはりジャニス様の親衛隊が私達を襲ったのは、あなた様の命令ではなかったのですね?」


 表情と内面を別々に。

 婚約が発表されてから初めて顔を合わせた二人は、疑問を交わし合っていた。その内容は、先日の事件。表向きには事故死とされているギルクの暗殺についてだ。


「私は後から聞かされたよ。近頃、彼らは何かに操られているかのように、私の言葉に耳を貸そうとしない」

「操られているように……ですか。誰かが裏で糸を引いているのかもしれませんね」

「そうであって欲しい。でなければ、今日私は彼らを罰さなかればならなくなる。私のために骨を砕いてきてくれた彼らを」


 ギルクの安否を聞き胸を撫で下ろしたジャニスの言葉に引っかかりを覚えたように裏で糸を存在をシャルステナは示唆する。

 が、実際のところ彼女にとってはようやく本題に入れたというところだ。


 かつてギルクの婚約者であったシャルステナは、遠目にだがジャニスの民に尽くす姿勢を目にした事があった。また、彼の事を尊敬していたギルクから、何度もその話を聞いた事があった彼女は、今回の襲撃に違和感を感じていた。


 ジャニスとギルクの関係は、両親が同じという事もあり、他の兄弟に比べ仲睦まじいものであった。たとえ、王位継承で揉める事になっても、いきなり命を狙う関係になるとは、彼女には思えなかったのだ。


 それは親衛隊についても同じ。ジャニス王子の親衛隊は、彼の人柄に惚れ込んだ人間が多く、またその数も他の王子と比べ物にならない事は、貴族の間では有名だ。

 そんな彼らが王子の意見を無視して動くとは思えない。たとえ、彼を王にしたい気持ちの表れだとしても、王子が嫌う人殺しという短絡的な方法をとるとはとても考え難かった。


 ならば、こう考えてみればどうだ。

 親衛隊はジャニスを王にしたかった。そのため、ギルクを暗殺……ではなく、追放するという手段を取ったのではなかろうか。


 確かにこれなら、ギルクを殺す事なく、ジャニスを王にする事が出来そうだ。

 でも、これはおかしいのだ。

 何故なら、彼らは説得もなしに問答無用で襲い掛かってきたからだ。


 本当に追放する事が目的ならば、まずは脅すなり、説得するなりし、それが叶わなかった時、初めて強行に出るものだろう。

 そうならなかったという事は、そもそも追放などする気はなく、殺しに来ていたという事だ。


 やはり、何かおかしい。

 妄信的なまでにジャニスに心酔してしまっているのであれば、ジャニスの話に耳を貸さないなんて事は起こりえない。

 でも、実際起こっているという事は、心酔しているわけではなく、己の意思で行動しているという事。


 人柄が良く、民からも信頼の厚いジャニスの親衛隊に限って、こんな暴挙……むしろ彼らがそれを許さないのではないか?


 きっと彼らを誑かした、操っている者がいる。ジャニスの話を聞いて、改めてシャルステナは確信を得た。


 だが、そんな事は落ち着いてから考えた後付けの理由である。

 誰かが裏で糸を引いている事を確信したのは、彼女が保護と名目で親衛隊に捕らえられるよりも、前の事だ。


 およそ1週間前の事になるだろうか。

 シャルステナ、アンナ、ゴルドの3人は、ギルクに頼まれ、断崖山に出現した強力な個体の討伐を手伝う事になった。

 今にして思えば、王位を継ぐ事になったギルクに冒険者のような仕事が回されてくる自体がおかしな事なのだが、近頃皆で小遣い稼ぎ程度に冒険者稼業をしていたせいで、その時は違和感を感じなかった。


 そして、4人で目撃報告のあった地点へ向かい、そこで親衛隊に襲われた。突然の事で驚きはしたものの、ギルクを庇いながらでも3人で十分に対応出来た。初めは数で拮抗していたものの、親衛隊の数が減り徐々にこちらが優勢となり始めた。

 本来なら、逃げる必要などなく、それで終わりのはずだった。


 だが、その時何処からともなく、飛んで来た魔法による援護射撃で、形勢は一気に逆転した。

 1発1発がシャルステナの本気の魔法と相殺するレベルの威力。それもシャルステナの発動速度でも対応が追いつかないほど立て続けに飛んで来る魔法に、シャルステナは完全に押し負けた。

