迷子の騎士録4
──新たな勇者よ
白濁の意識の中で声だけが聞こえる。
──君に力を授けよう
声は一方的に話し掛けてくる。
──闇を切り開く剣を君に
誰の声かはわからない。
──願わくば、その力で、人々を守って欲しい
ついでに、何が起きているのかもわからない。
──世界に平和が訪れるその時まで
夢を見ている。
そう思った。
〜〜〜〜
ふと、浮き上がった意識に光が飛び込んできた。眩いばかりの明かりに誘われるように、瞼を開ける。
一瞬、視界が白に覆われ、眩しさに目を閉じかけると、目が光に慣れていき、色が付き始める。ディクルドは閉じかけた目を再度開いた。
まず初めにその虚ろな目に飛び込んだのは、天井の木目だ。空を流れる細い雲のように、それは視界の端から端まで木目が走っている。
「ここは……」
判然としてきた頭。その頭の中で、最後の記憶として思い起こされるのは、黒い化け物と神々しくも光る白銀の剣であった。
確か僕は……
「気が付いたのね、ディクルドくん! よかったッ……ほんとによかったよ」
ふと側で聞こえてきた涙声。懐かしくも、震える声にディクルドは記憶を思い出すのを止めて、首を傾けた。
「アリス……?」
懐かしい髪色と、涙に濡れた瞳。手の甲でその涙を拭い取る仕草と、喜びに満ち溢れた表情が、どこか華やかな美しさを纏っている。
見紛う事なきその姿は、かつての副官。幼い頃から共に剣を取って、厳しい訓練を超えてきた存在。
そんな彼女が、未開発地区にいたディクルドの前に、何故いるのか。彼はそれをそのまま口に出した。
「どうして君が……」
瞬間、ピクリとアリスの顔が強張った。そして、みるみるうちにその端正な顔が、怒りに満ちていく。
「どうして? 今、どうしてって言った?」
涙を拭い切り、ふと顔を上げたアリスの顔はゾッとするぐらいニッコリとしていた。事実、ディクルドはその笑みを見て、言い知れぬ悪寒を感じ取り、ビクッと体を震わした。
そんな怯えを見せるディクルドに、さも優しげに彼の顔に手を伸ばしたアリスは。
「き・み・が、迷子になったからでしょうがぁぁぁぁ‼︎」
「あいたたたた!」
ほっぺを掴み上げ、激昂した。
「やっと情報を手に入れて、ようやく見つけたと思ったら、ボロボロで、虫の息!私がどれだけ心配したと思ってるのっ! それを、あろう事か、どうしてッ⁉︎ 舐めてるの⁉︎ 舐めてるのよね⁉︎ 私の気持ちなんか、知ったことじゃありませんって事よね⁉︎」
「ご、ごめんなぁさぁあいッ!」
ムニムニではなく、ブチブチと音がしそうなほどに真上へ引っ張りあげられたほっぺた。それをされるがままに涙目で受け入れるディクルドの抵抗する気力は、幼き頃にすでに叩き折られている。
「その辺にしておいてやれ……アリス」
呆れを含んだ声が背後から飛んでくる。見れば腕組みして、やれやれと首を振る金髪の騎士が立っていた。
「えっ、あっ、キャ、キャランベルさん」
尊敬する先輩騎士に取り乱したところを見せたアリスは少し恥ずかし気に、パッと手を離した。
すると重量に従ってズドンと柔らかなベットの上にお尻を落としたディクルド。真っ赤に腫れ上がった頰と、それを手で押さえながら涙を浮かべる姿は、まるで虫歯の如何ともし難い痛みに耐えるようで痛々しい。
「さて、馬鹿弟子。目覚めて早速だが、騎士団長より指令が出ている」
「ふ、ふぁい」
「ちょ、ちょっと待って下さい、キャランベルさん! それは余りにも横暴です! ディクルドくんは、この通り弱っているんです」
「…………そう、だな」
伸びきったホッペのせいで、上手く返事を口に出来なかったディクルドを、庇い立てるようにアリスが割って入ったが……弱って見えるのは、アリスに怯えているからだろう。しかし、長い間を要しつつも、キャランベルは心なく頷き返した。
「……しかし、この任務はディクルド。お前が最も適任だ。それに、病み上がりで何であれ、お前は騎士団の一員。その責務を果たせ」
