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124.母と子


死が一歩ずつ歩み寄る。


私にではない。

私は何も出来ず、人を殺す事を恐れ、動けなかった。死ぬ事が怖くて震えていた。

そんな私達にキレた春樹は、魔人に挑み、今まさにその心臓を貫かれようとしていた。


「……ッ‼︎」


もうダメだと私が諦めた時、突風が吹いた。

それは、殆ど一瞬の出来事。何が起きたか、私には理解が及ばなかった。ただ、その風は、救いを運んで来てくれた。

1人は、背の高い大柄な男性。その人は、拳と剣を突き出し、魔人の攻撃から春樹を守った。


そして、もう一人、ヒナタという少年。彼と同じ名前に思わず私が取り乱す事になった原因を作った少年。

魔人の腕を強く握り締め、ねじり上げた彼の背中は、あの日私を庇ってくれた小さな背中によく似ていた。


「あっ……」


私はホッとした瞬間、気が抜けたのか、腰が抜けて地面に崩れた。地面に落ちた手を見れば未だ震えが止まっていなかった。

それは何に対しての震えなのか。

私なギュッと手と手を握り締めた。


「今楽にしてやるからな」


優しくて、強い声。

私はハッと顔を上げた。

まだ戦いは終わっていないのだ。そんな当然の事を失念して、終わったものだと安心していた自分を恥て、足に力を入れ直す。

しかし、立ち上がろうともがいた瞬間、爆風が吹き抜け私はお尻からまたも地面に逆戻り。


「キャッ!」


爆風は春樹のすぐ前で起こった。

舞い上げられた粉塵。ただの踏み込みが、地面を豆腐のように砕き、爆砕させた。砕かれた地面は土のあられとなって、周囲に飛び散る。その粉塵を置き去りにし、二人は魔人へと肉薄していた。


「うそ……」


自然と声が溢れた。春樹が手も足も出なかった魔人。勇者軍の中で最も強い4人が束になって、敗北しかけた相手に、互角以上にたった2人で渡り合っていた。


「な、なんだよあいつら……」


クラスメイトの誰かが唖然と呟いた。声に出さなくとも誰もが彼と同じ気持ちであった。


背の高い男性、確か名前はルクセリア。彼はその体格からも、また年齢に伴う風格からも、強い人である事はわかっていた。まさか、レーナ先生と同じくらい強いとは思っていなかったけれど……それ以上に私達を驚愕させたのは、シルビアちゃんと同い年のヒナタが、ルクセリアさんに勝るとも劣らない動きで、魔人圧倒していた事だった。


赤い光を纏ったヒナタは、素手で魔人の攻撃を受け切っていた。それどころか、真面に攻撃を受けてもビクともしない頑丈さ。攻撃を受けた後の瞬時の反撃。

私達は彼の戦いに魅力されていた。


本当に子供なの?


