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135.黒竜大暴れ

 

 日が落ち、暗がりが街に落ちる頃になって、ようやく俺たちはハクの翼が作る強風から解放された。

 眼下に広がる大地に唯一灯る灯り。空の上から見ると、それは一層際立って映る。


「ピィ?」

「ああ、合ってるよ。たぶん」


 街を見据え、確認してきたハク。しかし、アークティアに来た覚えがない俺は、少し曖昧な返事返した。


「さてと、逮捕のお時間といきますか」

『手枷手枷』

「お前、楽しそうだな」


 一人ルンルンとした様子のハクのせいで、いまいちシリアスになりきれないが、俺はまだ再開の余韻が抜けていないのだと広い心で受け止めた。

 そして、ハクに下りるように言おうとした、その時であった。街が騒がしくなったのは。


「始まったか……」


 街から轟く悲鳴と、破壊音。

 少し遅かったみたいだ。けど、間に合わなかったわけじゃない。


「ルクセリア、ハク、俺は先に行く。シルビア達は、危ないから街に入るなよ」

「ま、待ちなさいキッチック!」


 俺はシルビアの制止も聞かず、ハクの背中から飛び降りた。ここからなら俺の方が速いからだ。


「空間」


 落下の最中、空間をこの街全てへと広げた。


 逃げ惑う人々。それを追う、人間……もしくは魔人。その流れは、大きな館から放射状に広がってる。

 館の中には、何十人という数の人間が倒れ伏し、まだ生きているようだが、殆ど身動きしているようには感じ取れない。

 その周りには、10人程の人間が彼らを見下ろし立っており、一人だけ体を起こされ、女性の前に引きずり出されている。その二人が何か言い争うように、口を動かしているが、残念ながら読唇術を空間で行う技量のない俺には何を言っているかはわからなかった。


 ただ、何が起きているのかは、おおよその見当はついた。

 どうやら、これが主謀者の館のようだ。


 俺は足を固定空間に掛けた。そして、それを強く踏み抜み抜くと同時に、爆発的な加速が生じる。

 手加減は出来ない。する必要もない。生み出したばかりの新しい魔装を片足だけに纏い、更には瞬動を加えて加速する。


 己のスピードに目が追い付かず、視界に入るもの全てが、線になって後ろへ流れていく。

 恐らく1秒と経っていない僅かな時間で、街の郊外か中心の屋敷まで、弾丸のように飛び抜けた。


 屋敷の地面が迫る。このスピードで衝突すれば、俺とて無事では済まない。

 だが、瞬動の超減速機能が働き、地面へと触れた瞬間世界が元へと戻る。轟音が、着地と共に鳴り響く。魔装による加速の勢いを殺した代わりにドバッと土煙が舞い上がった。


「何者だ!」


 そう声を荒げたのは、中年の帝国兵。周りには、兵士には見えない使用人達の姿がある。合計5人いる彼らに共通するのは、全員が返り血に汚れている事か。

 見れば、庭には5人程倒れ伏している帝国兵の姿が……


「……どいてくれ。あんたらはどっちの味方か知らないが、この屋敷の主に用がある。返答はいかに?」


 パッと状況を見ただけでは、敵かどうかはわからなかった。なので、屋敷の主、つまり今回の事件の主謀者に仇をなすことをほのめかせ返答を待った。

 それに対し、兵士、使用人のとった返答は物理的なものであった。


 血塗れた刃と、魔法の嵐が襲い来る。


「残念、そっち側か」


 俺は慌てる事なく、剣でそれを一凪した。たったそれだけで魔法と共に地面が消し飛び、剣が風圧で弾かれた。


「ははっ、ディクみてぇ」


 俺は新魔装の有用性を改めて認識した後、ナチュラルな体で、バランスを崩した兵に迫った。


「く、薬を飲めッ!」


 俺が接近した帝国兵はその集団のリーダーであったのか、全体に指示を出しながら、俺の剣を受け止めようと、剣を横に立てた。

 しかし、防御されるのが見えているのに、そんな所へ打ち込む馬鹿はいない。俺は手首を返すと、腰の捻りを加えて、兵士の肩へ剣を突き立てた。


「ぐっ……!」


 苦痛に顔を歪めた兵士。仇を見るような目で俺を睨んでいる。俺はその視線にニヤリと口角を上げ、新魔装を纏った足で、腹を思いっきり蹴り上げた。

 クバァッ!と口から汚い液体を撒き散らしながら、天高く舞い上がっていく兵士の体。ほぼ直角に真上と登っていく仲間の姿を見て、残りの兵達は驚愕と恐れを顔に浮かべたが、それよりも焦燥に駆られたかのように慌てて、胸元やポケットに手を入れた。