 さらには、前で親衛隊の動きを食い止めていたアンナやゴルドに対しても魔法による牽制が行われ、とてもギルクを庇いながら戦える状況ではなくなってしまった。


 だからこそ、彼女は一人残り、ギルク達を逃した。それは、彼らを守りながらでは勝てないと思ったからだ。

 彼女が本気の本気を出さないと勝てないと判断した存在。負けるはずのない戦いに姿を見せる事なく敗走を余儀なくさせた存在。

 強敵と言うより、もはや脅威だ。そんな危険な相手を野放しになど出来ようはずがない。


 だからこそ、そこで確実に決着を付ける気でいた。


 だが、ギルク達を逃した時点で何者かの介入はなくなり、まさか自分を無視してギルク達を追って行ったのではないかと、シャルステナは親衛隊を引き剥がして、彼らを追った。


 だが、それは杞憂だった。

 結局、ギルク達は無事シエラ村まで逃げ果せ、それをその目で確認した彼女は立ち止まった。


 おかしい。おかし過ぎる。

 こちらは居場所さえ掴めていなかったというのに、あれ以降介入してこなかったのはどういう事か。

 これではまるで、シエラ村にギルク達を追いやる事が目的だったと言わんばかりではないか。


 介入者の考えが読めず立ち尽くすシャルステナを追ってきた親衛隊は、ギルク達に逃げられた事を悔やんでいた。それを見た限りでは、彼らにギルクを逃す気はなかったように思える。


 何か裏がある。そう確信したのは、その時だ。

 顔も名前もわからない正体不明の敵。目的もわからない何者かが、このギルク暗殺に関与している。

 ゾッと背筋が冷たくなった。ここで何か恐ろしい事が起きようとしている、そんな気がした。


 そうして、その予感に逆らう事なく彼女はそれ以上抵抗する事なく投降し、敵の思惑にのりその上で正体を暴かんとし、今に至る。


「目的はやはり、あなた様を王にすることでしょうか……?」

「……単純に考えれば、それ以外に答えはないだろう。私を王にしたいのならば、親衛隊を焚き付ける事も必ずしも不可能ではないはず……ただ、一つ。今こうして、君と私が二人だけで話す機会を与えた理由がわからない」

「そうですね。ギルクが生きていると国民に知れれば、これまでの計画が全て水の泡となります。やはり、何か別の目的が……」


 目的がわからない敵の存在。これでは、誰が仕組んだ事なのか見分けるのは容易ではない。

 確実に一つわかっているのは、ジャニスを王にする事がその者の真の目的ではない事。それは、ギルクがシエラ村に逃げ果せた事からも、頷ける真実だ。


「どちらにせよ、今日この場で何か仕掛けてくる事は間違いない」

「そうですね。この婚姻式典は、余りにも突然過ぎます。お父様がそれに疑問を覚えていない事から、事前に決まっていた事かもしれませんが、それでも昨日の今日というのは、おかしすぎます」


 何かが起こる。

 そう推測を立てたジャニス王子の意見に、シャルステナは同意した。そして、それに賛同するのは彼女達以外にも多くいた。

 人集りの中に見え隠れする完全武装した者達。普段、街中で見るのは冒険者ぐらいのものだが、今日に限って言えば、数が多過ぎるように思えた。その人達全員という事はないだろうが、何か違和感を覚え備えを万全に整えているのだろう。こういう危機感知センサーの鋭さは、外敵の多いこの世界で生きる人ならではのものかもしれない。


 およそ1時間かけてゆっくりとお大通りを抜けると、王城が見えてくる。そこで、二人は馬車の荷台から下りて、ジャニスがシャルステナの手を引きながら、王城の階段を上っていく。


「いったい相手の目的は何でしょうか?」


 二人は民主に背を向けて演技を続けながら、シャルステナは相手の出方を、ジャニスは別の事を考えていた。


「……一つ、思い付いた事がある」


 顔を正面の段差に向けながら、ジャニスは不意にそう呟いた。


「相手の出方を伺うよりも、こちらから仕掛けてみるのも一つの手段なのではないだろうか?」

「こちらから?」

「そう。相手の思惑通り、今こうして婚姻式典を執り行っている。ここから導き出せる何者かの目的は、私と君が婚姻を結ぶ事。あるいは、ギルクの生存を民衆に明かした時に起こる混乱が目的だと推測出来る」


 ジャニスの手は汗ばんでいた。心なしか動きも軽やかとは言い難い。


「どちらが目的かはわからない。だが、それ以外の行動を取った場合、その者にとっては予想外の事態に陥るのではないだろうか? 仮にだが……今ここで私が君を斬りつける振りをして、この婚姻自体を終わらせてしまえば、その者は姿を見せると思うかい?」