そんな疑問が浮かぶのは、至極当然であった。


「鬼強ぇな、あいつ」

「春樹っ? もう動いても大丈夫なのか?」

「おうよ。なんせ一発殴られただけだかんな」


服をボロボロにして笑う春樹。私はホッと胸を撫で下ろすと、首に大怪我を負ったアルク君について聞いた。


「アルク君は?」

「ほっとけば治るってよ」

「そうか……無事で良かった」


あの子が助けに入ってくれなければ、二人とも、いやシルビアちゃん達も危なかった。

数時間前に、彼には失礼な事をしてしまったが、このお礼は謝罪と共に伝えなければ。


そんな風に思い、戦いに目を向けると、春樹もまた同じように私の視線の先を見詰めた。


「俺も怪我治ったし、いっちょ参戦してみっか」

「止めておきなさい。彼に任せておけば大丈夫よ」


死に掛けたばかりなのに参戦しようかと言い出した春樹を、シルビアちゃんが横から制した。見れば、怪我が治ったアルク君と、弓を背負い直したカノンちゃんも一緒にいた。


シルビアちゃんに止められた春樹は、面白そうに口元をニヤつかせた。


「ほほう! えらく信用してんだな。いやぁ、よく喧嘩してっから、てっきり仲悪りぃのかと思ってたが、実は熱々でしたってか?」

「おかしな勘ぐりは止めて。……彼は本当にどうしようもなく強いのよ。私なんか相手にならないくらい」


そんな風に自分を卑下する割には、爽やかでそして、スッキリとした表情を浮かべながらシルビアちゃんは言った。

それに春樹はウンウンと頷くと。


「確かに、あれを見せられっとな」


私は気遣いを知らない春樹の頭を叩いた。


「もうっ」

「気にしなくていいわ、結衣。別に自分を卑下してるわけじゃないから。ただね……惜しいとは思うわ」


赤く輝くヒナタが二体の魔人の攻撃を同時に受けた。しかし、吹き飛ぶどころか、それにカウンターを撃ち返すヒナタ。

惜しい……なんとなくその言葉の意味がわかった気がした。


何故あの子が勇者ではないのだろうか……



〜〜〜〜



「チッ、皮膚が鋼鉄みたいだ」


俺は舌打ちして、ミドルキックで片方の魔人を吹き飛ばす。そこへ迫るもう一体の魔人。


「ヒァァァァ‼︎」


口が裂ける。痛みなどないように、限界まで開いた口は、開く力に堪え兼ね引き裂かれた。俺を食らう為に。


「ごめんっ‼︎」


謝りながら、俺は体を回転させた。蹴り上げた足をくるりと回し、その勢いで腕を振り回した。引き裂かれた口が、さらに割れる。そこから上と下、正直見れたものではなかったが、顔の上半分を失った魔人。

あと一人。

そう思った時、顔の半分を失った魔人の肩がピクリと動く。


「嘘だろッ⁉︎」


乱暴に振り回された腕。俺は腕をクロスしてそれを受けると、驚愕から勢いを利用して後方に飛び退いた。

これでも死なないのか……


「ァァァァァァァァ‼︎」


その声は酷く悲しい叫びであった。顔の半分を失って尚、狂ったように動く化け物が発したとは思えない、そんな悲痛な悲鳴染みた叫び。

俺にはそれが、人間であった彼が早く殺してくれと言っているように思えた。


「ああ、すぐ殺してやる」


怒りにも似た殺意が溢れ出た。

お前も、お前の仲間も、そして、お前らをこんなにした奴も、俺が必ず殺してやる。


スッと抜いた刃に、殺気が宿る。持ち手から剣先へと、水が伝い落ちるように魔力が流れ込む。


「瞬刃」


瞬動で肉薄した俺は、加速した体で剣を斜めに斬り落とす。その途中、まるで跳ね返されたような衝撃を腕に受け、無理矢理に軌道を捻じ曲げる。ボンボンという小さな爆発音が、僅か数旬の間に何度も鳴り響き、一つのどデカイ爆発音となって駆け抜ける。


それは、魔装を纏って初めて可能な技。予め、剣の辿る軌跡に合わせ、小さな爆発を起こす魔法を発動させておく。

そして、瞬動の加速を利用して剣を降り降ろすと、その軌跡に合わせた爆発の衝撃で剣の軌道を捻じ曲げるという荒技だ。魔装を纏っていなければ、今頃俺の手はぼろぼろであろう。


