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109.砂の王

 

 ーーシャァァァア!


 まるで米櫃へと米を流し込んだ時のような滑らかな音が遠くで鳴り出した。その音源が次第に距離を詰めてくる。音は次第にザーというノイズに近い音へと変わっていく。


 俺は段々と近寄ってくる"何か"に、警戒を募らせた。


 ほら見たことか。ルクセリアがフラグ建てるから。

 いったい何がやって来たって言うんだ?


「こ、これは……」


 ルクセリアは突如うねり出した砂漠を前に唖然と目を見開いていた。明らかに異常事態。砂漠への知識が薄い俺にでもわかる程に、黄色の砂があり得ない動きをしていた。ボコボコと激しく波打ち、ボコボコと泡のように、砂上で砂が弾け飛ぶ。

 動く砂はまるで歌っているように音色を奏でる。だがそれは、美しく神秘的というよりは静かで恐ろしい絶望が迫りくる音色。幾ら取り取り繕おうと心地良いとは思う事は出来ず、無意識の内に死に誘う狂想曲へと編曲されてしまう。


「……ルクセリア。子供達と盗賊の人を逃がそう」


 気味の悪い音と不自然な光景を前に、俺は呆然と立ち尽くすルクセリアに意見した。これは盗賊や子供達では対処できない。むしろ邪魔になると言っていいと思ったからだ。早々に逃がすべきだと考えた。


 しかし、俺の言葉で我に返ったルクセリアはすぐに待ったをかけた。


「いや待て! これは流石に聞いた事がある。静寂に包まれた砂漠に鳴る歌……間違いない、奴だ。逃げても無駄だ。逃げ切れはしない」

「逃げられない? そんなのここで足止めすれば……」

「違う。この辺り一帯がすでに奴なのだ」

「はい?」


 俺は何を言っているか理解できなかった。いや、したくなかったのかもしれない。続くルクセリアの言葉はそれ程衝撃的だった。


「太古から砂漠の頂点に君臨し続ける主が来た。主は砂漠そのもの。私達はもう逃げられない」

「砂漠そのもの……?」


 何を馬鹿な事をと呟いた俺に、ルクセリアは波打つ砂漠を手を空を切るように振るい指し示した。


「見ろ。辺り一面の砂がまるで脈のように波打っている。これが主が現れた証拠だ。そんな相手にどう逃げればいい? どこへ逃げればいい? もう既にここ一帯は砂漠の主だと言うのに」


 俺は周囲を見渡し、そして理解した。逃げ場などどこにもない事に。

 すでにそこは砂漠の主に支配されていた。まるで荒波のように轟々とウネる砂波は来るものを拒み、弾き戻す。やがてそれはドーナツのように膨らみ、狙ったように俺たちを囲い込んだ。


 どこにも逃げ場などなかった。


 ドーナツの中心は徐々にその半径を縮めていく。まるでそのまま俺たちを飲み込むかのように砂の壁が迫る。まるで地面に空いた口だ。

 子供達は体より大きい武器をカタカタと震わし、盗賊達は躍起になって壁を壊そうとするも、それは砂の壁に飲み込まれるだけに終わる。


 段々と焦燥と怯えが伝播していく。迫る壁を前に後ずさり、けれども後ろからも迫る砂の壁。逃げ場がなく、どうしたらいいのかもわからない恐怖が場の雰囲気を塗り替えていく。


「ルクセリア、どうする? このままじゃまずい。全員飲み込まれ……ルクセリア?」


 一人でなら逃げる手段に事欠かない俺は、落ち着いて周りの状況を見ながら、リーダーであるルクセリアに指示を仰いだ。だが、ルクセリアからの返事が無い事を不思議に思い、ふと目を向けると、ブラリと手を下ろし、先程から一切変わる事のない呆然とした表情で立つルクセリアがいた。


