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127.狂乱の宴

 ーー遅かった。


 目の前に転がる首のない元クラスメイトの体。朧げな記憶の中にある彼は、いい人間とはとても言い難かった。

 けれど、こうも無惨な殺され方をしなければならない事をしたのだろうか。


 そんな事はない。やって来た事で言えば、俺の方が余程救い難い事をして来た。

 ならば、もう永遠に変わる事のない苦痛と絶望の表情は、俺に向けられたものなのではないか?


 後、10秒……いや、20秒こいつの正体に早く気が付けていれば、彼は死なずに済んだ。それを責められているような気がして、俺は転がる首から視線を逸らし、真に許しがたい男を殺意を込めた瞳で睨む。


「ヒヒヒ、見つかってしまいましたか」


 不意をついた攻撃を、殺気を頼りに躱した殺人鬼。空気を短く吸い込むように笑い、恍惚とした表情を浮かべている。その表情の裏で、いったいどんな狂気を浮かべているのだろうか。

 俺は理解したくもなかった。


「隠れんぼは終わりだ。お前の命もな」


 業火が吹き出すかの如く激情が胸の中で荒々しく暴れ回る。その感情の正体を、俺は考える先に理解し、激情に体を任せた。

 その結果がこれ。我慢ならない殺気が、とめどなく溢れ出た。


「刻印の殺人鬼。思い出したぞ、その目。その口」

「ヒヒヒ、貴方と会うのは二度目ですね。前は……」

「3度目だ、殺人鬼」


 殺人鬼の言葉を被せるように中断させ、俺は風となった。秘める事のない殺気が、魔力で斬れ味を増した剣に乗り、夜の暗闇に溶ける。


「固定」


 かつて魔王の指をへし折った強力無比なカウンター。それが自らに向けられる事を分かりきっていた(・・・・・・・・)俺は、高速移動の中でグンと無理矢理、剣の軌道を変えた。


 防御される事を前提とした動き。いわば自身の殺気を使ったフェイント。相手の手札を全て見ることなく、予測していたからこその一撃であった。


「ーーーーっ!」


 鮮血が宙に舞う。それと同時に、血に汚れたナイフとそれを握る手が、地に落ちた。


「お前が空間系の使い手であるのはわかってる。お前に勝ち目はない」


 先日の空間の不具合。あれが空間同士の対消滅効果であると気が付いたのは、勇者達を観察し始めて暫くした頃の事であった。


 どういう経緯かは知らないが空間を広げた勇者の周囲だけが、まるで穴が空いたかのように、感知できなくなった。慌てて千里眼と透視、それから魔力感知を使い、状況を確認して気が付いた。

 細かい魔力同士がぶつかり消滅していっている事に。


 それが、答えと辿り着く足掛かりとなった。


 アーシュと勇者達、それから俺自身を鑑みて辿り着いた世界を越えた証である空間系スキルの才能。つまり、俺と同じく異世界から来た相手。

 それが、殺人鬼の正体へと辿り着く一つ目のピース。


「どうだ、殺人鬼。自分が追い詰められるのは」

「…………ヒヒッ」


 片腕を無くし、血に染まったローブを押さえる殺人鬼は、まるで俺の顔を舐め回すようなネットリとした視線を向けーーローブを翻した。


「逃げられると思ってるのかよ」


 これも前と同じ。バッとローブを靡かせて、逃げ出した殺人鬼は、屋根から屋根へ。そして、路地へと降り立つと、振り返りもせず走りーー


「ーー絶空」


 空気をも貫き通す真空の突きが、後ろから殺人鬼の足を穿つ。剣に纏わりつく荒れ狂う風が、闇夜を超えて狭い路地を銃弾の如く吹き抜けた。


「ナイス、ルクセリア」

「ふむ、旦那の予測通りであったな」


 万が一に備え、あらかじめ逃走経路を予測し、セシルを通じてルクセリアへに待ち伏せをお願いしていた。しかし、それは余計な心配であったようで、俺も殺人鬼に遅れる事なくその場に降り立った。


