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116.超越者

 漂う芳醇な闇の香り。

 遠い地からでもほのかに香るその匂いに釣られて、男は世界の果てから、やって来た。

 山を越え、海を越え、より濃密に、より醜悪になる匂い。

 男は近づきつつある事を悟った。


 男はその香りだけを頼りに歩き続け、気が付けば、戦乱の真っ只中にいた。匂いを辿る事だけに固執し過ぎて、周りを認識する事さえ忘れていた。

 だが、戦乱の最中、フラフラと匂いに釣られて渡り歩く男を害そうとする者は唯の一人もいなかった。それどころか、男を視界に入れたが最後、蛇に睨まれたカエルの如く、息をする事さえ忘れた。


 無意識下での敗北。

 超越者たる彼に、刃を向ける気概がある者……否、その前に立つ勇気がある者は皆無だった。


 しかし、一方で彼らの存在は男の眼中にはなかった。文字通り、興味がない。目に入れる事すら、意識しなければ忘れてしまいそうな程に。


 だが、それでも彼の周りは時が凍り付いたように、動きを止めていた。

 彼らは知っていたのだ。いや、無意識の内に理解せざるをえなかった。


 この男は、違うと。


 男はクンクンと鼻を鳴らし、顔を顰めた。


「ーー見付けたぞ、魔人よ」


 そして、まるで煙の如く男は、一瞬でその場から姿を眩ました。

 その直後に鳴り響く爆音。それは王城の方から街全体に、地鳴りと共に伝わった。


 その爆音が鳴る数分前ーー


「ふぇ?」


 王の間へと繋がる渡り廊下にて、目をパチパチして夢ではない事を確かめる奥方がいた。その奥方は、つい先程まで未亡人というプレミアが付いていたのだが、今やそのプレミアも地に落ちてしまったキャロットだ。


「ククッ、間一髪といったところか?」


 そんな未亡人の横で不気味に笑うセシル。そうセシルのスキルによって危機を脱っしたかのように思えた二人は、戦場から目と鼻の先にいたのだ。

 これはセシルの瞬間移動の如きスキルの限界というもので、これ以上先には転移出来なかったのだ。


「さぁ、奥方殿、我々は尻尾を巻いて逃げるとしよう」


 そうワザとらしく手を差し出したセシル。キャロットはその手を借りて立ち上がると、決意の篭った瞳で首を横へ降った。


「いけません。私達は魔王という存在がこの国にいる事を知っている唯一の人間です。この事をこの国にいる全ての人に伝えねばなりません」

「ほほう? 確かこの国では、人は爵位を持つ者のみであったな」

「いえ、その、この国の法ではそうなっていますが……平民も奴隷も皆同じく生きています。夫なら差別せず、全員を逃すと思います」


 意地の悪い言い方をするセシルに対し、キャロットは彼女の思うルクセリアならどうするか、という基準で分け隔てなく伝えると、目を逸らさずに答えた。そんなキャロットの言葉を一喜一憂し、セシルは彼女の言葉を正しく(・・・)受け取った。


「ククッ、妻の鏡であるな。よかろう、私も手を貸すとしよう」

「感謝します、えっと……怪しい方」

「…………最近思うのだ。私はそんなに怪しいか?」


 自覚がないとはこの事。人知れずその事でセシルは悩んでいたのだった。



 〜〜〜〜〜〜



 一瞬。

 たった一瞬の油断が取り返しのつかない事態を招いた。それは俺の首が飛んだとか、そんな事じゃない。ルクセリアの決着に、水を差させてしまった。

 俺はまだその域に踏み込んだばかりの甘ちゃんだった。


 魔王の首への斬撃は魔装を纏っていた事が功を称し、何とか首チョンパされずに済んだ。しかし、生半可な衝撃ではなく、首がもがれる錯覚を覚える程、強く吹き飛ばされ、俺は床を跳ねるように転がった。

 その最中、魔王がルクセリアへと走り寄るのが見えた。俺は咄嗟にやばいと感じたが、勢いを止める事は出来ず、壁へと衝突。

 そして、ようやく止まった頃にはーー既に手遅れであった。


 ルクセリアは血を撒き散らしながら、天井近くまで蹴り上げられ、床へと大きな音を立てて落下した。強く背中を打ち付け、また傷から床に染み出すように血水が広がった。ルクセリアは微動だにしなかった。風前の灯火、という言葉が頭をよぎる。