何巡したかも定かではない銀線の軌筋は、俺が加速を止める一歩を着くまで魔人の体に筋を刻む。


トンッーー


加速の終わりを告げる足音と共に、置き去りにした時間が戻り来る。


「ァァァァ……」


低い断末魔を上げる魔人。幾つくにも重なり、交差した亀裂が、魔人の体に走った。それでも尚、脈動する体。俺は最後の手段に出た。


「魔爆」


破壊の種を置き去りに、俺はその最後を一瞥する事なく、もう一体へと足を走らせる。ゴォォォォという万物を消滅させる破壊音が耳を打つ。

それを背中で感じながら、剣に魔力を送る。


「終わりだ」


猿のように掴み掛かってきた魔人へ鋭く剣先を突き立てた。浅く突き立てた刃の先から、圧縮済みの魔力を送り込む。


「魔爆葬送」


ズボッと剣を抜き飛び退くと、膨れ上がる魔力を抑えるかのように、身を縮ませる魔人。


「ヒュァァァァァ‼︎」


内側から、チリに化していく元同業者の姿。俺はやるせなさを隠せず、グッと奥歯を噛み締めた。


せめて、遺体は残してやりたかった。彼らにも家族や友人がいただろうに……



〜〜〜〜



魔人の襲撃後、魔王が現れる事はなかった。いったい何が目的で彼らを魔人にしたのか、わからずじまいだ。

決して魔王に襲来して欲しいわけではないが……仇を討ってやりたかったと、どうしようもない矛盾を抱えていた。


魔人の襲来は、俺にそんな煮え切らない思いを残しつつ、また地球から来た彼らに浅くない傷跡を残した。

人と殺すという恐怖。それから、自分達が何と戦わねばならないかという事を。


自分でも今回の戦いは気持ちのいいものではなかった。敵を倒した爽快感など皆無。ただただ酷い、そんな戦いだった。

邪神が滅んで約5000年。しかし、まだ終わっていないのだと、実感した。


「……さて、そんじゃま、行きますか」


半分以下になった旅のお供。グール、キースは当たり前として、後付いてくるのはセシルだけだ。


魔人騒動のせいですっかり忘れていたが、セシルがこの2ヶ月何をしていたのか聞いてみたところ、俺たちが捕まってすぐレーナさんに情報を漏らし、ついでに帝国の情報網を掌握し、レーナさんを呼びつけたのだそうだ。その腕前には正直感服したが、数日の内にそれは終了し、後は宿でゴロゴロしていたらしい。とりあえず捕まえてレーナさんに引き渡しておいた。


犯罪者はこいつです!


しかし、朝起きるとセシルは既に釈放されていた。今日ばったりあったレーナさんが何やらお見合い写真を大量に抱えていたから、恐らく賄賂で釈放されたのだろう。


お巡りさーん! ここにも犯罪者がいました!


そんな風に前科持ちとなったセシルの案内の元、まずはキースの暮らしていた村を目指した。近いからとの事で、キースの次にグールを送る事になったが、その実、グールの方は心配事が残っているため、後回しにしたのが現状だ。


コーロの港町から北西方面に続く街道を辿りながら、別れを惜しむように精一杯遊ぶ二人の少年の姿を見ながら、ゆっくりと歩いた。

道のりは凹凸もない平坦な道を進むだけであった。砂漠越えに比べれば、欠伸しか出ない道のりである。


魔物も定番の弱小集団しか出てこない。最近、暇を持て余していた俺は少し運動不足気味である。あのアルクって子と勝負すればよかったなと、思いを巡らせながら、一週間程かけてキースの親が待つ村へと到着した。


「キース⁉︎ キースなのか⁉︎」


村に着いてすぐ、畑仕事に行こうとしていたのか、鍬を持ったおっちゃんがキースの姿を見て、仕事など放り出して走り寄ってきた。


「お前さん、生きてたのか!」


嬉しそうに笑いながら、キースを抱き締めたおっちゃは、近所の叔父さんだったらしい。後から聞いた。


キースの帰郷はすぐに彼の両親の元へ伝えられた。騒然とし始める村。誰もがキースの帰郷に涙し、喜びを露わにしていた。

ワンワン泣きじゃくる両親に、強く抱き締められるキース。彼は本当に嬉しそうに、両親との再会を喜んでいた。


そんな一幕を見て、少しだけ気持ちが軽くなった俺とは違い、グールはとても寂しそうな顔をしていた。母が恋しのかもしれない。


俺はムシャムシャとグールの頭を撫で回した。

あんな再会になるといいな、と何処か祈るような気持ちで。


その後は、お祭り騒ぎであった。キースの帰還を村の皆全員で喜び、騒ぎ立てた。今日でお別れとなるグールとキースは、お祭り騒ぎに混じり、一緒になって踊っていた。

そんな彼らを見ながら、俺とセシルはノンビリ酒を傾ける。しかし、話題はこの賑やかなムードには似つかわしくない、暗いものであった。


「こないだの、どう思う?」

「私が調べたところ、魔人となった5人は新米の冒険者で間違いないようだ。最後に彼らが確認されたのは、魔人騒動の数時間前。近くの森に依頼へ向かったところまでは確認が取れている。ククッ、おそらくはその森で何か良からぬ事が起こったのであろうな」