「ヒヒヒッ、強いですねぇ。それに頭もいい。貴方を殺したら最高に気持ちが良さそうだ」


 穴の空いた足を引きずりながらも、その狂気の殺意が消える事はない。ただ、純粋に殺人を楽しむ彼にとって己が命さえもその狂気の対象にしかならないのかもしれない。


 俺はもう逃げられはしない殺人鬼に、油断なく歩み寄る。

 殺意は未だ収まる事は知らず、恐怖はない。怒りで麻痺してしまっている。しかし、一方で冷徹なまでに冷め切っている頭と体は、殺人鬼の一挙一動見逃しはない。


 俺は間合いをゆっくりと詰めながら、さながら犯人を追い詰める探偵の如く、語り出す。


「この世界で何十人と殺してきたみたいだな。だが、数を数え間違えているぞ、殺人鬼」

「……かもしれないですね。もう100人近く殺してきましたから」


 ニタァと薄気味悪い表情を浮かべる殺人鬼。手に持つ被害者たちの血で赤く染まった刃は、手入れもされておらず、月光に反射して赤黒く見える。


「……96人だ。お前がこの世界で殺した人の数は。およそ2年前、刻印を刻まれた死体が初めて見つかった。それから、暫くしてまた一人。月日を重ねるごとに、刻印を刻まれた死体の数は増えていった」


 セシルによって集められた刻印の殺人鬼の被害者の情報。その被害者の羅列には一貫性はなかった。性別、歳、職業、住まう都市。生前の何もかもが違っていた被害者達の共通点。

 それは、死後、『日本語』をその体に刻まれていたという事実。それだけが唯一の手掛かりであった。


「ヒヒヒ、懐かしいですね。確かその子は、魔法学院の生徒でしたかね。生きたまま手と足を切り離してあげたのですよ。これがまた録音して置きたいほど耳当たりのいい叫びでね。その後、二、三度同じ殺し方をしましたよ」

「ゲスがっ……」


 なんて酷い殺し方を……っ!

 湧いてくる怒りの感情。それとは裏腹に頭の中は冷めきり、ひどく冷静であった。


「けど、不思議だな、殺人鬼」


 この時、殺人鬼は期せずして暴露していた。それが俺の導き出した推測に確実性を持たせ……


「何故、その初めて殺した子に、『二人目』と刻印を刻んだんだ?」

「……ッ!」


 殺人鬼を絶句させた。

 さしもの殺人鬼も、言うべき言葉が見つからなかった様子で、何故という口に開かれた唇から、言葉を失った空気が漏れ出る。


 俺は知っていた。この殺人鬼を。全てに繋がるピースを俺は自分の手に持っていた。


 そう、アーシュとの出会いが、無意識のうちに俺に悟らせていたのだ。その可能性を。


「色々聞きたい事がありそうだな。だけど、それに一つずつ答えてやる優しさは俺にはない。だから、一つだけ教えてやるよ、殺人鬼」


 歩みが止まる。剣を振れば殺人鬼を真っ二つに出来る距離だけを置き、俺は静かに全ての答えに繋がる言葉を繋げた。


「ーー『1人目』は俺だ」


 意図せず強い風が吹いた。その風は、俺の言葉を掻き消すように背中から前へと狭い路地を音を立てて吹き抜ける。

 風が運んだ音が、殺人鬼の鼓膜を小さく打ち付け、小さくない衝撃に目を見開いた殺人鬼は、三日月に開いた口を震わせた。


「ヒヒヒッ、ヒャッヒャッヒャッ‼︎」


 狂ったように大口を開けて、殺人鬼の狂笑が夜の街に鳴り響く。恍惚な表情の裏で見え隠れする、破綻した精神の影。気が狂っているとしか言いようのない壊れた人形のような笑い声が、静寂を狂気に塗り替えた。


