143.積み重なる自己嫌悪
「ひっく……ひっく……」
嗚咽が夕焼けに染まる公園に木霊する。
申し訳程度に植えられた疎らな木々がある公園には、5人の子供の姿があった。そのうち4人は少年で、その全員が一人の少女を囲んでいる。
「やーい、病原菌」
「うわっ、気持ち悪いな」
典型的なイジメ。寄ってたかって、罵倒と砂を浴びせる少年ら。白髪の少女は、罵声を浴びせられて、蹲り泣いている。
……この光景には覚えがある。
これは、小学校に入学したばかりの頃。生まれつき肌や髪が、人より白かった私は気味悪がれ、こんな風にイジメを受けていた。
そこは近所にある公園で、偶々一人で遊んでいたところに、高学年の男の子達が来て、嫌味や罵倒を浴びせられたのだ。
当時の私は、自分より大きな体の男の子達に囲まれて、どうする事も出来ず、投げつけられる悪意に涙を流す事しか出来なかった。
言い返す事もなく、ましてや怒る事も出来ない私に、男の子達はややあって興味を失くしたのか、軽く私を足蹴りしてから、どこかへ消えていく。
それからも私は一人泣き続け、夜になろうという頃、ようやく泣き止んだ。いや、家に帰らなくてはと思い立ち、無理に涙を押し込めた。
そして、目元を赤くしながらも、家に帰ろうと公園を出た時、幼馴染の二人とバッタリ会ったのだ。
「よぉ、結衣。今から帰……」
学校の運動場で遊んできた帰りなのか、服をドロドロにして、手足には擦り傷をつけた男の子ーー久城春樹は、私の様子を見て言葉を止めた。
「……お前泣いてたのか、結衣? それに、その靴跡……いったい何があったんだよ」
春樹は私を心配してか、声を荒げはしなかったが、その瞳には怒りの感情が浮かんでいた。だからか、私は本当の事を言えなくなり、恥ずかしいところを見せたくないと、少し意地みたいなところもあって、嘘を吐いた。
「ちょ、ちょっと転んだだけだよ?」
我ながら嘘が下手だと思った。
「そんなわけあるか、誰にやられたんだ」
春樹は嘘を吐く私にムキになったように少し言葉を強めた。それが怖くて、私は目尻に水滴が浮かぶのを抑えられなかった。
「あっ……」
そんなつもりはなかったのに、涙が流れた。これではまるで、春樹を怖がっているみたいじゃないか。
けど、時既に遅し。春樹はバツが悪そうな顔になって、戸惑っていた。
そこへ、もう一人の幼馴染ーー日向嶺自が口を挟んだ。
「とりあえず今日は結衣を家に送ってあげようよ。あんまり遅くまで出歩いていると、怒られるし……危ない」
嶺自は6歳の割に落ち着いていて、私達よりも少し大人のような印象があった。春樹と違い、服は殆ど汚れていないし、どちらかというと大人しめの、一歩引いているような感じだった。
「……そうだな。けど、明日ちゃんと話してもらうからな」
春樹は、嶺自の言葉に一応は頷きながらも、まだ納得はしていないようだった。
それから、私は二人に家まで送ってもらった。さすがにお母さんには、私が虐められた事はすぐに気が付かれてしまったが、それを理由に私は学校を休んだ。それは、虐められたからではなく、一直線なところのある春樹が、私の話を聞いて、高学年の男の子達に喧嘩を売りに行くような気がしてならなかったからだ。
私のせいで、春樹達が傷つくのは見たくない。
そんな思いが、当時の私の中にはあった。
けれど、本当に心配するべきは、春樹ではなく、嶺自の方だったのだと私は後で知る事になった。
学校を休み始めて2日目の放課後の事だった。その時、買い物に行った母に留守番を任されていた私は、家でテレビを見て時間を潰していた。すると、しばらくしてインターホンが鳴った。
「はーい、どなたですか?」
今思えば、なんと不用心なのだと言いたくはなるが、私は特に確かめる事もなく玄関を開けた。
そこには、息を切らした春樹がいて。
「来い、結衣!」
「えっ、あ……」
私は扉を開けるなり手を掴まれ、外に連れ出された。
「嶺自が、お前を虐めてた奴を見つけて、一人で喧嘩しに行ったんだ」
「そんな……!」