 俺はポーションを取り出し、彼へと駆け寄った。肩と背からの出血が特に酷い。かなり深い切り傷が刻まれている。

 俺は焦燥を覚え、慌ててポーションをありたっけぶっ掛けた。

 ポーションの効能で、ジワジワと傷が塞がっていくのをじれったさを我慢しながら、見守っていると、魔王の声が耳に入った。


「さぁ、死にたくなければ飲みなさい。貴方はこれで生まれ変わるのです」


 魔王が口走る生まれ変わり。それの意味するところは……


「やめろッ! 魔人になりたいのか!」


 俺は思わず声に出して叫んでいた。しかし、その叫びは虚しく響いただけで、ルクセリアの父は魔王の差し出した小瓶に、既にその手を伸ばしていた。

 その小瓶の中身は、単なる水。ただし、濃密な邪神の加護を含んだ水だ。

 それを飲めばどうなるか、想像する必要もない。結果は分かりきってきていた。


 だが、その結果を知っても尚、ルクセリアの父の手は止まることはなかった。


 妄執とも見える生の執着と、ルクセリアに向ける憎悪。

 彼の瞳は、すでに闇に飲まれていた。


 闇は膨らむ。邪神の手を借りて。

 膨らんだ闇は、最早その内に収まりはせず、溢れ出した。進化とは別の濁った闇の渦に巻かれて。

 その闇を収めるに相応しい器へと生まれ変わる。


「っ……!な、何だアレは……」

「最悪な時に気が付いたな。来るぞーー」


 かつて戦乱の最中に生まれた闇に支配された人間だった者が。


「魔人のお出ましだ」


 闇の渦が、霧散した。それは確かな波動となって、駆け抜けた。

 ビシビシと伝わって来る憎悪の波動。まるでこの世の全てを憎むような醜悪さ。それでいて悲しい姿がそこにはあった。


「あ、アレは……父上………?」

「……違う。アレはもう別物だ。アレには意思はない。邪神に飲み込まれた人間の成れの果てだよ」


 型は人。だが、赤く充血した目からは理性の光が失われており、最早人と呼ぶ事は出来ない風貌であった。逆立った髪はまるで針山のように刺々しく、また猿人であるか如く全身の毛がいきり立っていた。