 そう、それは狂乱の宴の始まりであったのだ。


 狂い、堕ち、人をやめた者の狂気と叫びが、町中で雄叫びをあげた。


「「「ヒャァァァア‼︎」」」


 何重にも重なった悲痛な叫び。それは人ならざる者の叫び。叫びに続くのは、数多の悲鳴と破壊音。建物の崩れる音が、地面を通して体に響く。


 突如にして始まった狂乱の宴。

 静けさの中にあった夜が、まるで戦時のような有様に変わった。


「貴様、何をした⁉︎」


 突然すぎて何が起こったのかわからなかった。俺は殺人鬼から意識を外し、街へと空間を広げた。その横で、殺人鬼が何かしたのだろうと疑いの目を向けるルクセリア。しかし、そんな事はお構いなしに殺人鬼は、高らかに笑う。


「……よかろう。吐く気がないのなら、ここで死ぬがいい。貴様の罪はそれだけ重い」


 新たな殺気がその場に加わった。ゴミを見るような冷酷な目になったルクセリアの剣に雷光が迸る。

 俺は咄嗟に横取りするなと言おうとして、即座に口を止めた。代わりに、斬りかかろうとしたルクセリアの腕を引き、後ろに飛ぶ。


 ルクセリアは一瞬、唖然としたような顔を浮かべたが、直後に響いた轟音と、飛び散る瓦礫を見て俺の意図を悟った。


「ヒャァァァア‼︎」


 鎧を身に纏った帝国兵の成れの果て。闇に支配され、己が意思を排除された操り人形となった帝国兵が1人、建物を突き破り俺たちの前に現れた。


「ここは一度引かせてもらいますよ」

「だから、逃すかってのッ」


 瓦礫の粉塵に紛れ、逃げようとする殺人鬼。俺は瞬時に中級魔法を発動。屋根に飛び乗ろうとする殺人鬼を火の槍が迎撃した。

 しかし、空中で翻った殺人鬼が隠し持っていたナイフで魔法は斬り落とされ、火の残滓だけが飛び散る。


「お返しです」


 そんな事を呟いた殺人鬼が発動した風の嵐が、飛び散った火を煽り、瓦礫の山に火をつけた。轟々となびく風の煽りを受け、いっきに燃え上がる火の手。

 視界が赤に塗り替えられ、殺人鬼の姿がその中に埋もれていく。


「また、お会いしましょう」


 その捨て台詞を最後に、炎上する火に黒い影となって映る殺人鬼の姿は、まるで陽炎のように消え失せた。


「くそっ、悪手だったか……っ!」


 そう吐き捨てると、消火の為の水魔法のイメージを頭の中で描く。本心としては今すぐ殺人鬼を追いたいが、自ら撒いた火種を放置は出来ない。これだから街中での戦闘はやり難いんだ。

 そんな風に内心で愚痴をこぼした時、厄介な相手が火の海から飛び出してきた。


「ヒャァァァア‼︎」

「くっ……」


 咄嗟に抜いた剣が、魔人の一直線の攻撃を受け止める。しかし、体制が悪く力がうまくかからない。


 ーー押し切られる。


 そう感じた時、剣が軽くなった。俺の不利を悟ったルクセリアが横から魔人の体を吹き飛ばしたのだ。


 魔人は腹から血を撒き散らしながら、建物の壁へと激突。その衝撃で、建物が大きく揺れ、窓ガラスがガシャンと音を立てて、道に破片となって降り注ぐ。

 破片が魔人の体に傷跡を作っていくが、痛みに体を庇う様子など微塵も見せず、犬歯を光らせる。


「ったく、また魔人かよ」


 魔王から始まり、ここ1年で何体目だ。どこかの名探偵じゃないが、行く先々で魔人と出会うようなら、魔人製造機と呼ばれ兼ねないぞ。


「旦那、殺人鬼を追うか?」

「いや、もう完全に逃げられた。空間は打ち消されたし、千里眼で探すには街が広すぎる。それに……今はこっちの方が問題だ」


 空間が機能しない今、一体どれだけの魔人が出現したのかもわからない。痛覚がなく、並の攻撃じゃ絶命させる事もかなわない相手だけに、帝都といえどどれ程の人が魔人相手に戦えるかもわからない。

