144.友
「違う、グール! 今のは左足で蹴り飛ばせば、良かったんだ。もっと柔軟に頭を動かせ。何も剣だけ攻撃手段じゃない」
「はい!」
遺跡探検から10日後。俺は日常に戻っていた。
「如月は、顔を前に出し過ぎだ。それじゃあ、そこを狙ってくれと、誘ってるようなもんだ。そんな駆け引きは、如月にはまだ早い。気合いがあるのはいいが、体に反映したら元も子もないぞ」
「はい!」
俺の日常というのは、鍛錬だ。俺がこの世界に来てから過ごした日々の大半は鍛錬だ。もはや鍛錬のアスリートと名乗ってもいいと思う。鍛レリストと呼んでくれ。
しかし、今やっているのは、俺の鍛錬ではない。グールと如月、それから春樹の鍛錬だ。
「春樹は……特に言う事ないな」
「おいおい、俺の参加する意味よ。もう免許皆伝?」
春樹とは、魔人事件が解決してからよく一緒に過ごしている。普通に買い物に行ったり、部屋でだべったりと、普通の友人関係を築いていた。
その繋がりで時折、こうして鍛錬に参加するようになったのだが、春樹は基礎が既に出来ている。そこまでくれば後は人それぞれに戦い方というものがあり、俺色に改変する事は必ずしも好ましいとは言えないのだ。
「俺の免許皆伝が欲しけりゃ、一本……いや、一発入れるこったな」
「まじか。寝込み襲うわ」
「俺の部屋には相棒が寝てる事を忘れんなよ? あいつ寝ぼけてたまにブレス吐こうとするからな。気を付けろよ」
「それ大丈夫なのかよ⁉︎」
大丈夫なわけがない。俺が偶々浅い眠りの時に魔力の高鳴りを感じたから良かったものの、この街に来て2回俺たちのいる宿屋は崩壊仕掛けた。
まぁ、あいつのブレスは発射前に体が燃えたりするからわかりやすいんだが、隣に寝ている俺にとっては、ほとんど寝起きドッキリだ。
「まぁ、後は実践あるのみじゃないか?」
「ってもよ、街の外まで行くのは面倒だしな。そこまでのやる気は、今はねぇな」
「なら、この後俺が相手してやるよ」
「いやいや、ボコボコにされるのがわかってて誰がやるか」
そんな風に軽口を交わしながら、最近上達してきてグールと何度も剣を合わせる事が出来るようになった如月の動きを見ていた。
「なんか腰引けてね?」
「さっき一発入ったからな。それからはいつもあんなもんだ」
「ふーん」
前世での如月についての記憶は、クラスメイトと言う事と春樹の幼馴染である事、それから気が強そうな女という印象だけだった。だから、俺は彼女の事を気位の高い騎士ぐらいに思っていたのだが、最近そうでないのがわかり始めた。
如月は……ビビりだ。典型的に戦いに向いてない。だが、何故か根性はある。痛い目にあっても頑張ろうとする気概は感じるし、相手に向かっていこうとする勇気もある。
だが、ビビりだ。致命的にビビりだ。無意識のうちに腰が引けている時が多々ある。
「はい、終了!」
地面に腰をつき、くっと悔しげな顔を上げた如月の首には、グールの剣が当てられていた。完璧な一本勝ちだ。
「今日は、ここまでな。二人ともシャワーでも浴びて体休めとけよ」
「ええ。……っつ」
返事をした如月が起き上がろうとした時、顔が強張った。片目を細めているところを見ると、何処か怪我をしたのかもしれない。
俺はパッとポーションを取り出すと、如月に投げ渡した。
「ほれ、飲むかかけるか好きにしろよ」
「あ、ありがとう。その……助かるわ」
如月は俺の顔を真っ直ぐみようとはせず、戸惑いがちに礼を口にする。
如月はパシッとポーションを受け取ると、足首にそれを振りかけた。後は勝手に治るだろう。
「グールは怪我してないか?」
「大丈夫。それと、僕は今から皇帝と剣の稽古だから、もう行くね?」
「そうか。まぁ、程々にな」