「やらせると思うのかよ」


 俺は一言そう口にすると、彼らが薬を取り出すのを阻止しに動く。遠くにいた3人は固定、反転、反発の同時発動で、一人はポケットに突っ込んだ手を掴み、強引に引き抜いて。

 そして、掴んだ男の腕を引き、まるで柔道の背負い投げをするように、魔装した腕の力を持って地面に叩きつけた。


「かはっ……!」


 ドゴォッと地面が凹む。それに合わせ土埃が舞ったが、俺の視界は良好。千里眼と透視のコラボが、俺の見詰める先を詳細に映し出す。

 その視線の先で、固定した使用人以外、もう体制を整えかけていた。その手が、再び薬へと伸びようとしている。


 ーー銃が欲しい。


 そう思う程度には、余裕がなかった。瞬発的に阻止できる三種の空間と瞬動は、時間制限で使えない。かといって、魔法を唱えるには、少し時間が足りない。

 銃があればいいのに、と無い物ねだりしたが、そう都合良く銃が落ちてきたりはしない。


 しかし、ここはファンタジーな世界。都合良く爪が落ちてきたりはするのだ。


「な、何これ⁉︎」

「くそっ、魔物か!」


 そう、薬に手を伸ばした二人の腕に爪が巻き付いていた。

 こんな奇怪な珍技を使えるのは、あいつだけだ。


「ナイスだ、ハク!」


 見上げれば、爪は空から街全土に広がっていた。黒竜から伸びた自由自在の爪が、街を空襲しているかのように、手や足から伸びた体相応の野太い爪と闇夜に同化する大きな体が、人々に恐怖を駆り立てる。


「やっちまえ、ハク!」

『大漁大漁!』


 ハクはまるで釣りでもしているかのように、楽しそうに戦う。その楽しげな声音は街の全体に響くが、誰も空の上の黒竜が発しているとは思はないだろう。


 唖然と悲鳴をあげる事も忘れ、その漆黒の竜に恐怖する人々。諦めたかのように、その場に腰をペタンと落としていく。

 脳裏に染み付いた最強種の存在。何度となく人の街を破滅へと追いやった、一撃無比のブレスへの恐怖が人々を震え上がらせる。

 たとえその域に達していないまだ子供であったとしても、平穏に街の中で暮らしてきた彼らにそれを区別する知識はない。恐怖は膨れ上がるだけだ。


 ーーが、そんな彼らを尻目に、伸びた爪が一斉に巻き戻る。それは、俺の目の前にいた二人だけでなく、理性を失った魔人を指の数だけ吊るし上げ、そして、街の外へ放り投げた。


「ピィィィイ!」


 グンと翼を羽ばたかせ、街の上方へと垂直にスライドしたハクの体に雷光が走る。

 バチバチとまるで、雷竜の如く雷を体に迸らせるハク。乗ってる奴らは大丈夫だろうか?


 夜の暗闇を照らす雷光が、ハクの体を滑り口へと集まっていく。

 それに合わせ、膨らむ胸と仰け反る体。そして、口から溢れ出る眩い雷光。

 まるで口に太陽を加えているかのようだ。


 ーー刹那、目がくらむ程の光線が天から地へと斜めに走り、ハクが放り投げた魔人を含む彼らは、雷のブレスに飲み込まれた。

 雷鳴と重なる轟音が、地響きとなって駆け抜ける。そして、視界を覆う光が晴れた後、街の郊外は数百メートルに渡り黒く焼け焦げた跡だけが残っていた。


 恐ろしい奴だ。

 もう一人前のブレスを撃てるようになってやがる。それに、あの独特な拘束術。

 自由自在で、しかも数が多い。飛べるし、素で強い。

 正に、最強種の名に相応しい成長ぶりだ。


「ゲッフ」


 まるで食べ過ぎたとでも言うように、ゲップしたハク。まだまだ余裕がありそうだ。あのクラスのブレスが何発も撃てるって事かな。

 やれやれ、本当に最強種は成長が早いな。俺も負けてられない。


 俺は、目の前の敵へと意識を戻した。


 ーー10秒。


 それは固定空間が独りでに解除される限界であり、残りの二種が制限から解放される時間。

 その時間が来ると同時に、首が千切れるかという強烈な蹴りをもって、最後の一人を沈めた。


 最後の一人が白目を剥き、地面を転がった兵が花壇の柵に叩きつけられたところで、タイミング良く落ちてきた最初に蹴り上げた兵士。苦しそうだが、まだ意識が残っているようだ。案外頑丈だなと、兵士を一瞥してから、グッと腰を落とした。