 今は殺人鬼よりも人命を優先する場面だ。


「やるぞ、ルクセリア。魔人狩りだ」



 〜〜〜〜



「「「ヒャァァァア‼︎」」」


 町全土に広がる耳を塞ぎたくなる高く悲しい叫びが、切迫した空気を作り出す。刻一刻と変わる状況。殺人鬼の凍りつく殺意が消え、体に温度が戻り始めた時の事であった。


 叫びを乗せた風が、天から降り注ぐ。前に一度聞いたその叫びを、私達は忘れてなどいなかった。戻り始めた体温が急激に冷え、全身がカタカタと震えだす。

 助けを求めて周りに目を向けてみれば、死の恐怖を思い起こさせる叫びと、一瞬で命を断たれた海堂の死体を見て、足元から刷り上がってくる恐怖に震えが止まらない。


 ヒナタくん……


 殺人鬼を追って行った少年の名を心の中で呼んだ。


 もう…………心が折れてしまった。


 この世界に来て初めて、クラスメイトが死んだ。気が狂いそうな程の殺意に晒され、自分が殺されるかと思った。クラスメイトが嫌な奴であったとしても、結果的に今自分が生きていたとしても、それらは大筋の中の小道に過ぎない。


 次は自分の番かもしれない。


 もう立ち直れそうになかった。この世界がこれ程恐ろしい所だとは思わなかった。何年もかけて作り上げた偽の自分が全て崩れ落ちていく、そんな気がした。


 そんな恐怖の中で、思い浮かべたのは、この世界で春樹と私の命を二度も助けてくれた彼の姿であった。屋根の向こうに消えていった彼の姿を見えもしないのに目で探し、縋り付くように視線を彷徨わせた。


 助けを求める悲鳴が街中で鳴り響く。勇者を求める声が、助けてと求めてくる。

 だけど、名前だけの勇者である私達にはどうしようもなかった。悲鳴の数だけ、恐怖が増し、助けになど行けそうになかった。


 もうこの場には、ただの高校生しかいなかった。


「に、逃げよう」


 誰かが震える声で呟いた。その声に、ただ震えることしか出来なかった私達も、顔を上げ生き残る為に小さく頷く。


 そこからは早かった。壁に埋もれた春樹を引っ張り出し、唯一の男子だった倉田が背負う。倉田は嫌な奴だが、それでもこの場面で人を見捨てるような奴ではなかった。いつも一緒にいた海堂が目の前で無残に殺されて、その事で一番ショックを受けていたのは彼だったからだろうか。

 自ら春樹の体を背負い、走り出した彼の表情は後悔や悲しみ、数多の負の感情を含んでいた。


 私達は誰も彼を責めず、ただ必死に街を駆け抜けた。その必要はなかったし、今揉める事が愚かであると誰もが理解していた。


 先頭を走る子が指示する声だけが聞こえる。人の助けを求める悲鳴と、魔人の叫びを避けて、帝城に向かってひた走る。


 こんな私達を見たらきっと先生も、街の人も失望するに違いない。だけど、私達にはこうする事しか出来なかったのだ。


 そんな逃げ惑う私達を責め立てるように、建物を蹴り破って魔人が姿を現した。私達を見つけた魔人の叫びは、勇者に救いを求めるようなそんか叫びに聞こえた。


「ヒュァァァァア‼︎」


 逃げるな。俺を殺せ。勇者なら、俺をこの苦しみから解放してくれ。

 そう責め立てられている気がしてならなかった。


 踵を返そうとした私達に、魔人はもう一度吠える。


 なぜ逃げる⁉︎

 怖いんだ。どうしようもなく……


 俺を殺してくれ!

