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9: アデル、ブルーは熱い色(2013年、フランス)

 当時は結構話題になった映画です。というのも写実的なエロシーンが多く、「過激な内容」という理由でR指定が入りました。しかし第66回カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲得しました。


・ストーリー:

恋話なんかも普通にし、パスツール高校に通う2年の文学少女アデルは先輩の男性トマと付き合いますが、道ですれ違ったブルーの髪の子のことが気になり、忘れられなくなります。その結果、彼氏のトマはなんか自分とは合わないなと思い始め、結局別れます。何か満たされない気持ちのアデルは、ある日親友のベアトリスからその時のノリでキスされます。一瞬本気になったアデルですが、ベアトリスからはそんなつもりはなかったと言われ、傷つきます。自分は「普通」じゃない気がするということを男友達ヴァランタンに打ち明けると、彼はアデルをゲイの集まるクラブに誘いました。アデルはクラブの喧騒を離れてゲイバーの方に行くと、そこでブルーの髪の子、エマと再会します。それをきっかけにアデルとエマは急接近し、友人たちに「レズビアン」と偏見を押し付けられながらも、その関係を深めていきます。二人はお互いに両親を紹介し、愛を深めました。

 それから数年後、二人は同棲しました。元々美大の学生だったエマは画家として、アデルは幼稚園の先生として仕事をしていました。エマは自分の絵画を披露するホームパーティを開きますが、そこでアデルはエマが同じ画家のリーゼと親密そうに話しているのを気にします。やがてエマはリーズと絵画の共同制作のために家を空けることが多くなり、一緒にいられない寂しさから、アデルは同僚の男性と浮気をしてしまいます。これがばれてしまい、エマに罵られながらアデルは家を追い出されてしまいました。

 アデルは浮気したことの後悔に苛まれながらも、先生の仕事を続けていましたが、ある日エマを和解のために呼び出し、レストランで再会します。そこでお互いがまだ好きなことを確認はしますが、エマにはもうリーゼというパートナーが出来ていて、元の鞘に戻ることは出来ませんでした。

 季節が変わり、アデルはエマ達が開いた展覧会に行きます。エマの主要な絵のモチーフに自分が使われていることにエマの思いを受け取りつつも、居心地の悪さを感じ、会場を後にします。


・面白かった点

① 間

 一つ一つのシーンに間があります。この間でアデルの中で渦巻く心の流れ、動きを表現していて、詩的な雰囲気を作り出しています。「確かにものを考える時ってこういう”間”があるよね」と納得出来る演出だと思います。


② 等身大の人間

 レズビアンというだけで、その辺にいそうな普通の女の子達の恋愛と失恋の話です。エピソードも恋愛の悩みも、そして「2013年当時の同性愛者」が抱える悩みも十分に表現出来ていると思います。一見破天荒に見える行動も全て「想像できる人間の行動」の範疇にあります。それだけに生々しく、人間味があり、ストーリーに納得が出来るものとなっています。



・イマイチな点

① 冗長

 面白かった点の①で「間」の存在を上げさせてもらいましたが、時にこの「間」がストーリー進行を邪魔しています。ここにその「間」はいらんやろというところもあり、さらにはこのシーンいる?というシーンも数多くあります。

 ぶっちゃけて言うなら、この話は「平凡な文学少女のアデルがレズビアンであることを自覚し、エマに恋をし、成就はしたものの、生活のすれ違いから男に浮気してしまい、それが原因で別れてしまった」という話です。そこに「別れてもお互いを思いやる心が存在する」という詩的なテーマをちょこんと乗っけただけです。

 3時間もいらんやろと。

 アデルがただ寝てるだけのシーンとかいらないし、アデルが幼稚園で教えるシーンもそんなに長々とはいりません。あまりにも長々とシーンを撮っているので、何か起こるのかな?と思って期待して見てても普通に次のシーンに移ったりします。アデルとエマがセックスするシーンも長すぎる。「写実にこだわった」とのことですが、ポルノ映画じゃないんだから、そんなに尺いらんやろ、と思ってしまうのは私だけですかね……。