「だから、俺たちも行くぞ。仕返ししてやるんだ」
「と、止めないと。早く嶺自を止めないと」
私は好戦的に笑う春樹の引く手を振りほどいて、慌てて自らの足で駆け出した。
早く止めなければ。嶺自が喧嘩を売る前に止めなければ。
そんな風に、焦りから必死に走る私に春樹は。
「心配すんなって。嶺自はすげぇ強ぇんだから」
屈託ない笑顔で、嶺自の勝利を確信して言ってきた。
たが、私は。
そんなの嘘に決まってる。嶺自は大人しくて、春樹みたいにやんちゃではない。だからきっと、喧嘩なんてした事もないはず。
と決めつけて、必死に足を動かした。
しかし、そんな私の考えは、すぐに否定される事になる。
嶺自がいたのは、近所の公園。私が虐めを受けた場所だ。
そこで、嶺自はあろう事か、4つは年上の自分より遥かに体の大きい男の子達相手に、4対1で喧嘩をしていた。
だが、嶺自のそれは、私の知っている子供の喧嘩ではなかった。
嶺自は少年達に囲まれて四方八方から袋叩きにあっているようだった。けれど、その実嶺自には怪我の一つ、血の一滴さえ流してはいなかった。
子供の頃なら圧倒的と言うほどに感じた年上との体格差。それも、小学校に入学して半年と、今年で卒業する彼らとの間には隔絶と言っていいほどの差。
それが、こうも問題にならないなんて……
背後から殴りかかった少年は、クルリと回転した嶺自に耳を摘まれ、そのまま顔から地面に落とされた。その上から、嶺自は容赦もなく頭を踏み付けて、いや、踏み台にして、左から迫った少年の股間を、拳で狙い撃つ。
「ぐふっ……いっ! は、鼻から血が……!」
「あ、ぁあぁ……!」
自分の血を見てみっともなく取り乱し鼻を押さえる少年と、股間を押さえて息をするのも苦しそうに蹲る少年。
どちらも痛みに体を震わせて、また嶺自に怯えた視線を向ける。
一方で、その嶺自と言えば、残る2人を同じく的確に人体の弱点を突き、無効化させていく。
そして、私達がその公園に着いてから1分も経たないうちに、彼らは等しく痛みに涙を流し、嶺自の前にひれ伏していた。
私と春樹は揃って、その子供らしくない嶺自の戦い方に、言葉もなく立ち尽くす。春樹はどこか憧れのような視線を、私は怯えを含むんだ視線を嶺自に向けていた。
「結衣に謝れ」
初めて聞いた命令口調の有無を言わせぬ嶺自の声音に、私はもういいよと、止める言葉を喉で詰まらせた。
「うっ……ご……ごめ……っ……!」
年上のプライドだからか、それとも虐めていた相手に頭を下げる事に抵抗を見せる少年達。だが、ふと公園の入り口に立つ私達、いや、私を見て彼らの中に理不尽な怒りが浮かぶ。
それを鋭敏に肌で感じた私は、思わずビクリと体を震わせたが、直後の聞いた事もないような冷徹な声に、彼らの心が凍りつくのがわかった。
「──まだ足りないの?」
それは言わずもがな。
嶺自が彼らに向けた言葉だった。暗に、まだ痛みが足りないのかと脅す───
「ご、ごめんなさいーー!」
「許してください、もう2度としないから!」
泣き叫ぶように彼らはその場で土下座した。私ではなく、嶺自に向かって。
それが、嶺自には許せなかったのか、もう一度彼らを睨み──
「謝る相手を間違えてない? それとも、まだわかってないのかな」
穏やかな口調ではあるものの、先の命令口調の時と同じく、いやそれ以上に低く、恐ろしげな声音に、彼らは悲鳴のような謝罪を私に向けた。
「もう2度としないから、許して……もう許して下さいっ!」
彼らは悲鳴をあげるように許しを請い、私がどう答えたらいいか迷っているうちに、耐えきれなくなったのかその場から逃げ出した。
一人が逃げれば、それを皮切りに次々と。
嶺自もそれを止めようとはしなかった。
……重い沈黙が流れる。
嶺自は、やってしまったと後悔するように顔を歪めて。
私は、何を言ったらいいかわからなくて。
春樹は、私と嶺自の間に流れる気まずさを感じ、ぽりぽりと頰を掻く。
私は……自分が嫌いだ。この時からずっと。