「まさか砂漠の主と出くわしてしまうとはな……すまない、ユイカ。すまない、キャロット。そして…」

「ルクセリアッ! 聞いてんのか!」


 俺は諦めた顔で誰かに懺悔するルクセリアの胸ぐらを掴み怒鳴った。


「諦めんなッ!まだみんな生きてる! 謝ってる暇があるなら生き残る事を考えろ!」

「だが……いや、すまない。情けない所を見せた。そうだな、頭領である私が真っ先に諦める訳にはいかないよな」


 ルクセリアは仲間の盗賊達や子供達を見て、眼に力を戻した。まだ誰も諦めてなどいないのに、頭領である自分が真っ先に諦めるなどあってはならないと覚悟を決めた。

 そして、息を大きく吸い込み叫んだ。


「全員よく聞け! 砂は水に濡らせば固まる! まずはこのサラサラした砂を固めるのだ! 魔法が使えるものは水魔法を、そうでない者は飲み水でも何でもばら撒いてしまえ!」


 ルクセリアの指示で盗賊の士気は爆発的に高まった。上手いとは言えない魔法を使い、目に付くところから水を掛けていく盗賊達。それが出来ない者は、皆の持つ飲み水を搔き集めぶっかけていく。

 次第に茶色く濁っていく砂の壁は、それに伴い勢いを少しだけ落とした。ルクセリアの作戦が上手くいったのだろう。


「俺もいっちょやるか」


 俺は鍵を開いた。それは異次元空間と繋がるただ一つの鍵。その鍵が開いた瞬間、空間を超えて大量の水が溢れ出た。

 それは海水。先日街に戻った時に汲んできておいたのだ。


 何故かって?

 もちろんこういう時の為さ。


 今の俺は経験還元を使えるか怪しい。徐々に良くなってはいるが、未だいつでも使えるわけではなかった。

 つまり、魔力が限られているのだ。だから、節約するために海水を汲んできた。


 魔法というのは奥が深い。

 魔法の基本は、イメージとそのイメージを怪訝するための魔力。

 その時消費される魔力はこの世界への干渉度で決まる。つまり、干渉度を低くすれば魔力消費は抑えられるのだ。


 例えば土魔法で人形を作るとき、大地にある土を使うのと自分で作り出した土を使うのとでは消費量が大きく違う。等身大の人型を作ったとすると、2倍以上違うのだ。


 土は地面に、風は空気にある。だが、火と水は何処にでもあるわけではない。ただ、俺には便利なスキルがある。収納空間という異次元収納が。

 つまり、俺はその中に、魔法に使える水として海水を貯めていたのだ。魔力消費を抑えるために。


「水弾乱舞!」


 漏れ出した水を操り、水弾にして壁に撃ち込む。家一軒分の大きさはあろうかという水弾は、止め処なく溢れ出る海水から次々に生成され、四方八方に飛び交った。それは水弾というよりは、水爆。一度壁にぶつかるたびに大きな衝撃と水分を撒き散らす。


 潮の匂いとしょっぱい水飛沫が充満し、肌がベタつく感触を覚えた。だが、それでも異次元から運ばれてくる海水が尽きることは無い。扉の先が遠く離れた海の中に繋がっていると錯覚してしまう程に、砂漠の一角がその荒波に飲まれようとしていた。


 海の猛威を受けた砂壁。もはやそれは濡れるどころの話ではなかった。乾いた砂はドロドロからびちゃびちゃへと変わり、その形を留める為に新たに乾いた砂が補充され何とか拮抗を保っている状況だった。


 俺はこの時、改めて仙魂スキルの強力さを実感していた。

 便利スキル?

 とんでもない。使い方を少し工夫するだけで、これ程強力な武器となる。これ程の水量を自在に操り、砂漠の主と呼ばれる相手を押し留めているのにも関わらず、魔力消費は驚く程少ない。未だ一割にも届かない程に。


 俺はまだまだ強くなれるという実感。それとともに、湧き上がってくる嫌忌すべき感情。俺はそれを恐れると同時にどこか安堵していた。自身の増長に気付き、抑える事が出来たことに。


 俺は少しずつ前に進めている。そう感じた。


「ルクセリアッ! もうすぐ水が尽きる! 流石にこの辺り一帯を濡らせはしないぞ!」

「いや、充分だ。後は私がこの壁を斬り開く。全員、壁に穴が開いたら全力で走り抜けるのだ!」


 目前に迫った砂壁に身構えていた盗賊達に、切羽詰まった指示が飛ぶ。まだ潰えていないと希望を宿らせた目が、自然と頭であるルクセリアに向いた。


「烈風翔‼︎」


 強烈な風が吹き抜けた。その風は刃のように鋭く、また大木のように太い全てを引き裂く断絶の風。まるで巨人の剣が振り降ろされたかのように砂漠は真っ二つに引き裂かれ、遥か向こうの地まで大きな割れ目が形成された。