 5000年前、魔人となった者が人を喰ったと日記にはあった。目の前の魔人も、もう魔物と同じなのだろう。

 涎を垂らしながら鋭く尖った犬歯をチラつかせる様はもう魔物と何も違わない。


 ……俺は本当にクズだな。

 セーラをこんな化け物にしようとしていたのか……


 俺は過去を恥じた。そして、人を人とも思わず、非道の限りを尽くした男の最後が、こんな終わり方なのかと、自分と重ね合わせ、安堵と恐れを同時に覚える。

 シャルステナが止めてくれなければ、俺はこの男のようになっていたのかもしれないと。


「死ねないな、こんなところで」


 まだ答えを見つけてもいない。

 必ず帰ると約束した。

 まだ……始まったばかりなんだ。


「力を貸してくれよ、『レイジ』」


 生き残る為に。理不尽に抗う力を俺に貸してくれ。俺にはお前の力が必要なんだ。


 胸が熱くなる。

 それは歓喜。胸の奥で穏やかに燃える小さな欠片が、必要とされた喜びに打ち震えた。

 震えは、魂を通じて俺へと伝わってくる。ドクンドクンと鼓動が同期し、己の鼓動の音が大きくなる。


『自分には何もない』


 そう、哀しみを浮かべていたレイジの心に、今俺という存在が入り込んだ。それに歓喜するように、魔力が烈火の如く燃え上がる。


「グゥァゥゥウ……」

「ふふふ、いいですね。いい感じに憎悪が膨れ上がってますね」


 魔王は俺の変化に気付いた様子はなく、その横で低く唸る魔人の出来を確認していた。


「旦那、いけるか?」

「むしろ、それは俺が言いたいね。俺は今絶好調だからな」

「私も大丈夫だ……と言いたいところだが、魔力も体も絶好調とは言えないな」


 肩の傷を抑え、自分の体を確かめたルクセリアは、小さく横に首を振りながら、死に場所を決めたように笑い掛けてきた。


「旦那、私が時間を稼ごう。その間に逃げてくれ。これ以上旦那を巻き込むわけにはいかない」


 ルクセリアは俺を庇うように一歩進み出た。まだ完全に傷も塞がっておらず、魔力も残り半分を切っている。文字通り命を捨てて、俺を逃すつもりなのだろう。


 俺はその大きい背中を見て、馬鹿にするなと剣を構えた。


「冗談。今見捨てたら俺は一生後悔する。胸を張って生きれなくなる」


 もう後悔はいらない。間違いもいらない。

 胸を張って、シャルステナの元へ帰る。なら、俺もそれに向かって足掻くだけだ。


「ふふふ、茶番ですね。どちらにしろ逃げられませんよ。もう私が手を下す必要もなくなった。新たな魔王誕生の贄にして差し上げましょう」


 魔王は俺たちのやり取りを茶番と言い捨て、魔人となったルクセリアの父に裁定を下す。


「喰らいないなさい」


 一言。

 寒気のする声音で伝えられた上位者命令を受け、恐ろしくも哀しい咆哮が鳴り響く。最早、魔物の威嚇と変わらないそれは、一層俺の気持ちを駆り立てた。

 後悔と、生存への意思が高まる。


 より硬く、より鋭利に。


 薄っすら纏っていた魔装を、完全な形へと変化させる。魔力で出来た鎧を纏い、鋭く尖った剣を持つ。更に高まった集中を贄に、力を引き寄せた。


「魔王化!」


 部屋全体を紫光が満ちる。その発光の中心で、肉体のレベルを一段上げた俺は、完成を待つ事なく動き出す。光輝く俺を直視する事を避け、目を背ける魔王達へと迫ると、先制攻撃を打ち込んだ。