「うん!」
グールは活き活きとした顔で、手を振りながらどこかに走り去っていく。
頑張ってんなぁ。けど、そろそろどういうつもりか聞き出さないとな。
「じゃあ、春樹行くか」
「おう」
顔を見合わせ頷き合うと、痛みが引くまで座ってると言う如月が、微笑を浮かべながらボソリと呟いた。
「……本当に仲良くなったわね、あなた達」
「まぁ、死線を潜り抜けた戦友だからな」
「死に掛けてたのは、半分以上お前だろ。俺は一度しかない」
軽く春樹に突っ込みを入れつつ、じゃあなと如月に手を振って俺たち二人はその場から立ち去った。如月はそれに遠慮がちに手を振り返して、俺と春樹をどこか遠い場所を映すような瞳で見詰めていた。
「今日も、お宝探しか?」
「ったりまえだ。因みにお宝じゃないから。危険物だから」
「めんどくせぇ〜、どっちでも一緒じゃねぇか。てか、俺はお宝だった方がやる気が出るね」
春樹は嫌そうに顔を歪めるが、毎日毎日俺の危険物探しに付き合ってくれている。ちなみにだが、危険物とは、ノルド指揮官から回収を言い渡された邪神の結晶の事だ。
しかし、邪神の結晶があったと言う屋敷の地下は既に崩壊しており、厄介な事に地下水で水没していた。そのせいで、中々目的のブツが見つからない有様なのだ。だが、昨日ようやく地下水脈と繋がる穴を発見し、土魔法で埋める事に成功した。水も大方収納空間で回収し終えた。
後は地道に瓦礫を掘り起こすだけだ。
と、屋敷跡を目指し街中を歩いていると……
「むっ、旦那か」
ルクセリアの姿を見つけ、ポンと肩を叩いた。
「よっ、ルクセリア。家族でお出掛けか?」
ルクセリアの手は、彼の一人娘であるルアの手に繋がれ、反対の手は彼の奥さんであるキャロットさんへと繋がれていた。文字通り両手に花だな。
ルクセリアは花から手を離すと、俺に向き直った。
「そうだ。この所忙しくしていたからな。ゆっくり出来るうちにと、思ったのだ。旦那達は何を?」
「こないだの後始末みたいな事だよ」
「ふむ、ならば私も手伝おう」
「いやいや、そっちのお父さん大好きっ子が凄い目で睨んでるからいいよ」
お出かけの邪魔をされ、俺の事を射殺さんとばかりに睨むルア。彼女は、フンと鼻息を立てると、顎を上げて偉そうに言った。
「これだから下民共は邪魔なのじゃ!」
まだ彼女の中では、貴族として過ごした日々が抜けきっていないようだ。というより、まったく改善されていない。この子の将来が実に心配だ。友達いなくなっちゃうよ? 一時期の俺みたいに。
そんな事を考えていると、ルクセリアがお父さんの顔で、声を荒げた。
「ルア!」
もう何度も見た光景だが、この子は学習能力がドラゴン型ガーディアンより低いらしい。何故怒られているのか、わかっていない様子だ。
だが、それはルクセリアのせいもあるかもしれない。ルクセリアは怒る時手を上げたりする事はないが、逆に何故叱ったのか教えてあげないのだ。ただ声を荒げるだけ。それでは、子供は何故叱られているかわからないだろう。
彼もまだ父親になって久しいから、どう叱っていいのかわからないのかもしれない。
「まぁまぁ、あなた。そう、往来で大声を出すものではありませんよ」
「むっ、そうだな」
さらに言えば、キャロットさんが甘々なのも原因かもしれない。
口を出す事じゃないかもしれないが、一度客観的に見た意見を言ってあげるのも、いいかもしれない。このままだと余りいい未来には辿り着きそうにない。
まぁ、家族水入らずの時に、それを言う気にはなれないけど。
「じゃあな、ルクセリア。俺達行くな」
「すまぬな。また、何かあれば言ってくれ、旦那」
ヒラヒラと手を振りながら、去ろうとして、俺はふと気が付いた。
──春樹は?