 また、その一撃で巻き上がった砂も空中で切り裂かれたかのように真っ二つに。そして、遥か上空まで吹き上がった砂塵を壁代わりに、砂の道が出来た。

 空から見れば地平の彼方まで走る砂の亀裂にでも映ることだろう。


 ルクセリアは振り抜いた剣を手に、一度大きく肩で息をすると、吸った空気を大きく吐き出した。


「走れ‼︎」


 それは端的かつ鬼気迫る一言だった。

 誰も彼もがその言葉に焦燥を覚え、ルクセリアが作り上げた砂壁の亀裂に飛び込んだ。しかし、それを黙って見てくれている程生易しい相手ではない。水分を含み鈍重になった壁が押し潰さんんと迫り来る。

 その迫り来る両壁に恐怖し、足の回転速度を上げる盗賊達。誰もが自分1人の事で精一杯。大人の盗賊達についていけない子供達を気遣う者はいなかった。


「走るのだ! もっと早く!」


 ただ一人、頭領であるルクセリアだけは、子供達の後ろにつき鼓舞するように駆り立てた。だが、明らかにその集団が走り抜けるより亀裂が閉じる速度の方が速かった。


「旦那⁉︎ 何を……ッ⁉︎」


 俺は亀裂の中で立ち止まり、手をついた。それを見て唖然としたルクセリアの言葉に答えず、静かに呟いた。


「凍てつけ、アイスロック」


 直後、俺の手から冷気が這い出るように、同心円状に絶対零度の波が広がった。それは壁を凍てつかせ、多量に含んだ水分ごと砂粒を凍らせた。


 ピタリと動きを止めた宝石のように輝く白砂の壁。もはやその壁は氷の壁と言って差し支えなかった。こんな状況でなければ、この亀裂の合間に満ちた冷気に体を震わせ、空しくも美しい白砂の壁に見とれていたかもしれない。


「ほら、急げ!」

「すまない、助かった!」


 俺は効果を確かめてから即座に立ち上がると、ルクセリアと共に子供達を連れ、急いでその場を離脱する。凍らせた壁が、徐々に動き出しパキパキと音を立てて崩れていく中、亀裂を抜け出した俺たちは、そのまま止まる事なく砂漠を駆け抜けた。


「おいこれ、逃げられんのか?」

「わからない! だが、こうする他に道はないだろう!」


 俺が砂の怪物を後ろ目に見ながら、焦燥を伝えるとルクセリアはまるで気合いで頑張れと言うように答えた。


 俺はそれを聞いて、一度振り返ってみた。


 もう氷は剥がされかけている。果たして、全員が逃げ切るのだろうか?