「はい、師匠!」
一見厳しいように聞こえるキャランベルの言葉。しかし、そこには2年の空白を挟もうとも崩れぬ師弟の信頼があり、ディクルドもまた騎士の1人として、その役目を果たせと言われるまでもなく、その心意気であった。
しかし一方で、先日初めて死に掛けているディクルドを目にしたアリスの心情は複雑だ。
キャランベルの言っている事も、もちろんわかる。未開発地区の状況は未だに予断を許さない。ディクルドの力は、大きな助けとなるだろう。
しかし、だからと言って、心身共にズタボロであろうディクルドを、起きて即任務に駆り出すのは、酷な話だと思った。
ただ、少し神経が過敏になり過ぎている感は否めない。
「私は……反対です。今はまだ安静にする時期だと思います」
「それは、わかっている。何も魔物と戦えと言っているわけではない。病み上がりでも出来る簡単な人探しをしろと言っているんだ」
「人探し……ですか? そんな事わざわざディクルド君に任せる必要は──」
「探し人は、ディクルドの幼馴染だ」
何かにつけて休養を取らせようとするアリスを黙らせるかのように、キャランベルは言葉を被せた。すると、それにすぐ様反応したディクルドは、期待と不安が入り混じった瞳で、キャランベルを見詰めた。
「レイが何かしたんですか? 僕らが動かなければならないような事を」
「した事はしたが、お前が心配するような事は何もない。騎士団長が彼を探すように仰せられたのは、今回の一件を解決するにあたり、彼の力が必要との結論に至ったからだ」
「今回の一件……? 何か起きてるんですか?」
二年間世情を離れ、人のいない未開発地区にいたディクルドにはあずかり知らぬことであった。まさか、自分がいた場所が、危険地帯とされ王国騎士団が目を光らせている緊張状態にあるなど、夢にも思っていなかった。
そのため、話が飲み込めていないディクルドに、アリスが行方不明になっている間に起きた出来事を、簡単に説明した。
「……なるほど、そんな大事件になっていたんですね。確かに、未開発地区の魔物の数も強さも、他とは比べものにならなかったですが……だからこその未開発地区だとばかり考えていました」
「……さてな。それよりも、あの場所で生きていたお前は何か心当たりはないか? こんな事態を招いた原因に」
原因と聞かれ思い起こすこの2年の苦しい日々。その中で、キャランベルの求める答えとなるものは、そもそもの始まり。
巨人の長を殺した時の事であった。
「……呪い…………」
呆然と言葉を紡ぎ出したディクルド。キャランベルとアリスの顔付きが変わる。
「呪いとはなんだ?」
「わかりません。ただ、巨人の魔獣の長が、その呪いが魔獣の理性を奪いとったと言っていました」
「魔獣の理性を奪いとる呪い……? ということは、今この地域を脅かしているのは……」
「理性を失った魔獣、ということだな。なるほど、道理で新種が多いわけだ」
直接対峙してはいないアリスは、ディクルドの言葉から推測を重ね、魔獣の魔物化を口にしたが、キャランベルは別の視点で魔物化について考えていた。
何度と対峙した目にした事のない新種の魔物。そして、自ら作り上げたとしか思えない、石や木で出来た武器。
知性の欠片もない剥き出しの欲望を発露する魔物の軍勢のどこにその知性があるのかと、深く疑問に思っていたキャランベルは、合点がいったと、キャランベルは深く頷いた。
「その呪いに関して他に知っている事はあるか?」
「いえ、何も。けど、おかしな物には出会いました。不気味な気配を放つ結晶と、光る剣。そして、人の形をした黒い影です」
思い起こすのは、始まりと終わりだけ。呪いに始まり、次々と不思議と称する他ない終わりがあった。
「影……? お前を発見した時、恐らくだがお前の言っている剣と結晶については私達も目にした。確かに、結晶は不気味な気配放ち、剣は地面から抜けもしない不思議な物だった。だが、黒い人の影など、見ていない」