 収縮する魔力。瞬動時のような加速が、体にかかる。そして、辛うじで意識を保っている兵士に、俺は容赦なく体当たりし、彼の体を盾にして屋敷へと突っ込んだ。

 壁に穴を開け、扉を吹き飛ばし、強引な侵入を果たすと、そのまま先の反応を捉えた部屋まで一直線に走り抜けている時ーー


 ーー誰か彼女を、兄さんを止めてくれ!


 誰かが助けを求める声が聞こえた。いや、聞こえたというよりは、伝わってきたと言った方が正確か。

 なんにしろ、訳のわからない声に取り合う暇はない。


 今は1秒でも早く、あいつらがいる場所へ。


 俺は声に足を止める事なく、建物の中を突っ切る。ボンボンと新たな扉を増設しながら、4つほど壁を抜けると、今まさに切迫した状況にあるであろう部屋へと辿り着く。


「らぁぁぁあ‼︎」


 最後の壁を全身の筋肉フル稼働で男の体ごと吹き飛ばし、すぐに俺も部屋の中へとなだれ込んだ。


 瓦礫が音を立てて、床に落ちていく。土煙が収まり、段々と視界が開けていき、俺は部屋の中の状況を目に収めた。


 血に汚れた床。その上には、動かぬ肉塊と化した死体が幾つも散乱している。その死体の中には、魔人化したのだろうか、手足を失い全身を火で焼かれているのにも関わらず、動いている体もあった。


 次に眼に入ったのは、勇者達の姿だ。血を被って体が赤く染まっている者もいるが、一見したところ怪我をして動けないわけではなさそうだ。意識もある。けど、体は細く痙攣し、動けないようだった。麻痺ってところか。


 そんな推測を立てつつ、次第にクリアになっていく視界に全身傷だらけのグール、そして倒れ伏す殺人鬼の姿を捉える。

 向かい合う両者の位置関係から、俺は早計にもグールが殺人鬼を倒したのかと考え、師として誇らしさを感じると共に、俺の尻を拭かせてしまった形になった事を申し訳なく思う。

 俺はもう体が動かせないであろうグールを見て、よく頑張った、後は俺に任せろと口を開いた。


「さぁて、魔人騒動の首謀者さん。お前を逮捕しに……って、あれ?」


 が、最後に開けた視界には、赤い血が垂れ落ちる剣を、どう見ても首謀者である貴族の女性に向ける皇帝の姿があった。


「……もう終わってんじゃん」


 どうやら皇帝は一人でこの場を収めてしまったらしい。

 俺が空間で探った時は、膝をつかされ押さえつけられていたはずなのだが……俺の来た意味よ。


 おそらく皇帝も麻痺毒か、それに似た何かを貰っているのだろう。手が微妙に震えている。

 だが、その状態で彼は殺人鬼諸共、首謀者の女性を追い詰めた。並みの実力者ではない、ということだろう。その立ち住まいが、麻痺に侵されているとは思えないほど、堂々としていて頼もしさを感じる。


「殺すのか?」


 おおよその状況を把握した俺は、皇帝へそう問いかけた。このまま黙っていた方が、いいかもしれないと思ったが、何故か先程の幻聴が気になって、そう聞いてしまったのだ。


「そうだ。この者を生かしてはおけない」


 一度俺を流し見た皇帝の瞳から溢れる殺気は冷酷で、他の一切の感情を含んでいなかった。まるで、自分勝手に振る舞うことが正しい道だと思い込んでいた俺のように、優しさも、温かみもない、冷たい瞳だった。