 ほんの少しシャルステナの手を握る手が強張る。その不安の表れを感じ取ったシャルステナは、瞼をそっと下ろした。


「……危険過ぎます。相手の力量も定かではないのに、観衆がいる前でそんな事をすれば、何をしてくるかわかりません。それに、失敗した時に、ジャニス王子が負う汚名は、今まであなたがこの国にしてきた事を、無に帰す事になるかもしれない事です」


 背を向けて一段一段確実に上がっていくジャニスの手は、それに合わせて手汗の量も増えていく。


「本当にやるつもりですか?」

「……この国の王子として、誰ともわからぬ相手に、国の大事を決めさせたりはしない。何より、弟の命を狙っている者を兄として見過ごす事は出来ない」


 彼にとってそれは初めてと言っていい、国の行く末を左右するであろう決断だった。それも、不確定な部分を多く含む大きな賭けと言ってもいい。

 シャルステナはそんな王子の覚悟を察して、目を閉じて改めて覚悟を決めた。


 結局のところ、同じ事だ。ジャニスにとっての国とギルクが、自分にとってはレイなのだ。

 そのためなら、他は些細な事だ。たとえ、それ(・・)が原因でレイに嫌われる事になっても、失うよりはずっといい。


 レイが戻るまでに全て終わらせる。レイを巻き込ませない。


 ──今度こそ、私がレイを守るんだ。


「……わかりました。やりましょう」


 ジャニスの覚悟を受け取ったシャルステナに、ジャニスはありがとうと静かに礼を言う。


「では、3、2、1で私は君に斬りかかる。うまく躱してくれ」

「……はい」


 行動を確認し合う二人。

 だが、その二人の覚悟は直後に破られてしまう。


「なるほどな……そういう具合か。参っちまうな」

「えっ……?」


 耳を打つ、待ち焦がれた人の声。思わず静止した彼女の前で、別の声が響き渡る。


「ば、馬鹿野郎っ! 声を出したら……!」

「今の声は……ギルク? ギルクなのかい?」


 二人以外、誰の姿もそこにはないというのに、その声ははっきりと。そしてまるで目の前で揉めているような、どこか懐かしい音が聞こえる。

 自然とシャルステナ達の足は止まり、音の根源を探すように、周囲に目を走らせた。しかし、やはりというか、そこには彼女達の他に犬一匹、虫一匹の姿もない。


 姿なき声は言った。


「迎えに来たぜ、シャル」


 その声は彼女の正面から、そしてすぐ側から、聞こえてきた。その姿は見えなくても、彼女の目には愛する人の姿が映りこむ。


「もう……来ちゃったんだ」


 思わず、笑ってしまう。本当に、予想外な行動ばかり。

 まだ、あれから一週間程しか経っていないのに。


「けど、信じてたよ。あれからすぐ駆け付けてくれたんだね」

「ああ、もちろん」


 不意に彼女の視界が激しく歪む。まるで彼女を歪みの中に取り込もうとしているかのように、歪みは正面から彼女の左右、後ろ、全てに広がりを見せていく。

 そんな空間の歪みを前にシャルステナは微動だにしなかった。何故なら、その向こうにレイの存在を確かに感じたから。


「俺の事、まだ好きでいてくれてるか?」


 球状のレンズの中にいるように、周囲の景色は丸く歪んでいる。その中で待っていたレイは、不安を宿らせた弱い瞳で、シャルステナを見詰めていた。


「好きだよ。好きに決まってる」


 決意は、また破られてしまった。けど、今は……


「ずっと……会いたかった」


 ただ、ただ、嬉しかった。


 昔は、同じくらいであった顔の高さは、もう随分違う。飛び込むようにレイへと抱き付いたシャルステナの頭は、レイの胸にすっぽりと収まった。


「ずっと、こうしたかった」

「俺もさ。シャルがびっくりするぐらい綺麗になってたから、隠れてる最中に飛び付きそうだった」

「ふふっ、早く出てきてくれたら良かったのに。……レイは? レイは、私の事好き?」


 流れ星を見上げるように、キラキラと光る宝石のような瞳。それを大事に包み込むように、レイは優しく頭と背を抱き寄せる。