森か……


「魔王の関与はあると思うか?」

「クククッ、断言しよう。これは魔王の仕業ではない」

「何故言い切れるんだ?」


優雅な動きで口に飲み口を当てながら、セシルは微笑する。


「色々と理由はある。一つに私の情報操作は完璧である事。次に、魔人騒動時、魔王自らが出てこなかった事。そして、騒動が小さ過ぎた事が理由である」

「一つ目と二つ目はわかる。けど、3つ目の根拠がわからない」


一つ目は、向こうに俺の存在がバレていないのなら、街を襲う理由がないという事。二つ目は、もしバレていたとして、向こうから出てこなかった事。

だが、騒動が小さい事が魔王が関与していない証拠になるのか、俺にはわからなかった。


そんな俺にセシルは細く長い指を立てて、説明し始める。


「一つに、魔王が関与したと思われる事件は、あの程度のものでは済まない。王都進行、ルクセリア氏の一件。どちらも国を揺るがす大事件。過去にも、数度似たような国を揺るがす、もしくは国そのものが滅ぶ大事件があり、それら全てに魔王の関与が疑われているのだよ」


いったい魔王の目的は何なんだ?

人の国を潰す事が目的なのか?


「更に付け加えるなら、過去魔人化した人々は新米冒険者という実力が低い者達ではなかった。最低でもルクセリア氏の父クラス。冒険者ランクで表すのならばAランク相当の者以上であった」


なるほど。やはり、魔人化する前の強さが、した後に繁栄されるんだな。まぁ、それは当たり前と言えば当たり前。魔人化する事を一種の急成長だと言うのなら、元が強ければ強くなるのは当たり前の話だ。


「ククッ、そして、これが一番面白い。勇者召喚されて以降、いや、その少し前から何故か帝国領土、並びに支配地域にて多数の魔人が出現するようになった。更に不思議な事に、必ず弱い者が魔人となる」

「面白がるなよ。魔人って言うのは、ホント碌でもないんだから」


別に怒っているわけではない。実際に見ないとわからない事だってある。俺も日記を読んだだけでは、魔人という存在の悲惨さを理解してはいなかった。


「私が面白いと感じるのは、魔人ではないのだよ。大事件が起こる予感が、それに私という存在が関われるという予感が、私を打ち震わせるのだ。クククッ、主よ、期待しているぞ」


どう期待に応えればいいのやら……

期待する前に仕事しろ。結局、何にもわからないままじゃないか。


そんな一人愚痴を心の中で零しながら、口に酒を煽る。


…………まずい。



〜〜〜〜



キースと村で別れた後、彼の両親からお礼だと渡されたお菓子をボリボリ食べながら、ユーロリア大陸を北上した。

目指すは、歓楽街ラスペガ。ユーロリア大陸一騒がしい街だそうだ。いわゆる風俗街が立ち並び、賭博、酒、碌でもない輩ばかり集まる街らしい。


そんな街に住む母親へグールを送り届けていいものか、未だに悩む。だが、グール自身が帰りたいと願っているのだからと、良くない未来を想定しつつも街へ向かった。


およそ一週間の旅路を経て、ラスペガに到着した俺たちは、彼の母親を探し歩いた。しかし、日が落ちるまでに見つける事は出来ず、やむなくセシルが情報を集めに向かう事になった。

その間、俺とグールは汚らしい宿屋で、適当に寛いでいたのだが、グールは始終ソワソワと落ち着かない様子で、母親との再会を待ち焦がれていた。


そして、夜になり軽く食事を終えた頃、セシルが情報を持って戻ってきた。


「主よ、彼の母親の居場所は見つけた。普段の行動パターンも。如何する?」

「そうだなぁ、夜だし明日の方がいいのかもしれないけど……」


チラッとソワソワしているグールを見る。待ち切れないといった様子ではあるが、ワガママを言おうとはしないグールを見て、俺も覚悟を決めた。


「グールも早く会いたいだろうし、今日中に片をつけるか」

「了解した。母親は、この時間裏町の飲み屋を渡り歩いているらしい。一先ずそこへ向かおう」


俺たちの会話を聞いたグールは顔を綻ばせながら、宿を飛び出した。もう我慢出来ないらしい。

俺とセシルはその後を小走りで追い掛け、気付けば裏町へと来ていた。


道にはゴミが散乱し、争った跡も残っている。店は大概扉が半開きないしは、壊されていて治安の悪さが伺える。

ここにアンナを連れて来たらダメだな、と胸に書き込みつつ、そんな裏街を走っていくグールを追い掛けた。


「キャッハハハ‼︎ ほんと馬鹿でしょ、そいつ? 誰があんたなんか好きになるかっての」


下品な笑いが裏町の道に響いた。こんな女は嫌だなぁと、愛しのシャルステナを思い浮かべ走っていると、グールが突然立ち止まる。そして、


「母さんっ!」


下品な笑いが聞こえた方向へ走り出す。


えっ? マジで? 今の人?