② テーマが分かりにくい

 ①でも書きましたが、これは「アデルがエマと恋愛したけど浮気がバレたから別れることになり、最後は孤独になった」という話です。その流れの中でレズビアンであるからこその悩みやむき出しの感情や、恋愛の哀楽などなど、いわゆる人間ドラマを撮ったものです。同性愛者をモチーフにしたというだけであって「その辺によくいる人の人生を覗き見ただけ」感が拭い切れていません。

 言うなら「エンターテイメントとしてのドラマがない」のです。そうなるとテーマも見出せません。

 漫画の勉強という視点でこの映画評論は書いているのですが、漫画は「”キャラの立っている”キャラクターが何か一つの信念とか生き方とかを貫く姿を描く」方がエンタメとしては成立しやすいので、そう描くのが主流です。そういう意味で、アデルというキャラクターはぶれぶれで、主人公としてキャラ立ちしきれないまま終わっちゃった感が強いんですよね。だからこそ人間臭いのですが、エンタメ感はどうしても控えめになってしまいます。

 それならエマの方がキャラは立っているので、エマを主人公にするか、アデルを成長させるバディキャラとしてもっと出演させた方がエンタメ感は出る気がします。

 ①で「別れてもお互いを思いやる心が存在する」という詩的なテーマが乗っかってると書きましたが、これも絞り出して頭の中を整理して、そして印象的なセリフを吟味した結果、何とか思いついたテーマです。本当に監督や原作者がこのテーマで描きたかったのかも分かりません。それぐらい言うなら「平坦な」話だと感じました。


③ アデル……。

 ②でも書きましたが、キャラぶれすぎ。

 男とエッチしてみて、なんか違うなと思っていたらエマに出会って満たされる。でも生活がすれ違って満たされないから今度はまた男とエッチするって、結局お前は何なんだと。

 バイセクシャルなのかファッションレズなのか。

 その割にはエマには泣いて「別れたくない」と懇願している。

 まぁ、現実世界ではいます。こう言う子。

 レズビアンを自称してても、自分のジェンダーが不安定なので女の子に抱かれたり男の人に抱かれたりする子。

 またレズビアンじゃなくてもその時の心境や置かれた環境によって女に抱かれたり、また男に靡いたりして、自分の不安定な心のバランスを何とかとって生きている子。

 でもそう言う子を主人公に選ぶのはちょっとレベルが高すぎます。心理描写が豊富に書ける小説とは違い、映画や漫画は見たまんまとセリフが全てなので、こういう子を大した説明もなく使い続けると、観客は「結局何がしたかったんだろう?」という感覚に陥ります。

 そして何より主人公に対する好感度が全く上がりません。映画以上に片手間で読まれる漫画では、愛されない主人公は致命的になり得るので、漫画的視点から言うとこういう主人公は非常に受け入れにくいです。

 それならさっき書いたようにキャラの立っているエマを主人公にするか、どうしてもアデルを主人公にしたいのなら、その内面をもっと"間”だけじゃなくて抉り出すように描いて早い段階で主人公への同情や共感を引き出すべきでしょう。

 「エマがアデルの浮気を責め、アデルは大泣きしながらエマに許しを乞うシーン」や「レストランで再会するシーン」ではアデルの本音が吐露されていました。ここでようやくアデルが何を考えているのか「共感」を呼べる演出になっている訳ですが、その時点で映画は2時間15分経過。残すところ45分。時はすでに遅し。もう話も終盤です。もっと前半で”間”だけでなく、アデルの心境を描くべきだったように思います。



○総評

 この映画の評価が高かった理由として、時代の問題もあるかもしれません。

 2013年当時だと「レズビアン」に対する偏見がまだある程度残っていて、彼女らの恋模様を描くと言うのはある意味斬新な視点の話であったかもしれません。

 もちろん今も偏見が無くなった訳ではないですが、時代が進んで少し価値観も変わってきています。「レズビアン」も「百合」というジャンルに内包されて浸透しつつある今、こういう話はむしろ生々しすぎて敬遠されるかもしれません。エマが男と寝たアデルのことを「売春婦!」と罵っていますが、多分大抵の人はアデルよりもエマの方に共感すると思います。

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