 そんな風に既視感を覚えたからか、俺は。


「……殺さない方がいいと思うよ」


 そんな甘っちょろい事を口にした。


 深くは知らないが、浅い程度に彼らの事を知る俺は、こう思うのだ。彼は皇帝である事に縛られていると。

 だけど、そこに善悪をつけられるほど俺は経験豊富でもない。見方を変えれば、答えは変わる。そんなものに思えた。


「私は、この者を殺す方が堅実であると判断した」


 貴族の女性を鋭く冷たい視線射抜き、まるで形式行事の挨拶のように淡々と口にする皇帝。

 殺すメリット、殺さないメリット。俺は双方共に挙げられた。けど、皇帝はその事を承知の上で、殺すと決めたのだろう。


 俺はもう口を出すのを止めた。


 貴族の女性はその殺気に当てられたのか、一歩後ずさる。しかし、コツンとヒールが壁に当たり、逃げ場など後ろにはない。

 彼女はそれでも逃げ場を求めるように、背を壁に引っ付けたまま横へ横へと少しずつ逃げる。


 俺はその様子を何もせずただ見ていた。


 これが……国のために、弟さえ、家族さえ切り捨てる男のやり方なのかと、ある意味怒りに似た感情を浮かべながらも。

 手は出さず、その首に剣が振り下ろされる時をーー


 ーーダメだ!


 再び幻聴が脳裏に響く。


 ーーもう間に合わない!床に魔力を込めるんだ!


 ……この声は何だろうか?

 何が間に合わないのだろうか?


 そんな疑問が起こるよりも先に、脳に直接伝わってくる焦燥感と緊迫感が、反射的に魔力を足から床へと流し込ませていた。


 俺は……アホか。

 一瞬後、冷静になり幻聴に突き動かされた自分へ苦言を呈したその時ーー


 追い詰められていた女性がーー笑った。


 それを目にした瞬間、背筋が伸びた。まるで背筋に冷たい剣先を当てられたような寒気と、掻き毟りたくなるような嫌な嫌悪感が体を駆け抜ける。


 それは皇帝も同じだったようで、瞬間、剣先が女性の顔前でぶれた。たが、それが彼女の首を刈り取りることはなかった。


 まるで水の中に落ちたかのように床の中に沈み込んだ女の体。それを追うように剣線が軌道を変える。ーーが、真下からの突き上げるような地響きに、皇帝の刃が僅かにズレる。その致命的なズレは女の命を助け、まだ魔力が到達していない床を大きく破壊するだけにとどめさせた。


「アッハハハッーー‼︎」


 哄笑が女性が消えた穴の中から鳴り響く。それと同時に、伝わってくる連続的な爆発音。ズシンズシンと足に伝わる衝撃と激しい揺れが、下で大きな爆発が起きている事を雄弁に語ってきた。


 もしも、魔力充填が後一瞬遅れていたら……この爆発に俺たちも巻き込まれ、俺や皇帝はまだしも、他は死んでいたかもしれない。

 あの声は、ひょっとして俺たちを助けようとしてくれているのか……?


 そんな馬鹿なと言いたくなる推測が頭に浮かぶ。その時だった。再び幻聴が聞こえたのは。


 ーーそこから離れるんだッ!


「ッ⁉︎……全員ここから退避だッ!」


 俺は即座に幻聴を代弁し、皆に退避を促したが、俺の声に反応した皇帝以外、誰も動けそうな者はいない。


「くそっ!」


 どうする?

 何かないか、この人数を動かせる技は……


 魔力により補強された床が、爆発とは別の何かに押されている。立派な屋敷はもはやボロボロで、この部屋以外の床はすでに吹き飛び、壁も崩れ落ちていた。この場だけがまるでくり抜かれたかのように、周囲には大きな穴が空いていた。