俺は若干ごめんなさいしながらグールの後を追った。


「そんでね、そいつったらさ……」

「母さんっ‼︎」

「あぁん?」


裏町にある一軒の飲み屋に走り込んだグールは、涙目ながら母親へと抱き着いた。振り返った母親が、機嫌悪そうにグールの方を見る。少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに舌打ちするように口元を歪めた。


「なぁんで、あんたがここにいるの」

「それはね、母さん、あの人……」

「うるさいんだよっ!」


俺たちの方を指差して説明しようとしたグールを平手打ちで叩き飛ばす。


「か、母さん……?」

「チッ……あ〜あ、折角いい厄介払いが出来たってのに。……戻ってきてるんじゃないよっ。あんたが、いると、男が出来ないんだよっ‼︎」


バシバシとグールを叩く母親。俺は見ていられなくなり、思わずその手を掴み止める。


「あんた、最低だな。自分の腹を痛めて産んだ子だろ? 必死にあんたのところに戻ろうと頑張ってきたグールに、その仕打ちはないだろ」

「黙りなっ! 自分で産んだ子なんだから、どうしようがあたしの勝手さっ!」

「お前っ……!」


まるで取り合おうとしない母親の様子に、俺は怒りを露わにする。プルプルと拳が震えていた。でも、グールの目の前で殴るわけいかないと、必死に拳を止めていると、


「っ……‼︎」


グールは泣きながら、受け止められない現実から逃げるように駆け出した。


「ハッ、ガキなんてあんなもんよ。オラッ、いつまでも手握ってんじゃねぇ! あんたも……」

「黙れっ‼︎」


俺は乱暴に手を離すと、グールの後を追う。やっぱりこんな母親に会わすんじゃなかった。死んだ事にでもすればよかった。


「グール、待て! ちょっと落ち着け!」

「落ち着けないよっ‼︎ 僕は母さんにとっていらない子だったんだよっ! それなのに、それなのに、僕は……っ!」


グールの目からは涙が止めどなく溢れ出していた。

最も心を寄せていた相手からの拒絶。それが幼い少年の心をどれだけ深くえぐり取ったか………悲痛に嘆くグールは、もうどうして良いかもわからずただただ泣きじゃくる。


そんなグールを目にした俺の頭に、親父の言葉が浮かんだ。


「……グール、お前はどうしたい?」

「どう……?」

「そうだ。泣いていても、嘆いていても始まらない。前に進まないと。どんなに辛くても、苦しくても、人は前を見ないといけないんだ。だから、グール……お前は何を前にして進む?」


夢を持て。

親父が俺にくれた言葉。それは、冒険者の道を進む俺に親父が言った言葉。だけど、辛い事があったなら、別に冒険者じゃなくてもいいじゃないか。

誰もが夢を持つ権利を持っている。辛い時は、その夢を目指してひた走ればいい。


そう俺は親父の言葉を、自分の言葉にした。


移ろう瞳の中で、グールの考えが萎んだり、膨らんだりしていた。いつの間にか泣きじゃくるだけであった彼は、大きく膨らんだ夢を口にした。


「立派な人になりたい」


酷く抽象的で、具体性の欠片もない夢だったけれど、いい夢だと思った。


「お母さんが、僕をいらない子じゃない、必要な子だって言ってくれるような立派な人になりたい」


涙を拭き、今出来たばかりの夢を語るグール。きっとこれから先何度も壁にぶつかったり、挫けたりするのだろう。だけど……


「そうか。なら、今からその夢に向かって頑張らないとな」


応援してあげたいと思った。健気に母親を思う気持ちに、協力してあげたいと感じた。


「じゃあ、明日から俺と一緒に頑張るか」

「うん!」


俺はムシャムシャとグールの頭を撫で、宿へと引き返そうとした。

グールが少し大きくなった。なら、これでよかったのかもしれない。そんな風に思いながら……


「イヤァァァーーッ‼︎」


夜の裏町に突如響いた悲鳴。それは女性のものであった。キーンとする様な高い声で、悲鳴を上げ続ける女性。どこから、聞こえてくるのか、障害物の多い街の中だと判別しにくい。