と、目を周囲に走らせれば、うさ耳少女にベラベラ話している最中の春樹の姿があった。
「なぁ、そこのかわい子ちゃん。一緒にお宝探ししてみないか?」
「あ、いえ、私は……」
「それになんと今なら、お得な今晩の夕食付きコースにご案内。これはもう付いて来るしかないのボゲェーーッ!」
「どうもお騒がせしました」
「い、いえ……」
ジャーマンスープレックスを決められ、ビクビクと痙攣中の春樹を見て、うさ耳少女は苦笑いだった。
〜〜〜〜
「信じらんねぇ……人が善意でお宝探しの人数増やそうとしてたってのに、そのお返しがジャーマンスープレックスなんて聞いた事ねぇぞ」
ブツブツと文句を言う春樹が、瓦礫をドッコイセェ!
「俺も性欲を善意と言い換えるのは初めて聞いたな」
そんな善意があるんだなと俺も瓦礫をドッコイセェ!
「いやいや、結婚なんて正にそうだろ。男は性欲が5割占めてるだろ。それを悪意と言ったら……色々ヤベェじゃん?」
アホな事を言いながら春樹は瓦礫をドッコイセェ!
「何で最後がそんな曖昧な感じなんだよ。別に、世の中、善意と悪意だけで成り立ってるわけじゃないだろ」
正論を口にして俺は瓦礫をドッコイセェ!
「例えばの話だよ。仮定の話だよ。世の中、善意と悪意しかないなら、性欲はどっちだっていう」
そんな仮定に何の意味が? と突っ込みたくなる事を言いながら春樹は瓦礫をドッコイセェ!
「そりゃ、どっちもだろ。結婚が善意なら、お前のは悪意だ」
しかし、優しい俺は春樹の世迷言に付き合ってあげながら、瓦礫をドッコイセェ!っと……
「あった!」
「マジか⁉︎」
慌てて、持ち上げていた瓦礫をポイっと捨てて、駆け寄ってきた春樹に、俺は瓦礫の間に挟まっていた水晶のような結晶を手に取り見せた。
「これが、邪神とかいう奴の魂の欠片なのか?」
「ああ、間違いない」
「へぇ〜、にしては、綺麗なもんだな」
春樹の言う通り、前に手に入れた結晶と違い、嫌な感じがまったくしない。触っても体に異変が起きる事もない。
何より、キラキラと光を乱反射させながら煌めく結晶は、美しかった。とても邪神の魂の欠片だとは思えない。
だけど、これは普通の水晶ではない。何か不思議な力がある。一番近いのは威圧感だろうか。だけど、殺気とかそんなのが混ざっていない存在感という種類のものだ。
「とりあえず、回収は出来たな」
「これで、お宝探しも終わりだな」
「助かった、春樹。ありがとう」
「よせよ、水臭い。俺とお前の仲だろ?」
こいつは本当にいい奴だ。ちょっと馬鹿だけど。
けど、いい奴なのは本当だ。俺が頼まずとも手伝ってくれたし、文句を言いながらもやめるとは一度も言わなかった。
「じゃあ、街に戻るか」
そう言って、俺は固定空間を作り出そうとした。春樹もやり方は教えたから、付いてくるだろうと、先に飛び上がろうと膝を曲げた時。
「まぁ待てよ、ヒナタ。そう急がなくてもいいだろ?」
「ん? まぁ、それはそうだけど……何もないぞ、ここは」
「少し話しようぜ?」
春樹の眼は真剣だった。こんな場所で、いったい俺と何の話をしようかと言うのか。
珍しく真面目な顔をする春樹に、俺は近くの瓦礫に腰をかけた。
「……それで?」
「ん、ああ。えっとだな、お前結衣の事どう思ってる?」
春樹が出した話題は如月の事だった。
てっきりまた日向嶺自なんだろと問い詰められるのかと思っていた俺は、少し気抜けして、空を仰ぎながら答えた。