「そう……ですか。けど、影は確実にあの場にいました。だって、僕はその影に殺されかけましたから。それで、たまたま吹き飛ばされた部屋にあった光る剣に触った瞬間、目の前が真っ白になって、その中に黒い影が溶けていくのが見えて……気が付いたらここでした」
ディクルドの中であの影こそが、呪いの根源ではないのかという考えが浮かぶが、それを確かめる術もなければ、あの影がどうなったのかも定かではない。
一方で、影を直接見たわけではないキャランベルとアリスは、ディクルドを救出する際に目にした寒気を覚える気配を放つ結晶が頭から離れない。
虫の息であったディクルドを優先したため、詳細はわからないが、ディクルドの言う影よりも、実際に目にした結晶の方が呪いの原因と考えてしまうのは無理もない。
ただ、どちらにも言えることは、推測の域を出ず、また明確な解決法がわからないという事だった。
今、もっとも現実的な解決法は、この状況に似た王都進行をいち早く知らせ、その原因を排除したとされるレイに協力を求める事。
レイならば、何か知っている……いや、この事態を解決に導く答えを持っているかもしれない。
しかし、人員を割いて捜索する価値のある、かもしれないだ。
「師匠、僕はレイを探しに行きます」
「ああ、行ってこい。アリス、こいつだけでは、新たな問題が起きる。お前も付いて行け」
「はい! 了解しました!」
迷子のお守りを任されたアリスは、もう目を離さないと強く誓い、胸に手を当て敬礼した。
「それと、追加事項だが、お前の父に応援要請が出ている。それを伝えた後に、捜索に迎え」
「父さんにですか?」
「ああ、事態はそこまで切迫しているんだ。先日、SSS級と思しき魔物が発見された」
「SSS級っ……」
時に国一つを滅ぼす事さえあり得るSSS級。
過去を遡れど、SSS級と称される魔物の発見例など、100に届きはしない。
傾国級、人外級などと色々な呼び名はあれど、一度SSS級が人前に現れれば、国を超えて協力するのが当たり前と言われるほどに、恐れられている脅威だ。タチが悪いのは、同等の力を持つ竜のような魔獣と違い、対話による解決が望めず、魔物である以上討取る以外に道はない。
「現状、SSS級の魔物と交戦した第6騎士団はほぼ壊滅状態。第6騎士長も深手を負い、復帰にはまだ時間がかかる。それに、1から7の騎士長全員と、騎士団長を加えたとして、討伐できる保証はない」
「だから、父さんを……」
かつて、ディクルドが生まれるよりも前に、団員を率い、SSS級と言われる火竜の攻撃から王都を守り抜き、大きく勝利に貢献したとされる青の騎士団の団長。
その力が、今再び渇望されようとしていた。
「それと、この件に関しては混乱を避けるため、一切の口外を禁じる。早急に、シエラ村に迎え」
「わかりました、師匠。アリス、すぐに出るよ」
「うん、準備は私に任せて」
雑務は自分が、の副騎士長だった頃の癖が発露したアリスは、小走りで、馬や食糧の確保に向かう。
そして、その間に包帯を引きちぎり、装備を整えたディクルドは、ある事に気が付いた。
「剣が……」
そう、これまでディクルドと共に戦ってきた愛剣が、新調された鎧と比べ、見るも無残な姿になっていたのだ。
「剣なら、支給されている物を使えばいい。今は、贅沢を言っている時ではないだろう」
「……はい」
ディクルドは、新しい剣を腰に着けると、長く共に戦ってきた剣に別れを告げる。
「ありがとう。君のお陰で生き残れた」
ディクルドはそう感謝の心を込めて、半分しかないガタガタの刀身を、鞘に収めた。
「ディクルド君、準備出来たわ」
「うん、わかった。それでは、師匠。行ってきます」
「ああ」
そうして、ディクルドは幼い頃を過ごした地へ。
簡単な人探しでは済まない災厄へ。
奇しくも巻き込まれるのであった。
これより2週間後──
──ライクベルク王国の首都、王都イグノアは、壊滅した。