やむなく空間を広げようとしたその瞬間、パッとグールが俺の手を離れた。


「あっ、おい! 勝手に……」

「母さんだ! 今の悲鳴は母さんのだよ!」


危機迫る表情で、母親の危機に駆け出したグール。


「ああもうっ!」


なんかもうとりあえず叫びたかった。正直グールの母親の事なんてどうでもいい……と言うより、痛い目にあえぐらいに思ってるが、何かあっても今のグールじゃ太刀打ち出来ない。

俺は苦々しい思いを、口にして発散してからグールの後を追った。


…………今日の俺ってグールの後を追うストーカーみたいだな。


っていうか、セシルどこいった⁉︎

ちょっと目を離すとこれだからな。あいつは子供か。


「母さん!」


グールが飛び込んだ路地に俺も遅れず飛び込む。


「あ、あっあ……」


そこにはグールの言った通り、彼の母親がいた。恐怖から腰を抜かし、目の前の惨劇に言葉にならない声を漏らしていた。

彼女の目の前には、横たわる女性の亡骸。そして、その遺体の前にしゃがみ込むローブを深く被った何者かがいた。


「か、母さんから離れろッ‼︎」


そう言って、震えながら剣を抜いたグール。恐怖にも負けず、母親を守ろうとする幼い姿に俺は胸打たれた。

俺は震える肩にそっと手を置くと、


「グール、あいつは俺に任せろ」

「レイ兄……」


剣を抜き放ち、ローブに目をやった。体格的には男だろうか。顔はよく見えない。しかし、淡い月光に反射する歯が狂気的に広がったのが眼に映る。

それを眼にした瞬間、言い知れぬ悪寒が背筋を寒くした。


ローブの男は一言も声を発さず、ただ三日月の歯を晒すのみ。名状し難い寒気がその場に満ちた。夜の冷めた空気を更に凍り付かせる男の狂気的な殺気。俺でさえ今まで感じた事がないタイプの殺気に、勇敢に飛び込んだグールまでも顔面蒼白になっていた。


ニタァと歯を更に剥き出しにする男。手には、包丁のような小さなナイフ。しかし、その小さい刃には血が垂れ落ち、あまつさえ肉がこびり付いていた。


直感に近い本能の部分で、俺は恐怖していた。武者震いでもするように足がカクカクと震える。今まで感じた殺気のどれとも違う。快楽を求める殺気に、俺までもが飲まれかけていた。

それを打ち消すように、そして、自分自信を奮い立たせるように俺は、


「ハッ」


短く笑い飛ばし、自ら突っ込んだ。震えを力でねじ伏せ、一気に接近した。ニタニタと笑みを浮かべていた歯が、呆気にでも取られたかのように閉じられる。


刹那、突進の向きとは逆方向への力を受けた。それは、まるで突進のエネルギーを全て俺へと返すような衝撃。

また歯がニタァと開かれる。


俺は咄嗟に、反転、更には反発空間を用いてベクトルを変換。狭い路地の壁を蹴り上げ、男へと肉薄した。


高所からの斬り落とし。

それをローブの男はナイフの小さな刃を滑らせるように、防御して見せた。間髪おかず入れた蹴りもまた、男は肘をグッと顔面に引き寄せるようにして防御した。


すると、今度は一転。男のナイフが俺に突き立てられる。俺はそれを空中の微妙な体制の中、脇の下に無理やり通しホールド、宙返りの要領で男を路地の奥へと投げ捨てる。


路地に放置されていた木箱にぶち当たり、それを壊しながらバウンドしたローブの男は、最終的に地面に転がった。しかし、何がおかしいのか肩を震わせている様子からはダメージがあったようには見えない。