 いや、無理だ。逃げきれない。ならば……


「ルクセリア、先に子供達と盗賊達を逃がそう」

「私に足止めしろと?」


 俺の提案にルクセリアに若干不満そうだった。それは恐らくルクセリア一人を囮にするような言い方が悪かったのだろう。


「いや、俺も残る。俺は確実にあいつから逃げられる術を持ってる。だけど、あいつは流石に一人じゃ止められない。手伝ってくれ」

「……わかった。旦那を信じよう。確かにこのまま逃げていてもラチがあかない」


 俺が改めて真意を伝えると、ルクセリアは逡巡して深く頷いた。


「お前達は先にアジトに戻れ! 私と旦那が主を足止めする!」

「お頭ぁッ⁉︎ お頭が残るのなら俺も……」

「つべこべ言わず行くのだ‼︎ 私と旦那の事は心配するな! 必ずアジトで合流しよう!」


 盗賊達も子供達も皆一様に後ろ髪を引かれていそうな様子だった。立ち止まった俺とルクセリアを振り返り、まるで今生の別れの様に目尻に涙を浮かべる者までいた。


 だが、誰も止まろうとはしなかった。それはルクセリアの剣幕に押されたからか、それとも彼なら生き残ると信じていたからかはわからない。

 だが、氷の呪縛を解いた主が俺たち二人を追って来た時には既に彼らは声が届くギリギリの距離まで逃げていた。


「旦那、確実に逃げられる術とやらを教えて貰ってもいいか?」

「まぁ、それは体験してみてのお楽しみだな」


 肩を並べ強敵と待ち受けるルクセリアに、俺は勿体ぶった言い方をして答えた。


「ははっ、そうか。ならばそれまでは死ねないな」

「ばっきゃろう‼︎ またフラグ立てやがって! それがこの事態を招いたんだぞ!」

「そ、そうなのか……? よくわからないが、生きて戻れたらそのフラグとやらを詳しく教えてくれ」

「学べや‼︎ どんだけフラグ立てる気だ!」


 懲りないヤツだ。フラグにフラグを重ねるとは……

 残念だが、ルクセリアにフラグが何たるかを説くことは叶いそうにない。幾十にも重なったフラグを折る方法を俺は知らない。


 俺はルクセリアとこれでお別れかなどと冗談半分に考えながら、ふとある事に気が付いた。

 俺たちが主から逃げてきた方向から繋がる足跡とは、全く別方向から繋がる踪跡を。

 いや、まさかな……?


「ところで……セシルいたりするのか?」


 まさかとは思ったが、いれば頼りになるなと一応声に出し確認を取ってみた。すると、聞こえるではないか、あの不気味な笑い声が。


「ククッ、さすがは私のクライアント。もう私の気配を探る術を身に付けたのか」

「うわ、本当にいたよ……」


 半分以上冗談でしかなかった呟きに答えた声の主は、何処からともなく現れた。いや、気配を漏らした。

 余りにも自然に、そして景色から這い出るように現れたセシルに、ルクセリアは思わず目を剥いた。


「だ、誰だ、そいつは⁉︎ いったいどこから現れた⁉︎」

「セシル。俺の知り合いというか、専属の情報屋だよ」

「お初にお目にかかる。『蛇の毒』頭領、ルクセリア。私は紹介にもあった通り彼の子飼いの情報屋だ。気配を消すのはその癖でね。驚かせたのなら、申し訳ない」


 主が間近に迫って来ているのにも関わらずペースを崩さず呑気に自己紹介をするセシル。気配を完全に断つ彼にとっては、主でさえも脅威ではないのだろう。


「ルクセリア、ちゃんとした紹介は後にしよう。今は頼もしい仲間が増えたと思えばいい」

「あ、ああ、そうだな」


 正体は俺もわからない。だが、明らかに普通ではないセシルの隠蔽。

 ルクセリアもその事は身を持って知ったはずだ。そして、今は仲間内で争っている場合ではないとも。


「お言葉だがクライアントよ。私に戦う力はないと先日言ったばかりだが?」

「嘘つけ。そんな隠蔽技術を持つ奴が弱いわけないだろ」

「やれやれ、本当に私は強くはないのだが……」


 セシルはわざとらしく肩を竦め、薄くなった。気配を消し、主どころか肩を並べる俺たちですら感知できない隠蔽を持って姿を消した。


「見事な隠行だな。何処にいるのか検討もつかない」

「クククッ、これだけが取り柄でね」


 嘘つけ。こいつは本当に胡散臭くて叶わない。こいつの情報は本当に信用出来るんだろうな?

 血契約に『虚の情報は売らない』と書かれてなければ信用しないところだ。タチの悪い事にセシルはそれを自覚した上で行動している。この血契約もまさに、信用が出来ないのなら、させて見せようという意思の表れの様に思える。


「それで、セシルは何が出来るんだ?」

「だから言ったであろう? これが私の唯一の取り柄だと」

「嘘つけ。もういい。お前が何が出来るのか情報として買う。これなら嘘は言えないだろう?」


 俺は契約の力を使う事にした。契約には俺の求める情報をセシルが持っている時、その依頼を断る事が出来ないとも書いてある。さらに嘘を言えば、即刻、死。

 これで確実にセシルの戦い方を知る事が出来るはずだった。


「クククッ、了承した。しかし、残念ながら、私に出来るのはこの隠蔽と、情報収集、後は少々魔法が使える程度だ。武器はそもそも持っていない」

「…………マジ?」


 しかし、この胡散臭い男は嘘を言っていなかった。それは契約不履行の罰則が働かなかった事が証明していた。


「残念ながら事実だ。私は非力なのだよ。しかし……そうだな。今後のためにも武器ぐらいは用意しておこうか」


 ならば何故そこまで不遜で余裕なのだろう?