「当たり前だろ。シャルがいないと、死んじまうぐらい、大好きだ」


 冗談抜きでな、と頭皮を通して伝わる手の温もり。シャルステナは、そっと力を抜き、レイに体を預けた。


「嬉しい」


 ギュッと腰に回された手と、胸にある心地よい体温。レイはそれを……


「おい、そこの馬鹿ップル。人を放ったらかしてイチャつくのもいい加減にしろ」


 一人、歪みの中でどちらにも目も当てられず、放ったらかしにされていたギルクは、居た堪れないとばかりに二人の邪魔をした。

 レイの殺すぞという殺意の視線と、シャルステナの空気呼んでという冷ややかな視線を、綺麗にスルーして、ギルクは歪みの向こうを強く指差し主張する。


「兄上も民衆も、突然消えたシャルステナに慌てているぞ。どうにかしろ」


 ギルクにそう言われて、初めて周囲に目を向けたレイ。彼の見た先には目を白黒させて、困惑しているジャニスと、突然の事態に慌てて階段を駆け上がる親衛隊達の姿があった。


「どうにか……ね」


 レイは視線だけで親衛隊の先頭を走るゲルクの階段を踏みしめようと上げた足にポイントを合わす。そして、反転と小さく呟くと、ゲルクはスッテンゴロゴロドシャン! と後続を次々に巻き込み階段を転げ落ちた。


 続いてレイはシャルステナを抱いていた両手を離し、大きく広げて歪みに触れるとそれを真横にズラした。

 そして、軽く一歩踏み出すと再び手をパチンと閉じる。


「初めまして、ジャニス王子。俺が、本物のシャルの婚約者だ! よろしく」


 第一声で、お前なんぞに渡さないと意思を込められた宣言に、ジャニスはその場の特殊な状況下の中で、さらに困惑を深め、『あ、あぁ』と流されるように握手を交わした。

 そんなジャニスに対してレイは初め不満気な表情を顔に貼り付けていたが、しきりに視線を動かし、状況を理解しようと努めるジャニスを見て、段々とその表情を緩め、彼が落ち着くのを待った。


 10秒ほど無言で握手を交わした二人。その短い時間で、整理をつけたジャニス王子は、一度軽く目を閉じてから口を開いた。


「……私は、ライクベルク王国第一王子、ジャニスだ。今、この国は芳しくない状況に置かれている。2年前の武闘大会で王立学院を優勝に導いた君が、今日この場に駆け付けてくれた事に感謝する。そして、その上で頼みたい。父の遺言に従って、ギルクを王にするため、君の力を私に貸して欲しい」


 ジャニス王子は手短に名乗ると、力強くハキハキとした口調で、レイに力を貸して欲しいと懇願した。

 それに対しレイは、口元を少し緩めると。


「嫌だね」


 笑いながら、断った。


「俺は、冒険者だ。自分のやりたいようにやる。誰かの下につくのは御免だ」

「では、冒険者の君に仕事として依頼しよう」

「おっと、そうくるか」


 ジャニス王子の即座の切り返しに、レイは面白いと口角を吊り上げた。


「3つ条件がある。それを受けてくれるなら……」

「受けよう」

「決断が速いな。このボンクラ王子のアニキとは思えない」

「うるさい、ほっとけ」


 レイはギルクの素早い返しに笑みを零し、迷いがない視線を向けてくるジャニスに向き直った。


「その依頼引き受けよう。……が」


 レイの顔から一瞬にして笑みが消えた。


「俺のシャルの手を握った罪は重い」


 メキメキメキメキッ!


「あぁぁぁぁあ!」


 音を立てて握り潰されていくジャニスの左手。思わず悲鳴を上げて、ジャニスは崩れ落ちた。

 と、そこへすかさず二人を引き剥がそうと飛び込んだギルク。


「お……お前は何をやってるんだ! 兄上はな、俺のようななんちゃって王子とは違うんだぞ!」

「お前とうとう自分で言いやがったな……まぁけど、それが答えじゃないのか?」


 レイの問い掛けに、何のことだとギルクは首を傾げる。対してレイはそんなギルクの様子に小さくため息を吐くと、迫ってくる親衛隊をチラ見した。そして、左手でシャルステナの手を握り、右手の人差し指をクイクイと曲げて、二人に付いてくるようにジェスチャーすると、階段をゆっくりと上がり始める。