男はしっかりとした足取りで起き上がると、屋根の上に飛び上がる。そんな様を警戒してみていた俺を尻目に、男はバッとローブの裾を返しーー逃げ出した。


「なっ……! ま、待てっ!」


逃げ出すとは思わず、一瞬呆気に取られたが、すぐに俺も屋根の上に飛び乗り、ローブの男の姿を再度視界に収めた。

ダッダッダと夜中の近所迷惑を考えず、ひた走っていたローブの男は俺が屋根に飛び乗ったのを確認すると、自らは下へ飛び降りた。


「逃がすかよっ!」


俺には空間があるんだ、と街全域をカバーする空間を広げた。しかしーー何もわからない。

まるで世界樹の森の中のように、距離が離れるつれ、動きが感じ取れなくなっている。


「チッ」


舌打ちしながらも、原因不明の不具合に構うことなく、俺は瞬動で屋根を一気に駆け抜けた。そして、男が飛び降りた路地に飛び降り、カンを頼りに男の姿を追った。


しかしだ。

俺のカンは頼りならない。以前この大陸で迷子になった時もそうであった。

詰まる所、俺はローブの男の姿を二度と捉える事が出来なかったのだ。


男を取り逃がした俺は、これ以上探しても無駄だと諦め、グール達の場へ戻った。それ程長く離れていたわけではないが、一抹に『犯人は現場に戻る』という格言を思い出し、不安を覚え最速で戻った。


路地に戻ると、そこだけがまるで時が止まっているかのような錯覚を覚えた。


動かない女性の死体。たぶん、さっきグールの母親と一緒に酒を飲み交わしていた人だろう。その女性を青ざめ放心した様子で見詰め固まる母親。グールはまだ震えが止まらない様子であった。無理もない。人が殺されていたのだ。


俺はゆっくりと二人へ近ずくと、グールの頭に優しく手を置いた。


「グール、行こうか」


後始末は、この人に任せてもいいだろう。衛兵がどこにいるかもわからないし。

そう、俺は怯える女性を放置していこうとした。それは、俺自身、彼女の事を許せなかったからだ。


だけど、グールは俺の手を振り解き母親へと駆け寄った。そして、母親の手にスッと自分の手を重ねた。


「あっ……」


放心していた彼女も、手に伝わる暖かい体温を感じ取り、グールへと目を向けた。


「……昔、母さんが泣いていた僕をこうやって慰めてくれた。『もうこれで怖くない』って。大丈夫だよ、母さん。もうあの男はいない。もう怖い事は終わったんだよ」


グールを呆然と見詰める瞳が湿る。雲の合間から抜け出た淡い蒼白が2人を照らし、お互いの顔がよく見える。まるで後悔に駆られる様な表情を浮かべる母親と男らしい顔付きで母を憂う息子。2人の重ねた掌は、優しく、そして強固に結ばれていた。


「母さん、僕は貴方に認めて欲しい。私の息子だって言って欲しい。だから、立派な人間になって戻ってきます。強くなって、母さんが誇れるような、必要としてくれるような人間になります」


母に向けたグールの思い。夢を語った少年は、強く男らしい目付きをしていた。


震えが収まった母からグールは悲しげな笑みを浮かべてからそっと手を離す。繋がれた手は、今解かれた。

健気で優しい少年は、振り返る事なく道を歩き出す。


「グ、グール……」


母の呼び声にも足を止めず、背を向けたまま決意を胸に歩みを止めない。

やがて、路地から一人消えたグール。そんな彼を追いかけようと、バッと立ち上がった母親は足を縺れさせ地面に転んだ。


「グール……! グール、待って……!」


まるで請い願うように、後悔に染まった顔がグールの影を追い掛けた。


「……今のあんたじゃ、グールは振り返ってはくれないよ」


俺は立ったまま、母親には目もくれず独り言のように呟いた。


「グールが立派になって帰ってきた時、あんたは今のままで胸張ってあいつを抱き締められんのか?……俺はそうは思わないよ」


クルッと踵を返し、母親に背を向けた。それ以上何か言葉をかける事はなく、彼女のすすり泣く声を聞きながら、俺もまた彼女の前から去った。




次の更新は土曜日が無理そうなので、来週の日曜日になると思います。それか、金曜日。

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