「如月か? そうだな、剣は向いてないから、違う武器の練習させようと思ってるけど……」
「ふーん、まぁ、それはいいわ。俺は結衣の気持ちに気が付いてるのかって事が聞きたいんだ」
こんな地の底で、恋愛話か。物好きな奴だ。
「さぁ、どうかな」
「はぐらかすなよ」
強い口調で、真っ直ぐに俺を見詰める春樹。俺は、その視線から目を逸らし、不貞腐れたように答えた。
「別に……はぐらかしてるのは、俺じゃないだろ。如月自身さ。俺には、迷ってるように見える。……いや、今のは違うな。……自分自身でも戸惑ってるような……そんな感じがする」
時々感じるあの視線。あれは、人と人を重ねる視線だ。かつて、シャルステナが俺に向けていたものと同種のもの。
違うとすれば、元々、それは俺自身であるのだから、当然と言えば当然。そこに恋愛感情があるのかはさておき、如月は死んだ俺と、今の俺を重ね合わせることに罪悪感を感じて、戸惑いを覚えているように俺には写っていた。
「ふーん、案外あいつの事見てるんだな」
「まぁ、一応は俺の弟子だからな。けど、ハッキリ言っとくが、俺の気持ちは別のところにあるからな」
誤解を招くような事を言っても後が面倒だ。こういうのはハッキリさせておいたほうがいい。
「いやいや、別にそんな事を言おうとしたんじゃねぇよ。今ので聞きたい事は聞けたさ」
春樹は大袈裟に手を横に振りながら、笑っていた。そして、さながらサスペンスのワンシーンのように。
「──お前は日向嶺自だ」
俺を指差した。
確固たる確信を得ているからそこの、揺るぎのない視線。あるいは証拠でも掴んでいるのか、顔に張り付く絶対の自信。
春樹の顔には確信があった。もう誤魔化しは通らないとばかりに。
「……だいぶ前にそれは違うって言ったと思うが?」
「おいおい、今更はぐらかすなって。ネタはもう上がってんだ。探偵ものでいうなら、『犯人はあなたです』ってビシッて指差されて指名されてるんだよ」
ネタは上がっているか。
そんなミスはしていないはずだがな。いったい何をミスったと言うのだろう?
「……へぇ、じゃあその根拠は?」
自分のミスが何だったのか訊いた俺に返ってきたのは、予想外の単語だった。
「──アークティア」
春樹が根拠として挙げたのは、この街の名前だった。
俺は思わず素で聞き返していた。
「……はぁ?」
「アークティアだ、嶺自。この街の存在が、お前が日向嶺自だって事の何よりの証拠だ」
「……意味わかんねぇよ」
何故町の名前が、俺が日向嶺自である事を特定する事になるのか、本当に意味不明で、俺は頭を悩ませた。
そんな俺に春樹は、より確信を強め、微笑を浮かべる。
「お前、昔言っただろ? 『僕は村を追い出されて、アークティアっていう街にいるんだ』って」
「…………」
……記憶にはない。そんな言葉を漏らした記憶なんてない。だけど、それは当たり前の事で、俺はそれを奪われているんだから。
昔の俺は夢の中の出来事を春樹に話していたのか。
そう、初めて知るような気持ちで受け入れるしかなかった。
だけど、所詮は状況証拠。しかも、幼い頃の記憶だ。思い違いだと言い張る事は出来る。
「……お前の思い違いだろ」
「かもな。けど、もう一人のお前がこの街に着いた時、叫んでた名前も聞いた覚えがあるんだよな。これでも、俺の思い違いか?」
……セルナの事か。
何があってそんな叫びを上げたのかは知らないが、状況は良くない。春樹は完全に俺が日向嶺自である事を確信している。