 それは、魔爆という勝利の鍵。確実にダメージを与えられるそれが、この場での唯一の勝機と言っても過言ではない。


 だが、それだけに警戒を強めるのは当然の事。魔王の纏った魔力が本家の力を見せ付けた。

 グネグネと蛇行して、先が蛇となって魔爆を飲み込んだ。

 せめぎ合う赤と黒の魔力。その争いは、嵐のような風圧を作り出す。


 吹き荒れる魔力嵐。

 俺はそれにジリジリと元いた場所へと押し返されていく。一方、平然と立つ魔王は触手をもう一本伸ばし、それで魔人を乱暴に放り投げた。


「グゥァゥゥアア‼︎」


 獣の唸り声が間近に迫る。

 刹那、視界に銀線が走った。それは、魔人の牙とぶつかり合い、火花を散らした。

 変わり果てた父へと剣を突き立てたルクセリアは、魔力嵐の中でも力強い剣尖を描き、獣のような連撃をはじき返す。


「ぐっ」


 しかし、捌ききれなかった爪がルクセリアの頬を掠め、徐々に押され始める。魔人は技など使っていなかった。それを使う理性を残してなどいなかった。

 ただ単純にその力だけで、ルクセリアの動きを上回り始めた。


 時間が経つにつれ、それは顕著に現れた。ルクセリアの体に裂傷が増え、尚且つ治りつつあった傷が彼の動きに悲鳴を上げ、開き始める。

 既に出血多量の彼に追い打ちをかけるように、着実に命を削り取られていた。


 俺はそんな彼の手助けをしたくとも、魔王の触手に手をこまねき、助太刀できなかった。


 一本一本が高密度の魔力で作られた触手は、強力無比。その硬さも、力も、肉体を核とする魔装のそれではない。

 全力の振り下ろしで、弾くのが精一杯。しかし、そうやって必死に弾き返しても、触手は見た目通りの動きでクネクネと曲がり、何事もなかったかのように襲い来る。


 これは……魔装とはまた別の"何か"だ。


 攻撃を弾き、避けながら、そんな考察をしていた俺であったが、何がどう違うのか、明確な答えは出せず、また徐々に押されつつあった。

 傷こそ負っていないが、魔装を纏っていてもジンジンと伝わってくる痛み。

 これで触手本来の使い方をされれば、俺はいとも簡単敗北を喫するであろう事は疑いようがなかった。


 救いは、触手をただ打つ事にのみ使っている事。恐らく魔王は、この新しく生まれた魔人に俺たちを殺させるつもりなのだろう。

 それが何を意味するか、その答えは既に魔王自身が教えてくれた。


 ーー新たな魔王の誕生。


 その感動もクソもない誕生の瞬間は、俺たちが死ぬ事によって起こるのかもしれない。単純に考えると、経験値を貯め、進化するという意味だろう。人間が魔物を倒す事で経験値を得るのなら、その逆もまた然りという、酷く単純な考えだが、恐らく大きく外れてはいないだろう。

 竜神の言葉を思い返せば、十分根拠のある考えだ。


「くそっ」


 このままではジリ貧だ。明らかに手加減されていても、まだ邪神化していないこいつに及ばない。しかも、言葉通り油断もクソもない。

 こちらが何かしようとしたら、その前に潰しに来る。


 あいつの動きを一瞬でも止めれれば……


「ふふふ、どうしました? もうギブアップですか?」


 魔王は余裕を見せつつも、その眼はしっかりと俺の動きを捉え、完全に翻弄していた。一発一発が的確でかつ、容赦のないもの。一瞬でも気を抜けばたちまち魔人のエサとなるまで痛めつけられるだろう。