「ジャニス王子、依頼の条件を話そうか」


 レイは静かに呟いた。その左後ろには一歩遅れて、ニコニコしているシャルステナが続き、その後ろに背後に迫る親衛隊を気にするギルクとジャニス続いている。

 レイは階段を上りながら、一つ指を立てた。


「一つ、後で正式な依頼としてギルドを通すこと」


 続いて二本目の指を立てた。


「二つ、事態が動き始めたら、民衆の避難を最優先にすること」


 ジャニスは声を出さないように、条件が出される度に首を縦に振ってそれを了承したことを示した。

 2回目の了承を取った後、レイは三つ目の指を立てる。


「三つ、あんたが王になれ」

「「はっ……?」」


 レイが提示した三つ目の条件に、ギルクとジャニスは兄弟揃って、間抜けた顔を晒した。


「ジャニス王子、これが終わったら、ギルクの代わりにこの国の王になってくれ。それが、三つ目の条件だ」

「いや、それは待って欲しい。父上の遺言で、ギルクに王位が継承されることは決定しているんだ。今更私が……」

「兄上の言う通りだ。俺がこの国を父上から任されたのだ。その意味をお前は理解して、言っているのか? 俺が王になるのでは、不服なのか?」


 ギルクの瞳には、悲しみが宿っていた。父と兄に認められたのに、友には王になる事を認められない。怒りとかそんな感情が浮かぶよりも先に、それが何より悲しかった。

 レイはそんな珍しいギルクの消沈した様子を見て、心の中でため息を吐いた。


「誰もお前が王に相応しくないなんて言ってない。何だかんだお前はやる奴だ。きっといい王様になれるだろうさ」

「なら、何故俺ではなく、兄上を王に推す?」

「それはな、俺がお前の友達だからだ。お前が本当に王様になりないのなら、俺は止めやしないし、むしろ協力してやる。けどな、そこにお前の気持ちが入っていないのなら、俺は止めてやる」


 お節介と言われればそれまで。だが、レイの目には、今のギルクがとても不自由に見えた。まるでかつての自分の姿を映した鏡のように、自分の世界を枠で覆ってしまっているように思えてならなかった。

 簡単に言えば、レイはそれが気に入らなかったのだ。


 ギルクと再会してから、レイは一度もギルクの口から王になりたいと聞いていない。話をしてわかったのは、遺言で任されたからという人任せな理由付け。

 そんなものは自分の意思じゃない。他者に与えられた人を縛り付ける縄だ。


 レイはギルクを縛り付けるその縄を解いてやりたかった。ただそれだけ。しいて言えば、ジャニスが王の器として申し分ないと思ったからか。


 けれど、そんなレイの気持ちは中々伝わらない。


「俺の気持ちなど関係ない。兄上よりも自分が劣っているのも、わかっている。だが、父上は俺を王に選んだ。俺がこの国に必要だと、そう最後に遺して下さったのだ。だから、俺はそれに全力応えると決めたのだ。それを……それを何故、何故お前が邪魔をするっ⁉︎」


 ギルクの覚悟はすでに決まっていた。それを、ギルクにとっては不快な理由で邪魔しようとしているレイに怒りを覚える。

 勝手ながら、応援してくれると思っていた。手を貸してくれているのだと思っていたのだ。だからこそ、余計に荒ぶる心を抑えられなかった。


 そんなギルクの口から次に出たのは、レイに対する憧れだった。


「お前はいいよな……自分のやりたいように何でも出来る。俺のように必要もないのにこの国に縛られていた王子とは違う。そんなお前に、俺の気持ちなどわからない。何が気持ちが入っていないだ。俺の気持ちがお前にわかるわけがない!」


 お前にはわからない。わかるはずがない。

 俺が憧れたものを持っているお前には。


 そんな思いがギルクの言葉には込められていた。


 18番目。それこそが、ギルクを縛り付ける呪いそのものだ。


 沢山いる替え玉の中で、自分はその最底辺として生まれた。もはや存在する意味などない。

 兄や姉が、幾度と不幸に見舞われて、ようやく回ってくる役目。そんなものに期待を寄せるような甘い考えをギルクは持ち合わせていなかった。


 何故自分は生まれてきたのだろうか?

 何のために、この世に産み落とされたのだろうか?


 それは、自分の生を卑下しての疑問ではない。

 それは、中途半端に王子という枠組みに嵌められたギルクにとって、親への不信感とはまったく別のところから生まれてきた疑問だった。


 必要がないのに、王子として守られる。居なくてもいいのに、行動を制限される。


 どうして、なんだ?