 私達には出来ない……っ。その覚悟がないんだ。


 それでも勇者なのか⁉︎

 私達は、勇者なんて資格持っていないっ……!ただの……ただの高校生だ……


 足を返す言い訳が心の中で錯綜する。

 勇者などおこがましいにも程がある。幾ら強くなっても、幾ら勇者として奉られても、幾ら魔物と戦っても、私達は戦いを知らない日本の高校生。それ以下でも以上でもない。


 魔王を倒す以前に、魔物と戦う以前に、剣を持つ以前に、私達は戦う覚悟なく勇者となったのだ。


 ただ一人を除いては。


「倉田……下ろせ。俺があの腐れ魔人を殺す」

「春樹⁉︎ 目が覚めたのか! あ、いや、ボコボコにした俺が言うのもなんだけどよ……」

「いいから下ろせ。何となく事情はわかってっから」


 背中越しに謝る倉田など目にも留めず、春樹は魔人を正面に捉え、目を離さない。


「ってぇ。折れてんじゃねぇか」


 自らの足で立った春樹。右足を支えに、折れた左を庇いながら、地面に立った。


「春樹、その体では無理だ。い、今は……逃げるしかない……っ」

「逃げられねぇだろ。これは」


 この場で最も重症を負い、状況も掴めていないはずの春樹は、嫌に冷静だった。すごく冷めきっているように見えた。その顔は険しく、まるで自身を責め立てるように、歯を食いしばっていた。


「俺が囮になってやるよ」

「……ッ!は、春樹、……死ぬ気はないんだよな……? 何か手が……」


 私は何故春樹がそんな事を言えるのか、不思議でならなかった。何か勝てる策でもあるのかと、思った。


「死ぬんじゃなぇかな」


 だけど、春樹はそれが何でもない事のように呟いくのだ。


「……何故だ……?」


 私にはわからない。突然拉致された世界で、本来自分達が生きる場所とはまったく異なる世界で……


「何故、そんなに簡単に命を捨てられるんだ!」


 訓練だっていつも手を抜いていたのに、こんな時だけ何故勇者として立てるんだ。


「勇者なんてもう止めよう! 私達にはそんな資格なんてなかった! だから、一緒に……」


 春樹の振る舞いが正しく勇者であったとしても、そんな事はもうどうでもいい。

 死んで欲しくない。幼い頃からの友達をこんな所でなくたくない。

 私は心の叫びをそのまま口にした。無理な事は無理と諦めて、一緒に逃げようと。


 だけど、春樹はもう覚悟を決めてしまっていた。きっと、春樹だけがこの世界で勇者となった時、戦う覚悟を決めていたんだ。

 いつかこういう日が来るとわかっていたんだ。


「俺は……逃げない」


 強い言葉であった。体はもうボロボロなのに、相手は化け物なのに、春樹の言葉には迷いがない。


「何で……」


 何で迷いなく命が捨てられるの?

 何が春樹をそこまで駆り立てるの?

 何で勇者でいられるの?


 複雑に絡み合った疑問が、その一言に集約されていた。


 春樹は、振り向きもせずに答える。


「勇者だからとかそんな理由じゃないんだ。ただよ……ここで逃げたら嶺自との約束守れないからよ。結衣を守る。これだけは死んでも破れないんだ」


 嶺自との約束……?

 私を守る?

 その為に……春樹は死のうとしている?


 この時、私の目に映る春樹の背中には、鎖が巻き付いているように見えた。


「やめて! 春樹っ! 私はそんな事して欲しくない!」


 気が付けば私は叫んでいた。魔人が刻一刻と迫ってきているのも構わず、立ち止まり春樹を引き止めていた。


「結衣の気持ちは関係ない。これは男同士の約束なんだ」


 春樹は私の手を引き離そうと腕を掴む。そして、強引に引き剥がそうとする春樹に、私は必死にしがみついた。今離せば、春樹が死んでしまう。それは、絶対に避けたかった。

 どれだけ恐ろしくても、どれだけ震えても、もう二度と大事な人が死んだところなど見たくはなかった。


「ちょっ、いつも肝心な時にビビる癖に、何でこんな時だけ勇気出してんだよ! いいから離せって!」

「絶対に離さない! 私は……私はもう二度と大事な幼馴染を失いたくないっ!」


 迫りくる魔人に慌てる春樹と、泣き叫びながら思いを必死に言葉にする私。まるで喧嘩している様な絵面だったが、その喧嘩を止める周りの声は切迫し、余裕のないものであった。