 俺は奥歯を噛み締めながら、必死に猛攻を耐え続けた。時折、魔王が仕返しでもするように俺の心を乱そうと挑発して来るが、それに乗る事は死と同義であった。

 そんな歯噛みする俺を見て、愉悦に浸る魔王の顔が実に腹正しかった。


「笑ってんじゃねぇよ‼︎」


 俺は、はたかも挑発に乗ったフリをした。この一方的な状況を打開する為に、防御を捨て触手の嵐の中に自ら飛び込んだ。

 それは無謀と言っていい行動だった。魔王の顔が、実に醜く歪む。


「ふふふ、今回は貴方が挑発に乗りましたね」


 愉悦に富んだ醜い笑み。だが、それでいて酷く恐怖を覚える表情でもあった。

 俺は背中を覆い尽くさんとする寒気を置き去りするように、触手が踊り狂う演舞台を突き進む。


 肩が、腹が、顔が、衝撃を受け青あざになるのも厭わず、進んだ先に少し驚きを顔に浮かべる魔王がいた。


「ほほう、中々の防御力ですね。しかしーー」


 振り下ろされたのは、俺の魔装の元となった元祖の刃。鋭く研ぎ澄まされたそれは、俺の魔装も鱗も全て断ち切れそうなほどに、凶悪に煌めく。


 その刃が俺の首へ到達する刹那、俺は魔力を解き放った。


 グウォンという空気がねじ曲がるような音と共に、黒衣の魔装を纏った魔王を飲み込む赤い光。それは俺の魔装を形成していた魔力の塊であった。


「なっ……⁉︎」


 まるで魔王が俺の魔装を奪ったかのように、魔王の手が、胸が、足が、魔力によって覆われ、固まった。


「まさか、私に魔装を……」

「正確にはお前の魔装の上に魔装を纏ったんだ」


 驚愕に固まる魔王に、俺はアッサリと種明かしする。


 魔力に干渉出来るのは、魔力だけ。ならば、纏う魔装事態を俺の魔力で覆ってしまえば、異なる魔力同士の反発で身動きは取れない。

 そう、確かめた事もないぶっつけ本番の策を、使ったのだ。


 そして……俺はその賭けに勝った。


「覚えてるか? 身動き取れなくなったお前に血を流させた爆発を。もう一度、くれてやるよ」


 ギュッと凝縮した魔装が、それに反発する斥力となっ圧縮に逆らわんとする。それがまた、魔王の体を締め付け、身動きを封じる要因となった。


「クソガキメェェ‼︎」


 クッキリと筋を顔に走らせながら、憤怒に彩られた表情で、まるで怒りのままに噛み付かんとする魔王の前で俺はギュッと手を握った手を解いた。


「魔爆装‼︎」


 眩い煌めきを携え、純度の高い魔力塊から順に発光を強め膨張していく。それはまるで魔王が赤く光り輝いているかのようだった。

 しかし、その紅い発光はまるでサイレンのような輝きをもって、その危険度を周囲に知らしめているかに見えた。


 俺はその警戒光の輝きに逆らわず、大きく飛び退くと、そのまま魔王を見守るなどという愚行はせず、ルクセリアの加勢に向かった。


 ギュンというスピード感を持って肉薄した俺は、ルクセリアと魔人の攻撃の合間を縫い、顔を下から蹴り上げる。もちろんそれだけでは終わらない。

 突如訪れた絶好のチャンスを逃さず、ルクセリアの風を纏った剣筋が魔人の腹を捉えた。


 しかし、剛毛に邪魔され、本来の斬れ味を邪魔されたルクセリアの攻撃は、魔人を大きく吹き飛ばすだけに留まる。


「反転」


 しかし、2対1の状況下でそれを取り逃がしはしない。ベクトルを反転させられた魔人は、ジェットコースターの急回転の如く首を鞭打ちにされ、戻ってきた。

 その僅かな時間の間に視線を交わしあった俺とルクセリアは、バッと魔人の通り道から退いた。


「ぶっ飛べ‼︎」「もう消えてくれ‼︎」


 息のあった動き。剣と剣が魔人の腰と首をそれぞれ薙ぎ払う。骨が折れる鈍い振動が剣を通じて体へと伝わり、さらにグッと足を踏ん張り、腕を振り切る。

 何度も吹き飛ぶ方向を矯正された魔人は操り人形のように無様な格好で吹き飛んだ。


 ーー爆心地へと。


 だが、この程度で終わる相手なら、苦労はない。


 これで決めるッ!


「落ちろ、ライトニング‼︎」


 それは魔法であってそうでない、少し変わった詠唱。


「凍えろ、ブリザード‼︎ 巻き上がれ、トルネード‼︎」


 雷と氷が暴風に舞い散る。お互いの魔法がぶつかり合い、鬩ぎ合う。そして、それは魔爆に飲み込まれていく。だが、まるで水と水が溶け合うように、反発する事なく、それらは一つに混ざり合う。


「飛び散れ、ロックショット‼︎ 爆発しろ、エクスプロージョン‼︎」


 考えうる最高の組み合わせ。それを全て注ぎ込んだ俺の隣で、暴発するかの如く魔力が高まった。

 見れば、考えられない程の魔力を込められた剣が悲鳴をあげ、今にも壊れんと微振動を繰り返している。


「私の恨みは全て貴方に返そうーー絶空」


 猛烈な突き。一点に凝縮された魔力は全て突きの威力へと還元された。

 ルクセリアの放った突きは、彼の父親だった魔人の心臓部を貫いた。それは魔法が吹き荒れる魔爆内での出来事だったが、ルクセリアの恨みを乗せた軌跡は、魔爆をも突き破り、刹那の瞬間、真空の導線を通した。その瞬間、微かに見えた紫の血飛沫。


 俺はルクセリアの決着を見守った後、最後の詠唱を唱えた。


「歪め歪め、世界を歪める波動を、歪みの収縮をその身に受けろ、ディストーション‼︎」


 恨みも、悲しみも、痛みも、全てを巻き込み点へ帰す。


「消えろ、魔王ッ!」


 全て消し去れ‼︎


 そんな思いで手を前に突き出し、握り締める。


点なる世界(コントリクション)ッ!」


 激しい戦闘の跡が痛々しく残る室内が、グルグルと回転し始める。その中に見え隠れする、魔法の乱舞。

 歪んだ空間につられるように、装飾の施された窓ガラスがパリンッと音を立てて、床に落ちる。その破片と戦闘によって砕かれた床や壁の破片が、歪みの中心へとカタカタと音を立てて引きづられていく。まるでそこに星の中心があるかのように。