「他にもまだあるぜ。お前初めから、俺の事は下で呼び捨てだったくせに、結衣の事は上の名前で呼んでただろ。これって、昔の癖が出たってことじゃないのか? それに、今思えば初めて会った時のお前は不自然な程に冷た過ぎた。まるで、下手を打たないように自分を押し殺しているみたいにな」
自分でも気が付いていなかった小さなミス。言われてみれば、確かにおかしい。それはつまり、上手く誤魔化せた気でいた俺の油断が少なからずあったという事だろう。春樹は、初めからずっと俺を日向嶺自だと疑い続けていたのに。
「目が曇っているわけでもないお前なら、あの時既に結衣が精神的に追い詰められている事に気が付いてたはずだ。それなのに、敢えて、冷たく返したのは、バレるわけにはいかなかったからじゃないのか?」
「…………」
俺は内心まで暴かれて、答える事が出来なかった。本当に徐々に追い詰められて、言葉がなくなっていく犯人のように、言い訳が簡単には思い付かなくなっていった。
春樹は一歩俺に近づくと、腰を落として、俺の目と鼻の先で、言った。
「もういいだろ、嶺自。だんまりは止めにしようぜ。別に他の誰かに言いふらしたりする気はないんだ。俺はただ……本当の事が知りたいだけなんだよ。お前は──日向嶺自なんだろう……?」
まるで俺の気持ちまでお見通しだとでも言うように、頷いてくれと懇願する春樹。その目には少しだけ光り物があった。
「……ああ、そうだ。俺が……日向嶺自だ」
俺は負けを認めた。一杯食わされたような気分だ。
これ以上何を言い訳しようと、春樹の確信は揺るがないだろう。
俺もいい加減、前世と向き合う覚悟を決めなければならない時なのかもしれない。
「やっと認めたか、この野郎っ」
春樹は感情が高ぶり、そのはけ口として抱き付いてくるのかと思いきや、いきなり俺の腹を殴てきた。実に嬉しそうに笑いながら。
「ぐっ……いきなり何すんだよ?」
「親友に嘘を吐くような根性叩き直してやろうと思ったんだよ! 悪いか、この馬鹿嶺自!」
鳩尾にクリーンヒットしたパンチの痛みを感じながら、そう泣きながら叫ぶ春樹にやり返す気も起きず。
「……免許皆伝だな」
「うっせぇっ!」
ただ、崩れ落ちて顔を拭う春樹を、嫌じゃない痛みを感じながら、そっと見ていていた。
「この大馬鹿野郎がっ」
〜〜〜〜
空が陰りを見せ、夕闇が迫る。その頃になると、地面に空いた大きな穴の中は、もう真っ暗だ。赤外透視のスキルがなければ、殆ど何も見えないだろう。
けれども、耳が使えないわけではない。口も使える。話をするにはある意味丁度いい場所で、暗闇は内緒話を本当にその闇の中に隠してくれそうだから、嫌にならない。
「そっか……そういう事か」
こんな夜になるまで話していたのは、俺が記憶を失った理由ともう一人の俺についてだ。セルナという家族同然の少女を病気で失い、その結果俺が壊れかけた。それを、ノルドという奴が俺を助けるために、記憶を奪ったと。
その結果、俺は二人に別れて、片方は眠りに、片方は地球で過ごす事になったと。そして、その片方こそが俺なのだという話をしていた。
「……どう思う?」
「何が?」
俺の問い掛けに春樹は首を傾げた。
「俺は、今の俺は日向嶺自じゃないと思う。日本での暮らしを殆ど覚えていないし、春樹には悪いが、お前と過ごした思い出も殆ど俺の中には残っていないんだ。それでも、俺を日向嶺自だと思うか?」