 ギルクはずっと、それが気に入らなかった。


 だからこそ、羨ましかった。


 必要とされる兄が。

 自由に生きるレイが。


 眩しく見えた。


 先代の王、ギルクの父が死んだ時。

 突如として、ギルクは必要を迫られた。本当に突然の事だった。

 心構えも、準備も、覚悟も何もない自分に、その役目が回ってきたのだ。


 その時、兄であるジャニスはギルクに問うた。


『王になる覚悟はあるのかい?』と。


 ギルクはその言葉にはいと答えた。その瞬間、その一言で、ギルクは覚悟を決めたのだ。

 足りないものばかりの自分に、用意できるものはそれしかなかったから。


 それすらもレイは勘定に入れず、ただ己の考えでギルクの道を阻もうとしている。それが気に入らなかった。


 レイはそんなギルクの思い全てをわかっているわけじゃない。ただ、不満を覚えているのはわかった。

 けれど、レイは尚も自分の考えを口にする。それは、レイもギルクと同じで、気に入らなかったからだ。


「ああ、わかんねぇよ。知りたいとも思わない。けどな、お前には、責任とか、任されたとか、そんな縛りは似合わない。今のお前はすごい不自由に見える」


 レイは、感情を役目や責任で塗り潰そうとしているギルクの事が。

 ギルクは、覚悟を感情で否定しようとするレイの事が。

 気に入らないのだ。どちらも。


 だから、姿なき敵を探す親衛隊が、声を頼りに追って来ている状況で、二人は声を隠す事なく揉めているのだ。


「もう一度言う。お前にとやかく言われる筋合いはない」

「筋合いならあるさ。俺はこの国の生まれで、お前はこの国の王子だ。筋合いと言うなら、それで十分だ」

「だとしても、お前個人の王位に関する口出しを聞く筋合いはない」


 初めてかもしれない。

 小さな揉め事は幾度となく重ねてきた二人のどちらもが、これ以上なく真剣に揉めているのは。


「王様になるってのは、そんなに大切な事なのか?」

「当たり前だ。国のトップに立つという事が、どれほど大変な事だと思っている?」

「違う。そうじゃない。お前にとって、大切な事なのかって聞いてる」


 どちらも譲れない思いがあって、何とか相手にそれを理解して欲しいと、言葉を並べ続けた。


 そんな二人の様子を、シャルステナとジャニスの二人は黙って見守っていた。どちらも余りいい顔はしていない。

 シャルステナは、二人の仲が悪くなってしまうのではと心配し、ジャニスはギルクが何に苦しんでいたのか知り、どうしようもない事だとわかっていながらも、自責の念に駆られていた。


「……何度も同じ事を言わせるな。俺の気持ちは関係ないと言っている」

「関係ないわけあるかよ。じゃあ聞くが、お前は国のために俺やシャル、ゴルドやアンナを殺せるか?」


 レイは、皇帝の姿を思い出していた。己を殺しきり、国のためと割り切って、かつて兄と呼ばれ慕われていた女性を殺そうとしていた皇帝の姿を。

 それが正しいとは思わない。自分なら国よりも、弟を、その恋人を優先する。けれど、それはレイが国の頂点に立っていないから言えることで、実情はそう簡単な事ではないのかもしれない。


 結果として、皇帝は国を守るという責任のために、自身の大切な者を失った。だが、それから目を背けようとはしなかった。己の非を受け止め、それでも正しい事をしたのだと胸は晴れずとも歩みは止めなかった。


 自分とは違う信念を持ち、皇帝として生きる彼。正直言って、レイは皇帝が嫌いだが、その出会いがあったからこそわかる事がある。いや、信じたいと思う事がある。

 ギルクの覚悟は、俺たちを殺してでもというものではないと。


「そんな問いに答える必要はない。ありもしない話を持ち出してくるな」


 ありもしない話ではない。未来は誰にもわからないのだ。

 いつかそういう日は来るかもしれない。弟に魔王討伐を言い渡した皇帝のように。


「ああ、ありえないかもな。けど、感情を殺しきるなんて人間に出来るわけがない。たとえそれが本当になったとして、お前は後悔しないのか? お前の覚悟は友達を殺してでもと思えるぐらい固いのか?」

「…………いい加減にしろ」


 もしもこれで、ギルクが首を縦に振れば、レイは引き下がるつもりだった。結果、それでギルクと仲違いすることになったとしても、レイにも譲れぬものがある。

 だが、ギルクはイエスでもノーでもなく、腹の奥で何かを堪えるように、喉を震わした。


「俺が王様に相応しくないと言いたいのなら、そう言えばいい。足りないものだらけというのは自覚している。だかな、実力不足でも、不相応でも、無様でも、いつまでも予備の予備としてなんちゃって王子でいるくらなら、俺はこの国の王になってやる。誰に何と言われようとな」