 その虚像のような重力は、俺とルクセリアにも働いた。この技の特性上、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちが胸を掠めるが、消耗した状態では二人して剣を床に突き立て抗うのが精一杯であった。


 そうこうするうちに、解放の時がやって来た。始めに解放されたのは、雷であった。雷鳴を轟かせ、王の間の床を、天井を、壁を黒焦がせ破壊していく。

 続く解放の嵐も、無差別に解き放たれ、容赦なく建物を破壊していく。


 次々に解き放たれた魔法の数々に、ルクセリアはギョッと目を剥いていた。予想などしていなかった事態に混乱を抱えながらも、説明を求めるように目を走らせた。

 しかし、先程までいたはずの場所に俺の姿はなく、遥か後方に尻を向けて走り去る姿が映る。一目散に逃げ出す俺を見て、ルクセリアも状況を悟った。


 即ちーー逃げるが勝ちと。


 その答えに辿り着いたルクセリアは、慌てて俺の後を追うように走り出す。


「旦那ッ! 聞いてないぞっ⁉︎」

「し、仕方ないだろ! こうでもしないと魔王なんか倒せるかッ! そんな事より、足を動かせ、足を! 巻き込まれるぞ‼︎」


 ギャーギャー二人で言い合いながらも、割れた窓ガラスを飛び越え、外へと飛び出した。


 しかし、飛び出した先に硬い地面はなく、スカスカと足が空を切る。慌てて翅を動かし、ついでにルクセリアも掴んで、王城のうえでホバリングして下を二人して何とも言えない表情で見詰めていた。


「…………さすが魔王。滅んでもタダでは置かないか」

「旦那がやったのだ!」


 いい感じに纏めようと挑戦はしてみたものも、崩壊していく王城の前では無意味な足掻きであった。



 〜〜〜〜〜〜



 瓦礫が雨のように降り注ぎ、壁が床に横倒し崩れてくる。まるでこの国が滅び行くのに付き合うように、国を支えてきた城もまた崩れ落ちていく。


「ハァハァ、よくもやってくれましたね……一度ならず二度までも。屈辱ですよ」


 崩壊の最中、血反吐を吐きながらも、魔王だけは生きていた。だが、その体に刻まれた無数の傷跡が、先の攻撃の激しさを物語っていた。数年前受けた傷よりも、深くまた、重度の傷を負いつつも、魔王は二本の足で立ち上がる。


「まさか二種を持った私をここまで追い込むとは……今度ばかりは逃すわけにはいかないようです」


 その眼に映るのは忠誠と強大なまでの殺意。

 邪神への忠誠心を糧に魔王は、標的を捉えた。空を飛ぶレイの姿を。

 今こそ、貴方に死を。

 魔王の執念がレイへと迫ろうとしていた。


 しかし、それは寸前で止められる。魔王を言い知れぬ悪寒が襲った。それは、この世界の頂点に近い彼であっても抗う事の許されない絶対的強者から発せらる威圧。決して顔を合わしてはならぬ相手からの、死の宣告。


「見つかってしまいましたか……どうやら長居し過ぎたようですね」

「まさか魔王がここにいようとは思わなかったが………貴様ら魔人への裁定は常に決まっている」


 魔王はまるで抵抗しようとしなかった。逃げようともしなかった。この男の前ではそれが全て無駄である事を知っていたから。


 10人。

 この世界が誕生してから、今までたったそれだけしかたどり着く事が出来なかったこの世の頂点。

 彼の忠誠を捧げる邪神然り、目の前の男然り。


「裁きを下そう。貴様への神罰はーーーー死だ」


 男の振り下ろした鎌は、魔王でさえ視認する事が叶わなかった。


 ボトッと床に落ちた頭。


「いつか殺して差し上げますよ」


 首から先を失っても尚、死する時まで魔王は男への態度を緩めなかった。


「……貴様ら魔人を全て屠るその時まで、我が定めは終わらない。定めがある限り、我は死神であり続けよう」


 魔物と魔人の天敵。

 神としての責務を放棄した神のうちの一人。

 己が全てを悪を探し、殺す事へ注ぎ込む彼の名はーー


 ーー死神、グリムモール。


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