嶺自が何のために戦ってくれたのか、それをわかっていて、嶺自を怖いと感じてしまった自分が。
そもそもの、彼をこんな荒事に駆り立てる事になった自分の容姿が。
そして、この時何も言えないでいた自分が。
今でも、嫌いだ。
けれど、自己嫌悪に陥り、何も言えないでいる私に、嶺自は苦笑いして。
「……僕は、結衣の白い髪は、綺麗だと思うよ」
私の嫌いなところを褒めてくれた。
「ちょっと国が変われば、少し世界が変われば、結衣はきっと誰からもそう思われる。だから、結衣は自分の見た目に、自信を持っていいんじゃないかな。誰になんと言われたって、僕は結衣を綺麗だって思うし、春樹もたぶんそうだよ」
「い、いや、ま、まぁそうだな。その……なんだ……結衣は将来まぁまぁな美人になると思う!」
春樹は恥ずかし気に目を逸らしながらも、最後は勢いに任せるような言い方だったが、それでも嬉しかった。
どれだけ気味悪がれても、どれだけ蔑まれても、この二人は、私にとって大切な幼馴染の友達だけは、私を綺麗だと言ってくれる。
それが、どうしようもなく嬉しくて、心強かった。
嶺自は、嬉し涙を流す私の頭を撫でて慰めながら、優しげに微笑む。
「だから、また学校においでよ。心配しなくても、僕が、結衣を守るから」
「……ま……また、私がいじめられたら……今みたいに助けてくれるの?」
「うん、必ず」
約束するよと、嶺自の小指が私の小指に重ねられた。
私には、その細くて小さな指が、とても大きく見えて、安堵する自分がいた。
そして、同時に。
私は、嶺自に恋をした。
この時は、まだそれを自覚してはいなかったけれど、嶺自の側にいると安心するようになったのは、この時からだった。
だけど、それは私が10歳になったばかりの頃に、前触れもなく突然起きた。
何気ない日常の中で。
普段と何ら変わることのない休み時間、いつものように嶺自を遊びに誘った春樹に返ってきた言葉。
「──お前、誰だ?」
その言葉を私は忘れる事が出来ない。いや、目の前で言われた春樹は、もっと忘れられないだろう。
何故なら、その時。
私達が共に過ごした日々はなかったものになったのだから。
嶺自は記憶喪失だった。
私達やクラスメイト、親と過ごした記憶を嶺自は忘れてしまっていた。彼に残されていたのは、自分という人間の在り方。自分が何者で、何をしなければならない立場にあるのか。それだけだった。
医者は限定的な記憶喪失だと言ったそうだ。何かのキッカケで記憶が戻る事もあり得るとも。
それを信じ、私たちは皆昔と変わらぬ態度で接するよう心掛けた。けれど、それは何の意味もなく、嶺自の容態は自分が記憶を失った事さえ忘れるほどに、悪化の一途を辿った。
医者は脳に異常があるのかもと、何度となく嶺自の体を調べたが、何もおかしなところはなかったそうだ。原因不明の記憶障害。それも、意図的なまでに限定的な記憶の喪失。
わけがわからなかった。何度嶺自に泣きながら懇願したのだろう。少しでもいい、私達を覚えていて、と。
その度に、嶺自は同じ事を口にして、次の日には忘れている。
積み上げた思い出が、消えて無くなる。一度ならまだ、耐えられた。また一から積み上げればいいと、思う事が出来た。
けれど、それが何度も何度も繰り返されて、私の心は折れた。
もう……無理だと思った。
もう、傷付きたくなかった。もう忘れられたくなかった。
そんな思いが重なって、私は…………諦めた。
それは、私だけでなく、クラスメイトも嶺自の親だってそうだった。嶺自の記憶障害が、彼がそれを自覚した後に起こる事だと経験からわかった後は、尚更。
誰も嶺自に思い出させようとはしなくなった。
代わりに、新しく嶺自との関係を築きあげた。
けれども、私の心はもう折れていて、嶺自に近づく事も躊躇われた。その自分の弱さが嫌で、強くなりたいと思った。強くなればまたいつか、私も嶺自との関係を取り戻せるかもしれないと。
しかし、現実は残酷で、その日が訪れるよりも前に……嶺自はこの世を去った。
度し難い後悔が胸を締め付けた。