「結衣っ、マジで離せ! やばいって!」

「だったら、一緒に来てっ! 一緒に生きて! 新しく私達を始めるんでしょう⁉︎ 」


 そんな風に揉み合う私達に、


「ヒュァァァァア‼︎」


 口が裂けた魔人が飛びかかってきた。



 〜〜〜〜



 街が燃えている。

 至る所で、火の手が上がり、街の建物が瓦礫とかしていた。そんな街の様子は、帝城からでもよくわかった。

 何かが起きている。

 騒然とする街が、まるで助けを求めているかのように、悲鳴と叫びを響かせていた。


「何事だ!」

「はっ! 現在市街にて魔人が出現した模様。巡回中であった兵士が魔人と交戦中との報告もあります」


 兵士の報告を受けたゼブラトは、険しい顔付きで窓の外を眺めた。火の手は無数に上がり、街全体で激しい戦いが繰り広げられている事が、一目でわかる。

 彼は、バッと手を振りかざすと皇帝として、兵に指示を飛ばす。


「全軍をもって事態の鎮圧に向かえ‼︎ 寝ている者は叩き起こせ‼︎」

『ハッ‼︎』


 皇帝の指示に揃って短く返事をした兵士達は慌ただしく動き出す。そんな中で、ゆっくりとセブラトへと歩み寄るのは、マーレシアであった。


「行かれるのですか?」


 不安を目に宿すマーレシアは、無駄と知りながら、装備を整えるゼブラトへと尋ねる。


「民を放っては置けぬ。それが皇帝としての務めだ」

「ええ。ですが、お気を付け下さいませ。近頃のこの国は何かがおかしいです。今回の事も。誰かが意図的に仕組んだものかと」

「…………」


 マーレシアの言葉にゼブラトは一瞬手を止めた。目の奥で何か思案するように、無言で装備を整えると、一言マーレシアに行ってくると伝え、帝城の窓から飛び出した。


「やんちゃなのは変わりませんのね」


 窓から街へ走り出したゼブラトの背を、懐かしそうにマーレシアは見詰めていた。



 〜〜〜〜



 断末魔の叫びを幾度も耳にした。その度に、どこにぶつけていいかわからない怒りが膨れ上がる。


「ヒュァァ……」


 これで9度目。灰のように粉々になって力尽きていく魔人。最も効率的で、残忍な殺し方。それでも悲劇を抑える為に、効率を優先し俺は彼らの命を奪い続けた。


 飛び交う悲鳴。勇者に助けを求める声に、俺は応え続けた。

 俺は勇者ではない。だが、今人を救う力はある。己が罪を省みるのは後でいい。俺はこの世界に生まれた時から既に人殺しであったのだから。


「魔爆」


 超圧縮した魔力が、また一人魔人を灰にした。それに対して周りから賛辞が送られる。それを耳にして、歯痒い気持ちを感じながらも、俺はまた街を疾走する。


 これは無理だ。

 勇者には出来ない。

 温い現実の中で生きて来た彼らには、耐えられない。


 俺は、魔人を殺す過程でそう感じていた。だって、無理に怒りに変えて誤魔化さないと、この世界で生きて来た俺でもどうにかなってしまいそうな程、キツかったから。


「ちょっ、いつも肝心な時にビビる癖に、何でこんな時だけ勇気出してんだよ! いいから離せって!」

「絶対に離さない! 私は……私はもう二度と大事な幼馴染を失いたくないんだ!」


 と、不意に叫ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声に思わず振り向くと、遠くに春樹と如月の姿が見えた。十字路の中央で何やら揉み合う二人。

 こんな時に何やってんだと、呆れた視線を送っていると、雲行きが怪しくなる。


「結衣っ、マジで離せ‼︎ やばいって!」

「だったら、一緒に来てっ‼︎ 一緒に生きて!新しく私達を始めるんでしょう⁉︎」


 春樹の切迫した声に、まさかと透視で彼らの前に目を向け、背筋が凍る思いをした。

 彼らの前にいたのは魔人であった。それに気が付いた時には既に遅い。後一秒もかからず魔人の魔の手が二人に襲いかからんとしていた。

 咄嗟に焦燥に駆られて足を走らせるが……


 ーー間に合わない……!