 支えを失い落ちてくる天井や瓦礫。その下には、春樹や結衣、そしてグールが身動きが取れず、倒れている。

 俺は反射的に手から圧縮した魔力を撃とうとして、寸前で止める。


 ーーこの距離じゃ、巻き込んでしまう。


 その一瞬の躊躇の合間にも、天井は真下へと落下してきており、欠けた瓦礫が勇者達へ降り注ぐ。


 俺は焦燥を覚え、何かないか頭を巡らせてーー賭けに出た。


「間に合え!」


 全身に巡らせていた魔力を、一気に外へ。そして、それを固めて、伸ばした。

 それは、魔王の真似事。似通ったスキル系統を持つ俺ならという、希望的観測であったが、何とか出すことは出来たらしい。


 体から伸ばした数本の赤い手で落ちてきた瓦礫を掴み、あるいは砕いて、それとは別の4つの手で天井の四方を持ち上げ、下から支えた。


「はぁ、はぁ、頭がいかれそうだ」


 思考を振り分けているのに、それでも10本が限界。手を意識したのが悪かったのか、脳がヒートアップしていた。


 頭痛がする。長くは持たないぞ。


 そんな風に頭に走る痛みを堪える間にも、更なる爆発が俺たちを襲う。その爆発は、辛うじて残っていたこの部屋の支えを切り崩し、床が大きく傾く。


「くそっ」


 俺はそう吐き棄てると、少なくなってきた瓦礫の代わりに、手を穴の向こうに伸ばし、足と床の魔力を縫い付けた。


「ぐっ……」


 ガクンと部屋の床が落ちてーー止まる。


 ーーが、とても安心など出来やしない。


 今の状況は、俺の体を軸にして、無理矢理にこの大質量の物体を支えているようなもの。床の重みで、下半身が持っていかれそうだ。それに、天井の重みが加わり、じりじりと体が下がっていっている。

 このままではいずれ、落ちる。


「ピィ!」


 と、そこへ頼もしい相棒の手……いや爪が伸びてきた。ハクはグルグルと屋敷の二階部分を爪で包むと、持ち上げて、街の外へ投げ捨てた。


「お前、人いなかっただろうな⁉︎」

『大丈夫!』


 乱暴に放り投げたハクに、思わずそう怒鳴りながら確認したが、ハク曰く大丈夫らしい。鼻はいいからわざわざ人のいるところに放り投げたりはしない……と信じたい。


「ならいいけど……まぁとにかく助かった!」

「ピィ!」


 そう、返事を返したハクの背から、ルクセリアが減速もせずに飛び降りてきた。ドンッと音を立てて着地したルクセリア。

 今はもっと優しく下りろよ、と叫びたくなった俺だが、汗がこびりつき焦燥を浮かべているルクセリアの顔を見て、止めた。


「旦那、急げッ! 下から水が上がってきている!」

「言われてみれば、水音が……」


 地脈を破壊でもしたのか?

 それとも温泉を掘り当てたかだけど、爆発より水の方が対処は簡単だ。凍らせちまえばいい。


「シルビア、凍らせてくれ!」

「言われるまでもないわ」


 俺は文字通り手一杯な為、ハクの背に乗るシルビアに声を上げたが、その時には既に彼女の詠唱は終了していた。


「アイシクルレイン!」


 天から、柱の如き氷塊が降り注ぐ。円状に丸く爆発によって吹き飛んだ穴に氷の柱が突き立てられた。氷塊から滲み出る霜と、パキパキと水が冷やさせれ凍り付いてく音が鼓膜を撫でる。

 本来のアイシクルレインは、氷塊を落とすだけなのだが、彼女は既存の魔法に手を加えないではいられないらしい。氷柱から極寒の冷気が滲み出ているのが遠目にもわかる。

 心なしか周囲の気温もぐっと冷たくなった。もう少しでいいから、この必死な状況の俺を労ってほしい。


 そんな俺の心情を知ってか知らずか、ルーシィがそれに続く。


「私も!」


 ハクの背から顔だけ覗かせて、ルーシィは気合の篭った声音で、魔法を唱えた。


「ロックウェーブ!」


 彼女が唱えたのは初級魔法。しかし、規模はとても初級とは思えないレベルのもので、大地が激しく唸り、グネグネと波打ち始める。


 ちょ、手が……


 大きな土波が俺の魔手を巻き込んで穴へと落ち、シルビアが落とした氷柱を飲み込み、地面に蓋をする。


「早く逃げて下さい!」


 余裕は余りなさそうな声で、ルーシィが叫ぶ。俺は恐る恐る土に埋まった手を離す。


 ズズッーー


 手を離したところですぐに落下はしなかった。ただ、彼女が作った仮の大地を削り、徐々に下向し始めた。

 余り時間はなさそうだ。


 俺は魔手を使って、勇者達の体を掴むと、屋敷の外へと連れ出した。その際、多少乱暴になってしまったが、擦り傷程度は勘弁してもらいたい。

 一方、ルクセリアもその両手に一人ずつ抱え、土の上を往復していた。脇に抱えている分、扱いは俺より丁寧だが、彼の走る速度はかなりのものなので、首が鞭打ちになっていそうだ。


 しかし、俺とルクセリアが忙しく動く中、皇帝は動こうとしなかった。ずっと真下に意識を集中している。一瞬、口を出そうかと考えたが、その顔が余りに真剣な為、口を出すのを躊躇った。