言葉を濁した言い方だ。本当に聞きたかったのかは、俺は死んだのか、そうでないのか、それだけだった。
「そりゃ思うだろ。お前が変な事に巻き込まれているのは、昔から知ってたし、記憶を失くした後だって、お前は嶺自だった。違うとすれば、忘れ物がちょっと多過ぎたぐらいだぜ」
「……そうか」
俺は……生きていたのかもしれないな。
記憶を失ったから死んだ。それは間違いじゃないかもしれない。俺の中で日向嶺自はもう死んでいる。
けど……死んでしまった俺をこいつらは覚えていてくれている。忘れないでいてくれている。
なら、俺は生きているのかもしれない。少なくとも、春樹の中では。
「なんか少し気が楽になった。ありがとよ」
俺は難しく考え過ぎていたのかもしれない。俺という存在が歪すぎて、わけがわからなくなっていただけかもしれない。
俺はレイで、昔は日向嶺自だった。
それでいい。それだけが、事実だ。こういうのは気の持ちようかもしれない。
なら、こいつらの友であった俺が、する事は決まっている。やる事は変わらないが、気持ちは変わった。
「春樹、地球に帰りたいか?」
俺は、いろんな覚悟を決めて、そう聞いた。それに対し春樹は。
「帰れるのか? 俺はもうこっちにいる覚悟決めたんだがな……」
少しぐらい慌てたらいいものを、冷静に事を受け止めていた。本当にこの世界で生きていく覚悟を決めているらしい。
だけど、帰る方法があるのなら、こいつはどうするんだろう。
「帰れる。俺ならお前らを送り返せる」
「詳しく聞いていいか?」
「ああ」
勇者召還の真逆ーー勇者送還の方法について俺の知る限りの事を話した。
「……っという事は、必然的に誰かが残らないといけないわけか」
「ああ。だから、お前らは帰れ。知ってると思うが、この国にお前らがいると危険なんだ」
俺が影で動いている事は話さず、帝国にいるのは危険なのだと伝えた。それは、命の危機というのもそうだが、未だアイリスの計画の残滓は残っているのだ。
アイリスと結託していた貴族の一人が、反旗を翻したという話は、つい先日飛び込んできたいい例だ。
「やっぱりお前は一緒に来ないんだな。この世界が大事か?」
「ああ。もう捨てられないよ」
家族を、友人を、シャルステナを、置いてなんていけない。それに、叶えたい夢もある。やってみたい事もある。何より、俺はこの世界が好きだ。もっと見てみたい。
それは、地球に戻ったら出来ない事だから。
「だよな……よし、わかった。なら、俺がこっちに残る」
「やめとけ。本気で死ぬぞ」
2年前ならば、俺は反対しなかったかもしれない。けど、今の俺の近くにいるのは、危険すぎる。魔王と殺人鬼。どちらも俺が絶対に春樹を守りきれると言い切れない相手だ。自分の命さえ危うい。
そんな敵がいつ俺を狙ってくるかわからないんだ。昔馴染の同情やらで、命を掛けるものじゃない。こいつには地球に残っている家族もいるんだ。俺と違って友もいる。
この世界に残ってはダメだ。
と、俺は春樹の事を思って言ったのだが……
「死んでもいいさ。獣耳のお姉さんと結婚できるなら」
グッと拳を握り、清々しい顔で春樹は欲望のためなら死んでもいいと宣言した。
……どうやらこいつはアホらしい。獣人の方々に迷惑を掛けそうなので、やはり送還しよう。
そう思った。
「とりあえず計画立てようぜ、計画。結衣あたりが煩いからな、絶対。計画名は、名付けて、『勇者送還大作戦』だ!」
春樹の作戦名は、穴に木霊した。隠す気はないのだろうか?