 ある意味逃げた盗賊達よりも危険な状況にいるはずなのに慌てている様子など微塵も見せていない。本当に得体の知れない奴だ、こいつは。


「来るぞッ旦那!」

「あぁもう、くそっ!セシルは離れてろ!」

「クククッ、そのつもりだ」


 結局、俺とルクセリアはお互い何が出来るかわからない状況で、二人で主に挑む事になった。


 主は濡れた砂を捨て、新たに乾いた砂で襲い掛かって来た。それは先の砂壁などという生易しいものではなく、文字通り砂漠の猛威を俺たちに振るった。


「アリ地獄⁉︎」

「くっ、何だこれは⁉︎」


 まるで人の顔のように盛り上がった砂山に二人同時に斬りこもうとした。しかし、突如窪んだ砂に足を取られ思うように動けなかった。

 まるで溶けたように柔らかくなった砂粒。もがけばもがく程そこに沈み込んでいき、すぐに腰まで砂に絡め取られた。


 まるでアリ地獄のように円状に広がった吸引口は砂だけでなく、罠にはまった獲物を絡め取る。

 まるでそこに主の口が存在するかのように、勢い良く砂が流れ込み、もがく俺たち二人を捕食せんとしていた。


「瞬動!」


 俺は砂の中に固定空間で硬い足場を作ると、瞬動でルクセリアを引き連れアリ地獄から飛び出した。


「くっ、すまない」


 助けられたルクセリアは悔しげな表情で謝った。


「気にすんな。それよりあれをどうするかだ」


 これではまともに戦えない。俺は空中でも自由に戦えるが、ルクセリアはそうもいかないだろう。


「先程と同じく固める他ないだろうな」

「それには同感だけど、余り長くは持たないぞ?」


 移動する度に魔法で足場を固めていては、そう長くは戦えない。すぐに魔力が枯渇してしまう。

 しかし、実際それ以外に手はない。だが、逃げるために出来るだけ魔力は残しておきたい。


 俺は悩んだ末…………お金に頼る事にした。


「受け取れ、化け物! 総額2000万の猛威! 『金の力』‼︎」


 俺は無作為に一個5万もする術式の刻まれた魔石をばら撒いた。その数およそ400個。王都の魔石屋のおじさんを1週間寝させずに作らせた至高の一品……ではなく急造品の数々。


 しかし、そんな急造品でも数さえあれば問題などないのだ。まるで突然水の中に放り込まれたかなような錯覚が起きるほどに、夥しい水球が辺り一面を覆い尽くした。


「だ、旦那ッ、やり過ぎだ!」


 落下してきた巨大な雨粒に打たれる直前、ルクセリアは動揺の激しい声音で叫んだ。

 そんな叫び声を効果音に聞きながら、バッシャーンと二人仲良くびしょ濡れになる。明日は風邪かな?

 主も風邪を引いてくれたら楽なんだけどな。


 そんな意味もない事を考えつつも、次の手を考えた。


 これまでの戦いで、主は水を大の苦手としている事がわかった。属性を与えるとしたら、明らかに土属性である主には下手な弱点だ。少し考えれば誰でも思い付きそうなもの。

 非常にポピュラーで、わかりやすい弱点だ。


 ならば何故こいつはこれ程恐れられているのだろうか?

 ルクセリア程の男が、出会ってすぐに諦めてしまう程に。


 はっきり言って、Aランクの冒険者パーティであれば、今程度の戦闘なら再現、いやそれ以上の成果をあげるはず。S級パーティならば倒せそうなものだ。

 だが、何故こいつは太古からなどと呼ばれる程に生き続けているのだろう?