 そうして、埋め立て地を三往復したところで、殆ど全員を外へ担ぎ出せた。

 後残るは、皇帝と、グール、それから殺人鬼。


 俺は魔装を解除すると、全身に切り傷があるグールのところへと駆け寄った。


「本当によく頑張ったな」

「そう、かなぁ……」


 グールの声は弱々しかった。俺は、収納空間から出来るだけ良いポーションを取り出すと、彼の口と傷口に注いだ。すると、沁みたのか痛そうにグールは顔を歪めた。だが、涙は流さないと必死に耐えて、叫びもあげない。

 ……本当に強くなったな。


「ポーションは全部使っちまったのか?」

「一人で修行してたら、なくなっちゃった」


 痛みが引いたのか、グールの声に少し力が戻っていた。もう大丈夫かなと俺はグールを抱き上げると、そのすぐ側に倒れる殺人鬼へと目を向けた。


 ヒュー、ヒュー。


 呼吸は酷く苦しげで、深く切り開かれた胸の傷から、血が大量に溢れ出ていた。重症も重症。このまま放っておけば後数分の命だろう。

 だがーー


「今度は一人で死んでいけ」


 俺は敢えて剣を殺人鬼の心臓に深く突き刺した。

 肉と骨を突き破る感触。覚えのある感触だ。余りいい気持ちではない。

 だが、こいつはここで確実に殺さないといけない。今、息の根を止めなければ、また殺されるそんな感じがした。


 怖かったのだ。こいつの顔が。

 死を前にして、何も出来やしないはずなのに、その目が、口が、顔が、死の恐怖も、体の痛みもまるで感じていないかのような狂気に満ちている。


「ーー最高でしょう?」


 その声は、心臓を今まさに貫かれている殺人鬼が発したものであった。


「貴方にこの高揚感を知って欲しかった。貴方なら、聞こえるはずだ。私と同じく死してこの世界に来たものなら、死者の声を耳に出来るはずだ」

「……ああ、聞こえてる」


 悲痛な呻き声が。

 生者を恨む声が。

 憎しみを叫ぶ声が。


「けど、耳障りだ」


 死者の怨念に囚われて何になるというのだ。会ったこともない相手に、同情以上の何かがそこにあるのか?


「…………何故です……何故わからないのですかっ!」


 殺人鬼の顔が怒りに歪む。まるで信じていたものに裏切られかのように、その瞳は俺を求めてくる。とても心臓を貫かれている男の目には見えない。その眼光は禍々しく曇り、深淵のように暗く光ごと俺を飲み込まんとするようだった。


「貴方ならば、私を理解出来る。同じ声を聞けるものならば、魂の解放がいかに素晴らしいかを理解出来る。何故わかろうとしないのです! 死こそが、救い! 縛られた魂の解放こそが、死者の望み! 貴方はその声が聞けるというのに、何故耳を貸そうとしない! ひどく歪んだこの世界から解放しようとしないのですか!」


 殺人鬼は血反吐を撒き散らし、大声で叫ぶ。それで自分の体に剣がめり込もうと関係なしに、俺を求めてくる。


 ーー仲間として。


「……理解したくもないね。俺には人殺しを正当化しようとする戯言にしか聞こえない」


 俺は怖かった。

 声が聞こえたのは今日が初めて。

 だから、まだこんな事が言えるのかもしれない。いずれ、俺はこいつみたいに死者に囚われるのか?

 そんな恐怖が湧いてきた。


 ーーそれは違う。


 だが、声はその恐怖を否定する。


 ーー俺の声に応えてくれた君ならわかるはずだ。この男が聞いているのは、怨念だ。死者の声ではない。


 そして、恨み嫉みではない望みを伝えてきた。


 ーー彼女を止めてくれ。兄の手でなく、君の手で。もうどちらにも苦しんで欲しくないんだ。


 俺はこの時、この言葉で、やっとこの声が誰かわかったんだ。


「ああ」


 返事はそれだけ。


「殺人鬼、俺はお前とは違う。生きている人の幸せを望む声だって聞こえるんだ」


 弱々しく脈動を続ける心臓。俺はその鼓動をこれ以上感じたくなくて、剣を抜いた。赤く赤く、血色に染まった剣。赤い水滴が、ポトポトと落ちる。


「……羨ましい」


 殺人鬼の口から言葉とともに、ツーと流れ落ちる血。瞳孔が開いた黒い深淵の闇を秘めた瞳。動きを止めた血が流れ出る胸。


 俺は、その死を目に焼き付けて、ゆっくりと剣を下ろした。


「……やっぱわかんねぇよ」


 お前の気持ちは……


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