「なろぉっ‼︎」


 その時、影が二人と魔人の間に割り込んだ。黒髪の青年が、汗塗れで必死になりながら、2人を庇ったのだ。だが、その抵抗虚しく、彼は軽々吹き飛ばされ、背中に庇った二人もろとも十字路の先で、ゴロゴロと転がった。


「ナイスカバー‼︎」


 誰だったか覚えてはないが……良くやった! これで間に合う。

 そう思い、魔爆の為の魔力を手に集め始めた。そして、一気に瞬動で接近ーー


「私も戦う! 春樹だけを置いてなんて行けない!」


 ……しようとして、足を止めた。

 心がざわついた。整理したはずの心が、どよめきを取り戻す。


 何言ってんだよ、あいつ……


「結衣、やめろ! 俺がやる! お前らはとっとと逃げろってんだ‼︎」

「今の春樹に何が出来るって言うんだ⁉︎ その体ではもう何も出来ない! だから、私も戦う! 今、戦わなければ、私は私が許せない!」


 あぁ……そういう事か……クソったれ。


 もうあいつらは変わり始めているのか……


「やめろッ、結衣‼︎」


 春樹の制止を振り切り、如月が魔人へ向かっていった。その速度は遅く、俺や魔人から見れば子供のような動きだ。見えるのは、一瞬後に切り裂かれる如月の姿。それを幻視して、春樹だけでなく他の勇者達もまた制止を促した。しかし、声は彼女に届かず、泣いている癖に歯を食いしばって魔人へと挑もうとする。


 俺は今度こそ瞬動で、魔人の前に移動した。そして……


「魔爆」


 一撃の爆破の元に、魔人を葬った。爆発の余波が、地面を削り、建物の壁に大穴を開ける。チリのように細かくなった魔人の体は、未だ止まない狂乱の風によって運ばれ、消えていった。


「ひ、ヒナタくん?」


 俺の背中を確かめるように見詰める如月。一瞬の出来事過ぎて、脳が追いついていないようにも見える。それは、他も同じで呆然として俺の言葉を待っていた。


 俺はかける言葉を探しながら、ゆっくりと振り返った。


「やはりヒナタくんだったか……」


 腰が抜け、安心しきったその顔は、どこか泣いているようにも見えた。


「今度こそ本当にもうダメかと……」

「もう……」


 如月の言葉に被せるように出た言葉。それは、言おうかどうか迷っていた言葉。躊躇いが、言葉を区切る。

 だけど、何かが俺の口を動かし続けた。


「……もう帰れ」

「えっ……?」


 ひどく不器用な言葉であった。もっと違う事が言いたかった筈なのに、口から出たのは帰れの一言だった。


「ここは……この世界は、お前らがいるべき場所じゃない。元の世界へ帰れ」


 ……俺は何を言ってるんだろう。

 この世界に染まったら、日本へ帰れなくなる。俺がそうだから。そう伝えたかったはずなのに、秘密を明かしたくないという気持ちと、ここにいて欲しくない気持ちが混ざり合い、帰れと冷たい言葉になって口から外に出た。


 俺はそんな口下手な自分に舌打ちを一つ打つと、その場から逃げるように離れた。


 残された勇者達は、ただ立ち尽くすだけであった。口下手な俺の言葉は、彼らに全く違う意味で伝わったかもしれない。


 異世界人からの拒絶として。

 自分達が情けなさ過ぎて現地人に拒絶されたように聞こえていた……かもしれない。


「くそっ……」


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