 その答えは一つしか思い付かなかった。


 誰も倒せなかったのだ。


 思い返せば、色々とそれを裏付ける証拠がある。


『主は砂漠そのもの』と言ったルクセリアの言葉しかり、弱点である水を喰らっても砂を入れ替え復活する動き、そして何一つとして決定打を与えられぬこの状況。


 俺たちの攻撃は何一つとして主本体に効いていないのだ。ルクセリアの言った言葉は正に真を捉えている。

 主は砂そのもの。砂を幾ら切ろうが、濡らそうが、凍らせようが、主には痛くも痒くも無いのだ。


 だが、一つだけ確かな事がある。

 主本体は砂漠そのものではないという事。何故なら砂漠そのものなら、盗賊達が逃げられるはずかない。もっと言えば、砂漠に生物が存在出来るはずなどないのだ。だって、そこは主の体の一部なのだから。


 しかし、実際はそうではない。確実に主は俺たちと同じく砂漠を移動している。それはつまり、今この場に主たらしめる本体が存在しているという証拠だ。


 どれが本体かはわからない。どこにあるのかもわからない。

 だが、確実に本体は存在している。


 それこそが真の弱点に違いない。


 まるでその答えをアシストするように視界がクリアになる。開けた視界には水を含み茶色く変色した砂漠が広がっていた。


 体からしだれ落ちる水滴を振るい落とし、ルクセリアに呼び掛けた。


「10秒、いや30秒だけ俺を守ってくれ!」

「ッ! わかったッ!」


 ルクセリアは俺の目を見て何か考えがあるのだと見抜き、何処から来るともわからない攻撃に備えた。

 そんな風に警戒を釣り上げるルクセリアとは対照的に俺は全身の力を抜き、リラックスする。ただし、その集中力はルクセリアよりも遥かに高く、深い。


 まるで爪の先のように鋭く尖った土が、触手を扱うが如く俺とルクセリアを狙い撃つ。一方で、ルクセリアは飛ぶ斬撃で迎え討った。

 触手と斬撃の攻防戦。切り落とされた先っぽはその場で形を崩し、地に還る。しかし、それはまた新たな触手を生み出す材料としてリサイクルされ、また触手の再生にも回された。


 次第に数を増やしていく触手にルクセリアは焦燥から冷や汗を流す。わずか30秒。されど30秒。

 その僅かな時間は、強者の戦いにおいては決着が決まるのに十分過ぎる程の時間だ。

 ルクセリアはその30の間に全てを出し切る勢いで、攻撃を防ぐ。水を含ませて尚、速いと感じる触手の動きにルクセリアは必死に追随し続けた。


 もはや後何秒という意識も消え、ただ触手の動きを見極め切り落とす事だけに集中していたルクセリアの耳に、時間を知らせる声が聞こえた。


「妖精化」


 その言葉の意味をルクセリアは知らない。振り返りもしない。だが、それにより起こる変化を無条件に信じた。だから、それが完了するまで、ルクセリアの動きは止まらない。


 それは一瞬の出来事だった。


 ルクセリアが俺から意識を外し、触手へと戻した時、その触手の動きが完全に止まった。


「隔離空間」


 触手が砂に還る。そして、全てが自然へと還る。

 揺れる砂漠はその動きを止め、砂漠から突起した触手は地に還り、アリ地獄はただの窪みと化した。


「だ、旦那、これは……」

「主本体を閉じ込めた。やっぱり思った通り、本体を隔離すれば砂は操れないみたいだな」


 俺は予想が的中した事に胸を撫で下ろした。正直、勝率は半々だった。

 主がどうやって砂を操っているのかがわからなかったから。だが、氷つかせた時主は動かなかった。そこから、主と砂の位置関係、もしくは接触が必要なのではないかと考えた。だから、断絶した空間の中に主を閉じ込めれば砂は操れないと思ったのだ。


「とりあえず今の内に逃げよう」

「倒したのではないのか?」

「いや、無傷も無傷。傷一つつけてない」

「そ、そうなのか……?」


 ルクセリアは未だ状況が理解でなていない様子だったが、隔離空間も完全ではない。何が原因かはわからないが、確実に破る術は存在するのだ。

 破られていない今の内に俺が維持できる限界まで逃げるのがベストだ。


「クククッ、お見事だ、雇い主よ。流石は私の見込んだ男だ」

「どうもありがとう、役立たずのセシルさん。とにかく諸々の説明は後にして逃げよう」


 俺は皮肉を染みた言い方で気配を表したセシルに答え、二人を促した。そして、足跡を残さぬよう風魔法で砂を巻き上げながら、隔離空間を維持できる限界まで逃げ去った。


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