 たとえお前でもと、ギルクは決意を変わらないと毅然とした態度で、そう口にした。だけど、レイの言葉は止まらない。まるでその決意がおかしいとでも言うように、笑みを零した。


「なんちゃって王子でもいいじゃねぇか。それの何がいけねぇんだよ」


 レイは嬉しかった。思わず笑ってしまうほどに。

 ギルクが皇帝とは違う覚悟を持っているのだとわかって。


「ボンクラでも、なんちゃってでも、それがお前だ。それの何がいけないんだ。 武闘大会と女が何よりも好きで、俺と一緒に馬鹿やってるボンクラ王子の方が、お前にはよっぽど似合ってる」


 似合っている。

 そんな言葉一つで、ギルクの覚悟が変わる事はない。

 けれど、自分と兄。


 王となり人を先導する姿が似合うのは、どちらだろうか?


 王族の中で誰よりも努力し、必要とされていた兄。

 一方で、何をするでもなく、ただ自分に許された範囲で人生を楽しんできた自分。


 ギルクが思い浮かべた二人の王のうち、自分に当たる王の姿はとても不釣り合いなもので、横に並び立つジャニスの姿はとても堂々として威厳があった。亡くなる前の父の姿も重なって、余計に自分が否定されているように感じられ、余計に自分を否定されているような気がする。


 自由に生きられるレイが羨ましい。

 王族として、自分の生まれた意味を持つ兄が羨ましい。

 初めて、この国に必要とされた自分が嬉しかった。


 それだけだ。自分が王になろうとしている理由は。

 生まれた意味が出来て、それが自分の生き方だと定めてしまった。


 兄とは違う。レイとも違う。


 結局……俺の生まれた意味など、何もないのか。


 だが、それでいいと、目の前の友は言う。それが自分だと、フラフラしている自分でいいと言ってくれる。


 本当にそんな自分でいいのか?

 そう思う気持ちも確かにあった。けれど、何となくレイの言わんとしている事が、ギルクの心に伝わる。

 自分をこの国に縛り付けていたのは、自分だと。


「……確かに……なんちゃって王子の方が、俺には似合っているかもしれない」

「だろ? だから、王様の地位なんか兄にくれてやれ。元々、お前はそんなものを目指してなかっただろ? それはきっと、お前がやりたい事とは違うんだよ」


 それがわからなかったから、こうして道を迷っているのにと、頭の中ではそう声が生まれたが、ギルクの表情は明るい。

 どうしてか、今なら自分の歩く道が見つかりそうな気がした。


 レイはそんなギルクの様子を見て、どこか安堵したように笑う。シャルステナも、心配が杞憂に終わり、ホッと胸を撫で下ろす。

 ジャニス王子だけは、どうしたものかと頭を悩ませていたが……


 そんな彼らの足は、長い階段を上りきり、王座のある謁見の間へと続く入り口の前の少し開けた踊り場にあった。


「だからさ……」


 ギルクに何かを言おうとしたレイは、不意に何かに気が付いたように目を逸らし、すぐに膝を地面に付けた。

 ギルクとの会話の途中、いきなりにしゃがみ込んだレイを、3人がやや首を傾げて見ていると、レイはシャルステナの手を引いて自分の前に動かした。そして、手を離すと彼女の目の前で片膝立ちで言った。


「俺と婚約して下さい」

「……はい、もちろん」


 一瞬、惚けたシャルステナ。だけど、すぐに嬉しそうに頬を赤らめると、満面の笑みでレイが取り出した指輪に手を差し出した。

 と、そこへ堪らずツッコミを入れたのは、放置されたギルクだ。


「今お前、だからって言ったよな⁉︎ そこから、この流れはおかしいだろうがっ! まさかお前、追ってくる相手から逃げるためではなく、この為に階段を上ったとか吐かす気ではないだろうな⁉︎」