あと少し、もう少し、私に勇気があればこうはならなかったかもしれない。こんな事になるのなら、嶺自ともっと一緒にいればよかった。そうすれば、この運命を変えられたかもしれないのに。
私の人生は、そんな自己嫌悪の後悔ばかりだ。
異世界に召喚され、己の弱さを突き付けられ。
醜い執着心や、恋心からあり得るはずのない相手に、彼の面影を感じ。
今では……その彼の側にいると、安心する自分がいる。
そんな自分が私は嫌いだ。
助けを求める事しか出来なかった弱い私を、いつだって助けに来てくれた彼と、嶺自との約束を重ねてしまっている自分が───
───微睡みが頭を撫でる。
「ん……っ……」
判然としない脳が感じる肩から背中にかけて伝わる温もりと、相反する大気の冷え。重たい瞼を開けてみれば、月明かりだけの夜の闇が目の前には広がっていた。
「やっと起きたか、この寝坊助め」
不意に背中から声を掛けられ、ハッとする。
「ご、ごめんなさい、春樹! 私……」
私が目覚めた場所は、街の外壁。何故そんな場所で寝てしまっていたかというと、皇帝と街の守護を引き受けていた兵士が、帝国の管理区内で起きた大陸橋崩壊の悲報を受けて支援に向かったため手薄になった街の守りを、代わりに任されていたからだ。だが、生憎と夜更かしに慣れていない私は、途中でリタイアしてまっていたらしい。
「本当にすまない、春樹」
「いいって、別に。特に何か起きたわけでもねぇし、疲れてんだったらまだ寝てろよ」
謝りながら立ち上がろうとした私を春樹は制して、そのまま座らせる。見れば春樹は夜なのに薄着で、彼の上着は私の肩から背中に毛布のように掛けられている。見張りの途中に、寝こけてしまった私に、春樹が掛けてくれたのだろう。
「その……ありがとう。春樹だって、疲れているだろうに……」
「俺は結衣みたいに軟弱じゃねぇから、問題ナッシング。むしろ、ヒナタとの訓練でいっつもボコボコにされてるお前は、もうちょっと休んでた方がいい」
「軟弱は余計だ。けど、ありがとう、春樹。もう少し休んだら、見張り変わるから」
春樹は、外壁の外に目を向けた。
「っても、平和そのものだぜ? 魔物一匹来ないからな」
「魔物ではなく、ヒナタ君が帰ってくるかもしれないだろう? 危険な場所に行っているんだ。そんな時に、休んでばかりいられない」
「出た、変なところで真面目ちゃん。別に、俺たちが幾らサボろうが、あいつの安否に何の関係もねぇと思うぜ?」
「それはわかってる。気持ちの問題だ」
何か起きた時、後悔をまた重ねたくはない。出来ることは、少しでもやっておきたかった。
「気持ちの問題ねぇ……」
春樹は意味深に呟いた。
「──それは、嶺自に似ているからか?」
私は春樹の問いに、顔を俯かせた。
「……春樹もそう思うのか?」
私は後ろめたさから、春樹と目を合わせず、自分の膝を抱えて、小さく呟いた。
「どうだろうな……こういう時って、大概人の主観が紛れ込んで、本質はそれに書き換えられちまうから。この場合その原因は、あいつの名前。それも本名じゃない偽名だ。……だから、幾らヒナタの中に嶺自を感じても、それは気のせいなんだろうよ。あいつは、あいつでキッパリと否定したしな」
私と同じで、春樹もまたその事に関して深く考えていたようだ。考えてみれば当然で、私と春樹にとって、ヒナタという名前が、二人を同一視し始める要因であった事に間違いはない。そして、それを冷静に受け止め、自分の主観は当てにならないと分析した春樹。
「……そう、だろうな。死んだはずの嶺自が、別の世界で生きていて、その世界に私達が召喚されるなんて……そんな上手い話があるわけない」
私は春樹に言葉を返したようで、その実自分に言い聞かせるように、喉を震わした。
夜風が体を冷やす。果たしてそれだけが原因か、震える腕を私は手で押さえつけて、目を閉じる。
彼は、嶺自じゃない。ヒナタという名の別人。
そう何度も繰り返し言い聞かせても、私の心は納得してはくれなかった。