「よくわかったな。その通りだ」


 レイは清々しい顔で憤るギルクへと、もちろんだぜと親指を突き出し、キランと白い歯を煌めかせた。


「このど阿呆がぁッ! シャルステナもシャルステナで、何を普通に受け入れているんだ!」

「だって、嬉しかったんだもん」


 だもんと少し顔を赤くしながら、満面の笑みでそう口にしたシャルステナに反省の色は皆無だ。


「このアホカップルがぁっ!」


 ギルクの魂の叫びは、王城の階段を音速で駆け下り、街へと広がる。

 と、その声を耳にした親衛隊の顔が一斉に上へと向けられる。


「あ〜あ、気付かれた」

「もう、ギルクが大きな声出すから」

「俺か? 俺が悪いのか? いや、お前達二人だよな?」


 二人から同時に、何してるんだよと視線を投げ掛けれたギルクは、自分に確認を取るように呟いて、やっぱり自分のせいじゃないという結論に至ったようだ。


「レイ、どうするの? 戦うの?」

「いや、その前に彼らとは私が話そう。それからでも戦うのは遅くはないはずだ」

「まぁ、それは勝手にやってくれ。それと……」


 レイへと向けたシャルステナの問い掛けに答えたジャニスに、自分は関与しない事を口にして、レイはギルクへと顔を向け先程の続きを言葉にした。


「もう一回、よく考えてみろよ。それで、出した結論なら俺は何も言わない。王になっちまえ。けど、違うのなら、新しい道を探す手伝いぐらいしてやるぜ?」

「ふっ、人の道に勝手に割り込んで来たんだ。それは、当然だ」

「素直に感謝しとけよ、バカ王子」


 憎まれ愚痴を叩き合いながらも二人は楽しそうに、だが距離を詰めてきた親衛隊に、顔を引き締める。


「レイ君、まずは私だけを外に……」

「いや、あんたじゃ役不足だ。それに、これはもう──俺の仕事だ」


 レイはジャニスを止め言い切ると、代わりに自ら歪みの外へと出た。


「やはり君か、レイ君!」


 すぐにレイの存在に気付いた面々は、壇上にいるレイをきつく睨みつける。そして、気骨溢れる者からジャニス王子を救わんと突撃しようとして、ゲルクの焦燥が入り混じった声が飛ぶ。


「待てッ!」


 その声に足を止め、振り向いたゲルクの部下達。その彼らの横っ面を煽るように、熱風が吹き抜けた。


「来い、炎風剣」


 魔法による剣の創造。

 その余波が、段差に焦げ跡を残し、頬を焼く。


「挨拶代わりだ。行け、鳳凰」


 無造作に振るった豪々と燃ゆる紅き刃。空中に残る剣の軌跡から、まるで這い出るように飛び出した火の鳥『鳳凰』。


「ま、待てっ! まだ、彼らには……!」


 歪みの中から、ジャニスの制止の声が飛ぶが、レイは構わず鳳凰の荒ぶる体をはばたかせ、瞬く間に親衛隊との距離を詰めた。


「伏せろぉーーッ!」


 一斉に階段へとへばり付き、回避を試みた親衛隊のすぐ上を、ヒューと音が付きそうなほど緩やかに、けれども高速で飛び越えた鳳凰は、初めから彼らに興味がなかったとでも言うように、さらに下へと降下する。

 その先に待つのは、民主の姿。

 それを見て、思わずレイに待ったを掛けようとしたシャルステナの目に飛び込んできたのは、ジワリと汗を滲ませ余裕のない顔で鳳凰の飛ぶ先を見つめるレイだった。


「レイ……?」


 言葉とは裏腹に余裕がなさそうなレイの表情に、シャルステも感化された。レイとの再会で吹き飛んでいた正体不明の黒幕に対する畏れと、不安が蘇る。

 シャルステナは、油断の欠片も抱いていないレイの視線の先へと目を向けた。


 それは、鳳凰がまさに飛びつかんと口を開けた先──民衆のいる大通りより建物一つ分上がった白い石段の上に、真逆の黒いローブを頭から被った男へと注がれていた。

 シャルステナがその男の姿を目に出来たのは、ほんの一瞬。だけど、鳳凰の火に飲み込まれる瞬間、男の口が半三日月に開いたのを、目にしていた。


 激火が弾ける。

 標的を覆い尽くすだけでは飽き足らず、熱を飛び込めさらに温度を高める炉のように、標的を飲み込んだ鳳凰は収縮した。

 しかし、それが3メートルほどの直径にまで縮まった時、突如として中からの圧力に耐え兼ねた卵の殻のように木っ端微塵に火球は弾け飛ぶ。


「熱烈な歓迎、感謝いたしますよ」


 ローブの裾さえ燃やす事なく、中から出てきた男は、やけに通る高い声で言った。

 その声にやはりと緊張を高めたのは、レイだ。その声を何度と耳にし、その度に恐怖を覚えずにはいられなかった相手だけに、脂汗が流れる。


「そりゃどうも。気に入ってくれたなら何よりだ──魔王様」


 レイの声はいつもより数段低かった。

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